ゴルフの飛距離アップとマラソンの自己ベスト更新を叶える☆オルガノ・リフレ

特殊なテーピングを筋肉のツボに貼ることで、瞬時に(3秒で!)筋肉の可動域が広がる魔法のメソッドです。スポーツのパフォーマンスが飛躍的にアップするので、ゴルフの飛距離が伸びる、マラソンのタイム更新などの結果が出ます。

こんにちは。数あるブログからこちらにお越しいただいてありがとうございます。

ゴルフの飛距離アップとマラソンの自己ベスト更新を叶える、アスリート整体師のみやたけたつんどです。
・詳しいプロフィールはこちらから→みやたけたつんどの詳しいプロフィールです


このブログには、オルガノ・リフレ(器官反射)の元になっている、アプライドキネシオロジーをスポーツのパフォーマンスアップに活用できる知識がたくさん詰まっています。記事の内容をお楽しみください。

・初めての方は、こちらからどうぞ→オルガノ・リフレとは?(リニューアルしました)

・「オルガノ・リフレ」「organorefle」は商標登録済みです→オルガノ・リフレ organorefle が商標登録されました


◆セミナー・イベント、及び施術・講座の開催概要は、随時更新しています。

◇注目イベントです!

◇二期会会員の声楽家による歌唱指導!第六回オルガノ・リフレカラオケセミナー(昭和歌謡Barかめかめ波)(*2017年12月開催予定です)

◇一瞬で身体が変わるミラクル体験!オルガノ・リフレパフォーマンスアップセミナー(*2017年11月19日開催予定です)


直感でピン!と来ましたら、お申し込みくださいね!



※オルガノ・リフレは、アプライドキネシオロジー:AK(応用筋肉運動機能学)の技術を一般でも簡単に使えるように応用加工したメソッドです。オリジナルのリフレポイント(筋肉の反射点と内臓のツボ)に特殊加工を施したシール及びジェルを使って、筋肉・内臓のバランスを調整します。




テーマ:
皆様、こんにちは。


不眠・肩こり・腰痛・冷え・むくみ解消・ロコモ予防のプロ


オルガノ・リフレ協会代表のみやたけたつんどです。


ここ数日、なかなか熟睡ができてないな~


ちょっと体が・・・胃腸の辺りがだるいな~


と思っていたのですが、


原因が分かりましたひらめき電球



僕は、あまり冷えると嫌だから・・・と、


寝る前は28度の冷房をかけておいて、


横になったら30度、あるいは送風に設定して1~2時間に切れるようタイマーをセットしていました。


けれど、このやり方が体に負担をかけていたのですダウン


真夏の時期、


夜であっても、冷房が切れたらものの30分程度で室温は30度を超えてしまいます


さらに、アスファルトの都会は、コンクリートが夜に熱を放出しますから外気も熱い。


(これが田舎であれば、気温の低い地域であれば冷房自体が必要ないんですけどね・・・汗


28度くらいが適温といわれる中、


30度以上の部屋の中での睡眠は快適とは言えませんショック!


寝ながら身体は疲労し、もちろん熟睡はできない。


結果、胃腸が緊張し、腹は固くなり・・・。


だるいな~となってしまうのですあせる



ポイントは、


☆冷房の賢い使い方☆


整体の先生に良い方法を教えて貰いましたひらめき電球


冷房は28度に設定し、就寝時はずっとつけておく。


風向きはやや上向き(平行)で体には直接当てない。


冷房の風が流れる先に扇風機をセットし、扇風機を壁に向けて回し、


冷気を部屋全体に回して貰う。


この時注意する点は、冷房の風の強さは強めが良いということ。


冷気は下に下がりますから(暖気は上)、


弱風に設定していると、


冷気は部屋の下、寝ている自分の身体に直接当たってしまいます


これだと身体が冷えきってしまうので、強風が良いのだとか。


この方法で、


睡眠中ずっと室温28度の快適な状態を作ることができるそうです。



“部屋の中がまるで避暑地のようになる”


快適な熟睡方法、今日から試してみようと思いますひらめき電球


良かったら皆さんも参考にしてみてくださいね。
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皆様、こんばんは。


