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■1.「転職&天職で輝く女性に学ぶ~幸せキャリアのレシピ」
キャリア・インタビュー Vol.6~キャリアの転機・資格を活かす
福住昌子さん(中小企業診断士&コーチ)前編━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
こんにちは。コーチ&キャリアカウンセラーの小田美奈子です。
この企画は、転職など様々な転機を経て、自分らしく幸せに働いている女性の道のりをたどることで、自分に合った仕事に就く、仕事での充実感をより感じるための“幸せなキャリアのヒント”を学ぼうというものです。
第6回は、メーカー在籍中に中小企業診断士の資格を取得し、現在は中小企業診断士&コーチとしてご活躍の福住昌子さんにご協力いただきました。
福住さんとは2004年に、友人の紹介で出会いました。自然体で包容力のある女性という第一印象は今も変わりません。フリーランス・コーチ仲間として、色々とお世話になっており、関わる人への気遣いを感じます。
今回、福住さんが資格取得や独立などの転機を経て、現在の仕事にたどり着いたお話を聞かせていただきました。福住さんのキャリア・インタビューから、幸せなキャリアへのヒントをつかんでくださいね。
◆ 福住昌子さん・プロフィール
(Photo by KiPSY)
大阪生まれ。大学卒業後、メーカーに就職し、経営企画、商品企画、秘書業務等に従事。経営および経営者への関心が高まり、2000年に中小企業診断士資格を取得。2001年からコーチングやNLP(神経言語プログラミング)を学び始める。2003年独立。中小企業診断士として、大阪府中小企業支援センターにて創業支援、経営相談に従事。流通業へのコーチングワークショップや幹部候補者への1対1コーチング、商工会議所・任意団体等へのコーチングセミナーなどを行う。
著書に『インターネット営業術』(共著,PHP研究所)、『中小企業診断士2次最短最速合格マニュアル』(共著,日本実業出版社)等がある。
好きな本『アルケミスト~夢を旅した少年』『かもめのジョナサン』
中小企業診断士
国際コーチ連盟(ICF)プロフェッショナル認定コーチ(PCC)
CPCC(Certified Professional Co-Active Coach)
米国NLP協会認定トレーナーアソシエイト
ブログ「まこにっき」 http://makolog.cocolog-nifty.com/
―――――――――――――――――――――――――
■ 気づきの瞬間に立ち会う仕事
福住昌子さんの現在の仕事は、大きく分けると中小企業診断士としての仕事と、コーチとしての仕事という2つの柱がある。中小企業診断士としては、企業でのコンサルティングや商工会議所での経営相談を行っている。
コンサルティングでは、「夏までに新しい事業を始めたい」「売上が落ちてきたので、来年度に向けててこ入れをしたい」など、クライアントの様々なニーズに合わせた形で行う。コンサルティングのスタイルは、社長との対話や社員とのミーティング、研修など、その都度カスタマイズしている。創業塾や商工会議所でのセミナー講師も務める。
コーチとしては、起業家や経営者、転職希望者、OL、コーチなどを対象に、1対1のコーチングやコーチング研修の講師など、業務範囲は多岐に渡っている。
仕事をする中で、どんな時にやりがいや喜びを感じているのだろうか。
【結果も大事ですが、社長さんが本音を言った時や、社員の方が何かを気づいた瞬間ですね。気づいた時って、表情が変わるじゃないですか。誰よりもそれを先に見せてもらえる、そういう変化の瞬間に立ち会えることは、すごく嬉しいです。たとえば、それまでネガティブだった社長さんが、息せき切ったように話し出す瞬間があります。うちの会社はもう大丈夫、と気づいた時の社長さんの顔を見るのは嬉しいですね。】(福住さん、以下【】内)
