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雑誌のライターさんから取材を受けました(2011.7.12)

●今、関与先からはどんなご相談が一番多いですか。

経営者の悩みの根本は、「どうやったら儲かるようになるのか」ということに尽きると思います。具体的には、経営戦略・戦術、従業員のモチベーション、資金繰・資金調達、節税など、多岐にわたりますが・・・

●それに対してどのようなアドバイスを行っていらっしゃいますか。

まず、どうしたらお客様の共感を得ることができるかというところです。
これだけ物があふれている時代ですから、お客様自体が「何をいくらで買うか」よりも「誰から買うか」を重視するように変わってきています。ですから「競合相手より少しでも安く売る」ことよりも「いかにお客様から選んでもらえるか」を考えて行かなければなりません。お客様にファンになってもらう努力が必要です。
具体的には、お客様に対して「感謝はがき」を出すことを勧めています。もちろん私も実践しています。
あと、節税などの税金関係は本職ですから、今までの経験や知識をもとに自信を持ってアドバイスできています。また、銀行同行税理士として、お客様の資金繰・資金調達・業績UPを支援する業務を積極的に推進しています。

●企業を「高収益体質」にするための、大切なポイントは何でしょうか。

平たく言えば、売上を増やして、ムダな経費を減らす。経営の効率化です。
そのために、商品・サービス、地域などを出来るだけ絞り込んで同業者の中でNo.1になり、選んでもらいやすい企業になることが重要です。
この分野の商品ではNo.1、このサービスではNo.1、この地域ではNo.1など、狭い分野でもいいですから、何かで1番になることを目指さなければいけません。
企業が現状の問題点を把握し改善していくためには、経営計画が絶対必要です。その経営計画を実践するために、具体的な行動計画に落とし込んで、個々人がそれをいかに実践していくか。結果を検証し更に経営計画・行動計画に反映させていく。この一連の流れを税理士がサポートしていく必要があると思います。

●東北大学経済学部経営学科卒業後、大和証券への就職(1986年)を希望したのはなぜでしょう。

はじめから証券会社に入りたいと思っていたわけではありません。当時は金融のグローバル化で、金融機関が特に注目されていました。そのため、金融志望の学生がとても多かったんです。流行りですね。
私も金融志望で就職活動をしていたのですが、大和証券の会社説明会に来ていたリクルーター(大学のOB)の印象が良かった。とても活き活きしていたので、大和証券に対する興味が湧いてきたといった感じでしょうか。
私が思うに、就職は縁ですね。特に新卒で入社する場合は、たまたま会った人に好印象を持ったり、気が合ったりして、入社が決まることがほとんどじゃないでしょうか。


●ブラックマンデー(1987年10月)を経験したとき、どのようにお感じになりましたか。「この先もう証券業界に未来はない」、「まだいける」、「そこまで先のことは考えてなかった」…etc.

長野支店に配属され営業をやり始めて間もない頃でしたから、それほどお客さんは出来ていませんでした。
ただ覚えているのは、勧めても勧めてもなかなか買ってくれなかったお客さんが、やっとソニーの株(確か数百万円分)を買ってくれた。その直後、ブラックマンデーが来たんです。
大暴落といっても、目の前の株価ボードの数字がどんどん下がっていくだけで、あまり実感がありませんでした。ただ、お客さんの損が今いくらと計算したとき初めて「これは大変だ」と気づき、だんだん怖くなってきました。先輩から「お客さんに電話しろ!」と言われるまで、しばらく茫然としていました。

●大和証券で「お客さまによろこんでもらえる仕事」は…、やはり難しかったですか。
それは、「証券会社と顧客の利益は相反する関係」だからでしょうか。
cf.)結婚(※1990年・夏・27歳)を機に、自分と家族の将来を真剣に考えるようになった。
こんな仕事を続けてていいのだろうか。
自分が本当にしたいことはなんだろう。
お客さまによろこんでもらえる仕事とは何だろう。

そもそも営業マンの成績は、「どれだけ手数料を稼いだか」で決まるので、「どれだけお客さんが儲けたか」は全く関係ないんです。そのため、お客さんが買った銘柄が値上がりしてくると、すぐに売却して他の銘柄に乗り換えさせることが頻繁に起こってきます。
いわゆる回転売買ですが、「いつまで続けられるかが腕の見せ所」みたいな感じでした。でも勧めた銘柄が当たり続けることはありませんから、いつかは損をしてそのまま塩漬けになるわけです。
自分の成績を上げようとすると、お客さんが儲からなくなり、お客さんの儲けを考えると、自分の成績はなかなか上がらないという、ジレンマにいつも悩まされていました。

