京都、蓮台野(れんだいの)。
京都の嵯峨野(嵐山の近く)にある化野(あだしの:後に念仏寺が出来る)と同じく、いわゆる墓場であった。そこには立派な墓もあれば、無縁仏もあれば、墓石すらない死体もあったといわれる。
蓮台野は、今で言う金閣寺や北野天満宮より少し北に位置するところにある。まだ金閣寺も天満宮さえも無かったころのことである。当時は荒れた野原で無数の墓があった。中には墓すら無く死んだ人間の体は朽ちろうとも行き場のわからない魂がさまよう場所であったといわれる。
何時の頃か、この蓮台野に土蜘蛛が住み着いたという。土蜘蛛は都人を見つけると、化粧(けしょう:おばけ)に化けて騙し取り、自分の巣に持ち帰って食っていた。
これを耳にした平安朝廷は、この土蜘蛛を退治すべく源頼光(よりみつ:能舞台ではライコウと呼ぶ:清和源氏の始祖源 経基の孫)と、嵯峨源氏の渡辺綱(わたなべのつな)を筆頭にした頼光四天王や、藤原保昌を蓮台野に向かわせた。
≪ここからは私なりにアレンジした物語です≫
胸腰ほどに生い茂る野草の中に、蓮台野へと向かう一本の道とはいえない獣道があった。渡辺綱を先頭に一行は京都の野道をゆっくりと北へ向かう。やがて野草は夕焼けで朱に染まり、とうとう景色はモノクロームの黒いフィルターに覆われた。
蓮台野に近づくにつれて、一行の足元に髑髏(されこうべ)や骨が目立ってきた。
辺りが闇に包まれて、三日月の光が微かに青白い景色を映し出し始めた頃、所々に白い光が飛び出した。
「綱(つな)よ、あれはなんであろうか」
「わかり申さぬ。我々を誘うているようにも思えまする」
「されこうべでござる。」
「綱(つな)よ、付いて行こう」
髑髏(されこうべ)の誘う先には、小さな草庵が建っていた。
「こんな所にたれが住むのか、入ってみよう」
用心深く腐りかけた戸を開ける。中は闇一色。しかし何かが動く気配がした。
「たれぞ!」
渡辺綱は名刀髭丸(後に源頼朝が持ち、現在は北野天満宮が所蔵)を抜いて下段八双に構えた。高窓からわずかに入り込む光に、髭丸だけが反射した。
「たれぞとは何を申す、おぬしらこそ勝手に入り来たるとは」
闇のなかから、老婆の声がした。
「ばぁ、ここで何をしておる」
「何をも無し。わしはここに生まれて290年、おぬしらの子々孫々まで存じておるわ」
「それならば問う。近頃この地に土蜘蛛が出ると聞く。我々はそれを退治にやってきた。」
「土蜘蛛、フォッフォッフォッ、ここは土蜘蛛どころか魑魅魍魎(ちみもうりょう)の地。なんでもおるわい。東の岩の丘に行ってみるが良い。どうせ帰ってはこれまいて。それより、わしは長く生き過ぎた。もうこの世に未練は無い、そこもとの剣でわしを斬ってくれ」
「この剣は女子供は斬らぬ、婆よ生きよ。おのおの方土蜘蛛は近くにおるはずじゃ、見つけたれば声をかけたまえ」
頼光はそういって庵を出た。
「ん!」
シュッ。
剣が空を切る。草むらから黒くて目だけが光る丸い物体が飛び去った。辺りを鬼火が飛び交い遠くに狐火が走る。「ギャー」、鳥とも思えぬ声が飛び風も無いのに草が鳴く。あたりで物の怪が騒ぎ出しまさに百鬼夜景。
頼光は、婆が言っていた岩の丘へと近づいた。小さな泥池のほとりにしだれ柳が生えていた。柳の周りには草が無く、誰かの気配がした。よく見ると麗しい女性が立っていた。
「もし、こんな所に、どうなされた」
頼光は声をかけて近づこうとした。女は動かず、おびえたようにうつむいていた。
「そこにおられよ、助けに行く」
頼光が女に近づこうとした時、渡辺綱が追いついてきた。
「頼光殿、またれい!そこは岩穴じゃ、待ちなされい!」
渡辺綱の太い声に立ち止まった頼光。それと同時に目の前の光景が変化した。
頼光はとっさに刀を逆袈裟に切り上げた。女は土蜘蛛の姿に戻り岩陰に逃げようとする。目の前の蜘蛛の巣は切り裂かれ、返す刀で土蜘蛛に斬りつけた。
ガキーン。
「うーむ。無念、取り逃がした。」
手ごたえを確かに感じた刀は、しかし岩に当たって剣先が折れてしまった。頼光の傍を渡辺綱が走りぬけ土蜘蛛を追った。折れた刃先は無く、かわりに土蜘蛛の血であろうか青白く光る液体が洞窟の奥へと消えている。
「綱(つな)よ、皆を呼んでこの後を追って行こう」
洞窟を進むと沢に抜けた。青白い血は闇夜の中で薄っすら光り、沢伝いに上ってゆく。一行は青白い血を頼りに用心深く土蜘蛛を追った。
「剣はあるか」
四天王の一人が頼光に剣を渡す。頼光は羽織を脱ぎ、木の枝先にかけて枝を手に持ち、前方に突き出しながら歩き始めた。一行は後に続く。
やがて小さな滝があり、滝に沿って青白い血が流れ落ちていた。
ポトポトポト、パチパチパチ。
水が滴り岩を打つ音が静かな森に鳴り響く。
ポポポポ、パチッパチッパチッパチッ。
バッ…。
突然木陰から無数の白い糸が吹き出した。
「うおっ!」
白い糸は枝にかけた羽織に絡みつく。そこへ木の上から土蜘蛛が飛んできた。
羽織に食いつこうとする土蜘蛛に頼光の刀が一閃、二閃。
「げぇーっ」
頼光に斬られて倒れた土蜘蛛は、苦しそうに口から物を吐き出し始めた。身の丈3mはあろうか。
松明を近づけると、物は過去に飲み込んだ都人の死骸だった。吐き出された死骸は沢を伝って川下へと流れ出した。その数1990人。
頼光はとどめを刺すべく、土蜘蛛の腹を斬った。
「うおおお、なんと…」
斬られた腹から無数の小さな土蜘蛛があふれ出てきた。
「早く燃やせ!」
無数の土蜘蛛に向けて小枝を投げつけ松明を投げつけた。
炎は見る見る大きくなり、巨大な火と化した。
ギーッ、ギャー。
オレンジに輝く火の中を無数の土蜘蛛が叫びながら消えて行く。
全ての土蜘蛛が消える頃、炎の奥に薄っすらと青い空が現れてきた。
以上は「土蜘蛛草紙」を元にワタシが少しアレンジした物語。
これは、能の物語にもなっています。
他にも土蜘蛛の話は沢山あります。
第3章は「鬼」の物語を書きます。 時間があればお付き合いください。