福住さんは、「こうしなさい」と上から指示を出すコンサルタントではなく、コーチとして相手の話をよく聴き、相手の懐に自然に入っていく。相手が話しやすい空間を作ることで、本音が出やすく、気づきが起こりやすくなっている。
■ 河合隼雄さんとの出会い
一人一人に丁寧に関わる福住さんが、現在の仕事にたどり着いた原点は、高校3年生の時に出会った1冊の本だった。心理療法家の河合隼雄さんの著書を読んだことがきっかけで、河合先生に直接学ぶことを決意する。
文学部を勧める両親に対して、初めて自分の意見を通し、憧れだった成人式の着物を断念してまで、進学費用を捻出した。その努力は実り、大学で河合先生から心理学を学ぶという夢を叶える。
大学生の時は、スクールカウンセラーになりたいと思っていた。子供たちが何でも話せる安全な空間を作りたいという想いがあったからだが、それを仕事にする方法が見つからなかった。
大学を卒業し、社会人としてのスタートは、カメラメーカーだった。福住さんが就職活動をした年は、「圧迫面接」(面接で受験者に対して、わざと意地悪な、または威圧的な内容の質問をして、受験者の対応を評価する面接方法)が多く行われていた。面接でいやなことを聞かれ、「自分は市場から歓迎されていないのか」と感じたそうだ。そんな事情もあり、“雰囲気のいい会社”ということでの選択だった。
ある日、上司が会議室から険しい顔で出てきた時、福住さんがお茶を出して、一言を添えると、上司がほっとした表情に変わったことがあった。コミュニケーションでこれだけ変わることに可能性を感じ、コミュニケーションへの興味が高まった。
■ 中小企業診断士を学ぶきっかけ
現在の仕事の一つである中小企業診断士(以下、診断士)との出会いは、入社5年目の時だった。どんなきっかけがあったのだろうか。
【会社で事業所長の秘書をしていた時、書類で経営用語をよく見ていたり、議事録を作ったりしていたので、経営には関心がありました。そんな時に、先輩が診断士を目指していることを知りました。先輩から「面白いよ」と言われて、本を見せてもらったのですが、キーワードを見て面白そうだなと。通信教育があると知って、会社の教育制度を調べて、勉強を始めることにしました。】
始めた通信教育は「無味乾燥」に感じ、続けるのは難しいと感じていた時、たまたま新聞で学校があることを知る。説明会に参加して、“魔が差して”申し込んでしまった。その時は、「絶対に資格をとる」という思いはなく、純粋に「面白そう」と感じたことが大きかった。
【会社の仕事は、経営企画、事業企画というジャンルだったので、診断士の勉強をすることで会社の役に立ちたいと思っていました。このままだと、そろそろ頭打ちになるし、仕事が分かるようになっていきたいと思ったのです。診断士の勉強をすれば、会社の仕事がうまくいくのではないか、自分のキャリアアップになるだろうと。ビジネススクールに行くような感覚でしたね。】
2年間の勉強の末、1999年の試験で見事に合格、2000年に診断士として登録した。
同じ頃、診断士の仲間からコーチングが流行っているという情報を聞いた。
【コーチングは、アメリカから来たもので、よくわからないと思っていたのですが、色々な人から話を聞いているうちに興味を持ちました。東京での講座にも惹かれましたが、往復の交通費をかけて数万円の研修に出席することは、社員研修もほとんど受けていなかった私にとっては、別世界でした。尊敬する先輩がコーチングを学んでいたので、「どこで学んだんですか?」と聞いて、最初は電話で勉強ができるスクールで学び始めました。】
■ 2足わらじ生活のスタート
診断士の時と同じく、尊敬する先輩との出会いがきっかけとなり、コーチングの勉強をスタートした。2000年より、副業として診断士、コーチとしての仕事を少しずつするようになっていった。
【診断士になった時に、実務研修としてチームを組んで実習をやりました。社長さんに経営診断をする仕事でしたが、それが楽しくて。朝から晩まで調べものをして、最後は形にして、提案する。こういうことをやりたいと思いました。】
会社を二週間以上休んでの実習で大変だったそうだが、どんなところが面白かったのだろう。