オルガノ・リフレ代表のみやたけたつんどです。



僕の経歴(半生)をご紹介いたしますね。
長いので、ご興味がありましたら読んでみてください。


―・―・―・―・―・―・―・―・―


・泣かずに誕生 

愛媛県松山市に産まれる。
母が破水した際羊水を飲んでいたようで、軽く溺れたのか産まれた時オギャーと泣くことはなかった。
母曰く「くっすん。」と聞こえたらしい。保育器に2時間入っていた。大病は無かったが、幼少期からよく病院のお世話になった。
食っちゃ寝、食っちゃ寝して、夜泣きもせず、母曰く「とても楽だった。」のだとか。その代わり、大きくなってから泣くことに…


・自家中毒の幼少期

原因は、簡単に言うと「母方の祖父母との関わりの中でのストレス」「幼稚園以降の集団生活でのストレス」から、しょっちゅう自家中毒を起こして、吐いてみたり、下痢してみたり、熱を出してみたり…
掛かり付けの内科の杉浦先生に「はい、自家中(じかちゅう)ね。しばらくは、お粥さん、おじやさん、食パン、素うどんね。牛乳、ヤクルト、ヨーグルトはダメ。」と、今でもそらで言えるくらい毎回言われて、毎回腕とお尻に注射と飲み薬を貰って、おいしくない素うどんや食パンをかじる日々を過ごす。
(後年、自家中は自家【中毒】であることを知り、ビックリ。ストレスを外に発散しきれず中毒を起こしていたということです)


・小5で過労

その後、小5の時には非常に神経質な先生に当たってしまって学級委員長をやってたこともあって神経性の胃腸炎や過敏性大腸炎などを起こし、挙げ句の果てには杉浦先生から「過労で点滴ね。」と言われる始末。病院の天井のパネルの模様を数えながら点滴を打ってもらう日々を過ごす。
小6の時には、腹痛で診てもらったら見事なヤブ医者で「これは盲腸ではないですね~」と言われた翌日、やはり杉浦先生に見てもらったら「腹膜炎を起こしているのですぐに手術ね。」なんてことも体験。
小学生までに、腕とお尻に注射を何本も打ってもらったため、針が怖くなくなりました。


・思春期で精神と肉体のバランスを崩す

ストレス過多の日々は終わったかなと思ったらそんなことはなく、結論から言うとゲイであるため、集団生活が徐々に苦しくなってくる。ゲイと言っても、男の子っぽい感じ(女の子とも付き合える)や運動が好きで部活などに入るタイプならば良かったけれど、そういった世界とは縁がなく、元々男の子の友達も特にはいなくて、いじめられることは無かったが「オカマ、おとこおんな」と言われていたどちらかと言えば中性的なタイプだったので、男の子と女の子が分かれてくる小学校高学年辺りから周囲とのコミュニケーションに神経を使うことが多くなってきた。
中1に少しだけ軟式テニス部に入っていたがやはり合わず、快適な帰宅部生活を送れる…と思いきや、家での姿(本来)と外での姿(演技→優等生&普通の男の子)の二面性の解離が徐々に進んでいき、学校生活で消耗するエネルギーが徐々に増えていった。だから、家に帰るといつもヘトヘト。


・「頸椎」を自分でズラす

真面目な優等生くんにさすがに疲れてきた中2の初夏辺りから、首の骨をボキボキバキバキ外に音が聞こえるくらい鳴らすのが癖になってしまい(ストレス解消)、ある教師との関係からも大きなストレスを感じて、次第に体調を崩して行く。
いつもだるくてよく下痢もしていたが、病院へ行っても風邪と言われるくらいで原因が分からない。夏休みに入るといつもぐったり横になっており、唇も紫色になっていた。
幼馴染みのご家族がお世話になっている指圧の片山先生を紹介してもらって行くと、「頸椎がズレている」と。「これは治せるかどうか…」とも。
病院でレントゲン撮影をしたら、確かに頸椎がガタガタだった。特に頸椎三番が前にボンとズレていて、他の頸椎も全部ズレていて…背骨も曲がっていて側弯症状態。あらら…という感じになっていた。
病院では仰向け状態で背骨から首までローラーのようなものでグリグリされてしまった。大変な激痛でこんなことはできない、と病院治療は一回で終了。


