12月24日、クリスマスイヴの夜中に親父から電話がありました。
それは祖父の死亡の知らせでした。
「おじいさん死んだ」
ただそう言いました。
突然でした。
夜も遅かったため、次の日の朝実家に戻り、北枕で寝ている祖父を見ると眠っているような穏やかな顔で、でも体は冷たくなっていました。
手を合わせながら暫くそこから動けませんでした。
今までの祖父との思い出、初孫だった自分を本当に可愛がってくれて、
そんな今までの出来事が一気に押し寄せてきて、
小さかった頃はどこに行くにも連れて歩いてくれてたこと、中学の時に吸い始めたタバコでこっ酷く親父に怒られた時も一箱くらいならどうってこと無いんだよと笑ってた顔、どうってことなくはないが…。高校の時、当時出稼ぎに行ってた祖父はいつも帰ってくるなり真っ先に自分のところに駆け寄ってきて1万円くれにきたこと。そんな祖父にそっけない態度をとってしまったこと。大人になってからは暫くずっと神奈川の父の妹の近くで暮らしていて会えない時が多かったけど、としもとって来てからは実家に戻り暫く一緒に暮らしていたが、自分らが実家から離れて暮らすようになり、それでも実家に戻ったときは上がって一緒に飲もうと誘ってくれたけど、忙しさにかまけてまた今度ねと先延ばしにしてしまっていたこと、実際忙しかったんだけど、まだまだ元気そうだからそのうち機会があるだろうと思っていたんです。
本当に苦労するために生まれてきたような人で、
酒を飲んでは毎日戦争の話と、戦艦大和に乗った話を聞かされ。
大人になってからは、うんうんそうだねと話を聞くことができるようになったけど、
自分が若かったときはそれをうざく感じてしまうこともありました。
なんかそんなこんなが一気に押し寄せてしまって、
気がついたら声も出ずただただ涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにしていました。
ごめんごめんと畳に頭を擦りつけていました。
そのあとは、バタバタと忙しくなり通夜やら葬式やらでそんな感傷に浸ってる暇がなく、やっと少し落ち着いた今こうしてブログに書いてる今も涙が溢れてきます。
偉大でした。
偉大すぎました。
本人に伝えることが出来なかったのでせめてここに書こうと思います。
おじいさん
ごめんねいろいろ。
あなたが大好きでした。
あなたの苦労してる姿を見て育った自分は
この後、あなたに恥じないように頑張って生きていこうと思います。
どうか極楽浄土で安らかに大好きな酒を飲んで戦艦大和に乗った話を天からささやいてください。
Twitterでクリスマスの楽しい雰囲気を害してしまうかとも思い、
明日はとしを越す前に四十九日を行う事になり、
まだバタバタとしてしまうので、時間の開いた今日ここに書きました。
そんなことですので、
喪中につき年末年始の挨拶は失礼させて頂きます。