【社長さんが普段部下にも言わないようなことを話してくれたことですね。社長さんは経営のプロですが、全てを把握していないこともあります。自分の勉強したことが役に立って、お手伝いできるのがわかったんですね。社長さんにも喜んでもらえて、これは面白いと思いました。】
実習を終え、診断士の先輩や仲間と関わる機会が多くなっていく中で、どんな心境の変化があったのか。
【パソコン通信のフォーラムで知り合った診断士の先輩が、忙しく働いていて、輝いて見えました。独立して好きなことをやっていて、楽しそうだなと。診断士の資格を取っても食べていけないと聞きますが、食べていけない人を私は見たことがなかった。
自分では分からなかったのですが、先輩から見ると、当時の私は診断士の仕事に意識が向いていたようです。「いつ(会社を)辞めるの? 絶対そっち(診断士)の道へ行くよ」と言われました。私は辞めるとは言っていないのですが、逆に「早まるなよ、実績を積んでからにしろよ」と言われたりしていました。】
それだけいきいきと楽しそうに診断士の仕事を行っていた様子が伝わってきた。土日やアフター5に、先輩のサポートをしたり、依頼された仕事に取り組むことも多くなった。
【仕事をもらうと嬉しいから、睡眠時間を削って頑張る、先輩に喜んでもらってまたやる、という繰り返しでした。2002年に資格試験の制度が変わった時に、「テキストや問題集が必要だから、執筆の仕事を手伝う?」と声をかけてもらったり、セミナーのサポートをしたり。
先輩運に恵まれたと思います。自分の意志というよりも、お膳立てができていました。2足わらじの生活が楽しくて、次の仕事が来ないかなと楽しみにしていました。】
一つ一つの仕事を丁寧にすることで、再び声をかけてもらうという流れができていった。
診断士資格を取得した時から続いていた2足わらじの生活は、会社を辞めるまでの約3年半続いた。その間、会社ではどんなふうに過ごしていたのだろうか。
【上司はしょっちゅう変わっていました。診断士の資格を認めてくれる上司だと、事務の仕事はもったいないからと、企画の仕事に引き上げてくれたり、出張へ行ったり。ある上司で「福住さんには、理解して伝える力、アイデアを出す力がある。文章を書くことも特技だね」と言ってくれた人がいて、新規事業のプロジェクトに入れてくれたりしました。】
■ 10年目の決意
福住さんの強みを認め、能力を伸ばしてくれる上司との出会いもあれば、診断士の資格を認めない上司もいるなど、上司によって方針は大きく異なっていた。
そんな環境の中、2足わらじ生活をやめようと思ったきっかけは、どんなふうに訪れたのだろう。
【診断士やコーチの仕事が面白くなっていって、やりたい気持ちが高まってきた頃は、会社の経営状態があまりよくありませんでした。やめようと思い始めて、いつやめようかと思っていた時に、早期退職制度の年齢制限が引き下げられることを知りました。あと1年会社にいればいいことがわかって、2003年9月末日に退職することを決めました。
一人でやっていくことに対する不安もあるし、会社の流れがどうなっているのか、会計の処理など色々と学んで、自分の財産にしようと思ったのです。】
当時は、開発者を支える事務職であり、進捗管理やチームをまとめるなど、プロジェクトマネジメントの仕事を行っていた。営業と開発部門が相手のことを思って仕事ができればうまくいくと考え、両者をつなぐことに力を入れたり、チームビルディングを行った。
自分がいなくなっても会社が回るように、マニュアルを作成したり、トラブルシューティングを行うなど、退職に向けての準備を進めていった。
【同僚や先輩は、私が仕事をする気を取り戻したと思っていたようです。よく他の部署に「どうやってやるんですか?」と聞いたり、情報を自分から積極的にとりに行ったりしていました。特に最後の1年は、熱心に仕事をする人だと思われていました(笑)】
人と人をつなぐ潤滑油となり、業務がうまく回るように積極的に動いた1年を経て、2003年9月30日、11年半勤めた会社を退職した。
予定通り、1年前に決めていた退職日だった。
・・・・・<後編へ続く>
※ 前編、いかがでしたでしょうか?
