法学事始ブログ

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憲法の基礎概念の一つが「人権」です。
人権をどのように捉えるか、これが憲法のキモといっても過言ではないと思います。

人権の2つの考え方

まず、人権と憲法上の権利はまったく考え方が違います。
憲法上の権利は人権にあたることを前提にそれが人権カタログに明記され憲法上保護されるとき、この呼ばれ方をします。
一方、人権は憲法において人権カタログに乗せられたものだけでなく、
憲法上保護される余地のある権利概念と考えればよいでしょう。
ちなみに基本的人権という表現は日本憲法学が生み出したこれらを峻別することなく曖昧に議論するタームでこの表現は現在排されつつあります。

そこで、人権について二つの考え方があり、
一つは質的限定説、もう一つが量的拡張説と呼ばれます。

質的限定説は
憲法上認められる権利をそもそも人権として認めるかという段階で限定してしまう考え方であり、
芦部、佐藤、樋口らはこちらに含まれ、通説だと言ってよいと思います。
人権概念が拡張したとき、それが憲法上保護に値するかについて、
あらかじめ、人権画定の場面で、憲法上保護に値せず、以後議論する必要はないとする見解です。
すなわち権利性の判断の重きを人権制約でなく人権画定の場にまわす考え方です。

一方、量的拡張説は
憲法上認められる権利をまずは人権として広く認めてしまい、
その権利に対する制限が認められるかという段階で限定を加える考え方をいいます。
人権概念の拡張に対し、それを「一応の(prima-facie)」権利として考え、
人権制約論の場面で、憲法上保護に値しないと考えることになります。
すなわち権利性の判断の重きを人権制約の場におき、人権画定にまわさない考え方といえます。
ただし、量的拡張説にたっても、質的限定を加えることはあり、
まずは裁判的救済を必要する程度には内容が明確で具体的なものになっていなければならない
と考えることはもとより、
殺人の自由などを人権として認めることまでは許すわけではありません(→新しい人権)

この対立が最も明確に表れる場が「新しい人権(13条)」であり、
また、審査基準として、二重の基準をとるか、三段階審査をとるか、
においても大きく表れているといえるでしょう。

どちらをとるかを答案上で明確にすることはありませんし、
どちらをとったとしても最終的には同じ結論へ至ることが可能なので、どちらでもかまいません。

ただ、質的限定説への批判としては、
憲法上の権利となるための前提たる人権画定の場面で、
保護に値しないと判断するのは基準が不明確であり、
人権制約の審査で要求される厳格な審査を潜脱しうることが指摘されており、
一方、量的限定説への批判としては、
人権概念を拡張しすぎることは、
類型的に強い保障を享受させるべきものを人権として定めた人権の価値を
相対的に下げることになることが言われています。

【参考文献】
・内野正幸 『国益は人権の制約を正当化する』「リーディングス現代の憲法」(日本評論社)
・宍戸常寿 「憲法 解釈論の応用と展開」(日本評論社)
・高橋和之 「立憲主義と日本国憲法」(有斐閣)
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