一瞬人違いだと思ったが、そうではなかった。


やわらかい明かりが照らす、

薄暗い店内のカウンターの右端に彼女は座っていた。


僕がそのバーに入ったのは本当に偶然だった。


愛する人が星になってから、ちょうど一年たった今日、


僕は自分のやり場のない感情を持ち帰りたくなくて、

出鱈目に電車にのって、出鱈目の駅で降りて、出鱈目にそのバーに入った。



そして、そのバーのカウンターの右端に彼女は座っていた。



彼女は会社の同僚で、

直接仕事でかかわったことはなかったが、顔くらいはわかる。


会社での彼女の印象はいたって地味で、

いつも神経質そうな眼鏡をかけていて、

彼女と同じ会社で働くようになってから、少なくとも2年はたつはずなのに、

僕の記憶する限り、彼女が笑ったところを見たことはない。


とにかく、物静かな印象しかない、そんな女性だ。


ところが、その彼女が、このバーでは“はっ”とするほどの存在感を放っていた。


いつもの眼鏡をはずし、タイトな黒いワンピースに身を包んで、

カウンターに置かれたグラスに手をかけて、

細いタバコをそっとくわえて煙をくゆらせていた。



彼女の変貌振りに目を疑いながら、店を変えようかとも思ったが、

いまさら違う店を探すのも面倒だったし、どうしてかはわからないけど、

初めて足を踏み入れたにもかかわらず、僕はそのお店の雰囲気に

自分の気持ちがぴったりとフィットしているような気がしてならなかったのだ。



僕は彼女に気づかれないように、そっとカウンターの左端に腰をかけ、

バーテンにバーボンのロックを頼んだ。


シャキシャキとバーテンの手に握られたアイスピックが氷を刻んでゆく。


ぼんやりバーテンの手元を眺めていると、



「こんばんは」



不意に後ろから声をかけられた。



彼女だった。



会社で見る彼女とは明らかに違うその雰囲気に戸惑いながら、彼女を見つめた。

僕は彼女に言葉を返すのも忘れて、彼女をただ見つめていた。



「座っていいかしら?」



彼女は隣の座席を指差してそう言いながら、僕の答えも待たずに、

するりと隣に腰掛けた。



「偶然ね、こんなところで会うなんて」



眼鏡で隠されていない彼女の目は予想以上に大きくて、

その二つの目が僕を覗き込んでいる。



「ああ、そうだね」



僕は搾り出すようにこたえた。





・・・ つづく





【 過去の『小説風に描写』 】



02/22 「小説風に描写① ~ エレベータ」

02/23 「小説風に描写② ~ 僕らのキンモクセイ」

02/25 「小説風に描写③ ~ 返せなかった鍵」

02/28 「小説風に描写④ ~ 新幹線で(前編)」

03/01 「小説風に描写④ ~ 新幹線で(中編)」

03/02 「小説風に描写④ ~ 新幹線で(後編)」