メーカー勤務時に中小企業診断士の勉強を始めたきっかけや2足わらじ生活の様子、独立を決意した経緯など、興味深く聞かせていただきました。
次号の後編では、福住さんが独立前に体験した転機のお話や、働く上で心がけていること、今後の活動についてお届けします。
★ インタビューのご感想はこちらまでお寄せください。
nakocafeアットマークnifty.com
■1.「転職&天職で輝く女性に学ぶ~幸せキャリアのレシピ」
キャリア・インタビュー Vol.6~キャリアの転機・資格を活かす
福住昌子さん(中小企業診断士&コーチ)前編━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
こんにちは。コーチ&キャリアカウンセラーの小田美奈子です。
この企画は、転職など様々な転機を経て、自分らしく幸せに働いている女性の道のりをたどることで、自分に合った仕事に就く、仕事での充実感をより感じるための“幸せなキャリアのヒント”を学ぼうというものです。
第6回は、メーカー在籍中に中小企業診断士の資格を取得し、現在は中小企業診断士&コーチとしてご活躍の福住昌子さんにご協力いただきました。
福住さんとは2004年に、友人の紹介で出会いました。自然体で包容力のある女性という第一印象は今も変わりません。フリーランス・コーチ仲間として、色々とお世話になっており、関わる人への気遣いを感じます。
今回、福住さんが資格取得や独立などの転機を経て、現在の仕事にたどり着いたお話を聞かせていただきました。福住さんのキャリア・インタビューから、幸せなキャリアへのヒントをつかんでくださいね。
◆ 福住昌子さん・プロフィール
(Photo by KiPSY)大阪生まれ。大学卒業後、メーカーに就職し、経営企画、商品企画、秘書業務等に従事。経営および経営者への関心が高まり、2000年に中小企業診断士資格を取得。2001年からコーチングやNLP(神経言語プログラミング)を学び始める。2003年独立。中小企業診断士として、大阪府中小企業支援センターにて創業支援、経営相談に従事。流通業へのコーチングワークショップや幹部候補者への1対1コーチング、商工会議所・任意団体等へのコーチングセミナーなどを行う。
著書に『インターネット営業術』(共著,PHP研究所)、『中小企業診断士2次最短最速合格マニュアル』(共著,日本実業出版社)等がある。
好きな本『アルケミスト~夢を旅した少年』『かもめのジョナサン』
中小企業診断士
国際コーチ連盟(ICF)プロフェッショナル認定コーチ(PCC)
CPCC(Certified Professional Co-Active Coach)
米国NLP協会認定トレーナーアソシエイト
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■ 気づきの瞬間に立ち会う仕事
福住昌子さんの現在の仕事は、大きく分けると中小企業診断士としての仕事と、コーチとしての仕事という2つの柱がある。中小企業診断士としては、企業でのコンサルティングや商工会議所での経営相談を行っている。
コンサルティングでは、「夏までに新しい事業を始めたい」「売上が落ちてきたので、来年度に向けててこ入れをしたい」など、クライアントの様々なニーズに合わせた形で行う。コンサルティングのスタイルは、社長との対話や社員とのミーティング、研修など、その都度カスタマイズしている。創業塾や商工会議所でのセミナー講師も務める。
コーチとしては、起業家や経営者、転職希望者、OL、コーチなどを対象に、1対1のコーチングやコーチング研修の講師など、業務範囲は多岐に渡っている。
仕事をする中で、どんな時にやりがいや喜びを感じているのだろうか。
【結果も大事ですが、社長さんが本音を言った時や、社員の方が何かを気づいた瞬間ですね。気づいた時って、表情が変わるじゃないですか。誰よりもそれを先に見せてもらえる、そういう変化の瞬間に立ち会えることは、すごく嬉しいです。たとえば、それまでネガティブだった社長さんが、息せき切ったように話し出す瞬間があります。うちの会社はもう大丈夫、と気づいた時の社長さんの顔を見るのは嬉しいですね。】(福住さん、以下【】内)
