2016-07-17 20:53:02

“できた人”が多い理由

テーマ:日々のできごと

<奈呉町にて>

今日は、3町内の曳山の取材。

6月中旬、三日曽根から始まった、新湊の曳山の取材も、
今日で12町分終了。

これで残すところあと1町。
uchikawa六角堂のある荒屋町を残すのみとなりました。

今日は、うちの事務所がある奈呉町
そのお隣で最も古くから曳山を持つ古新町、
最後は、蝶々の標識があでやかな長徳寺でした。

2年前、古新町と長徳寺がお祭り前に町内曳きしてるところに遭遇して、
よくわかっていなかったけどわくわくしてた記事を発見!


どの町の曳山にも、
かけがえのない特徴と歴史があって、
どれも見ごたえがある。

いつも観光パンフレットで見ているような、
まつり当日の昼の花山と夜の提灯山の
いわば“仕上がった姿”よりも、
それを仕上げるための日々のご苦労や工夫、
心持ちなどを伺ってきた。



<立町のお話>

最初から期待していたのは、
威勢がよくてちょっと物騒な話。

因縁のライバル町とのけんかとか、
巡行中の思わぬ事故・事件とか。

…確かにそういう話もたくさんあったけど、
今、もっとも印象に残っているのは、
驚くほど、みなさんが謙虚で紳士だったということだ。

小さい頃、まだ曳山を曳くことができない頃は、
お囃子の笛太鼓の音に心躍らせ、
勇壮な曳山に早く“つながった”り、乗ったりしてみたい
という羨望のまなざしを浴びせながら過ごし

早い子で中学生くらいからは、
お囃子のセンスのある子は
笛・太鼓を奏でる要員として曳山に乗せてもらえる。
…でも、あくまでも曳山の幕の中から祭りを盛り上げる役。

高校生になると、
春の獅子舞などの地域行事でも活躍している子は、
曳山に“つながる”ことを許される。
指導の才覚のある子は、中山に上って、
ハタキなどをふって、曳山の誘導を助ける。

大学生や社会人になると、
いったん、曳山から遠のく人は多い。

30代半ばごろからは、
今度は、巡行を支える裏方という役割が待っている。
曳山の誘導をしたり、祝儀を集めたり、
提灯を付け替えたり、曳き子のための休憩や弁当の手配をしたり。

ガタがきている曳山の修理や、
曳山を入れる倉庫の改修などのかなりお金のかかる事業の管理も
しなくてはならない。

…つまり、たった1日の曳山まつりのために、
ほぼ年間通じて何かしらしているのが、曳山の裏方さんだということだ。


<新町にて>

曳山は、
曳いている人たちだけでできているわけじゃなかったんだ。

…いやいや、なにより、
裏方さんたちの日々の尽力の末にあるということがわかった。


若い頃に曳山に“つながり”、
様々な先輩たちに教えられながら、
自身も様々な人生経験を積み…
そんな人たちがもくもくと支えているのが
新湊の曳山まつりなのだということが、改めてわかってきた。

そして、なにより、
曳山を持っている町民たちの身銭の切り方がハンパないということ。

私も奈呉町民の末席に加えていただいてわかったのだが、
わが町の年間の町内会費よりも、曳山関連費の方が高い。
曳山を保存し、祭り当日を安全に巡行するために、
およそ町内会費の1.5倍に及ぶ会費が集められている。

さらに、曳山の改修なら数百万~1千万程度、
曳山蔵の新築や改修ともなると、3~4千万のお金がかかってくる。
…それをまた長年にわたって積み立てし、
銀行からも借入をして、町民みんなで計画的に曳山を守っているのだ。



<南立町にて>

…もしかしたら、
これをムダだ!と切り捨ててしまう方もいるかもしれない。

でも、私は、こんなに美しく理想的な方法で、
自分たちの心のよりどころを守っている姿に、
心底、敬意を表したい。
にわか住民としてもこんなに誇らしいことはないと思う。

わかりやすいから金銭的なことを書いたけれど、

曳山を依り代にして、

目に見えない
自然や神様と人間とのつながり、
過去から現在までに至る人と人のつながり、
競い合いつつも結局は一体である13町のつながり
などが無数に存在することを、実感する。

…気性荒く社交的な港町の人々は、
この曳山を通じて、

自然や先人への畏敬の念をはじめ、
正義感、勇気、忍耐心、惻隠の情、礼儀正しさ、誠意、克己心など

人間社会で生きるための道徳的価値観を育て、
体得してきたのだろうと思う。

※参照:文部科学省ホームページ 1.徳育の意義・普遍性(社会的存在としての人間と徳育)


…だから、長年曳山に係っている人たちは、
おのずと“できた人間”になるということなのだろうな、と思う。


<長徳寺にて>

お話をうかがったみなさんに、
曳山まつりのどの瞬間が好きですか?って聞いた。

その答えはいろいろあったけど、
最も多かったのは
「無事に巡行が終わって曳山蔵にかえってきたとき」だった。

こう書いてしまうと、
なんだそんなことかと思うかもしれないけれど、
これはきっと、それを体験した者にしかわからない深みのある言葉だろう。


誰にも負けないくらい血沸き肉躍っている張本人が、
神様の意思と町民の期待、危険と見せ場、陶酔と自制心…など、
相反するものをすべて一旦飲み込んで、
謙虚かつ冷静に判断をしながら、仲間と曳山(やま)を導いていく。

…その大役を果たした人が見ている景色は、
きっと全然違うんだろうと思う。

だから、その言葉ひとつを言うのに、
感極まって涙ぐむ方もいらした。


取材は、ほんとーに幸せなひとときだった。

そして、放生津エリアが、なんでこんなに魅力的なのか、
またひとつわかった気がした。



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