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誰が砂鉄から鉄をつくることを編み出したのか・・・

テーマ:砂鉄三昧
2007年09月30日

東北の製鉄技術は、北海道方面から南下した。


その技術とヤマト朝廷の権力が北上するにつれて従事していた渡来系製鉄技術とがどこかで出会った。


今の、宮城県北部か、岩手県だろう。



しかし、いつから砂鉄を原料にした製鉄が行われるようになったか、まったくわからない。



ヒッタイトが発見した製鉄法は鉄鉱石を使うものだ。


その技術が日本に来る途中で砂鉄を使うようになったのか、日本で初めて砂鉄を使うようになったのか、それがわからない。


朝鮮半島の古代製鉄技術を調べる必要がある。


それと、北海道の製鉄もだ。



まずは、砂鉄の状況を見なくては・・・


来年の春だな。

権力は歴史を書き換える

テーマ:東北の古鉄を探る
2007年09月30日

最近の沖縄の教科書問題のことではありません。


古代東北のことです。



昔は、東北は日本ではなかった。

それを武力で奪い取ったことになっている。


実際は違うのではないか。


福島県と宮城県南部までは順調だったかもしれないが、それから北は、なかなかうまくいかなかった。


青森県は、多くの地域が支配されることはなかった。

岩手県の一部も負けなかった。


秋田県、山形県についてはこれから調べます(3年くらいかかる)。



負けなかった地域は、映画みたいに武力を蓄え、ゲリラ戦を展開したのではない。


交易をした。


ヤマトの連中とどんどん交易をした。


そしてお互いが豊かになったのではないか。



交易は、物品の交流だけではない。

技術の交流や文化の交流もある。



朝廷側は、本部からの指図に従うため実績を上げる(財物を調達して送る)ことが必要だ。


武力だけでその財物を調達することは不可能だ。

東北の山は深く、谷は多く、いくらでも逃げられる。そして、蝦夷は、どこでも生きられる。


友好的交流が不可欠だっただろう。



ちょうど暴力団と現場の警察が癒着していて、拳銃摘発キャンペーンの時に必要最低限のブツを調達できるような関係だ。


机上で采配をふるっている中央の権力者のいうことをまともに聞いていたのではいくら体があっても持たない。


今も昔も、役人は「作文行政」だった。


だから、やばいことは書き残さない。


残された文書だけから「歴史」を読み解く行為は、まんまと権力者のねらいにはまることに他ならない。


大和(ヤマト)の鉄、蝦夷(えみし)の鉄

テーマ:東北の古鉄を探る
2007年09月29日

9.11以後のアメリカを思い出してみる。


まず、「犯人は○○だ」と決めつける。


そして「○○がいるのはアフガニスタンだ」と発表する(どうしてわかるのかは、不明)。


アフガニスタンは○○を応援していると宣言する。


だから、アフガニスタンを空爆する。


次に、「アフガニスタンと○○を応援しているのはイラクだ」と発表する。そして攻撃する。



これにはたまったものじゃない。



こんなことを書くのは、昔の東北地方がそういう立場じゃなかったのか、と想像するからだ。


蝦夷は従わない、と宣言する。


ヤマトに従わないのは成敗しなくてはならない、と決めつける。


そんな理由で侵入されたら(古代は、東北はヤマトの敵対勢力だった・・・日本ではなかった)、対抗するしかない。


そうすると、蝦夷は危険だと宣伝する。


だれも蝦夷なんて見ていないんだから、そうかな、と思ってしまう。


聖戦の成立だ。



今になってよく考えてみると、ヤマトが蝦夷の土地に侵入したのは、白河以北一山百文とこバカにした発言とは違って、白河以北には金銀銅、鉄、馬、そして人がたくさんいたからではないかと思う。


それらを、みんな欲しかったからヤマトは蝦夷の土地に侵入して、ほしいものをかっぱらっていったのだ。


これが「権力の現実」である。



だが、これは、あまりにもおおざっぱ過ぎる話だ。


現実は(実際の遺跡からは)、単に戦って負けてもってかれてしまっただけではない証拠が発掘される。



ヤマトの文化は、やはり進んでいた。



今でもそうだが、文化が進んでいると、光輝いている何かがある。


蝦夷も、その光を見た。


そして、取り入れた。

その対価として「鉄」が使われたのではないか。


ヤマトの本拠地や東海地方と違って、蝦夷の土地からは質のいい砂鉄が取れる。


原料が良ければ、製品もいい。

しかも、安い(?)。

ヤマトの文化と鉄は、いい取引になっただろう。


鐵の学校の問題としては、じゃあ、蝦夷はどうやって鉄をつくったのか、である。


ヤマトの技術者(半島からやってきた人たち)に教えてもらったのか?

