新東宝俳優録35 細川俊夫 | お宝映画・番組私的見聞録

新東宝俳優録35 細川俊夫

若干時代が遡るのだが、細川俊夫である。細川俊之ではない。年齢は二回り離れているが、もちろん親子でも何でもない。
細川俊夫は16年生まれ(101年前)で、本名は細川常憲という。39年に慶応義塾大学文学部を卒業するが、その直前の3月に松竹大船撮影所を見学に行った際、俳優になることを薦められ、翌月には松竹大船に入社している。デビュー作は「あこがれ」(39年)という作品で、「純情二重奏」(39年)では高峰三枝子、「波濤」(39年)では桑野通子と共演と順調な滑り出し、そのあと出征兵士の役が三本続いたと思ったら、翌40年に実際に出征することになったのである。満州に派遣され、九八一部隊で少尉として勤務していた。
43年に除隊し、松竹に復帰したが、三年のブランクや戦争の激化などでスターとしての地位は確立できず、戦後も松竹に所属していたが助演にとどまっていた。
54年、新東宝の「謀叛」(監督が佐分利信から途中で阿部豊に交代)に二・二六事件の首謀者の役で出演っしたのを機に、新東宝の専属となった。新東宝では軍人の役が多く、基本準主役的なポジションが多いのだが、「ソ連脱出 女軍医と偽狂人」(58年)では、ついに主役を射止めている。相手役のヘレン・ヒギンズは、名前からしてロシア人じゃないだろうと思ったら、ロシア生まれのファッションモデルだそうである。父親が日本人で、母親がロシア人、夫がアメリカ人なのだそうだ。東映の「源氏九郎颯爽記 白狐二刀流」(58年)にも出演し、中村錦之助と共演している。
「貞操の嵐」(58年)では、高島忠夫と兄弟の役で、弟の婚約者(高倉みゆき)を犯したりとか、ハンサムタワーズ主演の「男の世界だ」(60年)ラスボスといえる悪党を演じたりしているが、温和なヤサ男といった風貌のせいか迫力にはかけるかもしれない。しかし、丹波哲郎によれば、顔に似合わず喧嘩っ早く、家では完全な亭主関白だったという。
また、競歩選手としての顔を持ち、52~54年の全日本陸上選手権大会において、三年連続優勝という記録を持ち、64年の東京オリンピックでは競歩のコーチも務め、「競歩健康法」といった著書も出している。
新東宝倒産後は、フリーとなり各社に出演するが、個人的にはやはりテレビの方の印象が強い。最初に細川を知ったのはたぶん「光速エスパー」(67年)だったと思う。主人公(三ツ木清隆)の父親の役であった。誤って彼を死なせてしまったエスパー星人が憑依しているという役どころである。
85年8月に急性白血病のため68歳で亡くなったが、直前まで普通にドラマに出演しており、おそらく遺作であろう水戸黄門(第15部)の32話は、細川の死の1カ月に放送されている。