・中2で自律神経失調症

病名としては、中2なのに、若いのに、14歳なのに…自律神経失調症だった。首の骨がズレていたのだから当然。薬ももらったけど風邪薬や下痢止めみたいなものしか無かったからほとんど飲むことはなかった。
9月より指圧・カイロプラクティックの片山先生に週2のペースでお世話になる。ただひたすら「気持ち良いだけの施術」。最後に首をクキッとするくらいで、うつ伏せと横向きでツボを押してもらうだけ。たま~に頭に鍼を打ってもらうだけ。一回45分くらいの施術で続けたら、みるみるうちに体調は良くなった。
片山先生からは「首は鳴らさないように」「冷たいものは取らないように」これを口酸っぱくなるくらい言われる。人生において、母から言われた言葉で一番多かったのも「冷たいものはダメでしょ。」と「あ!また首鳴らして…」


・東洋医学と西洋医学の混合治療で完治

数ヶ月後にレントゲン撮影したら、見事に頸椎はキレイな状態になっていた。でも、経緯を病院で話したら(杉浦先生ではなくておそらくその息子先生)「そんなことはあり得ない(指圧や鍼などでは治らない)。」と言われ、怒りを覚えた。
指圧や鍼(東洋医学)とカイロプラクティック(西洋医学)で身体は回復したが、病院治療(西洋医学)の世界の中ではそれを認めていないことを初めて知る。(単にその医師の勉強不足に過ぎないだけだが)
現在のオルガノ・リフレ(アプライドキネシオロジー→東洋と西洋の混合医療)に通ずる強烈な体験を、自分の首の骨をズラす
ことでできた。


・受験勉強に熱中

頸椎の問題はなんとか解決したが、集団生活の中でのストレスは徐々に増えていく。二面性の解離はどんどん大きくなり、【素の自分を表に出す】ことも徐々に出来なくなっていく。存在感を消して大人しく生きることがいつの間にか常となってしまった。
いつもテスト勉強は一夜漬けでしかしたことが無かったが、毎日ちゃんと宿題をしていたので成績は良かった。高校受験が迫った中3の2学期の中間テストで初めて一週間前から勉強をしたところ、思わぬ好成績を残したことで、【自己表現としての勉強】に熱中するようになる。
成績はグンと跳ね上がり、平均点28点の数学の模試で97点を取ってみたり、テストの順位も360人中一桁の常連になる。
そのままの流れで進学校に合格。
それでも勉強の毎日は止まらず、春休みも朝から晩まで勉強。
最早誰にも止められない。
【勉強することが生きること】になってしまっていた。完璧主義の性格も相まって、1~10まで隅から隅まで全てを覚える毎日。結果、高校入学と同時のテストで440人中12番となる。


・高校生にはなったけれど…

小学校から中学校までは、同じ校区で同級生とは最長9年間一緒に過ごしていたため、男の子と女の子が分かれてくる年代(思春期)に入っても顔見知りの集団の中だったので何とか生きて来れた。コミュニケーションをがんばって取ろうとしなくても、なんとか大丈夫だった。集団の中での役割(学級委員など)もあった。
しかし、高校へ入学した途端にそれらは全てリセットされてしまい、【見知らぬ異性愛者の世界の中で0から生きて行かねば】ならなくなった。どうコミュニケーションを取って行けば良いのか全く分からない。
集団の中での役割も無い。
男の子と仲良くすることができない、かといって、女の子とばかり仲良くすることもできない。中学生までのコミュニケーションの取り方では対応ができなくなった。どう振る舞ったら良いのかさっぱり分からなかった。


・そして、バーンアウト

残された生きる道は、【勉強】のみとなり、朝から晩まで勉強の毎日を過ごす。完璧主義も極まれりの状態。予習と宿題でまともに寝られない日々が続く。
体調はどんどん悪くなり、1992年4月25日の夜中に病院へ走る。が、勿論病気ではないから特に治療もしない。ラジオで尾崎豊さんの事件が流れていたことと、ボーッと車の中から夜空の星を見ていたことを思い出す。
勉強ばかりする人間は徐々に周囲から浮いてしまい、昼食も一人で取るようになるが、止められない。
結果、1学期の中間テストで2番を取るが、それが限界だった。
高1の7月で心身ともに疲れ果て、見事にバーンアウト(燃え尽き症候群)。



さて、ここから先はなかなか大変な状況となり…



・不登校からひきこもり生活へ

1992年7月から不登校
→1993年1月より休学
→そのまま留年
→1993年4月、二度目の1年生も初日に通っただけで退学
→1993年8月に通信制高校に1日だけ通った後、結果として、1999年2月まで約6年間のひきこもり生活を送ることとなった。


・「登校拒否」の時代の苦しみ

時は90年代前半。
「登校拒否」の時代。
【学校に行かないこと=病気、異常】であった時代。いきなり法華経(祖父が信心していた)の檀家さんたちが家に集まって「南無妙法蓮華経」とお経を上げ始めたり、神経科の病院へ連れていかれてみたり…
自分自身が一番混乱していたが、周囲(両親や祖父母)も混乱しており、【自分は病気でも異常でもなく、ただ、学校へ行っていないだけ】【疲れ切った心と身体をゆっくりと休めたいだけ】だということを理解してもらうまでに時間がかかり、16年間の人生の疲れを取ることはなかなか難しかった。


・自分は「病気」ではない!

