石井式落語のブログ

ブログの説明を入力します。


テーマ:

柳家喜多八師匠追悼


柳家喜多八師匠が五月十七日に永眠された。享年六十六歳。

世代で言うと前座時代初期から知っている事になる。

喜多八師匠と正蔵師匠、亡くなった三代目三木助師匠が同日に楽屋入りしたのは割と知られている噺だが、私が初めて喜多八師匠、当時の小よりさんを見たのは「三人ばなしの会」の前座としてだろう。

「小三治師匠のとこに、物凄く陰気な前座が入った」と聞いてはいたが、確かに、当時の小三治師匠の陰気さに輪を掛けたような雰囲気で、まして縞の木綿で髭が濃くて五分刈り(だったと思う)の姿は、ひと時代前の任侠に生きる若者みたいだった。噺も暗くて、演目は覚えていないけれど、普通なら明るくなる噺を聞いていても陰気になる所があった。とても、学習院大学乗馬部出身等とは思えなかった。

ただし、早稲田大学落語研究会の先輩から「ああ、林くんね」と聞いたりしていたから、学生時代から落研の落語学生としては目立っていたのだろう。

同期の正蔵師匠が「フランスのマルセイユにいる乞食みたいな雰囲気」と良く言っているが、これは陰気な中に洒脱さを感じさせるものがあったからだろう。一寸顔を斜にして喋る姿に、特にその雰囲気があった。声も良かったから、シャンソンなんか唄ったり、朗読をしても上手かったのではあるまいか。

また、如何にも酒や煙草の似合う二枚目の師匠で(『乳房榎』の磯貝浪江がよく似合った)、「ジタン」なんか喫っていたら、気障だけれど似合ったろう。

同時に、或る意味、喜多八師匠が小三治師匠から離れようとして苦心した一因には「気障」が共通している事もあったのではあるまいか。

小三治師匠と同じ系統の「気障」と「陰気」(二ツ目時代は小三治師匠より扇橋師匠の方が明るいので買われていたという)が重なっていたから、そこから逃れようとすると、余計に「陰気」と「気障」が深まってしまう。

198⒋年に圓歌師匠の自宅で「ランチタイム寄席」というのが開催され、当時の二ツ目さんが連日、二人ずつ出演していた。偶々近くで仕事をしていたので連日通っていたが、殆ど他に客がこない。小八になっていた喜多八師匠も良く出ていたが、一対一というのが殆どで、あれは御互いに辛かったのではあるまいか。少なくとも、私は辛かった。二ツ目になり、「三人ばなしの会」の前に上って、『五人廻し』を既に演じたもされていたが、特に一般的な人気があったわけではない。

それよりも、当時から芸術協会の演目を取り入れるのに熱心だったのは、どうしても芸至上主義になりがちな落語協会の雰囲気から離れたいと考えたからかもしれない。84年には既に『代書屋』を小南師匠から教わって演じていたし、その後も『鋳掛屋』『旅行日記』などを落語協会に導入している。そうかと思うと上方落語の『竈盗人』から尻の穴に筍が刺さるギャグを『鈴ケ森』に移入し

たりもされていたし、『三人兄弟』の末弟だけをピックアップした『ぞめき』や『遊山船』を江戸に直した『夕涼み』も演じるといった具合に、次々とネタを増やして行った。それでも前には小三治師匠が聳え立っている。

その絶壁を越えられずに苦しんでいた喜多八師匠にとって大きかったのは最初の入院と手術だろう。入院前日に白酒師匠の会のゲストで演じた『やかん舐め』は、かつてない明るさと面白さに驚嘆した。更に退院後もその明るさは続き、特に『やかん舐め』と『もぐら泥』では「遂に小三治師匠を凌いだ」とまで思わせる人物描写と面白さを見せた。これは私の妄想ではなく、ある師匠から、ある落語会の楽屋で、当時の喜多八師匠の高座を聞いていた小三治師匠が「こいつは俺を抜いたな」と漏らしたという話も聞いている。

何しろ、声が良くて、感情に照れがあり、表情には起伏かあり(『落語教育委員会』でのコントは喜多八師匠の無言の表情を見に行くのが楽しみだった)、陰気さが取れて明るいのだから、同世代だと一寸やそっとの噺家さんでは適わない。
実際に『やかん舐め』のお内儀の色っぽさは絶妙で、頭を舐められた武士がお内儀の美しさに呆然と見とれていた高座を私は聞いている。その色っぽさと武士と可内のおかしなやり取りが好対照になっていたのである。

半面、惜しいと思うのは『竹の子』で、小三治師匠の『小言念仏』、扇橋師匠の『茄子娘』のように、短くて柄にあったネタと出会うと、そればっかりになってしまい、寄席向きの新たな演目が増えなくなるというマイナス面も感じていた。とはいえ、『仏の遊び』や『落ち武者』『大川の隠居』と演目は増えていたし、池波正太郎の作品を噺化した『大川の隠居』は喜多八師匠の新たな世界を生み出す可能性を持っていただけに惜しい。

2014年に開催した「五代目小さん孫弟子7人会」では、最初から「夜の部のトリは喜多八師匠」と決めていた。優れた孫弟子七人の中でも夜のトリを取れるのは喜多八師匠だと思うのは当然だろう。更に、その打ち上げで喜多八師匠が「バレ噺の会をしたい」と言い出され、直ぐに喬太郎師匠が賛同して下さり、2015年一月二日に『にせ金』のネタ卸しをしてくださったのも嬉しい限りだった。今年は喜多八師匠の体調を考慮して、「孫弟子七人会」の出演依頼をしなかったが(馬鹿をしたもんである)、既に開催の決まっている来年2016年五月二十日の「孫弟子七人会」には喜多八師匠に再び登場をして戴くつもりで、メールで了解も頂戴していた。しかし、そ合掌今となっては虚しい。

来年2016年五月二十日の「孫弟子七人会」は、五代目小さん師匠と共に、喜多八師匠の追善も行わなければと今から私は決めている。

合掌


AD
いいね!した人  |  コメント(1)  |  リブログ(0)

石井式落語さんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。