古代東北の製鉄でいくつかの発見があった。
私が発見したのではない。
昨日、まるいちにち古代製鉄関係本を読んで、私が気付いたのだ。
ひとつは、古代福島県太平洋岸で製鉄技術の革新があったこと。
それは、踏みふいごによる送風を堅型炉に応用して生産量を上げたということ。
そしてもうひとつは、その前の段階として、大和朝廷の製鉄技術が、フルターンキイ方式で南相馬地区に持ち込まれたこと。
これは、蝦夷の製鉄のように、原始的自然送風方式の製鉄が行われ、そこから技術革新を重ねて踏みふいご方式に移行していったというものではなかったということ。
そして新しい謎は、では南相馬の尾根に残された自然送風式の製鉄はいったい何なのか、ということだ。
これに対する答えは、「蝦夷が南相馬地域を支配していた時代にすでに蝦夷は製鉄技術をもっており、その技術は尾根で行う自然送風方式だった。その後、朝廷の勢力が蝦夷を北においやり、同じ地域で(砂鉄があるので)朝廷の技術による大規模製鉄が行われた。」というものなら非常にすっきりする。
しかし、5世紀や6世紀に蝦夷が南東北で製鉄をしていた、といったら誰も聞いてくれないし、そんな遺跡も無い。
でも、言えないのだが、いまの製鉄遺跡の発掘方法ではいつまでたってもこの謎は解けないように思えてならない。
それは、今の発掘は、ガンガン掘り起こしてきれいな穴を作るのが目的のようなものだからだ。
何を掘り起こすか、が問題で、きれいな穴が大切なのではない。