そんな、だいじな技術を(敵である)蝦夷に教えるだろうか?


ヤマトの勢力は、今の青森県までには及ばなかった。

そこにも、製鉄の跡は残っている。



蝦夷は、ヤマトとは別に独自の製鉄技術を持っていた。


そういうことになるではないか。


半島の人たちも、蝦夷も、日本人ではなかったが、蝦夷は、いつのまにか日本人に組み入れられてしまった。


そのときこそ、大和(おおきなワ)の精神が必要になったのではないか。


敵も味方も、いっしょになってやっていこう!!


こういうのは、今はいいことだと思われている。


現実には、いっしょにやっていこう、と言われた側は、要するに税金を徴収されるということだ。


和(ワ)の精神は大事だ、どころではなく、税収を上げるのが大事だ、というのが本音だろう。



今も昔も、権力者の本音は変わらないことに気付いたのだった。



鉄の遺跡は、ウソをつけない。


ウソをつくのは、言葉だけで日々動いている連中である。


砂鉄になる前の石

テーマ:砂鉄三昧
2007年09月28日

砂鉄は、主に花崗岩が風化して砂状になったものから出てくるというのが通説だ。


出てくるというか、含まれているものが、砂に分離する。


分離するまえの砂鉄を花崗岩の中に見たことがないと以前書いた。



今回、岩手県の海岸地方で、それを見た。


壁一面が風化した花崗岩で、たいへん崩れやすい。


実際、雨で水流ができ、流されている。


その先はすぐ、海岸だ。


その海岸には、質のいい(鉄だけの砂鉄)砂鉄がある。


そこで、ものは試しと、壁に磁石をくっつけてみた。



そしたら・・・


ちゃんと、じしゃくにくっついてきた。


砂鉄は、通説とおり、花崗岩の風化した砂の中に含まれている。



自分としては、大発見だった。



しかし、今回の旅の大発見は、こんなことだけではなかった・・・



つづく

東北の古鉄を探る旅を敢行しました!!

テーマ:東北の古鉄を探る
2007年09月28日

 いそがしいと言ってたら、いつまでも出られないので、思い切って出かけました。


 東北の古鉄を探る旅。


 今回は、岩手県の海側と青森県の八戸、陸奥湾地域、青森市です。


 三泊4日。1200㌔の旅。


 

 収穫は、多かった。



 本を読んでなんだかんだ考えていても、そんなこととは全然関係無しに遺跡は発掘され、報告書は作成される。


 発掘は、手間暇かかる仕事だし、だから、お金もかかる。


 何かのきっかけがないと、発掘は行われない。



 今は、岩手県の海沿いに高速道を造る作業が進んでいる。


 だから、たくさんの発掘が行われ、たくさんの新事実が発見されている。



 「蝦夷(えみし)の鉄」である。


 蝦夷の鉄は大和(やまと)の鉄とは違う。

 それは、はっきりしたといえるだろう。


 どこが、どういうふうにはっきりしたのか。


 第一は、原料の違いだし、第二には担当者の違いだ。


 第三には、納品先の違いだし、第四には製鉄技法の違いである。



 だんだんと、これらの詳しいことについて書いていこうと思っている。



 今日は、疲れた。

 とにかく、第一報である。


 写真も200枚くらいとった。


 砂鉄も80㌔くらい採取した。


 収穫の旅だった。



 疲れすぎて、眠気がこない・・・4

福島県南端のいわき市で砂鉄採取

テーマ:砂鉄三昧
2007年09月24日

 いわきは遠くて、なかなか行けない。


 昨日はたまたま講座があったので、早めに家を出て、海岸までいった。


 

 雨



 雨だと、砂どうしがくっつきあって、磁石で採取ができない。


 かといって、晴れた日にまたくるというほど近くはない。



 砂浜はくろぐろとしていて、砂鉄が多いような気もする。しかし、何分前日のように砂鉄とおもったら黒い砂だったといういこともありうる。


 移植へらで表面だけすくってみる。


 厚さ2㍉くらいか。


 それをすくい取る。



 そうしているうち、失敗して少し深くけずってしまった。


 そしたら、深いところにも砂鉄の層があることに気付いた。


 まったく、失敗こそが新しい発見の基本のようだ。


 


