食後のコーヒーでも飲みながら宗教左翼をブレイク(前篇) | わかり松。の でつノート

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秀吉のキリシタン弾圧(上) キリスト教の「日本征服」恐れた秀吉の妄想横暴…疑心暗鬼から教徒の逮捕・磔刑命ずる
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140427/wlf14042707000005-n1.htm


news秀吉のキリシタン弾圧(上) キリスト教の「日本征服」恐れた秀吉の妄想横暴…疑心暗鬼から教徒の逮捕・磔刑命ずる



 文禄5(1596)年9月28日、イスパニア(スペイン)の大型船「サン=フェリペ号」が土佐沖に漂着する事件が起きた。遭難者は救出したが、積み荷の所有権をめぐってトラブルが発生する。これがもとで疑心暗鬼の時の権力者、豊臣秀吉は、ついにスペインによる日本侵略説まで出し、京都のキリシタン教徒の逮捕と磔刑(たっけい)を命じる。ここに、全世界を驚がくさせた弾圧事件が始まる

積み荷はうちのもの

 サン=フェリペ号はガレオン船と呼ばれる当時最大級の帆船。船形がこれまでよりスマートで喫水も浅いため、高速で荷を多く積める利点があったが、安定性に劣るため、転覆事故を起こしやすいといった欠点もあった。

 文禄5年7月、多くの高価な荷を積んでフィリピン・マニラを出航したサン=フェリペ号は一路、メキシコを目指して太平洋を横断していた。ところが、東シナ海で台風に遭遇する。

 安定感のない船だけに揺れも大きい。すぐに舵(かじ)が壊れて操船ができなくなったため、メーンマストを切り取って何とか難を逃れようとするも、多くの乗組員は傷つき、船体の損傷も激しい。

 ただ、ただ激しい風とうねりに身を任せるしかなかった。そんな中で、ようやく漂着したのが日本の土佐沖だった。

 突然の“南蛮船”の漂着を受けて、土佐の大名・長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)は乗組員を土佐・浦戸に収容すると、事の一切を秀吉に報告。秀吉が派遣した奉行の増田長盛(ましたながもり)は乗組員の全員処刑の可能性と積み荷の没収を伝えるのだった。

 当時の国内外の海事法では積み荷の扱いは船側にあるにもかかわらず、秀吉側は何を誤解したのか、「漂着した積み荷の所有権はその土地に移るのが昔からの日本での習わし」などと主張してしまったのだ。

 ここに互いの意見が真っ二つに割れてしまった。

緩やかなはずが…

 織田信長はキリスト教布教を奨励したことから各地に南蛮寺と呼ばれる教会が建てられた。だが、一向一揆のような宗教による大規模な反乱を警戒した秀吉は天正15(1587)年、キリスト教の布教禁止などを命じる。

 ただ、このとき禁じたのは布教活動だけで信仰までは禁じていなかった。貿易による利益を優先したためだが、漂着事件以来、秀吉はスペイン、さらにはキリスト教による日本征服を恐れるようになっていく。

 一説には、積み荷を没収された腹いせに、乗組員の一人が「スペインは日本征服のために宣教師を送り込んだのだ」などとする内容の暴言を吐いたためともいわれている。

 このとき、乗組員の前でひとつの秀吉の書状が読まれている。

 その中には、都にいる複数のポルトガル人らの証言として、「スペイン人は海賊」「世界各国を武力征服したように日本も征服するため測量に来た」などと書かれていたという。

 だが、この疑心暗鬼ともとれる秀吉の書状の内容をよく見れば、秀吉の根拠となっている証言者は日本と最初に貿易を始めたポルトガル人である。

 船が種子島に漂着して以来、50年間ずっと日本と交易してきたのはポルトガルである。その意味からすれば、遅れて出てきたとはいえ、スペインは商売がたきであり、面白くない存在であるはず。

 秀吉はそんなポルトガルの口車に乗ってしまった…ともみられなくもないが、漂着事件直後の文禄5年12月、再び禁教令を公布する。

伸びる弾圧の手

 天正の禁教令で南蛮寺などすべての布教施設が壊された京都で、文禄2(1593)年にフィリピン総督の使節として来日したフランシスコ会の宣教師、ペトロ・バプチスタは、秀吉から今の四条堀川周辺に広大な土地を与えられると、教会や病院、学校などを建てた。