●1991年6月(28歳)に退職。「学生時代に夢見た税理士になろう」とありますが、学生時代に税理士を夢見たのはなぜですか。

高校生の頃から経済、特に会社経営に興味を持ち始めました。そのため大学は東北大学の経済学部経営学科に入学したんです。3、4年のときは会計学のゼミを専攻していました。ゼミの同期や先輩の中に、税理士や公認会計士を目指している人がいたので、彼らの影響を受けて、「将来資格をとって自分でやるのもよさそうだなあ」と、あこがれていた時期がありました。
でも就職活動の時期になると、ほとんどの学生と同様、一般企業(金融志望)に就職することを前提に就職活動をしていました。



●学生時代にはすでに、「税理士=がんばったらがんばっただけ、ありがとうと喜んでもらえる仕事」という認識はおありでしたか。それとも、税理士がそういう仕事であるという認識は、大和証券へ就職して以降に培ったものでしょうか。

学生時代は、税理士の仕事について具体的にどんなことをするのか詳しくは知りませんでした。
大和証券時代、ほとんどのお客さんが会社の経営者でした。ある会社に、証券先物を使った節税策を提案したことがあるんですが、そのとき「うちの税理士に相談してからだ」とその社長が言ったので、税理士というのは経営者に信頼されているんだなあと感じました。
その他でも度々税理士の話題が出ることがあり、会社の経営とか経理とかに深くかかわっていることを知りました。

●「お客さまによろこんでもらえる仕事」として、税理士以外のお仕事はお考えの中にありませんでしたか。(他の士業の資格、あるいは他業種の企業への転職など)

大和証券を退職した理由の中で、「社内の人間関係」というのが一番大きかったかもしれません。
当時、私は主任として何人かの部下を持っていました。実はその時の部長が最低の人間だったんです。本部とか支店長にはいい顔をしておいて、我々には滅茶苦茶なことを言う。私を飛び越えて私の部下に対して直接指示を出すという、非常識なことも頻繁にありました。
私はその部長と毎日のように喧嘩をしましたが、ある時、「この部長もサラリーマンなんだ。この人とナンボ喧嘩しても会社の方針を変えることは無理だろう」と気がついたんです。
そして、「他の会社に転職してもきっと同じことが起こるだろう。サラリーマン社会はそんなもんだ。サラリーマンを辞めて自分でやるのか、それともこのままサラリーマンを続けるのか。30歳までに決断しよう」と思うようになりました。
大和証券を辞めて他の会社に転職することは、そのときの選択肢にはありませんでした。サラリーマンを辞めるかどうかの決断だったんです。
そしてサラリーマンを辞めて自分でやるのならば、「税理士だったら、きっとお客さんに喜んでもらえる仕事だろうし、やりがいがあるのではないか」と考え、結局税理士への道を選ぶことにしました。

●バブルまっただ中に始まって崩壊直後までの証券マン時代でした。「それでも周りの雑音に惑わされることなく、信念を貫くことができたと思います」の「信念」とは、何でしょうか。

その時の私には、「自分のノルマを達成するためや成績を上げるために、お客さんを騙すようなことは絶対しない」という信念がありました。周りの営業マンの中には、お客さんに黙ってお客さんの株を勝手に売買してしまう人もいました。お客さんにウソをついて株を買わせる営業マンもいました。でも「自分は絶対やらないぞ」といつも自分に言い聞かせていました。

●その信念を貫くことができたのはなぜでしょうか。

その場をしのぐために、嘘をついたり騙したりしても、結局最後にはバレるし、問題がもっと大きくなり、周りにも迷惑をかけることになる。どんなに苦しくても逃げたり、保身に走ったりしてはダメだと思っていました。

●綜合法律事務所内の税理士としてご勤務の頃(1995~?)、税理士に対する最大の不満=「経営アドバイスがない」と聞いた、とあります。当時の顧客の不満の内容を、もう少し具体的に教えてください。

法律事務所時代は、自己破産の申し立てに関する書類作りがほとんどでした。裁判所に提出する書類は沢山あるのですが、その中のひとつに報告書(陳述書)というものがあります。
これは、創業してから破産に至る経緯を、本人から直接話を聞いて文章にまとめる仕事です。
皆さん創業したばかりの頃は順調なんですが、ある時から業績が悪化し、借入金もどんどん増えて行って、最後には二進も三進もいかなくなる、というのがよくあるパターンでした。
私はどの人にも「業績が悪くなり始めた頃、顧問の税理士さんは、どうしたら業績が回復できるかというアドバイスをくれなかったんですか」と聞きました。
すると「税理士は、経理や申告はしてくれるが、どうやったら儲かるかということは教えてくれないし、もともと経営的アドバイスを税理士には期待していない」という答えが返って来るんです。
税理士になったばかりの私は、その一言に、大きなショックを受けました。