現代のように心療内科も無ければカウンセリングも一般的ではなかった。学校へ行かない子への対処法は社会には無かった(特に愛媛は後進だったので皆無)ので、。ある神経科(精神科とは書いてなかった)のクリニックに行ったが半分説教のような形で薬を出されて「がんばってください。」と言われるだけ。頑張って頑張って疲れたから休んでるのに。
神経症、心身症、うつ状態、再度自律神経失調症とも診断されたが、どこまで本当だったかは分からない。幸いにも一つ一つの症状は重くなく、当の本人は【学校に行かない→自分は病気ではない!(失礼な!)】と頑なに思っていたので、薬(抗うつ薬?)を飲むことも、勿論そこに依存することも無かった。
時を同じくして郊外へ引っ越し。
地元に居るよりも精神的に楽になったが、時だけが過ぎていく現状(取り残される…)に逆に精神的に追い詰められ、益々社会から孤立するようになる。
それは本人だけでなく【家族ごと】だった。
1994年8月、18歳になっていたため児童相談所では対応して貰えず、県精神保健センターを紹介される。


・1回目の人生の清算

そこで小林先生と出会い、1998年3月までカウンセリングを受ける。カウンセリングの場で【怒り、不安、絶望感】などを全て吐き出し、それまでの人生全てを振り返り、何故今の状態になったのか、その原因を探る作業を進め、人生の清算を行う。
幼少期から幼稚園、小学校から中学校、そしてその後まで。両親との関係、祖父母との関係などなど…
県の機関だったので全て無料で受けることができ、時には2時間も3時間もこちらの暗い話を聞いて貰えた。今ならば大変な金額がかかっていたので、非常にありがたいことだった。
途中、怒りの矛先が父親に向かい、関係悪化から包丁を持ち出すところまで行ってしまったので1995年8月に母と妹と3人が街中に引っ越し、家族断絶の形を取ることで収束を図る。その頃、父親も職場で上手く行かず退職願いを書いており、母も息子と向かい合う生活で心身ともに疲弊、妹もその家庭状況に困惑しており、本人も家庭もお先真っ暗の闇の中を生きていた。


・本格的にひきこもり生活へ

1995年8月と言えば、同級生は春に高校を卒業し、大学なり就職なりをしている時期。部屋にこもって完全に出てこない本物のひきこもりではなく、社会参加をしていないが買い物や散髪など外には出ている【社会的ひきこもり】状態、後に出てきた言葉として【ニート】が当てはまったかもしれないが、【事態を深刻に捉えている】点で、【ひきこもり】が妥当であったと思う。

(「ひきこもり」の言葉がメジャーとなったのは2000年5月のあるバスジャック事件がきっかけとされています。それまでは、家にいて何もしていない人は、女性ならば「家事手伝い」という言葉で表現もできたでしょうが、僕の場合「何もしていなくて家にいる人」としか自分を表現する言葉が見つかりませんでした。ひきこもり、ニート、フリーターは後に出てきた言葉でした。なので、2000年5月の事件のニュースを聞いて「あ、自分はひきこもりだったんだ。」と初めて認識が出来たのです。その時既に大学1回生で過去の出来事になっていたのですが)

昼夜逆転の生活。
スケジュールは真っ白。
やることは、テレビと音楽とゲームと本。
笑っていいとも!くらいに起きて、徹子の部屋を見ながらご飯を食べて、ゲームに熱中して、またテレビ見て、飽きたら音楽聴いて、おやつ食べて、夕食食べて、またテレビ見て、夜外出して近所のTSUTAYAとゲーム屋と本屋に買い物に行って、夜中にお風呂に入って、またゲームして、朝方眠たくなったら寝て…の繰り返し。
一度人生のレールから外れた時、戻る術も戻る場所も無い現状で、何をどうすることも出来ず、ただただ時間だけが過ぎていった…