福住さんは、「こうしなさい」と上から指示を出すコンサルタントではなく、コーチとして相手の話をよく聴き、相手の懐に自然に入っていく。相手が話しやすい空間を作ることで、本音が出やすく、気づきが起こりやすくなっている。
■ 河合隼雄さんとの出会い
一人一人に丁寧に関わる福住さんが、現在の仕事にたどり着いた原点は、高校3年生の時に出会った1冊の本だった。心理療法家の河合隼雄さんの著書を読んだことがきっかけで、河合先生に直接学ぶことを決意する。
文学部を勧める両親に対して、初めて自分の意見を通し、憧れだった成人式の着物を断念してまで、進学費用を捻出した。その努力は実り、大学で河合先生から心理学を学ぶという夢を叶える。
大学生の時は、スクールカウンセラーになりたいと思っていた。子供たちが何でも話せる安全な空間を作りたいという想いがあったからだが、それを仕事にする方法が見つからなかった。
大学を卒業し、社会人としてのスタートは、カメラメーカーだった。福住さんが就職活動をした年は、「圧迫面接」(面接で受験者に対して、わざと意地悪な、または威圧的な内容の質問をして、受験者の対応を評価する面接方法)が多く行われていた。面接でいやなことを聞かれ、「自分は市場から歓迎されていないのか」と感じたそうだ。そんな事情もあり、“雰囲気のいい会社”ということでの選択だった。
ある日、上司が会議室から険しい顔で出てきた時、福住さんがお茶を出して、一言を添えると、上司がほっとした表情に変わったことがあった。コミュニケーションでこれだけ変わることに可能性を感じ、コミュニケーションへの興味が高まった。
■ 中小企業診断士を学ぶきっかけ
現在の仕事の一つである中小企業診断士(以下、診断士)との出会いは、入社5年目の時だった。どんなきっかけがあったのだろうか。
【会社で事業所長の秘書をしていた時、書類で経営用語をよく見ていたり、議事録を作ったりしていたので、経営には関心がありました。そんな時に、先輩が診断士を目指していることを知りました。先輩から「面白いよ」と言われて、本を見せてもらったのですが、キーワードを見て面白そうだなと。通信教育があると知って、会社の教育制度を調べて、勉強を始めることにしました。】
始めた通信教育は「無味乾燥」に感じ、続けるのは難しいと感じていた時、たまたま新聞で学校があることを知る。説明会に参加して、“魔が差して”申し込んでしまった。その時は、「絶対に資格をとる」という思いはなく、純粋に「面白そう」と感じたことが大きかった。
【会社の仕事は、経営企画、事業企画というジャンルだったので、診断士の勉強をすることで会社の役に立ちたいと思っていました。このままだと、そろそろ頭打ちになるし、仕事が分かるようになっていきたいと思ったのです。診断士の勉強をすれば、会社の仕事がうまくいくのではないか、自分のキャリアアップになるだろうと。ビジネススクールに行くような感覚でしたね。】
2年間の勉強の末、1999年の試験で見事に合格、2000年に診断士として登録した。
同じ頃、診断士の仲間からコーチングが流行っているという情報を聞いた。
【コーチングは、アメリカから来たもので、よくわからないと思っていたのですが、色々な人から話を聞いているうちに興味を持ちました。東京での講座にも惹かれましたが、往復の交通費をかけて数万円の研修に出席することは、社員研修もほとんど受けていなかった私にとっては、別世界でした。尊敬する先輩がコーチングを学んでいたので、「どこで学んだんですか?」と聞いて、最初は電話で勉強ができるスクールで学び始めました。】
■ 2足わらじ生活のスタート
診断士の時と同じく、尊敬する先輩との出会いがきっかけとなり、コーチングの勉強をスタートした。2000年より、副業として診断士、コーチとしての仕事を少しずつするようになっていった。
【診断士になった時に、実務研修としてチームを組んで実習をやりました。社長さんに経営診断をする仕事でしたが、それが楽しくて。朝から晩まで調べものをして、最後は形にして、提案する。こういうことをやりたいと思いました。】
会社を二週間以上休んでの実習で大変だったそうだが、どんなところが面白かったのだろう。
【社長さんが普段部下にも言わないようなことを話してくれたことですね。社長さんは経営のプロですが、全てを把握していないこともあります。自分の勉強したことが役に立って、お手伝いできるのがわかったんですね。社長さんにも喜んでもらえて、これは面白いと思いました。】
