OH勘違い

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現在進行形のタユタです。


ということは、あれですか?

「あなたはあなたの思考ではありません。感情でもありません」といわれ、思考との自己同一化からの解放を目指してきたそこにもまだ落とし穴があったわけですか。


つまり「思考でも感情でもない『私』は、そういったものではなく『私』の「本質」「真我」「意識」と同一化し、ひとつにならなければ・・・・・・

でもそこにはまだ『私』がいた!!


これまではどこまでいっても、何かと同一化するべきばくぜんとしたぼんやりとした『私』感覚があった・・・・・・

でもその『私』感覚こそが、幻想だったんですね・・・・・・叫び

「私はいない」ということの意味って、それ?

ひぇーーーーーーー

うーん。

いまさらですが、

ぜーんぜん

わかっていませんでしたよあせる

今やっとわかりました。


(いや、その言い方でいうなら「わかった」わけではない。

だって「わかる」主体の「私」はいないから。

だから「理解が起こった」というんですね。

理解は、すべてがそのなかで起こり、すべてがそのなかに現れる、「それ」から

勝手に起こっている・・・・・・

虚空に突如としてあらわれる……意味もなく。)


『私』感覚が消えると、あとには長い髪を急にショートにしたときのような、スース―してちょっと不安だけれど新鮮な感覚がおこってきます・・・・・


そして「私」感覚が消えたあとに残るこの微細なある感覚(ほかに言葉がみつからないので『感覚』と表現します・・・・・・)すごーくあたりまえでふつうで、優しかったりあたたかかったり、うつくしかったり、透き通っていたりするそ「それ」のことを、

「無」「空」「真我」「それ」「認識」

とかと呼ぶのでしょうか。

言葉では「ずっとあった」「離れたことはない」などと言っていましたが(もちろん真剣にそう思っていましたが)その実、意識のどこかで「いつか融合できる、崇高なもの、手の届かないもの」にしてしまっていました。

タユタ、大勘違いです。


(まあ、タユタというものが仮にいるとして、の話ですが。

だってそういうことなら、ここでキーボードを打っているのもただ起こっているということで、書いている人はいないわけですものね。

ただそれを言い始めるとマトリョーシカ状態になってしまうので、このへんにしておきます)


毎日がこんな状態です。

(たぶん、当分続く、進行形)


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