医療法人鉄蕉会亀田総合病院(亀田信介院長、千葉県鴨川市)が、医療機関向け経営コンサルのメディヴァ(東京・世田谷)などと組み、ミャンマーで乳がん検診を支援する事業を始めるそうだ。画像を中心とした乳腺病変診断で知られる戸崎光宏医師(亀田京橋クリニック 診療部部長、画像センター長)などが現地を訪れた。
ミャンマーの政府系病院(ヤンゴン市)が乳がん検診ルームを年内に開設。マンモグラフィーの画像データをインターネットなどを通じて日本に送り、亀田総合病院の医師が読影する。現地と日本で画像データを読むことで、現地医師の技量向上と正確な診断につなげる、という。

ミャンマーで乳がん検診を支援 メディヴァや亀田総合病院 2013/7/6付日経朝刊
・アジアと生きる① 
2013/11/19付日経朝刊
・「日本の医療を海外に輸出しよう」プロジェクトに採択 大石・ミャンマー報告 2012年10月15日
・戸崎光宏
「鬼に金棒」…優れた画像診断医+先端医療機器/戸崎光宏氏と永田浩一氏のインタビュー記事を読んで/亀田総合病院報「面会時間」から  2013年08月30日(金) 
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アメリカがベトナム戦争の泥沼から這い出すことができたのは、内部告発によって、国民が戦争の実態を知ったことが大きい。日本を太平洋戦争に導いた指導者たちは、日本がアメリカに勝てないことを示す情報を握りつぶし、国民を騙し通して、破滅的な状況に追い込んだ。

内部告発の有無が、国の明暗を分けた、ともいえるが、国会審議が始まった特定秘密保護法案は、この内部告発を抑え込むことを狙っている。

アメリカ国防総省が作成したベトナム戦争に関する極秘報告書、いわゆる「ペンタゴン・ペーパーズ (Pentagon Papers)」は、勝てない戦争の実態を詳細に分析した文書だ。
これを、1971年、執筆者の1人であるダニエル・エルズバーグ氏が「漏えい」したことで、世論が反戦に傾き、アメリカ軍のベトナムからの撤退につながった。

一方、日本を太平洋戦争に導いた東条英機首相は、日米の国力の差が戦争の行く末を決定することを知りながら、自ら時流に身を任せて、勝てない戦争に突き進んだ。
国の機関の総力戦研究所は、1941年(昭和16年)夏、日米開戦を想定した第1回総力戦机上演習をした。模擬内閣閣僚となった研究生たちは7月から8月にかけて、研究所側から出される想定情況と課題に応じて軍事・外交・経済の各局面での具体的な事項(兵器増産の見通しや食糧・燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携など)について各種データを基に分析し、日米戦争の展開を研究予測した。その結果は、「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」という「日本必敗」の結論を導き出した。
これは現実の日米戦争における(真珠湾攻撃と原爆投下以外の)戦局推移とほぼ合致するものであった。

この机上演習の研究結果と講評は8月27・28日両日に首相官邸で開催された『第一回総力戦机上演習総合研究会』において当時の近衛文麿首相や東條英機陸相(当時)以下、政府・統帥部関係者の前で報告された。
研究会の最後に東條陸相は、参列者の意見として以下のように述べたという。

「諸君の研究の勞を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、實際の戰争といふものは、君達が考へているやうな物では無いのであります。日露戰争で、わが大日本帝國は勝てるとは思はなかつた。然し勝つたのであります。あの當時も列强による三國干渉で、やむにやまれず帝國は立ち上がつたのでありまして、勝てる戰争だからと思つてやつたのではなかつた。戰といふものは、計畫通りにいかない。意外裡な事が勝利に繋がつていく。したがつて、諸君の考へている事は机上の空論とまでは言はないとしても、あくまでも、その意外裡の要素といふものをば、考慮したものではないのであります。なほ、この机上演習の經緯を、諸君は輕はずみに口外してはならぬといふことでありま「諸君の研究の勞を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、實際の戰争といふものは、君達が考へているやうな物では無いのであります。日露戰争で、わが大日本帝國は勝てるとは思はなかつた。然し勝つたのであります。あの當時も列强による三國干渉で、やむにやまれず帝國は立ち上がつたのでありまして、勝てる戰争だからと思つてやつたのではなかつた。戰といふものは、計畫通りにいかない。意外裡な事が勝利に繋がつていく。したがつて、諸君の考へている事は机上の空論とまでは言はないとしても、あくまでも、その意外裡の要素といふものをば、考慮したものではないのであります。なほ、この机上演習の經緯を、諸君は輕はずみに口外してはならぬといふことであります。」(参考:Wikipediaなど)

この机上演習の結果が、その後の国策に生かされていたら、せめて、情報が漏えいして、広く国民の知るところとなっていれば、その後の事態は変わっていたかもしれない、と考えると、内部告発の余地を封ずることを狙った「特定秘密保護法案」は、歴史の教訓を無視した時代錯誤の愚行としか思われない。

▽関連MyBlog
「秘密保護法について考える講演会」(館山コミュニティセンター)/かつての軍都は軍事機密だらけだった/「お家の人が怪しければ先生に知らせなさい」 2013年11月11日(月) 
生かされなかった「日本必敗」の予測/総力戦研究所設立に努力した辰巳陸軍中将/産経【歴史に消えた参謀】(22)から/湯浅記者の続報に期待 2010年08月01日(日)

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館山への帰り道。

昼飯を食べそこなったので、房総横断道路を走りながら食堂を物色。
あった!
駐車場に車を入れ、店に入ろうとしたら、戸が開かない。
なんと、「準備中」の札がかかっていた。写真①の右下
なら、暖簾は引込めといてもらいたいね!


写真①暖簾を出してるのに「準備中」?


腹を立てながら車を走らせてたら、右前方に「祗園駅」の表示が見えた。
車を降りて近づいたらかわいらしい木造駅舎があった。
時刻表を見たら、数分で久留里行が来るらしいと分かり、ホームで待つことに。


写真②久留里線祗園駅ホームで

写真③の左端に、去りゆく電車が小さく見える。

この辺りに、祇園精舎の守護神である牛頭天王・スサノオを祀る神社でもあるのだろうか。

写真③久留里線祗園駅舎


富津市鶴岡の国道127で、以前から気になっていた神社に立ち寄った。
古船浅間神社。
説明文を読んで驚いた。

この神社は、霊峰富士山に鎮座する「富士浅間神社」から分霊、分社したものと言い伝えられ、「木花開耶姫命」(このはなのさくやひめのみこと)が祀られている。
かつては標高200㍍あった山の頂に鎮座していたが、山砂採取事業で、東京湾埋立に削り出され、山は消えてしまった、という。
神社がふもとに移されたことについて、地元の人たちは“山の神”の怒りを恐れ、祈とうを繰り返したとか。(『読売新聞』千葉版、1986年5月15日)。

名水?あ・うん

境内の椿の花に、大きなスズメバチがもぐり込んでいた。

オオスズメバチか

宛てにしていた「竹岡ラーメン」も、火曜定休日でアウトだった。

▽関連MyBlog
2012年11月20日(火)



・けさ、霞富士を慌ただしく撮影/日没後は「恋人の鐘」越しにシルエットで/内房なぎさラインを道草ドライブ/館山ー木更津3-1
富士山や大島、フェリー…/夕暮れの内房なぎさライン/館山ー木更津3-3 2012年11月20日(火) 

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