 病院には当時、手の施しようもなかった病気の患者や、貧しい人たちを収容して治療を行ったとして、その精神に共感して活動に参加する日本人も数多くいたという。

 ところが、サン=フェリペ号事件後に出された禁教令で様相が一変する。

 秀吉は、京都にいるキリスト教の一派、フランシスコ会の宣教師や信者、関係者全員を逮捕するとともに磔(はりつけ)の刑にすることを奉行の石田三成に命じる。

 日本の文化や伝統を尊重しつつ、大名ら上層部から浸透させたイエズス会に対し、自分たちのスタイルにこだわり、貧しい階層に入っていったフランシスコ会の活動が、秀吉には挑発的に見えたというのだ。

 だが、ここでも先発・イエズス会に対する後発・フランシスコ会の構図が見えていただけに、またしても秀吉は乗せられたのだろうか。

 バプチスタらに逮捕のときが迫ってきた。




中国が世界最大のキリスト教大国に?米国では教徒減少も中国では拡大傾向―米学者
http://topics.jp.msn.com/world/china/article.aspx?articleid=4203716


news中国が世界最大のキリスト教大国に?米国では教徒減少も中国では拡大傾向―米学者



2014年4月24日、環球時報によると、米パデュー大学中国宗教社会研究センターの楊鳳崗(ヤン・フォンガン)主任は19日付の英紙デイリー・テレグラフで、中国が15年後に米国を超えるキリスト教大国になるという予測を発表した。中国のキリスト教徒が2025年に1億6000万人に、2030年には2億4700万人に達するという結論を算出している。

無神論国家と言われる中国だが、現在この状況が急変しているという。米シンクタンク、ピュー研究所の「宗教や公共生活に関するピューフォーラム」が2010年に発表したデータによると、中国の仏教徒は総人口の18.2%、各民間信仰が21.9%、キリスト教徒が5.1%を占めている。しかし、中国社会科学院が2010年に初めて全国を対象に行ったキリスト教に関する調査では、キリスト教徒は国民の約1.8%である2305万人という結果が出ており、データには差がある。今回の楊主任の発表したデータについても、算出方法は可変的要素を考慮していない非科学的なものであり、誇張があると指摘する専門家もいる。

楊主任によると、米国のキリスト教徒は2010年時点で1億5900万人だが、現在も減少しており、もし中国のキリスト教徒が2025年に1億6000万人、2030年にキリスト教徒とカトリック教徒合わせて2億4700万人を超えた場合、中国がキリスト教徒・カトリック教徒の最大国となるとの見方を示している。一部の中国政府関係者には、宗教団体は政府が提供できない社会サービスを提供できると同時に、現代の中国において日増しに深刻化する道徳危機を好転させることができると考える人もいる。しかし一方では、宗教が政治に与える影響を心配する声もある。(翻訳・編集/藤)



宗教が邪魔になってくると弾圧するのは

支那地区のお約束でつね。


三国志に出てくる「チョウギョ超いい!」

の張魯・五斗米教の時代から不変の法則でつね。



日本でも世界でもそうだが、

宗教というのは政治の道具であり、


使えない道具は処分される。

そして政治は


「ビジネス=カネの流れ」

を支配するための道具であり、


カネの流れの変化によって政治も変化する。


この流れのベクトルを間違えてはいけないんでつね。



宗教左翼は無知なのかはなはだしい勘違いなのか、

恰も宗教が政治を動かしているように


印象操作しているが、まったく逆なんでつね。


神仏を信じてるだけじゃメシは食えない。


政治やビジネスなど、メシの種に介在することによって

生きながらえているのが宗教なんでつね。




そして革命勢力は支那地区の貧民ように

国花からあぶれた貧民を宗教で扇動して


政権転覆をたくらむ。

革命にいつも宗教が絡んでいるのは


そういうことでつね。



で、ダメリカのように食えない貧民が少なければ


宗教は衰退する。

日本なんか何百年も前から食えるようになってるから


まともに宗教活動する一般人いないでつね。

だから外人から「宗教何?」って聞かれても


「?無宗教だけど」ってことになるんでつね。




(つづく)