2008-05-03 08:14:08
憲法記念日を考える
テーマ:社会
続きみたいだけど、そうです。
朝日新聞によると、9条改正反対は66%、まだまだ捨てたモンじゃないな、とは思うのです。
けれども、ぼくはこうした9条改正反対に対する運動というのが、どこまで有効なのか、疑問を持っているのです。
というのも、日本国憲法に書いてあること、その柱は戦争放棄だけではないからです。
柱は3つあります。残りの2つは、基本的人権と国民主権です。そして、とりわけ前者をきちんと評価するということが、とても大切だと思うのです。
代表的な内容としては、「国民は最低限、健康で文化的な生活をする権利がある」というものです。このことを、日本人はどれほどまっとうしてきたのでしょうか。そして、ここでは国民と書かれていますが、その国民というものは、実は別の法律で定められるものとなっています。そこに大きな問題があると思うのです。
まず、健康で文化的な生活ということですが、現実にはその権利は担保されていません。生活保護の根拠はそこにあるのですが、その支給率は低く、それ以下の収入、いわゆるワーキングプアという存在すらあるわけです。
また、生活保護は定住者を対象にしており、いわゆるホームレスはその対象にはなっていません。もちろん、彼らは国民であるはずなのですが。
そして、別の法律に定められる国民ですが、それは国籍を有するものということになります。では、外国人、とりわけ定住している人はどうなのでしょうか。そこに線を引いてしまうことによって、日本人と他者というものができ、その他者への想像力がおよばないことによって、日本国憲法のもつ「基本的人権」の概念が、グローバル化していかないということになります。
つまり、日本国憲法は他者への想像力を担保しません。
けれども、そのことが、9条を危ういものにしています。例えば、他者の例として、北朝鮮国民を考えてみます。そこにいる人たちへの想像力をどれだけ働かせているのでしょうか。かつて、食糧支援を停止するということがあったとき、そこに住む人たちの生活にどれほど想像力をはたらかせたのか。むしろ、その欠如こそが、仮想敵という恐れにつながり、単純な武力による防衛力にしか考えが及ばない、そういうことにつながっているのではないでしょうか。
そして、そうした流れによって、9条を守る、ということが危ういものになっていくと思うのです。
基本的人権が守られていない場面は少なくありません。男女同権であるはずなのに、差別は横行しています。夫婦別姓ということを議論するとき、多くの保守系政治家は家族制度が壊れると言いますが、それでは個人よりも家族の価値の方が上位に来るということなのでしょうか。
さらに言えば、死刑制度が存在することによって、日本は人権後進国だと諸外国に思われているけれど、なぜそうなのか、どれほど多くの日本人が理解していないのか。
このことは、別に詳しく書いたことなのだけれども、本当に死刑制度がなくならない限り、9条も守れないと思っている。
それはさておいても、本当に大切なことは、9条を守ることではなく、10条以降の基本的人権という理念をきちんと実現していく、ぼくたち自身が日本国憲法にキャッチアップしていく、そういうことなのではないかと思うし、そこでは国民だけに適応されるのではなく、普遍的な人権ということを視野に入れていかなくてはいけない、そう思うのである。
朝日新聞によると、9条改正反対は66%、まだまだ捨てたモンじゃないな、とは思うのです。
けれども、ぼくはこうした9条改正反対に対する運動というのが、どこまで有効なのか、疑問を持っているのです。
というのも、日本国憲法に書いてあること、その柱は戦争放棄だけではないからです。
柱は3つあります。残りの2つは、基本的人権と国民主権です。そして、とりわけ前者をきちんと評価するということが、とても大切だと思うのです。
代表的な内容としては、「国民は最低限、健康で文化的な生活をする権利がある」というものです。このことを、日本人はどれほどまっとうしてきたのでしょうか。そして、ここでは国民と書かれていますが、その国民というものは、実は別の法律で定められるものとなっています。そこに大きな問題があると思うのです。
まず、健康で文化的な生活ということですが、現実にはその権利は担保されていません。生活保護の根拠はそこにあるのですが、その支給率は低く、それ以下の収入、いわゆるワーキングプアという存在すらあるわけです。
また、生活保護は定住者を対象にしており、いわゆるホームレスはその対象にはなっていません。もちろん、彼らは国民であるはずなのですが。
そして、別の法律に定められる国民ですが、それは国籍を有するものということになります。では、外国人、とりわけ定住している人はどうなのでしょうか。そこに線を引いてしまうことによって、日本人と他者というものができ、その他者への想像力がおよばないことによって、日本国憲法のもつ「基本的人権」の概念が、グローバル化していかないということになります。
つまり、日本国憲法は他者への想像力を担保しません。
けれども、そのことが、9条を危ういものにしています。例えば、他者の例として、北朝鮮国民を考えてみます。そこにいる人たちへの想像力をどれだけ働かせているのでしょうか。かつて、食糧支援を停止するということがあったとき、そこに住む人たちの生活にどれほど想像力をはたらかせたのか。むしろ、その欠如こそが、仮想敵という恐れにつながり、単純な武力による防衛力にしか考えが及ばない、そういうことにつながっているのではないでしょうか。
そして、そうした流れによって、9条を守る、ということが危ういものになっていくと思うのです。
基本的人権が守られていない場面は少なくありません。男女同権であるはずなのに、差別は横行しています。夫婦別姓ということを議論するとき、多くの保守系政治家は家族制度が壊れると言いますが、それでは個人よりも家族の価値の方が上位に来るということなのでしょうか。
さらに言えば、死刑制度が存在することによって、日本は人権後進国だと諸外国に思われているけれど、なぜそうなのか、どれほど多くの日本人が理解していないのか。
このことは、別に詳しく書いたことなのだけれども、本当に死刑制度がなくならない限り、9条も守れないと思っている。
それはさておいても、本当に大切なことは、9条を守ることではなく、10条以降の基本的人権という理念をきちんと実現していく、ぼくたち自身が日本国憲法にキャッチアップしていく、そういうことなのではないかと思うし、そこでは国民だけに適応されるのではなく、普遍的な人権ということを視野に入れていかなくてはいけない、そう思うのである。





