きんぱこ(^^)v  

  きんぱこ教室、事件簿、小説、評論そして備忘録
      砂坂を這う蟻  たそがれきんのすけ


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2014年11月9日(毎年11月の第二日曜)

嵯峨嵐山の清涼寺にて、太夫道中が見られます。

秋の紅葉を楽しみながら、古都島原の太夫さん道中を楽しむもいいですね。





(2012/3)


「抱いてくんなまし」


 2003年、キョンキョン(小泉今日子)扮する吉野太夫が上半身裸で背を向けて市川海老蔵扮する宮本武蔵に迫る。

 このNHKの大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」(第14回)のシーンに猛然と抗議したのは現存する島原の揚屋(お茶屋)である角谷(すみや)の保存会と地元自治会でした。

 その内容は

「一流の文化人だった太夫への偏見を招く」

 というものでした。

 
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土佐光興が描いた吉野太夫


 キョンキョン扮する吉野太夫は、宮本武蔵の頃だから初代吉野太夫なのでしょうね。

 吉野太夫でわかっているのは江戸初期の二代目の吉野太夫だけらしいです。

 10代続いたと言われる吉野太夫は、ほとんど情報が残っていません。

 二代目は化粧を落とした寝起きの顔でも絶世の美女だったらしいです。

 井原西鶴はこの吉野太夫を褒めて、一つだけいただけないとしたら髪の毛の生え際が少し薄いところだと言っています。

 そういえば太夫の世話をする少女が二人いるのですが、その二人を禿(かむろ)と呼びます。この漢字は今では「ハゲ」ですよね。

 太夫は禿の頃から芸を仕込まれて大きくなるわけで、まだしっかりと髪を結える量がないというところからハゲとなったと何かに書いてました。(ホンマケ? けど昔の人もハゲには敏感だったのでしょうかね)

 「太夫」は位の呼び名で芸妓・娼妓の世界では最高の地位の人です。

 中には朝廷から「正五位」の称号を貰った人もいたそうです。

 公家さんの世界では貴族と呼ばれるのは「従五位下」以上で、その人たちは殿上人になるわけです。

 だから正五位の位をいただいた太夫さんは、天皇陛下と直接会ってお話をすることが許されるわけですね。

 禿の頃から芸事を仕込まれて育つのは京都島原も江戸吉原も同じだったみたいですが、根本的な目的は違ったみたいです。

 江戸吉原は娼妓(つまり体を売る)さんで芸はその次、京都島原は芸妓(芸子とも言います)さんで「芸」を売る。

 先日も大阪で料亭をやっておられた女将さんと話をしていて、やはり「芸妓さん言うのは体を売るのとちごて、芸を売りまんねや」と言われていました。

 芸妓・娼妓の大きな違いなのでしょう。

 太夫さんともなれば、たとえ吉原の太夫さんでも簡単には体を許さなかっただろうし、中には一度も体を許さなかった太夫さんもあったそうです。

 そんな事情から、NHKの太夫さんの表現に対して、現存する京都島原の揚屋(お茶屋)さんが抗議したのでしょうね。

 現在京都の島原は西本願寺の裏手というか西側にあるのですが、静かな住宅街になっています。

 しかし、 角屋という揚屋(お茶屋)さんが一軒と輪違屋(わちがいや)という置屋さんが一軒だけ残っており、輪違屋に島原の太夫さんが3人おられます。

 下の女性は現役の如月太夫(きさらぎだゆう)さん。

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 島原の太夫さんと吉原の太夫さんの違いは、まずなにより芸妓さんが島原で娼妓さんが吉原。つまりどちらも芸達者ながら島原では芸を売り吉原は身を売るということでしょうね。

 さらに目で見てわかる特徴は下の画像のように 島原の太夫が付ける帯は「心むすび」と言われるもので、打掛の下は貴族を意識してか赤い襦袢を着るみたいですね。
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民族博物館より

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(吉原の太夫というか花魁)

 二代目の吉野太夫が有名なのはきっと旦那さんが当時有名だったからでしょう。

 京都の豪商の灰屋紹益と言う人で本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)と付き合いのある人だったそうです。

 彼女は日蓮宗だったので本阿弥光悦が土地を寄進した京都の常照寺にお墓があります。


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 太夫が気品高いと言うところは浅田次郎さんの「輪違屋糸里」にも出てきます。


 礼儀をわきまえない新選組の芹沢鴨に対して

「嶋原の太夫が禿の時分から血を吐く思いで身につける芸はな、白拍子の昔から千年も伝えられた、尊いもんどすのや。舞うにせよ謡うにせよ、お琴を弾くにせよ胡弓を奏するにせよ、芸事いいますもんは、お武家さんの槍や刀の術よりも、根っから尊い、かけがえのないもんどす・・・」

 と啖呵を切る下りでも伝わってきます。


 しかし、島原は京都の中心地からすこし離れていて、江戸中期からみなさんご存じの「祇園」の花街が発展してゆきます。祇園甲部、祇園東、先斗町に宮川町。

 苦しくなった店の人はどんどん祇園に引っ越してゆき、空いた店には格式の低い楼閣で埋まってゆきました。

 江戸時代後期以降の話です。この頃の太夫さんはつらかったでしょうね。

 芹沢鴨のような輩がやたらと増えていろんなトラブルがあって、昔から太夫を守ってきた置屋さんが必死に太夫をかばってきたのだと思います。

 なんでこうなったかと言うと、太夫はとても経費が掛かります。新三さんや禿を養わないとだめだし店も守らないとダメ。昔の客は参勤交代で地方の品格・礼儀のある金持ち大名でしたが江戸後期になると参勤交代も無くなりどこの馬の骨やらわからない、教養の低い、礼儀をわきまえない連中が偉そうに店にやってくるわけです。

 周りに楼閣が出来て客層が下がり、島原自体の格もどんどん下がって、躾や芸事で苦労してきた太夫には相当我慢がいったはずです

 

 そんなころに言われるようになったのでしょうか。

 

 日本三大遊郭 江戸の吉原に京都の島原、そして大阪の新町。


 NHKも芹沢鴨だったということでしょうか・・・。 私もこれを調べるまではそうだったかもしれません。(角屋さんスイマセン)


「角屋保存会」

http://www16.ocn.ne.jp/~sumiyaho/


角屋
http://kyoto-albumwalking2.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-d195.html


輪違屋

http://www5e.biglobe.ne.jp/~burarin/bakumatu32.html




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