鉄道で行く旅・管理人のブログ

鉄道で行く旅・管理人のブログです。

たいへん申し訳ありませんが、原則として旅行関係または鉄道趣味のブログに限り読者申請を承認しています。 (「原則」から外れるのはブログ以外で個人的なつながりのある方です)


「いいね」をされる方へのお願いです。

儲け話のブログなど、人を騙して儲けようとする迷惑ブログのブロガーの方々は、当ブログへの「いいね」をご遠慮ください。

NEW !
テーマ:

初夏の花・夏の花です。


初夏の花

アガパンサスでしょうか。

初夏の花
ヒマワリです。

初夏の花

アルメリアのようです。

初夏の花

フヨウの花ですねえ。

初夏の花
キキョウです。

「時(土岐)は今 天(あめ)が下知る 五月(さつき)哉」(光秀)

本能寺の変は旧暦の7月1日ですので、この句の「五月」というのは、今であれば6月末の梅雨の時期になります。

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:

今日は、京都の車折神社(くるまざきじんじゃ)まで行ってきました。
車折神社

阪急梅田駅から京都線の快速急行に乗車しました。


西院駅で下車しました。
車折神社

阪急西院駅河原町方面ホームの左側の壁が、京都市の「西院駅周辺地域公共交通総合連携計画」により新設工事が進められている西院駅東(北)改札口だと思います。


車折神社

工事中の阪急西院(さいいん)駅東(北)改札口の地上部分です。ここに京福の西院(さい)駅の嵐山方面行ホームが移設される予定です。


車折神社

先ほどの場所を通過する嵐電レトロ調電車です。右後方は、鏡文字の看板で有名な尚永(なおえ)ギター教室さんです。


阪急西院駅の梅田方面ホームには、東(南)改札口が新設される予定です。

車折神社
その地上部分は嵐電西院駅のホーム(画像の左側の四条大宮方面ホーム)に連絡します。画像の右側の嵐電西院駅嵐山方面ホームは先ほどの場所に移設される予定です。全ての工事が完了するのは平成32年の予定です。

車折神社

嵐電西院駅からパトトレインに乗り、車折神社で下車しました。


京都の神社では6月30日(違う日の神社もあります)に夏越祓(なごしばらい)を行う神社が多いのですが、これは6月30日が1年の折り返し日になるからで、夏を含めて1年の後半の無病息災を祈願する神事が夏越祓です。なお、車折神社は、他の神社とは異なり6月1日から30日まで夏越祓が行われています。
車折神社

先ずは、鳥居に設置された茅の輪をくぐります。これを3回廻るのが正しいお参り方法のようです。

車折神社

本殿参拝後に人形(ひとがた)の紙に名前を記入し(身体の穢れを人形に移すことになっています)、人形を箱に入れます。この神社では人形を焼納してくださるそうです。


ついでに、車折神社の境内にある芸能神社も見学しました。

勝手な想像ですが、目立ちたがり屋の芸能人と、こういうところでは慎ましやかな芸能人に大別できそうな感じがしました。(あくまでも個人的な感想です)


車折神社

やや奥ゆかしいと思われる場所にある芸能人のお名前です。


車折神社

車折神社でパトトレインを撮影しました。

車折神社

嵐電の軌道とアジサイです。

車折神社

有栖川の流れと嵐電の橋梁です。

車折神社

有栖川を渡るレトロ調電車です。この後、有栖川から嵐電天神川に移動しました。


嵐電天神川駅(地下鉄は太秦天神川駅)付近です。
車折神社

洛中(正式な定義はないが西端は西大路通までとされる)では御池通も三条通も東西方向の通りですので、平行している二つの通りが交差することは絶対にありません。

ところが、2008年に御池通がこの太秦天神川(洛外)まで延伸され、ここでは真西ではなく北西に伸びている三条通に御池通がつながってしまいました。これにより「三条御池」交差点というものができたわけです。そういうことは知識としては知っていましたが、やっぱり現地の標識を見ると強烈な違和感を覚えました。(これは非ユークリッド幾何学か?・・・笑)


太秦天神川から烏丸御池まで地下鉄に乗り、イノダコーヒ三条店で昼食をとった後、四条烏丸に向かいました。
きしかん
烏丸通で見た「きしかん(岸和田観光)」のバスです。2013年式の三菱ふそうエアロエースです。

車折神社
「下京区綾小路通り室町西入る」にある本居宣長先生修学之地の石碑です。

本居宣長の京都遊学は宝暦2年(宣長22歳・西暦1752年)から宝暦7年まででした。

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:

2005年に能勢電鉄を利用して多田神社まで出かけたときの画像です。
能勢電鉄

能勢電鉄1500系(4連)です。

能勢電鉄

1500系(2連)です。

能勢電鉄

多田神社の前を流れる猪名川です。

能勢電鉄

多田神社は明治時代以降は神社ですが、それ以前は多田院と呼ばれていた寺院でした。


能勢電鉄

本来は「清和源氏の廟」です。



能勢電鉄
天正14年(1586年 *)に徳川家康が源氏の始祖を祭る多田の廟(兵庫県川西市の多田神社)に参詣するために神崎川(摂津国田蓑嶋)にさしかかったとき、神崎川に渡し舟がないので難渋しました。 このとき、舟を出して家康を助けたのが田蓑嶋(佃)の漁民だったとされています。

*天正10年(1582年)だったという説があるためなのか、田蓑神社の説明では「天正年間」と書いてあります。

能勢電鉄
徳川家康が朝廷の許可を得て「徳川」の名(このときは藤原氏と称した)で、従五位下三河守を任ぜられたのは永禄九年(1566年)です。
家康が、“源氏”を称するのは、天正18年(1590年)に関八州に移封され江戸城入りしたのち、鶴岡八幡宮や建長寺、円覚寺などに発した寺社領寄進の文書が最初だそうです。

家康が多田の廟を参詣したときには、まだ源氏を称していませんでしたので、この参詣は源氏を名乗るための事前準備だったのではないかと考えられます。


【征夷大将軍と清和源氏の関係】

*足利義満以降は征夷大将軍=清和源氏のイメージが定着しましたが、歴史的には、清和源氏でなくても征夷大将軍になれたようです。俗に、「豊臣秀吉は平氏を名乗っていたから征夷大将軍になれなかった」といわれることがありますが、それは嘘です。

豊臣秀吉の場合は、臣下としての位階が「征夷大将軍(令外官なので位階と連動するものではないが江戸時代よりも前は正2位~従4位下の範囲。ただし江戸時代は従1位~正2位。東照宮に対する追贈としては正1位)」よりも上である「関白(これも令外官であるので位階と連動しないが従1位)」を選んでいます。

秀吉の場合は、将軍になるよりも関白(天皇の代わりに政治を行う職)になるほうが難しかったと言われています。

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。