当時は「会計帳簿をつけて決算書をつくり、あとは申告するだけ」で終わってしまう税理士がほとんどのようでした。
パソコンがまだまだ世の中に普及していない時代です。会計事務所には数百万円もするオフコンが導入され、「顧客の手書きの帳簿をもとに、コンピュータに入力をして会計帳簿を印刷し製本する」という仕事でも高い報酬を得ることができました。
職員はもちろん税理士本人でさえも、会社経営のノウハウなんかなくたって充分食っていけた時代だったんです。「経営コンサルをして報酬を得る」なんて考える必要性がまったくなかったわけです。

●その不満をお聞きになったとき、どのようにお感じになりましたか。

税理士というのは、経営者の最良のパートナーであり、会社をどう経営したらいいのかというアドバイスも当然しているものと思っていました。会社が苦しい時ほど頼りにされるそんな存在だと信じていました。
そして自分もそんな税理士になりたいと思っていたんです。
ところが、税理士に対する不満を聞いて、「自分はもっと勉強して、会社が儲かるためのアドバイスができる税理士になってやる!」と心に誓いました。


●「税理士は経営アドバイスをしない」という不満は、現在も多くの経営者がお持ちでしょうか。それはなぜでしょうか。

この不満は現在でも多くの経営者が持っていると思います。
現在は、パソコンも経理ソフトも安価になり、ほとんどの会社で導入する事ができるようになりました。そのため、記帳代行業務(帳簿作成業務)では、報酬が安くてなかなか食えなくなってきているんです。
最近は、いかに付加価値をつけるかということで、経営コンサルに力を入れる税理士が増えてきています。
でも経験が必要なサービスですので、そう簡単ではありません。ですから、経営者の期待に十分応えられるレベルの税理士はまだまだ少ないのではないでしょうか。

●1998年に不動産コンサルタント会社取締役就任、2004年に株式会社フューネラルサポート(現「エムエフサポート株式会社」)設立・取締役就任したのは、どちらもお知り合いからのお誘いが元ですね。お受けになったのはなぜでしょうか。

法律事務所に勤務しているとき、その事務所の顧問先の社長と知り合い、「一緒にやらないか」と誘われたんです。ちょうど「自分には会社経営の経験が必要だ」と思っていた時期でしたので、一緒に不動産コンサルタント会社を立ち上げることにしました。

上記不動産コンサルタント会社の役員を降りてしばらくした頃、今度は青年会議所時代の先輩に、「面白いアイデアがあるので会社を立ち上げるんだけど、税務の知識も必要だからメンバーに入ってくれ」と誘われました。そして、5人で出資をして、5人が役員になって始めた会社が、株式会社フューネラルサポート(現「エムエフサポート株式会社」)です。現在は役員3人態勢になり、業績も順調です。

●税理士事務所オンリーではなく、それ以外の事業(経営者として)にも積極的だった理由を教えてください。
cf.) この16年間、税理士でありながらも、会社経営にのめり込み、次々と優良企業に育て上げてまいりました

多くの経営者が望んでいる「経営に強い税理士」を目指すには、実際に会社の経営をする必要があるだろうと思っていました。そんなとき、不動産コンサルタント会社を立ち上げようと誘われたので、一緒にやることにしたんです。
「起業」から「企業」へと成長していく過程には、やはり「人」「組織」という要素が一番重要だと思います。
不動産コンサルタント会社を経営しているときは、社長は「バリバリの営業マン」で、顧客づくり、売上づくりの天才でした。ただ、どうしてもどんぶり勘定的なところがあり、利益を出すのが下手でした。そんな部分を補完していたのが私だったのかもしれません。きっちり損益状況を把握し、いつも会議で経営方針を確認し合っていました。
このように2人の役割分担が上手く行っていたからでしょうか。この会社も4年目ぐらいから業績が上向き、従業員も増えて行きました。そして更に業績が伸びて行ったのは、従業員の採用や組織作りに特に力を入れた結果だと思っています。