(ただ、普段から外には出ていたこと、インターネットが無い時代だったのでハマり込むことがなかったこと、薬を飲まなかったので薬害として悪化することが無かったこと、自分自身を直視して向き合って行く作業は大変だったけどそれをやり切ったこと

加えて、

【ゲイとしての人生を生きたい!という欲求があった】東京で仕事して、恋愛して、人生を楽しんでいる姿をひたすら妄想していました。一旦社会生活から降りた人間が表に出るには、それなりの理由がないと難しい。でも、僕にはそれがあった。20歳の頃、「今死んだら、何のために産まれてきたのか分からない、まだ何もやっていない!」と強く感じたことがあります)

これらの想いがひきこもり長期化を防ぎ、22歳で表に出られた要因ったと考えられます)


・充分な休養が取れた

不登校になってからの数年で、家族(両親や祖父母や妹)から半分諦めも含めた現状に対する【受容・許容】を獲得し、精神的にも肉体的にも安全に生きていける【空間】が確保でき、さらに社会生活からも【降りた】生活を送ったことで、(先の見えない人生に対する不安感と焦燥感が消えることは無かったが)、充分な休養が取れた。
カウンセリングのペースも週1回→2週に1回→1ヶ月に1回となり、最後の一年は近況報告をするのみとなり、1998年3月に終了。精神的に非常に落ち着いた状態まで回復。
「元気になれば動いてみようという気持ちになるでしょう…」の言葉通り、その後の1年間を完全な充電期間として生きることができた。



22歳までに、大病はしなかったが、諸々の症状で、

西洋医学(薬、注射、手術、カイロプラクティックなど)
東洋医学(指圧、鍼灸、漢方など)
代替・民間療法(酵素、拝む系、気功、エネルギー療法→波動のシールをペタペタ貼るなど)
精神医学(神経科、精神科など今で言う心療内科、カウンセリングなど)

を体験することができた。

これらの経験は、全てオルガノ・リフレに活かされている



・22歳で再始動

1999年3月、22歳の春に第一高等学院松山校(大検予備校)に1期生として入学。
久し振りの社会参加に挨拶の仕方すら忘れていた位だったが、徐々に慣れていき、その年の8月に大検合格。大学受験の勉強に邁進し、センター試験、2次試験も突破して無事愛媛大学に合格した。前期1本のみの受験に絞り、背水の陣で臨んで合格。
人は、狂ったように勉強すれば、数ヶ月で国立大学の文系のそこそこのレベルならば合格できることが分かった。
大検予備校の先生からは、勉強とお酒とカラオケと人とのコミュニケーションを教えてもらい、大学へと送り出してもらった。


・社会経験を取り戻す

普通ならば高校生から大学生、その後の数年間で何年もかけて体験する人生(勉強、仕事、恋愛など)を、大学生の4年間で凝縮して経験する。
就職活動をして内定を貰って就職するのは27歳。ストレートの大学生より5年ズレているため、もたもたしている暇は無い。社会経験を積んでいないとどこも雇ってくれないだろうと思い、様々なアルバイトに取り組んだ。
いきなりスーツを着て家庭教師のトライの内勤、その後は飲食店、アイスクリーム工場、そしてショットバーに2年間(週2、3回)。
特に水商売の2年間は非常に良い社会勉強となった。最後の3ヶ月、マスターから売上100万円以上の目標を与えられて奮起。頑張って営業を続け、最終日はキャバクラの女の子やホストクラブのホストやラウンジのホステスさんでもないのに、お客様が19時から7時まで12時間来てくれて、たくさんの花束とプレゼントを抱えてタクシーで帰る…という普通では考えられない成功体験を積むことができた。勿論、マスターや店長の茜さんなど周りの皆さんの協力があってのことだったが、売上目標の100万円は軽く達成。上京前に貴重な経験ができた。


・キネシオロジーとの運命的な出会い

2003年4月、大学4回生の春の時、東京での就職を目指して就職活動開始。そろそろ27歳になろうとしていたが、【留年ではなくストレートの大学4回生】として就職活動ができるチャンス。周りは21、22歳ばかりだったが(皆、しっかりしてるし)、この機会を逃したら後はないと思ってアルバイトで貯めた数十万円を元手に、何度も夜行バスで東京に通い、インターネットは漫画喫茶のゲラゲラで、友人の家やカプセルホテルに宿泊しながら活動を続けた。
ある日、いつものように新宿の漫画喫茶ゲラゲラでリクナビを見ていたら、面白そうな会社を見つけたので説明会に行ったらゲラゲラを運営している会社だった。
たまたま一番前に座っていたため、壇上に呼ばれ、社員の男性二人によって数百名の学生の前で筋反射テストを体験させられる。「黒砂糖の方が力が入りました。」
これが、キネシオロジーとの初めての出会いだった。



