エコ・ブログトップへ スマイル・エコ・プログラム
1 | 2 | 3 |最初 次ページ >> ▼ /

行方(なめかた)郡の製鉄

テーマ:東北の古鉄を探る
2008年01月30日

製鉄遺跡などなんぼでもある。


福島県みたいに工事がないから掘らないだけだ。


掘れば日本全国何万とでてくるだろう。


ある専門家が言い放った。


笑った。



掘ればなんぼでも出てくるかもしれない。


しかい、大事なのは「多賀城という国家の出先機関があり、そこの機能を支えるために、行方郡という戦略的な地域で製鉄が行われ、その事実が万葉集に残るほど大和の支配者の間では有名であり、平成になってその製鉄跡が発見された」ということだ。


現代のように庭先でお気軽に製鉄をやったわけではないが、それでも無数の小さな製鉄炉で、少しずつ鉄はつくられた。


その積み重ねのなかから技術革新が生まれた。


その跡をたどることのできる製鉄遺跡が福島県にある。


そのことが大事なのだ。


2月23日に古代製鉄について90分ほど話をするが、今回のシンポジュウムを体験しておいてよかった。


何を、どう話すことが大事か、確かめることができた。


ほんとうに、出会いはありがたい。


天智と天武は戦ったか?

テーマ:東北の古鉄を探る
2008年01月29日

残念なことに、このテーマでサクサクと書く力は私にはない。


ただ、「天皇」は天武天皇が初代であること。


そして天智と天武は似ているけれど、意味するところはまったくちがうこと。


そして天智の諡をしたのは天武であること。


こういうことから天武は本気で天智とその息子を殺したのだと私は確信している。


律令体制とは、そうして簒奪した大和の権力を、天武の系統が確実に守るため、内は蝦夷、外は大唐帝国を仮想的として支配組織を緊張させ、反対勢力の力をそぐしくみであったと考えている。


証明はできない。


ただ、安楽な毎日を送っている現代人よりも、古代の政治家や地方の権力者、蝦夷のほうが、よほど鋭い感覚で世の中の動きをみていただろうことは想像しなくてはならないと考えている。


みなが、一流の政治家だったのだ。


そうした中で、古代東北の鉄生産が行われたこと。


そういう状況は決して文字に書かれることはない。


私たちは、現代の戦争や国際政治を見て、古代の動きを想像できるだけである。


聖徳太子はいなかった、を読む

テーマ:東北の古鉄を探る
2008年01月29日

なぜ古代製鉄と聖徳太子が関係あるかといえば、それは日本書紀を読むことが古代の動きを理解する基本だから、ということだ。


私は、文字を読んで考えるより現場で丁寧な発掘をして出てきたものから考えることのほうがよほど大事だと考えている。


しかしだからといって、日本書紀をはじめとする古代の文献を読まなくていいとは思わない。


ただ、書いてあることが全部ほんとうだ、みたいな単純な読み方では話にならない。単純に読めば、それは簡単でわかりやすいかもしれない(漢文を読める人には)。しかし、単純に読んだだけでも、書いてあることが変だなと気づくだろう。


聖徳太子がいなかったは、そういう頭の訓練をするのに非常に役立つ。



日本書紀は天武天皇が藤原不比等と組んでつくらせた。


そのことの意味が大和政権の東北経営に大きな意味を持つ。


古代日本の政治は、非常になまなましく激闘している。

そのなまなましさを日本書紀をはじめとする古代の文献からどれだけ読み取れるか。その読み取ったものからどれだけ現場から出てくるものと関係づけることができるか。それがポイントなのだ。


