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青銅のノコギリ

テーマ:東北の古鉄を探る
2008年05月03日

ノコギリの起源が分からないと以前書いたが、今日早朝ミケーネ文明の出土品に青銅のノコギリがあることを知った。


すごい。


太い木を切り倒すには、石器の場合先がとんがるように少しずつ切り込んでいかなくてはならい。縄文時代の柱の姿だ。


ノコギリがあれば、まっすぐに切れる。


(私がしっているかぎり)最古の日本のノコギリが7世紀なのに対し、ミケーネは紀元前2千年くらいだからずいぶん昔からノコギリがあったわけだ。


鉄がつくられる以前からノコギリはあった。


人間ってのは、けっこうすごいな。

古代会津に幻の王国が・・・

テーマ:東北の古鉄を探る
2008年03月09日

今朝の地元紙に「古代会津に倭(やまと)の王国のひとつがあった」というような記事が出た。


福島県立博物館の学芸員の研究結果だそうだ。


根拠は、3世紀の漢の銅鏡。


卑弥呼の時代、倭は100以上の国が地域ごとに独立していた。


その中のひとつが古代会津にあった、という記事。



私は、とても納得した。


4世紀の会津大塚山古墳とそれ以前とされる古墳群の存在。


日本の古代史はそのことにほとんど触れない。


触れられていないから、多くの人は無いものと思っている。


しかし、現地には古代の巨大古墳が存在している。



私は、会津に「ヤマト」という地名があることがおかしいとおもっていた。


2月の古代製鉄に関する話をしたときには、そのことに少しだけ触れた。



会津盆地は、奈良の盆地と似ていると思っていた。



それだけのことで、物的根拠はもたなかったが、今日の朝刊は「やっぱりな」と納得したのだった。


若い頃、群馬県にたくさんの古墳があることが不思議で「将来ここらあたりには大和と匹敵するような権力者の存在が発表されるよ」と断言したことがあった。


そして、そのとおりになった。


古代の日本


文書だけからそれを考察してきた日本の古代史学者。


もっと、現実を見て歩かなくては、地元が納得する歴史を語ることはできないぞ。



古代の製鉄遺跡だけでなく、福島県は非常に微妙な古代史をもっていることがわかってきたこの頃だ。


古代東北の製鉄講演、やりました。

テーマ:東北の古鉄を探る
2008年02月24日

2時開始なのに、12時に会場入りして準備開始。


そのときに初めて1時半開始であることを知る。


びっくりしたが、まあ、90分もあれば資料の準備はできる。


スタッフの方々に手伝っていただき、十分の余裕を持って準備完了。


そのうち「100人を想定して準備している」などの声が聞こえてくる。


まさか。


席は30席用意してある。


しかし、100人は入れないぞ。


まあ、それは別の仕事の話のようだった。


ほっ。



結局15人が参加


スタッフと合計して20名程度の会となった。


ちょうどいい。



50分話して質問の時間とした。


質問が切れたところでまた20分話した。


最後にまた質問の時間として、予定通り3時で終わった。



終わってからの立ち話がつづいて、結局会場を後にしたのは3時半。



できるだけわかりやすく、細かい論点には踏み込まないで、概説を続けたつもりだが、それでも難しかったという小さな声が聞こえた。


やり方として反省点が残る。


もっと、もっと訓練しなくちゃ一流には届かない。


一晩寝て、痛感する。



テーマはおもしろいのだが、エッセンスだけをうまくつたえられないんだな。

「地元学」での「古代東北の製鉄」に向けて

テーマ:東北の古鉄を探る
2008年02月17日

今度の土曜日が地元学だ。


どうやってわかりやすく話をできるか。

いろいろと考えると眠れなくなる(その割にはよく寝てる)。


やはり、実物の説明と、パネルだろうな。


それをどういう風に有機的に結びつけることができるか。


やはり、自作年表が必要だな。


よし、今日の午前中、頑張ろう。


午後からはお寺の理事会だ。

なんでこんな地域の役職仕事で時間をとられるんだろう。

いやだけど、今年は父の一周忌をしなければならないので邪険にすることもできない。


あー、いやだいやだ。

古代のノコギリ(2)