・直感に従って大正解

最初は冠婚葬祭業や貴金属・宝飾の会社などを当たっていたが、なかなか内定には結びつかない(その後、18金ゲルマジュエリーの販売をすることになるから探す分野は間違ってなかった)。
ウェディングの会社の一次面接(集団)では、隣の男の子が「僕は輝きたいんです!」と言ったら面接官が「私もそうなんですよ!」と言ってて、こんなに普段からテンション高くいないと仕事ができないならちょっと無理だな…と思ってサッと引いたこともあり。
健康食品販売(移動店舗)の会社は、「仕事もプライベートもずっと皆と一緒で親睦を深めてます!家族です!」と、一見すると良さそうな感じに見えたけど、説明会で新入社員が発表する前に社長と幹部社員に敬礼(?)、発表時の声は大声で明るくて元気でハキハキしてて…というか、そうしないとイケナイ雰囲気が出ていて…その姿を見ている先輩社員の目はまるで軍隊の上官が下級兵士を監視しているような感じ。あぁ、これは無理だな、四六時中一緒は無理だし、軍隊(変に体育会系)も無理。出来るだけ仕事とプライベートは分けたいし、社員さんカラ元気に見えたしな~大変だわこれは、と引いたこともあり。
既に27歳を迎えようとしていた身だったので、普通の会社からはまず内定は出ないだろうと思い、年齢や学歴などを問わない業種やベンチャー企業を探していたら、一つ、飛び込み営業の会社より内定を頂いた。しかし、初めての一人暮らしでいきなり東京で飛び込み営業は…ちょっと厳しいと思い辞退。
ゲラゲラでリクナビ見てる時になんとなく【面白そう】と直感で惹かれた会社の説明会へ行ったら、キネシオロジーと出会い、何年かの後にはオルガノ・リフレへと繋がったのだから、【直感】に従ったことは大正解。
ご縁は、ひょんなところに赤い糸を垂らしてくれてました。


・社会人から無謀なフリーへ

2004年4月、27歳で上京。内定は漫画喫茶ゲラゲラで貰っていたが、4泊5日の新入社員研修の時に「事業部を変えたかったら変えても良い。」と言われていたので、アッサリと健康食品通販事業の事業部に変更。(もしもここで変えてなかったらオルガノ・リフレは生まれてません)
事業部は「養蜂堂」という健康食品のブランドで、ローヤルゼリーやマカ王などのヒット商品を通販で販売していた。そこで、アプライドキネシオロジーの発展形代替療法である、ゲルマ療法(筋機能調整療法)と出会い、その技術である筋反射テストを用いたサプリメント&ゲルマニウム粒の提案営業を担当。コールセンターのSV業務も経て、2年目から一人で直販営業に取り組み、3年目にキネシオロジーの技術&体操と東洋医学の蒙色望診法を美容面に活かした、アンチエイジングパーソナルトレーニングサロン「Wrinkle 9 Project(自由が丘)」の立ち上げを担当。主に、プログラム開発、店舗営業、スタッフ育成、マニュアル作成を担当後、もうここでは自分のやりたいことはできない、と思ってしまい、まだ数年間やってみれば良かったのに早まって退社
フリーとなる。


・ご飯食べて行けません

2007年8月、フリーとなり、屋号をLe monde(ルモンド)と設定。でも、仕事などいきなり取れる訳もなく、あっという間に貯金は底をつき、厳しい生活を強いられることになってしまう。2008年は「もしかして、今の状態って、二度目のひきこもり!?」なんてところまで経済的にも精神的にも落ち込む。
でも、周りの援助も受けて何とか食いつなぎ、その間に様々な代替療法を習得(レイキ、ホルミシスセラピー、長生学、アロマトリートメント等)。
2009年春、一度は離れていたゲルマ療法の協会に再度お世話になる形となり、ゲルマ粒やサプリメントの販売をがんばった。


・【筋肉美容】開始!

