○私の過去の記事について、その「あまりの酷さ」に、現在の記事とのありえない乖離を指摘されるコメントをいただきました。
私の反省も含めて、掲載させていただきます。
私の「あまりの酷さ」も、記事を読んで下さる皆さんに知っていただく必要があろうかと思いますので。
コメントは、KKnagomi さんからいただきました。
私の記事へのコメント。
三橋性悪説、終了。
2015-08-09
1. この記事も読み返してみてどうでしょうか
○・私の意図は「文面とはかけ離れた所にありました」。
「三橋氏への最後の説得」を試みたのです。
私の文章ほど、三橋氏に「好意的な逃げ道を用意した」ものはなかったのではないか。当時。
・三橋氏への信頼というよりも、「もうこれで最後ですよ」。
「ここで方向転換しなければ、終わりですよ」という意図で書きました。
あなたへの疑問、疑念は限界にきており、「ここで方向転換をやるしかない」。
もし、しくじれば、終わりですよ。・・・と。
・三橋性悪説を掲げた以上、「極限の話」だったのです。
まあ、まあ、完全に何の役にも、たたなかったのですが。
「懐柔の策」は何の役にも立たなかった。
(今にして思えば、方向転換の可能性は全くなかった。のだからお笑いだ。)
だって完全に「一味」だった。
○このことは、この後の記事を見てくだされば、解ってくださると思います。
「問題を、より明確化して」書いています。
三橋さんが直面している危機。ソウルメイトさんとKKnagomiさんの会話。
2015-08-06
・抜粋。
>>
・さあ、三橋さん、変わりましょう!
素晴らしい日本を取り戻して下さい。
WJF氏の批判など、これからのニュー三橋で、何も言えないようにしてやれば良いのです。
少しの間違いの穴など、大量の利益で、山ができるぐらいに埋め戻してやれば良いのです。
穴なんてあったかい?、と言わしめる程の巨大な山を築けば良いのです。
巨大な山を形作る材料は、毎日の情報発信にいくらでもありますよ。
・私は「とてつもなく歩み寄った」つもりでした。
「三橋氏への最後の説得」だった。
文面にも出ていますよね。
文の分析や意図は、細かくは書きません。時間が勿体ないので。
・>WJF氏の批判など、これからのニュー三橋で、何も言えないようにしてやれば良いのです。
これは、お解りでしょう?
WJF氏をバカにしたのではない。
WJF氏の指摘からはどんな事をやっても逃げられない。
これは「大前提」なのです。
正面から対峙しなければならない、「汚点」なのですよと。
なら、方向転換したニュー三橋で、見返すしかない。
「好意的な逃げ道を用意した」ものです。
・まあ、WJF氏らは解っておられましたよね。
私の意図も。
その上で、
無駄な期待をかけてどうする。
無駄な理解と同情だと。
・まあ、「三橋氏に行動しやすい選択肢」を提供したつもりでした。
「出直すつもりなら」。
出直すつもりなら・・・。
○まあ、かなり親身になって「出直しの道」を提示してあげたのです。
かなり親身ですよ。かなり。
「全て水島のせい」にして、「あなたは無罪よ」と言外に漂わせ、
出直しの一歩を踏み出しやすく、配慮したのです。
この私の提言以上に「親身になっての、出直しの道を提示していた」例は無いかと思います。
・責める(攻める)人たちはいるのですから、
「親身な方向からの提言」なら聞いてくれるのではないか、とまあ方向を変えたアプローチです。
彼をいくらかは評価していたのですから。
(書いた言葉は、私の真意を必ずしも反映していません。アプローチに則った言葉を使いますから。)
・つまり三橋氏が「出直す」のなら「私の提示したプラン」で行くしかなかったのです。
他にはなかったでしょう。
「三橋氏の抜き差しならない危機」を完全に織り込んでのものでした。
○逆に言うと最も辛辣なんですよ。
私の意見が。逆説的ですが。
「三橋氏の抜き差しならない危機」を完全に織り込んで、織り込んだ上で、つまり「逃げるな」と迫りつつ、
「あなたは無罪よ」と言外に漂わせて、
出直しの一歩を踏み出しやすく、配慮しての、
「親身になっての、出直しの道を提示した」のです。
となれば、「私のプラン」を選択するしかない。
他はない。無かったでしょう。
「出直すんかい。出直さず、汚れたままで行くんかい。」
これを三橋氏に「強硬に迫った」のです。
強硬というのは、表面のものではなく、本質でのものです。
出直しの道を提示した・・・。
普通は「責めるだけ」です。
「責めるだけ」では、
「お前は、汚れた奴だろうが」の批判で終わり。
しかし私の打った手は、出直しの道を提示した。
これは、
「出直すんかい。出直さず、汚れたままで行くんかい。」
という選択を迫った。
三橋氏は「選択させられる」のです。
一応は。
そのつもりでした。
しかしこの私の意図は、
三橋氏が「抜き差しならない危機」を真剣に考えた場合のものです。
「真剣に考え」無かったとしたら、「ただの甘い助言」にしかならなかった。
三橋氏の「危機への真剣さ」が鍵であり、
私の提言を、「ただの甘い助言」として受け取るか、
「抜き差しならない危機」を回避できる唯一の好意的な提言として、
真剣に現状からの脱出を考えるのか。
・・・でした。
・まあ、結果は「無視」。
当然でしょうね。
コメント人のコメントなど、まともに考えない。
・この時から、「現在の批判記事」を書く事は決まっていたのかもしれません。
「最後通牒」みたいなものだから。
極めて穏健で、優しい最後通牒。
「出直し」の決意を求めていたのですがね。
○まあ、こうやって
「出直しの道」を提示したからこそ、「仁義を通した」という事で、
私の三橋批判は辛辣なものになったのでしょう。
「スキャンダル」すら俎上に載せました。
スキャンダルすらです。
個人的には嫌いな行為です。
男女関係は、当事者しか解らないこともありますから。
(矢口真里は別。あの女はクズ。)
でも取り上げました。
あのスキャンダルが事実であったのなら、
大きな「人格批判」を展開したことになる。
その意図はありませんでしたが。(いや、あったかも・・・解らない。)
「人格批判」については読者が独自に考えてくださいというスタンスでした。
スキャンダルで急所を掴まれた、というのが私の照準。
でも取り上げました。
○まあ、こんなところで。
これ以上は、もう価値もないし。
過去記事ではありますが、私含め今や多くの方々が主張する「三橋貴明は確信犯」という主張に対する批判記事であるため、あえてコメントした次第です。
私は人の善意を弄ぶことこそ、詐欺師の詐欺師たる所以である、と考えています。
同じ三橋ブログのコメンターだったポン吉さん達の懸念と警鐘を振り返っていただければ幸いです。