●「会社経営にのめり込んだ」のはなぜでしょうか。

このように「立ち上げから色々苦労して、それを乗り越えて、結果が出る」という経験をすると、楽しくて仕方がなくなります。
上記不動産コンサルタント会社では、子会社をつくって飲食店もやりました。また、青年会議所時代の先輩たちと立ち上げたシステム開発会社でも、様々な困難を乗り越えながら今までやって来ることができたのは、やはりそれが、「楽しいから」だと思います。

●税理士として、ではなく、経営者としての悩みや壁そして、気をつけていらっしゃることはどんなことでしょう。それは最初にお訊ねした、「経営者から一番受ける相談内容」と一致することが多いですか。

経営者としての悩みは、色々ありますが、一番は「ひと」ですね。「ひとの心」をいかに掴むか。
まずは、お客さんの心を掴んで、共感を得ることによって初めて売上増加につながるんだと思います。
また、従業員の心を掴んで「一緒にがんばろう」と、活き活き働いてもらうことが重要になります。

●ご自身が持つその悩みや壁を、どのように乗り越えていらっしゃいますか。

「ひとの心」を掴むために、お客さんや従業員とのコミュニケーションを大切にしています。ちょっとした時にも感謝の気持ちを伝える工夫をするとか、メールを受け取ったときは、必ず返信し、それもなるべく早くするといった、マメな気遣いを心がけています。

●税理士とは別で事業を営むことは、税理士としてのお仕事にどのような影響があるでしょうか。

税理士の顧問先に対して、別の事業を営むことによって得た自分自身の経験から、様々なアドバイスができることがプラスになっていると思います。
また、経営者の悩みや心の痛みもわかるので、心が通じ合ったお付き合いができることが一番大きいと思っています。

●行政書士資格を取得(2005年)した動機は何でしょうか。

当時、建設業・運送業・宅建業などの顧問先から、許認可にかかわる業務も依頼されることが多かったので、行政書士の登録をしました。
またそれによって、許認可申請の顧客から開拓して、税務・会計の依頼も受けるという逆ルートの顧客開拓方法も狙えるんではないかと思ったんです。
現在では、会社設立(行政書士の業務)から税務顧問をとる、という方法でかなりの数の顧客開拓ができるようになっています。


●今までを振り返ると、一番の転機は何だったのでしょうか。(大和証券時代に顧客と会社の利益の板挟みに悩んだこと? バブル崩壊体験? 結婚? 大和証券退職? 綜合法律事務所で聞いた顧客の不満?)

一番の転機は、「サラリーマンを辞めて自分でやろう」と決断したことだと思います。
サラリーマンを辞めようと決断した理由は、上司と部下というサラリーマン組織の中での人間関係に嫌気がさしたということです。
そして税理士になろうと決断したのは、「証券会社では、お客さんに喜んでもらえる仕事ができない。税理士だったら、お客さんに喜んでもらえる仕事ができるだろう」と考えたからです。

●今までを振り返ると、今の自分の原点となったのは何でしょうか。(大和証券時代に顧客と会社の利益の板挟みに悩んだこと? バブル崩壊体験? 結婚? 大和証券退職? 綜合法律事務所で聞いた顧客の不満?)

「顧客に数億円という損が出たとき、逃げることなく毎晩誤りに通った」
「どんなに厳しいノルマでも、お客さんに黙って売買したり騙したりは絶対しなかった」
といった大和証券時代の営業経験が今の自分の原点になっていると思います。

●今までの多彩な経験のなかで、今の寺島さんに一番活きていることは何でしょうか。

私は「うまくいかないときにどんな行動をとるかでその人の本性がわかる」と常々思っていまして、「逃げない、騙さない、裏切らない」が信条です。これは大和証券時代に培われたものです。
「会社立ち上げ時などの経営者の苦労がわかる」ので、経営者に対して自分の経験に基づく適切なアドバイスができる。これは今まで実際に会社経営に携わってきた経験が生きていると思います。

●御社(税理士として、あるいはコンサルタントとして)の経営理念を教えてください。

「思いっきり仕事を楽しむことにより、家族、社員、お客様に幸せを提供します」
「地元の中小企業経営者を元気にすることにより、地域経済を復活させます」

上記を経営理念としています。

●いま、お仕事をするうえで、一番気をつけていること、心がけていることは何ですか。

・お客様が望んでいることは何かを常に考え、お客様に喜んでもらえるよう行動する。
・先生ではなく、パートナーとして、経営者と一緒に汗をかいて問題を解決していく。
・日本で一番「ありがとう」と感謝する税理士になる。