実習を終え、診断士の先輩や仲間と関わる機会が多くなっていく中で、どんな心境の変化があったのか。
【パソコン通信のフォーラムで知り合った診断士の先輩が、忙しく働いていて、輝いて見えました。独立して好きなことをやっていて、楽しそうだなと。診断士の資格を取っても食べていけないと聞きますが、食べていけない人を私は見たことがなかった。
自分では分からなかったのですが、先輩から見ると、当時の私は診断士の仕事に意識が向いていたようです。「いつ(会社を)辞めるの? 絶対そっち(診断士)の道へ行くよ」と言われました。私は辞めるとは言っていないのですが、逆に「早まるなよ、実績を積んでからにしろよ」と言われたりしていました。】
それだけいきいきと楽しそうに診断士の仕事を行っていた様子が伝わってきた。土日やアフター5に、先輩のサポートをしたり、依頼された仕事に取り組むことも多くなった。
【仕事をもらうと嬉しいから、睡眠時間を削って頑張る、先輩に喜んでもらってまたやる、という繰り返しでした。2002年に資格試験の制度が変わった時に、「テキストや問題集が必要だから、執筆の仕事を手伝う?」と声をかけてもらったり、セミナーのサポートをしたり。
先輩運に恵まれたと思います。自分の意志というよりも、お膳立てができていました。2足わらじの生活が楽しくて、次の仕事が来ないかなと楽しみにしていました。】
一つ一つの仕事を丁寧にすることで、再び声をかけてもらうという流れができていった。
診断士資格を取得した時から続いていた2足わらじの生活は、会社を辞めるまでの約3年半続いた。その間、会社ではどんなふうに過ごしていたのだろうか。
【上司はしょっちゅう変わっていました。診断士の資格を認めてくれる上司だと、事務の仕事はもったいないからと、企画の仕事に引き上げてくれたり、出張へ行ったり。ある上司で「福住さんには、理解して伝える力、アイデアを出す力がある。文章を書くことも特技だね」と言ってくれた人がいて、新規事業のプロジェクトに入れてくれたりしました。】
■ 10年目の決意
福住さんの強みを認め、能力を伸ばしてくれる上司との出会いもあれば、診断士の資格を認めない上司もいるなど、上司によって方針は大きく異なっていた。
そんな環境の中、2足わらじ生活をやめようと思ったきっかけは、どんなふうに訪れたのだろう。
【診断士やコーチの仕事が面白くなっていって、やりたい気持ちが高まってきた頃は、会社の経営状態があまりよくありませんでした。やめようと思い始めて、いつやめようかと思っていた時に、早期退職制度の年齢制限が引き下げられることを知りました。あと1年会社にいればいいことがわかって、2003年9月末日に退職することを決めました。
一人でやっていくことに対する不安もあるし、会社の流れがどうなっているのか、会計の処理など色々と学んで、自分の財産にしようと思ったのです。】
当時は、開発者を支える事務職であり、進捗管理やチームをまとめるなど、プロジェクトマネジメントの仕事を行っていた。営業と開発部門が相手のことを思って仕事ができればうまくいくと考え、両者をつなぐことに力を入れたり、チームビルディングを行った。
自分がいなくなっても会社が回るように、マニュアルを作成したり、トラブルシューティングを行うなど、退職に向けての準備を進めていった。
【同僚や先輩は、私が仕事をする気を取り戻したと思っていたようです。よく他の部署に「どうやってやるんですか?」と聞いたり、情報を自分から積極的にとりに行ったりしていました。特に最後の1年は、熱心に仕事をする人だと思われていました(笑)】
人と人をつなぐ潤滑油となり、業務がうまく回るように積極的に動いた1年を経て、2003年9月30日、11年半勤めた会社を退職した。
予定通り、1年前に決めていた退職日だった。
・・・・・<後編へ続く>
※ 前編、いかがでしたでしょうか?
メーカー勤務時に中小企業診断士の勉強を始めたきっかけや2足わらじ生活の様子、独立を決意した経緯など、興味深く聞かせていただきました。
次号の後編では、福住さんが独立前に体験した転機のお話や、働く上で心がけていること、今後の活動についてお届けします。
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