2010年3月、あるレンタルサロンとご縁があり、自分の提供サービスのブランド名を【筋肉美容】として活動をスタートさせた。
筋肉美容アドバイザーとして、施術、レッスン、ワークショップ等で、「顔に触らないで、顔筋も動かさないで、シワ・くま・たるみを自分で取れる方法」の提供をスタート。都内&長野の薬局・薬店グループでの研修会講師も務める。
当時はゲルマ粒をツボに貼っていたが、1粒4000円するので、10粒でも40000円。なかなか販売は難しかった。
そんな時、筋反射テストと筋肉美容の技術を活かした、健康&美容ジュエリー(18金ゲルマネックレス)の販売講師の仕事を頂き、全国の宝飾店と訪問販売営業を担当することとなった。2007年11月から断続的に、2010年12月から2012年8月まで、2014年8月から2015年3月まで常勤として、延べ1,000名以上のお客様に営業も含めた施術を体験していただいた。


・CLEARシールとの運命的な出会い

2011年夏、ゲルマ粒に変わるものを探し始めた頃、ある方から【トルマリン配合のシール】を紹介して貰う。これが、見事にハマった!
1枚10円という安さで、ちゃんとツボ刺激をしてくれる優れもの。数十枚貼っても数百円の負担で済み、しかも身体への負担は少なく、剥がれて無くなっても精神的なダメージは無い(ゲルマ粒は一粒4000円!)。これぞ求めていたもの!とばかりに筋肉美容のレッスンや施術で使い始める。


・「強揉み」と、対極の「揺らし」を体験

2012年6月から「もみ処渋谷店」というマッサージ店に勤務。マッサージ・アロママッサージ・リフレ等の施術、店舗営業・管理等を担当したが、強揉みのお店だったため指と手と腕が痛くなり、身体も疲弊…
「これは長く続けられない…」と思った時に身体にゆらゆら気持ち良い揺れを伝えて凝りや痛みを緩和する【リラクセンスボディセラピー】と出会い、2012年10月にセラピスト資格を取得。
グイグイ身体を押したり揉んだりしなくとも、身体の凝りや痛みは取れることを体感として学び、お客様の身体でたくさん実践した。(2013年3月まで)


・オルガノ・リフレの誕生

2013年2月に、ブランド名称を【オルガノ・リフレ】(器官反射)にリニューアル
「一般社団法人リラクセンスボディセラピー協会」の中の認定講座として、施術、マスター講座の提供、資格認定証の発行も開始。代々木サロンと飯田橋サロンを新しい拠点としての活動をスタートさせた。
と同時に、「六本木ストレスケアサロン」(心療内科のさくら坂クリニック内)の看護師さんからもご紹介を頂き、サロンにてオルガノ・リフレ&リラクセンスボディセラピーの施術もスタートさせた(2014年6月まで)。
11月には【オルガノリフレ】【organorefle】が正式に登録商標として認められた。


・その後の進展

2014年6月辺りから、オルガノ・リフレを仕事として真剣に取り入れる方が現れ始め、自分自身の意識が大きく変わり始める。自分一人が提供するやり方から、後進の育成とサポートに取り組み始めた。

2014年8月より、高円寺のサロン「上部頚椎カイロプラクティックぽちっとはうす」とご縁を頂き、施術・講座を提供するサロンとしての利用を開始する。

同時に、DRT(ダブルハンドリコイルテクニック)」も学び、施術メニューとして取り入れ始め、施術料金も改訂。講座の内容もリニューアルを進める。

2014年12月を以て、「一般社団法人リラクセンスボディセラピー協会」を卒業。

2015年1月より、「オルガノ・リフレ協会」としての活動をスタートさせる。

2015年3月、西麻布のデザイナーズホテル内サロン及びセミナースペースとご縁を頂き、新しく施術と講座をご提供する場所としての活動を開始!

2015年4月、銀座、新宿御苑のセミナースペースともご縁をいただき、講座のご提供を開始!

現在、全国各地でオルガノ・リフレアドバイザーの育成活動に取り組んでいる。


―・―・―・―・―・―・―・―


以上です。

たくさんのご縁に導かれて、ここまで来ることができました。

全ての経験は必要であり、出会いも全て必然でした。

まだまだ旅の途中。

これから、オルガノ・リフレを日本中、そして世界にも(キネシオロジーの逆輸入として)広めて行きます!