テーマ:東北の古鉄を探る
2008年02月11日

古代のノコギリについて書いたら、「それがどうしたの?あってあたりまえじゃ・・・」というコメントが来た。


う~ん、もちろんあってあたりまえだが。


かといってあまりお手軽な現実でも無いことを書いておきたいとおもった。



現代は機械で鉄板を作るので結構いい平面がでている。


機械で作るといっても、いい平面を出すのはそう簡単な機械でつくるのではない。結構、むずかしい。


厚い鉄板(10ミリとか20ミリとか)を製造するのも難しいが(冷え方が均一でないのでゆがむ)、薄い鉄板を均等な厚さでつくるのもむずかしい。


むずかしいけど、製品として供給されていおり(わりと)自由に購入することができる。



しかし、古代には溶鉱炉から圧延装置で一気に平板をつくる装置は存在しなかった。


砂鉄からつくった鉄のかたまりをたたいてたたいて平板にしていくのだ。


その間、日本刀のように焼き入れ、焼き鈍しを繰り返す。


そして、ノコギリは薄い平板でなくてはならない。


そして硬くなくては切れない。


それを、手だけで仕上げるのだ。


すごく、難しい。



現代でも残っているごく少数のノコギリ鍛冶は、平面を出すために電動砥石を使っている。


昔は、電動式回転砥石もない。



研いで仕上げたのか、

たたくだけで仕上げたのか、


鉄の遺物は錆びているので、仕上げの方法は分からない。


いずれにしても、非常に高度な技術が必要だ。



古代のノコギリは、すごいのだ!!



もちろん、ノコギリは昔でもあってあたりまえだ。


古代の炭の切り口をみればノコギリを使って炭焼き用の原木を切り出していたことがわかる。



現在は、チェーンソーだが、死んだ父の時代まではどんな大木もノコギリ一本で切り出したそうだ。


ノコギリもいろんな種類がある。


そのうち、写真を載せないといけないなー


「浜辺の黒砂」について

テーマ:東北の古鉄を探る
2008年02月08日

チタンと鉄についてうまく伝わらなかったようだ。


福島県太平洋岸の砂浜には「黒い砂」が結構多い。


私はこれが全部「砂鉄」だと思っていた。


「砂鉄」というのは、純鉄ではない。

地域によって成分は異なるが(だからこそ、きっちり分析すればどこどこの砂鉄と判別することができる)、磁石にくっついてくるいわゆる「砂鉄」は鉄分が20%程度含まれている鉱物だ。

鉄分が20%(この%は重量比)もあれば磁石につく。



あるとき、浜の黒い部分をスコップですくい取って水洗いし、さて磁石で精選しはじめた。


ところが、黒い砂の大部分は磁石にくっついてこなかった。


砂鉄ではなかったのだ。


それがいったい何かは新地町の役場で教わった。


「チタン」だ。チタンといっても純チタンではない。チタン分の多い砂である。


この「チタン分の多い黒い砂」は砂鉄と比重がほぼ同じだ。


だから、浜の「黒い砂」を水を使った比重選鉱(かんな流し)で分離できない。


かろうじて、粒の大きさ(粒度)を分けることができる。



つまり、磁石を使わなければ、浜の黒砂から「チタン分の多い黒砂」と「鉄分の多い黒砂」を分離することができない。


岩手県の海岸の「黒い砂」は全部「砂鉄」だ。

しかも、その砂鉄は鉄分が50%も含まれている(純鉄50%というのではない。チタンと鉄が解け合っているものが50%だT-Fe)(それ以外の含有物としてシリコン、アルミニュウム、チタンなどの酸化物など)。