 何層にも、何層にも砂鉄の層が堆積し、その場所は砂鉄の塊のようになっている。(後日、写真)


 はたして、砂鉄がどのくらい含まれているかわからないが、とりあえず20㌔ほど採取した。



 乾燥させて、砂鉄の割合を調べるのが楽しみだ。


 

砂鉄と思ったら、殆どがチタン・・・

テーマ:チタンマニア
2007年09月23日

砂鉄をまんべんなく収集しようと思い立って半年。


まだ3ヶ所しか集まっていない。



昨日は、仕事先で昼休みの1時間、近くの海辺にいって砂鉄採取を挙行しようともくろんだ。



白砂青松


うつくしい景色の中、砂浜には黒いまだらもようがしっかりと存在している。



写真をとってから、道具を持って降りていく。



ざくっと磁石をさす。



ところが、まったくひっついてこない。


あれ!


あれれれ?



この黒いのは、砂鉄じゃなかった。



これは、ぜったい分析してもらわなくては。

たぶん、チタンだと思う。


しかし、こんなにあるといっても、砂の中の存在比率は非常に少ない。


どうやってチタンだけを集めたらいいか・・・


今後の課題だ。

平日なのに、砂鉄採り・・・

テーマ:砂鉄三昧
2007年09月22日

 おとといの製鉄2連敗に心おだやかならず・・・


 昨日は、朝から砂鉄採りに出かけた。


 

 平日なので、交通量は少なく、浜辺には4人しかいなかった。


 しかし、暑かった。


 熱い砂浜に座り込んで2時間。


 あまりに熱くて頭痛がしてきた。

 死にそうになったので、退却。


 砂鉄採取40㌔。


 自分の限界だと思う。


 

 朝はカップ麺、昼は2時ころコンビニおにぎり2コ。


 

 退却時、杖をついてやっと歩いている爺さんがやってくる。

 それに気付いて、必死に退却する。

 何か、余計なことを聞かれると思ったからだ。


 ところが、砂鉄が重く、キャリアが砂に埋まってなかなか動かない。


 じいさんは、やっと歩くくらいなのに、必死に向かってくる。


 汗をだらだら流しながら、じいさんより早く車にたどり着き、砂鉄の箱を車に積んで、戸を閉めた。


 心臓ばくばく。


 じいさんがやってきて、案の定「何とってたんだ?」と聞く。


 じいさんもハカハカしてる。


 まったく、あんたの好奇心が寿命を縮めるぜ。


 「砂」


 すると「ただの砂じゃ、ここでやる必要ないだろう?」とつっこんでくる。

 「近いから、来ただけ」といってバイバイだ。


 まったく、このクソ熱いのに砂浜に座り込んで長時間なにかやってたら、砂金でも掘ってるんだろうと思うに違いない。

 オレだって、砂金が取れるならもう少し続けたと思う。



2連敗!!

テーマ:鉄つくりから始めるものつくり
2007年09月21日

 土日の製鉄大失敗をとりもどすべく、最高の準備をして、昨日の午後から緊急製鉄実験に挑んだ。


 2時から初めて、9時に解体。


 できていなかった。


 ひとかけらも・・・



 2連敗だ。


 ショックが深い。



 もう、材料(砂鉄と炭)が無い。



 昨日は二人だけでやった。

 9時から12時まで反省会。


 送風管が短くなった、ことが最大の理由だろうということになった。


 前々回と大きく変わったのは、そこだけなのだから。


 なぜ、送風管の長さが製鉄結果と関係するか。


 それには、長い説明が必要だ。




 つづく


鉄作り、初めて失敗しました。

テーマ:鉄つくりから始めるものつくり
2007年09月19日

 月曜の朝、カメラを用意して、冷えた炉を解体しました。


 ところが・・・


 信じられないことに、鉄のかたまり、無かったのです。


 まいった。


 

 初めての失敗です。



 朝一で失敗が分かったので、昼から飲んで一日が終わってしまいました。


 

 昨日は、後遺症



 今日も、衝撃が残っています。


 それでも、毎日飲んでるワケにはいかないので、現実と直面しました。



 砂鉄の量が多い割に、燃焼時間と炭の量が少なかった。

 そのため炉内の温度が上がらなかった。


 がれきを細かく見ますと、そういうことがわかってきます。


 第一、今回はレンガがぜんぜん融けなかった。



 衝撃の大失敗ですが、これにこりず、もう一回やります。


 はっきりさせないまま、終わりにするワケにはいきません。


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