法華津前延 (ほけづ さきのぶ) | げむおた街道をゆく

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法華津 前延(ほけづ さきのぶ、永正16年(1519年)[要出典] - 天正16年(1588年)[要出典] )は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。西園寺十五将の1人。別名は弥八郎。
法華津本城城主で西園寺氏に仕えた。大友氏や長宗我部氏の侵攻に際し、数々の武功を挙げた。1560年、1570年の大友氏の侵攻に際しては、水軍を率いて奮戦。天正7年(1579年)に長宗我部氏の家臣・久武親信が侵攻してきた際には、土居清良と協力して親信を討ち取った。しかし、天正12年(1584年)に長宗我部軍が侵攻してきた際には、西園寺氏を裏切って長宗我部氏につき、保身を図ったとされる。
1585年の羽柴秀吉による四国攻めで長宗我部氏は伊予国を去り、河野氏・西園寺氏などは降伏。代わって入国した小早川隆景により法華津本城への在城が許されたが、1588年、伊予宇和郡に入部した戸田勝隆からは下城を命ぜられ、法華津氏は没落した。


以上、Wikiより。



法華津前延