今後の展開が楽しみです。

長文を読んでいただき、誠にありがとうございました。
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当ブログにお越しいただきましてありがとうございます。


オルガノ・リフレのみやたけたつんどです。


私は2013年2月、オルガノ・リフレ(organorefle)を立ち上げました。


現在都内サロンや出張で、施術・体験会・マスター講座をご提供しながら「新世代のセルフケアメソッド=オルガノ・リフレ」をお伝えしております。




◇オルガノ・リフレ=器官反射◇


イタリア語で「オルガノ-organo-=器官」+「リフレ-refle-=反射』
※器官=筋肉・内臓・骨など身体の総称


オルガノ・リフレは、


顔と筋肉と内臓・器官との深い関連性にヒントを得た新世代の健康・美容法です。




人間のカラダは精密なコンピューターです。

一分一秒休まずに、常に身体を「一定の状態(正常な状態)」に保とうとしてくれています(ホメオスタシス)。自然治癒力ですね。


身体には様々なスイッチ(例えば、神経リンパ反射点・募穴・経穴)があり、そのスイッチを押す(刺激)ことで、内臓と筋肉の機能を回復させ、不調を改善することができます。(自然治癒力をサポート)


指で押す方法(指圧・整体・マッサージなど)や、鍼を打つ方法(鍼灸)などがありますよね。




オルガノ・リフレは、そのスイッチをリフレポイントと名付けました。



リフレポイントにツボ刺激ができる特殊なシールを貼付することで、そのポイントを「刺激」し、関連の深い『筋肉・内臓・器官』を活性化することができます。


すると、身体のバランスを調整することができますから、腰痛や首肩こりなどの痛みやコリを緩和できます。


さらに、関連の深い【顔の部位】も変化させることができます。


ほうれい線が薄くなったり、小顔になったり、目がパッチリと開いたりします。表情筋と関連のある内臓、顔の部位と関連の深い筋肉があるため、その部位を活性化することで、


顔に触らずとも、表情筋を動かさなくとも、リフトアップ♪することができるんです。


そういった働きを、シールを貼っている間継続的に起こします。




シールを貼っている間ずっと、【複数のリフレポイントを同時に継続的にケア】できますから、身体の回復のスピードは速くなり、様々なお悩みの解消を【短時間】で得ることができるんです。


良くなるのは施術を受けた時だけ・・・
すぐに戻ってしまって・・・
またツライ・・・


みたいなことが無く、シールを貼っているだけで(まるでエスカレーターに乗っているみたいに)勝手に身体が正常な状態へと戻してくれます。


そして、元気になったら、そのシールも必要は無くなります。


それを自分でできるようになる、家族にも、お客様にもできるようになるのが、オルガノ・リフレ。


リフレポイントという名のスイッチを使ったセルフケアの手法、が【オルガノ・リフレ】と言えます。


ボキボキ骨を鳴らしたり、グイグイ押したり、どこかを引っ張ったりする必要はありません。顔も同様です。ちょっとした働きかけで、身体も顔も変わります。


自然治癒力を上げることで身体は本来持っている健康と美しさを取り戻します。




まとめますね(笑)


オルガノ・リフレは、


誰もが簡単に健康&美容を獲得できるセルフケアの手法であり、


自分自身の身体を深く知るきっかけとなるものであり、


セラピスト・エステティシャン・パーソナルトレーナーなど施術家の方にとっては、


今までにない新しい手法として取り入れることができる内容です。




シールを貼った瞬間から痛みやコリが緩和しますし、貼り続けていればいつの間にか回復してしまうので、一般常識からはかなり逸脱しているようですが・・・


(最近何人ものお客様に言われて自覚しました。10年前からペタペタ貼る仕事をやってきましたので・・・)、体験していただくとその「効果」というよりも「身体の不思議」を実感していただけると思います。


人間の身体には『自然治癒力』という素晴らしい能力が備わっています。


その治癒力を引き出す「お得なスイッチ」がリフレポイントです。


リフレポイントをうまく活用する方法として、指ではなくて、オルガノ・リフレでは誰もが簡単にラクに継続できる「シール」を採用しました。


もしもピン!と来ましたら、体験してみてくださいねI




最後に、オルガノ・リフレの理念を書きます。


これから来るセルフメディケーションの時代において、日本中、世界中の人々が、身体はワンネスであること(顔・筋肉・内臓・器官、その全ては繋がっていること)を知り、セルフケアができるようになること、身体の内側から美しく健康に生きられるようになること、その知識と技術をお伝えするのが「オルガノ・リフレ」の使命と考えます。




どうぞ、よろしくお願いいたしますぺこ




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