製鉄の原料としては非常にすぐれている。


製鉄の原料の砂鉄は、そこらの砂鉄で鉄分が20%

岩手県で50%


地域によって差がある。


何度もいうが、これは「黒い浜砂」から磁石で「砂鉄」を選別したその砂鉄の成分の内訳である。


黒い浜砂をかんなながしで白い浜砂から分離してそれを製鉄の原料としたら、非常に鉄の収率は悪くなる。

もともと、鉄分が少ないのだから。


そこで、古代製鉄ではどういう「黒砂」を使ったのかが興味深い。


岩手県太平洋岸のように、黒い砂がみんな砂鉄という地域ではまったく問題にならないことだ。


また福島県でも猪苗代の黒い砂はみんな砂鉄なので問題にならない。


福島県太平洋岸の黒い砂だけが(茨城県の砂鉄採集はまだ行っていないので分からない)製鉄原料として問題があるのだ(もし、海砂を使ったとすればだが)。



長くて細かくなりすぎた。

それでなくても、いつも七面倒くさいことを書いていると言われている。



要するに、「黒い砂」から砂鉄を分離できることを自明のことと考え、分離した砂鉄の成分の中のチタン分の多さが製鉄に影響を与えているという考え方が非現実的なのだ。


磁石がなければ「黒い砂」から「砂鉄」と「それ以外の黒い砂」を分離できないのだ。

「それ以外の黒い砂」はチタン分の多い砂である。


このチタン分が製鉄にどのような影響を与えるかは非常に興味深い問題だ。


実験が必要だ。岩手の砂鉄と福島の「黒砂」を用いて別に製鉄をすればわかる。


溶接棒にはチタンを混ぜていて、そのチタンは新地町の「黒い砂」を使っていたようだ。


チタンは、溶接棒が溶けて溶接する「湯」の球を小さくする働きがあるという。


これから推測して、製鉄にも必ず何らかの影響を与えていると思われる。







「海進」「海退」(かいしん かいたい)の問題

テーマ:東北の古鉄を探る
2008年02月06日

起きがけにふと思った。


福島県太平洋岸の砂鉄の問題だ。


福島県太平洋岸の砂浜は、ところどころ黒々とした砂が厚く堆積している。


まあ、一応はこれを「砂鉄」と考えてしまうのだが、実は違う。


砂鉄分なんて2割くらいだ(浜によってちがう)。


残りの8割の黒い砂はチタン分の多い黒い砂だ。



磁石がなければ、この黒い砂から砂鉄とチタン砂を分離できない(水を使った比重選鉱が不可能)。


ところが、製鉄遺跡で発掘される砂鉄(?)はほぼ砂鉄のみである。



どうやってチタンと砂鉄を分離したのか?


謎である。


私にとっては大謎なのだが、専門家にとっては問題外のようだ(何かを知っているようではなさそうだ)。



そこで、はじめにもどる。


日本古代は温暖だった。

多賀城のすぐわきまで(今は住宅街)海だった。


海進である。


とうぜん、福島県太平洋岸も、海がずっと陸のほうまで来ていた。


とすると、海岸の様子がいまとは違う。

もしかしたら、昔は、砂鉄だけの砂浜があったのではないだろうか?

今と昔では阿武隈山地からの砂鉄分の供給量がちがうのではないだろうか?



今朝、ふと思ったのはこのことだ。


さて、これをどうやって証明すれはいいだろうか?


海の砂鉄の採取だけでなく、川の砂鉄の採取が必要だな。

平安時代のノコギリ

テーマ:東北の古鉄を探る
2008年02月05日



話だけでは恐縮なので、今日写真を撮ってきた。


平安時代のノコギリである。たぶん。


いかにもノコギリ風だ。

途中でおれたの化もしれない。


こんな風に残るのは奇跡だ。ノコギリの歯がしっかりと見える。


薄板鋼板など存在しない時代、鉄のかたまりからたたき出すしか方法はない。


刀剣などよりずっと高度な技術だと思っている。


もう少し追求してみたい分野だ。

古代のノコギリ

テーマ:東北の古鉄を探る
2008年02月04日

写真を載せないで恐縮だが、古代のノコギリをみた。


もちろん「古代東北の製鉄技術展」に展示されているものだ。


これには驚きである。


ノコギリの起源についてはなんとしても知りたいところだが、出土例をこの一点しか知らないのでどうにもならない。


ノコギリを作る技術は並大抵のものではない。


鋼で作ると折れてしまう。


軟鉄で作ったのでは切れない。


目立てが必要である(ヤスリが存在することが前提となる)。


日本刀だけに日の目があたるが、ノコギリのほうがたくさん実用的に使われた。


本気で調べてみたい鉄製品のひとつだ



展示されているノコギリの特徴として、非常に小さいものであることがあげられる。


全長25センチと見た(ガラスケースの中に入っている)。


その大きさが当時の技術の限界だったのか、たまたまそれだけが発掘されたのか。


成分分析などぜひやりたいものだ。








19年度遺跡発掘報告会に出る

テーマ:東北の古鉄を探る
2008年02月04日

昨日午前中は遺跡発掘報告会に出席した。


古代東北の製鉄技術展と同じ会場なので立ち寄った。立ち寄った瞬間にK氏と鉢合わせしてしまったのでもう逃げられなかった。


製鉄遺跡の説明ももちろんあったが、古代炭焼き窯の説明は興味深かった。


というのも、先日のシンポジュウムで「製鉄用の炭は、完全に炭化させない」という話を聞いたからだ。


それは、どういうことなのだろう?


「完全に炭化させない炭」というのは、炭焼きを途中でやめてしまうのだろうか?


そういう炭が出土している話が聞けるかとおもったら、それは無かった。


なんだか、年代ばかり気にしているようでちょっと不満だった。


炭焼きが上手に行われなければ、製鉄など成立しない。


とにかく、膨大な炭が必要なのだ。


今年は、少し、炭焼き研究に力を入れてみたいと思った。



午後は漢字検定のつきそい。


夕方は相馬市でイベント。


帰りは9時。


雪の中で多忙な一日だった。


充実しているのか、追われているのか、よくわからない。

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