2014-09-17 23:08:16

信号待ちは思索の時間

テーマ:日々のできごと

【地元小学校の写生大会in千石町通り】

さかのぼってます。

9月17日は、高速道路デビューの日。

事務所で入稿しめきりを送り出してから、
高岡での打ち合わせと、砺波での打ち合わせのあと、
大急ぎでまた事務所に戻るために、
初めて利用しました、高速道路。

ナビもないし、時速100キロも出したことないし、
びくびく乗ってみましたが、
信号もないし、表示はしっかりあるしで、
スイスイと快適。

時間をお金で買っているという実感をしながらの移動。

信号のある一般道と違って「時間が読める」便利さを
身にしみて感じたわけですが、
やはりどこかで罪悪感も感じる私。

ガソリン使うからというのもあるけれど、
「信号を待たない」ということで、
少し崩れるバランスがあるのだ。


実は、私にとっての
「信号を待つ時間」は、「人生の思索時間」なのだ。
これは小学生の頃から変わっていない。

赤から青に変わるまでのひととき、
ぐるぐる、もやもやと地球に生きる自分の存在について、
とりとめもなく考えてきた。

発端は、小学校の近くの旧8号の歩行者専用信号の待ち時間が、
もう永遠に続くんじゃないかというくらい長く感じられたこと。

その数分の間に、
今まで生きてきた時間と、
これから生きて行く時間の気の遠くなるような長さを、
信号待ちでいうと何回分なんだろう?って考えたり、

いま私がこの世の中から消えてしまったら、
この世界がどうなるかを見届けられないんだということに思い至り、
それを見届ける手段は本当にないのだろうか?って考えたりしていた。

…小学生の私には、
信号待ちは幼いなりに人生のことを考える時間だったのだ。

歩き始めてしまえば、
道ばたの草花に気を取られて、そんなことは忘れてしまうんだけど、
また別の日に信号待ち時間で、同じことを考えるというのを繰り返していた。

1つの信号待ちが1分だとして、
1日たったひとつだけの信号待ちをするとして、
365分×60年=21,900分。
1日は60分×24時間だから1,440分。
単純に割ると、
60年の人生のうち半月は信号待ちをしていることになる。

最近は、車に乗っての移動が多いから、
1日の信号待ちの時間は少なく見積もっても5分はあるだろう。

そう考えると、人生のうちの何ヶ月間は、
信号を待っているだけの時間があることになる。

とりとめのない思索の時間がなくなることは、
私にとってはやはり少しむなしいことのようだ。

一見ムダだけれど、
とにかく同じことを考え続けている時間は
かけがえのないものかもしれない。

便利さを優先し続けていると、
ほんとに大事なものを失ってしまうかもしれない。

…そんなことを思いながら、
少し後ろめたさを感じながら高速に乗るんだろう、これからも。

写真は、富山市のまちなか、千石町通り商店街での一コマ。
小学生たちが、写生大会をしていた。
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