サイパン戦最後の投降部隊 大場隊 | 太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し

サイパン戦最後の投降部隊 大場隊

1945年12月1日 午前9時

サイパンに米軍が上陸したのは1944年6月15日

その年の7月9日に米軍によるサイパン占領

実に1年と5ヶ月ものジャングル生活を続けた日本兵

512日にわたって、米兵たちを出し抜き、あるいは裏をかいて自在に米軍を翻弄し続けた

終戦後には日本全面降伏のビラが空から降ってきた時も自決か、投降か、最後の玉砕突撃か・・・迷ったであろう

しかし彼らは生きることを選択する

そして隊長大場栄大尉は天皇陛下の命令として山を下る。という解釈であった



大場大尉は歩兵第18連隊の衛生隊大尉であった
輸送中に魚雷を受けて海没し、船の重油の中を泳いで火傷しながらも救助された部隊です
この時に2000名以上の死者をだし、
米軍上陸時には136連隊を援護するためオレアイ海岸にての激闘と、
その日の夜の何度も行われた夜襲を敢行して殆んど全滅に追いやられた部隊です

この大場隊長のゲリラ活動は後にアメリカ兵を感動させるまでの勇敢さであった
証言では、このような綺麗ごとではなかった
本来はもっと陰惨で、暗く、不衛生だったと言ってますが、
当時サイパンにいたアメリカ兵は日本人に勇敢さを見たに違いない


「タッポーチョ」敵ながら天晴(あっぱれ)大場隊の勇戦512日
著者ドン・ジョーンズ
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この本の著者ドン氏は海兵隊としてサイパン戦に参加していた
大場隊の不屈の戦いぶりに感動した一人である
山を下りた日の夜には、米軍による歓迎パーティーが催されたぐらいだ

昭和40年、著者ドンは突然、大場大尉に電話をかけた
そして毎年大場のところに訪れるようになり
この出来事を正確に伝えるために小説を書くことを伝えられた
だから質問に答えて欲しいのがドンの願いだった

大場は最初は拒絶をしていたが、この出来事を歴史のページからもみ消されるべきでないと考えるようになった
しかし思い切ることができないでいた
そんな彼を動かしたのが、投降の際に手渡した軍刀であり、妻の峯子さんの後押しであったのです
遂には説得に応じ語り始めたのです


主な部分はほとんど正確であるためお勧めの一冊です


今日は大場隊の山を下りる前夜と当日の模様を紹介しましょう





陸軍少将天羽馬八の署名が入った降伏の命令書を受け取ると
大場は、タコ山にいる全員が読めるように洞窟近くの木に掲げ
部下全員が読めるようにした
そして12月1日に備え、身だしなみを整えるように命令した

前日の11月30日の夜
野営地では焚き火が焚かれ、最後の食事の用意をした
材料は全て米軍から盗んだ缶詰だった

出来立ての椰子酒のビンが何本も空けられ、サイパンの思い出やこれからの生活について
果てしなく語り続いた
そのうちに歌が始まり、歩兵の本領を何度も歌った

夜が明けると全員起床し髪を切り、髭を剃り、新しい軍服に身を包んだ彼らは
見違えるように軍人らしかった

大場が外に出ると、思わず立ち止まった
整列していた兵士たちの前に、目にも沁みるような白地に赤の大きな国旗が
風になびいて、へんぽんと翻っていたのである
一辺が2メートルもある
この日のために依頼しておいたものらしい
これを長い棒に結びつけて広瀬兵曹長が捧げ持っていた

思わず感動に胸をつまらせ、不動の姿勢を取り、赤く輝く日本の紋章に
長い、思いのこもった敬礼をした

田中少尉の「軍装検査の準備、終わりました」の報告があり
大場は一人一人の前で立ち止まり、その顔を焼き付けるようにじっと見つめた
この兵隊たちとのつながりが今終わろうとしていると思うと
奇妙に悲しかった

「私は今日まで諸君とともに軍務を遂行できたことを誇りとする」

「諸君は見事に戦った。遺憾なく武士道精神を発揮した。しかし、諸君も承知のように、戦いはすでに終わった。このサイパンにおいて、わが軍は玉砕し、ほとんどの戦友が戦死したことを考えると、誠に断腸の思いであるが、天皇陛下の御命令により、ただ今より戦いを終結する」

「諸君は、最後まで戦い続けたことを誇りとし、爾後は、健康に留意し、一日も早く祖国に帰り、新生日本の建設に邁進せられんことを望む。ここに天皇陛下の万歳を三唱する」

「天皇陛下万歳!」

「バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!」

明るく、中には涙をたたえて、全員の万歳三唱が終わったとき、大場は言った

「ただ今より、慰霊祭を執行する」

以前、僧侶だった内藤は祖国のために命を捧げた戦友たちにお経をあげた
全員頭を下げ、彼らの生涯で短くあったが、測り知れない役割を果たした戦友たちのことを、それぞれ偲んだ

読経が終わると「弾込め!」と号令がかかり
「撃ち方用意!」全兵隊は銃口を斜め上に向けた
「撃て!」大場は更に二度繰り返した
40人以上全員が一斉に発射した銃声は山から山へこだました


大きな日の丸を掲げた広瀬兵曹長を先頭に
第一小隊を率いる田中少尉が続き、豊福曹長を先頭とする陸海軍混成小隊が後に続いた
大場は土屋と共に最後を歩いた

元気な田中少尉は「歩調を取れ!」と号令をかけ
「軍歌!歩兵の本領」と声を張り上げた
このようにして47名の大場隊は行進しながら山を下りて行った
ジャングルを出てアメリカ兵が銃を持って整列しているのを見ると
軍歌は更に大きな声で張り上げられた


アメリカ兵は彼らの行進を見てポカンと立ちすくんだ
そして持っていた銃を下におろした
大場がジャングルを出た時、アメリカ兵の様子を見て
軍歌が大きくなった意味をすぐに理解し、部下たちの勇気に微笑んだ
この瞬間ほど、彼らを誇りに思ったことはなかった

広場につくと田中と豊福はそれぞれ二列横隊に並べた
大場は「銃を置いて、三歩退げよ」と二人の小隊長に言った
二人が吠えるように声を上げると
二つの小隊は、まるで一人の人間のように銃を地上に置き三歩退がり直立した

大場はルイスの前へ進み出た
二人は思いに打たれて互いにしばらく見つめあった
大場の軍刀がルイスの顔の前を走ったとき、ルイスはおもわずたじろいだ
しかし、大場は刀の切先を空に向け、柄を額にあてて、ルイスに敬礼したのだ

ルイスは手を挙げて答礼しながら、急にこみ上げてくる感動に胸をつまらせた

ルイスは右手を下ろすと、その日本の英雄が差し出す軍刀を受け取るために、両手を伸ばした



時に1945年12月1日午前9時