天智天皇、天武天皇の激闘がなかったら、日本の歴史も東北の姿もだいぶ変わっただろう。


逆に言えば、天智天武の戦いこそが古代日本の必然だった。



いくつかの謎が解けた

テーマ:東北の古鉄を探る
2008年01月28日

古代製鉄技術のシンポジュウムに参加して、いくつかの謎がとけた。


ひとつは、炭の大きさのことだ。


私は、炭を買ってきたそのまま、細かい炭はこまかいまま、長い炭は長いまま、太い炭は太いまま投入していた。

まあ、それでも鉄はできた。


しかし、炭を細かく打ち砕いて投入しているのを見たことがある。


どうしてだろうと思っていた。


わかった。


それは、砂鉄が炉底に落ちるまでの時間を稼ぐためだった。

細かい物の間を通り抜けるほうが、がさつな物の間を通り抜けるより時間がかかる。


その分だけ炎(一酸化炭素)と反応する時間が長くなり、いい鉄ができやすい。


このことがわかった。


第二には、砂鉄を水でかためたり、糊でかためたりするのはなぜなんだろう、という疑問である。


私は、砂鉄は袋に詰めて、ふくろごと投入したのでわからなかった。


袋ごと投入するのは、砂鉄の投入量がわからなくならないように、である。

袋には番号をふってあるので、いまいくら投入しているかいつでもすぐに間違いなくわかる。


それを、砂鉄のまま投入したら、炎の勢いで砂鉄が舞い上がってしまう。

だから、塊にして投入していたのだ。


しかし、基本的錯乱に陥っているとしか思えない。


送風の勢いが良すぎるのだ。


風がなければ、鉄はできない。


しかし、送風が強すぎてはいけない。


私も、おもいっきり強い風を送ったときは、たしかに炉の縁に砂鉄が飛び出してきた。

そのため、高い煙突をつけたこともあった。

そして、その時は失敗だった。


送風量の適切な管理。


これが極めて大事であることがよーく理解できた。

古代東北の製鉄技術

テーマ:東北の古鉄を探る
2008年01月28日

想定外の来客数となった古代製鉄技術のシンポジュウム。


もしかしたら、鉄から地域の文化を高めることが可能なのかもしれないと思いさえした。


それにしても、笑ったのは講演者だった。


古代製鉄とかいうキワものの先生はこうなっちゃうのかもしれない。


聞く側の立場などおかまいなし。


自説をぶちあげるだけ。


そこでわかってきたのは、「何も確証のない話」なんだなということ。


お互いに、証明の話は避けて自説をブツ。


だから、きいているほうは、まじめに聞いているだけ頭が混乱する。


いちいち名前を挙げることはできないが、まあ、おもしろい講演だった。


自分もあちこちでやるからわかるが、普通だったら二度と声はかからない。だが、古代製鉄という分野ではそうではないのかもしれない。まあ、一生に一度のチャンスだったのかもしれないし。


専門家どうしの内輪のもりあがりとしては非常にいいものになったと思う。


まあ、いろいろな点で非常に有意義な参加だった。


H氏には深く感謝しています。


またこんなことのきっかけとなったT氏のご指導も非常にありがたいものでした。


自戒しなくちゃな・・・

古代東北の製鉄技術-みんな来てくれた!!

テーマ:東北の古鉄を探る
2008年01月28日

 昨日は、開始時間の午前9時に文化センター会場に到着した。


 信じられないことに、駐車場は車でいっぱいだった。


 雪が降っている朝だったのに・・・



 シンポジュウム会場に入ると、ほぼ埋まっていた(満席というわけではないが)。



 昨日、ボランティアスタッフ4名に参加してもらったが、今日は誰も来ないことになった。

 質問が難しくて答えられないから、ヤル気にならないという理由だ。



 子ども達もいっぱい来て、そういうときに遊んでもらおうと思っていたのだが、子どもは二日間で1人しかこなかった。



 シンポジュウム中はあまり3階会場には来客がないことがわかったので、昨日は自分も参加した。


 こういう演者はめずらしいと思った。

 いろいろなシンポジュウムに参加しているが、こういう話し方はめずらしい。

 特殊な世界であることがわかった。

 聴衆は理解したのだろうか?