上記をいつも心がけるようにしています。


●今までを振り返り、もし、挫折と呼べるものがありましたら、差し支えない範囲でお話しくださるとうれしいです。

・小学校4年生から通っていたソロバン塾を5年生のとき辞めてしまった(4級までしかとれなかった)。
・小学校5年生で自転車に乗れない子がクラスで私だけだった。
・貧しい家だったので、旅行に連れて行ってもらった記憶がほとんどない。
・中学3年のとき、大会1回戦前半で右足首脱臼、靭帯損傷。その後の試合にずっと出場できず。県大会決勝と信越大会には辛うじて出場できたが、いつもの動きができず、全国大会出場を逃した。
・高校時代クラブ活動を2年生の終わりで辞め、3年間続けることができなかった。
・大学は京都大学を受験したかったが、万一落ちても浪人することを許されず、結局東北大学を受験することになった。
・大学3年のとき、ずっと付き合っていた彼女にふられた。
・大和証券の新人研修で、飛び込み営業で集めた名刺が一番少なかった。
・大和証券の長野支店でも営業成績が上がらず、ひとり公園で寝ていることが多かった。
・大和証券の難波支店に転勤したが、同期の中では一番早い転勤(とばされた)だった。
・税理士試験合格後、引き続き司法書士試験を目指し、LECという学校に通ったが、結局途中で辞めてしまった。
・平成8年、肺分画症という先天性の病気だということがわかり、左肺下半分の摘出施術を受けた。以来激しい運動などは苦手。
・平成9年、ゴルフをやろうと、スクールに通ったが、5回ぐらいしかコースの経験がなく、1ラウンドするのも息切れするので、それ以来ゴルフに行ったことがない。
・英語の勉強を何回かチャレンジしているが、全部途中で辞めてしまい続かない。

●いま、お仕事をしていて、一番うれしいこと、やっててよかったと思うことは何ですか。

沢山の人に感謝し、それを伝えることを始めてから、相手からも「ありがとう」と言われることが増えてきました。
心が通うというか、気持ちを理解しあえる付き合いができるようになってきました。
感謝されるのはとてもうれしい。それを増やすためには、まず、こちらから感謝することが大切だと思っています。

●いままでの顧客とのエピソードで、一番印象的だったことを教えてください。

税理士を乗り換えてもらった顧問先にアドバイスして、「前の税理士はそんなこと教えてくれなかった」と喜んでもらえたときは本当にうれしいですね。
また、ある顧問先には「来客増加には、感謝ハガキが効果的ですよ」と言って何度も勧めたのですが、最初は面倒くさがってやろうとしてくれませんでした。ところが、その顧問先に私の方から毎月感謝ハガキを送り続けたところ、感じるところがあったのでしょうか、試しにお客さんにハガキを出したそうです。
「10人出したら3人来てくれました。この調子でもっと増やしていきますよ」と喜んでいました。

●関与先にとって、どのような存在の税理士さんでいたいとお考えでしょうか。

「先生、先生」と呼ばれて偉そうにしない。
税務や経営だけではなく人生相談なども含めて、何でも相談できる身近な存在でありたいと思っています。
「悩める社長の駆け込み寺」を目指します。

●ところで、大阪、お好きですか。それはなぜですか。

もちろん、大阪は大好きですよ。そういえば大阪に来て、もう23年になります。大阪には、人間的に魅力のあるひとがたくさんいらっしゃいますね。会話の中でも、常に相手を笑わせることを考える、サービス精神旺盛なひとが多いと思います。
やはり、エンターテイメントの街、大阪ですね。

●昨今、税務や経営分析+αとして、経営コンサルティングを看板にあげる税理士さんが増えてきました。このような風潮について、どのようにお考えですか。

まさに経営者が望んでいるポイントだと思います。私も、看板に掲げていますし、会社は儲からないと存続できないわけですから。
顧問先が儲かるようになって、顧問料も上げてもらい、顧問契約もずっと継続してもらう。税理士事務所の経営安定には、これが一番ではないでしょうか。

●寺島さんのように、黒字化・高収益化をサポートするコンサルタント的な税理士さんが増えている今、それらの税理士さんたちと、寺島さんとの一番の違いはなんでしょうか。

やはり、自分自身が経営者として会社をいくつか経営してきた経験を持っているので、「顧問先の社長と一緒になって経営していく」といった感覚で、より深く係わることができるところだと思います。
経営計画も立てたら終わりではなく、いかに実行するかが大切です。そのためには、行動計画にまで落とし込んで、「一緒に行動していくんだ」というスタンスが大切なのではないでしょうか。


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