 

 地元の同級生が亡くなった連絡が今入った。

 

 また、続けます。

 今日は終わり。 



 

古代製鉄技術のシンポジュウムに参加者300人?

テーマ:東北の古鉄を探る
2008年01月27日

こんなに入場者があるとは想像もしなかった。


全期間中で300人もくれば・・・という想定だった。


今日も300人来るなら、すごいことになってしまう・・・



なんでこんなに入場者があるのだろう?


少し話し合ったが、「そういう時代になったんだ」というようなことだ。


しかし、そういう時代とはほんとなのか?



古代製鉄技術も、いろいろと難しい問題があるが、地域の時代精神が変わって行くという現象も興味深いものだ。


そして、ほんとうに、そういう時代が来たのだろうか?


今日一日の動きが楽しみだ。



外は、雪。


これで300人入場したら、すごいことだ。

初めて砂鉄を展示した

テーマ:砂鉄三昧
2008年01月25日

砂鉄を展示したが、こちらは人がよってこない。


このコーナーにやってきたのは、学芸員2人と某館の館長だけだ。



古代製鉄といったら、砂鉄から始めるしかないのに、やっぱりそこまで求めては無理らしい。


人気なのは「古代の装飾品」や動く「ふいご模型」あたりだ。


まあ、こういう動きも10月のフェスティバル開催には役に立つだろう。



非常にいいのは、会場がひろく乾燥していることだ。


暖房費に金がかかることだろう。


濡れていた砂鉄が自然に乾燥した。


ラッキー



明日から本番だ。


昨日から降り始めた雪が、どんな影響をもたらすか、心配。

意外!大入りの古代製鉄技術展示会

テーマ:東北の古鉄を探る
2008年01月24日

 昨日が初日。


 11時頃行ってみると4人の入場者がいた。


 平日の午前中は、こんなものだろうと思った。



 今日は二日目。


 やはり11時頃いってみると、なんと10人が入っていた。


 そして次々とやってくる。


 

 驚いた。


 福島という地域で、古代製鉄というタイトルで、これほどの人数が集まるとは!!



 鉄に関心のある人など、そもそも少ないし、古代になるとますますなんだかわからなくなる。


 それなのに、きっちり入場者があるということは、すばらしいことだ。



 案内人の数の都合上、10人くらいいつもいる状態がちょうどよさそうだ。


 しかし、土日になったら、これじゃすまないだろう。



 おもしろくなってきた。

白河の関に関する誤解

テーマ:東北の古鉄を探る
2008年01月24日

 古代製鉄技術展がはじまった。


 受付で古代の鉄や蝦夷についての本を販売している。

 書展ではほとんど見かけない本だ。


 あわてて3冊買った。


 一日かけて、一気に読んだ。



 目から、うろこ。



 白河の関というのは、古代のいつかの時代に、蝦夷対策のための出先機関として成立したのだと思っていた。


 違う、ということがわかった。


 蝦夷は、大和権力が蝦夷の地域にずかずか入りこんだようなことはしたことがなかった。


 蝦夷は、抵抗はたびたびしたけれども、最終的に大和の本拠地を落とすようなことは考えもしなかった。


 基本的に、追われ、同化していくだけ。

 

 白河の関を突き破って南下、などということはありえなかった。


 

 白河の関は、大和朝廷の地方の堺にできた関所というだけのことらしい。



 菊田の関も同じ。


 

 それが、今朝の新聞に「菊田の関は、蝦夷の南下を防ぐため・・・」などと書いてあったので、笑った。


 こういう考えは、戦前や戦後まもなくの頃の学説らしい。



 常識というのは、時にはずかしいものでしかないこともある。


 「磁石に付かない鉄」

 などという奇論も耳にした。


 発言は、むずかしいな。

Amebaおすすめキーワード

    1 | 2 | 3 |最初 次ページ >> ▼ /

    あなたもエコ・ブログでブログをつくりませんか?