生きてくのってツラい | たらればの世界

生きてくのってツラい

夕日がやたらと赤い日だった。いつものように、私たち帰宅部は教室でありとあらゆる意味のない話題で時間を空費したあと、そろそろ喋るのも口が疲れたなと思いはじめているくらいの時間だった。窓の外を眺めているエミのブラウスが真っ赤に染まっていた。
窓の外から、いつもの単調な野球部のかけ声がきこえる。私たちはいつもこうやって放課後に教室でダラダラしながら、帰宅部のただしいスポーツマンシップにのっとって、「身体動かすのなんて勘弁してほしいのにな」「あんなに汗かいてなにが面白いんだろうな」、なんて空虚の目を向けながら、あのかけ声をBGMにダベりにダベっていた。だけど、立ち上がってリュックを背負ったときに見えた、グラウンドのあの反復練習の姿は、自分たちは理解できないものの、ある意味青春というものを謳歌しているひとつの形で、「私たち自堕落な生活を送っているものには、とうてい感じることのできないものなんだろうな」と、ココロの一部では、それに嫉妬のような感情を抱いた。
だけど、エミはグラウンドではない、どこか遠いほうをみていた。
「生きてくのってツラいな」
エミがささやいた。
たしかに、これまでの文脈を無視した発言にギクリとはした。でも、エミのことだから、たいした心配をしなくても、食べて、眠って、でなんとかなるタチのコだから、まあ、正直、面倒くさいなって思いもあったし、スルーしてもよかったんだけど、それはさ、
「どうしたの?」
って訊いておくのが、ただしい友情じゃないかな。
そして、友情に真面目な私。
――私、湯崎あかね先生の「虹」って作品が好きなの。
「え? 先生?」
そう、知らないでしょ。「虹」は、『いつの日にか』って短編集の中に入っている作品で、2年前くらいに出た本なんなんだけど、私、それがものッすごく好きなの。
「え、知らないけど」
そう。知らないでしょ? 私のね、人生を変えたっていうか、いや、私まだ未成年だから毎日けっこう変わってるんだけど、湯崎先生の話ししても、だーれも知らないの。作品どころか、名前すら。私の人生変えるてるヤツだよ。私に人生の奥深さを教えてくれたヤツだよ。
「え、そうなんだ……」
で、やっぱりユウも知らなかった。あのマンガ。
「え、それマンガだったの?」
――そう。
「あ、てっきり小説かと」
――ううん。
「うん、でもさ、エミ、小説ばっかで、マンガあんま読まないって云ってたじゃん」
――湯崎先生はべつ。
でさ、こんなに面白い漫画を描いているのに、だれッも知らないの。アリサも、サヤも。あり得なくない?
「え、いや、私も知らなかったし」
たしかに、メジャーな雑誌のマンガじゃないよ。湯崎先生、単行本もあんまり出してないよ。だけどさ、いちおう月刊だし、載ってる作家ツブ揃いだし、たとえばヤグチとか、イマムラとか、「ちょっとマニアックな作品でも網羅してますよー」系の、はッ、いや、それ半分以上オタクですからって連中でも、一概に「知らない」って云うんだよ。
「え、まあ、そりゃ、仕方……ないんじゃないの?」
でさ、私が高校卒業して、大学でて(もちろん受かるよ)、それで、ちいさいころから夢だった雑誌編集者になったとして、結構いろんな雑誌の発行にかかわったとするわけ。もちろんさ、渋谷とか、原宿とか、銀座でもてはやされる系の、超メジャー雑誌じゃないかも知れないよ。でもさ、形に残す仕事をしているわけ。その業界では一目おかれる編集者なわけ。だけどさ、それってさ、結局は渋谷とか、原宿とか、銀座でもてはやされる系の雑誌の影に隠れて、陽の目を見ないんだよね。
「え、予言の話?」
だからさ、湯崎先生の作品、すッごく面白いのに、メジャーの、本屋の一番目立つところに置かれてる雑誌の影に隠れちゃって、みんな知らないんだ。その雑誌、ちゃんと駅前の本屋に置いてあるのにさ。
「あ、そうなんだ……」
湯崎先生だけじゃないよ。ほかにも、メジャーなのには描いてないけど、面白い作品かいてるひとたくさんいるんだよ。
それはさ、たしかにメジャーじゃない。内容もさ、ドーンってでっかく広告出たりして、いろんなものとメディアミックスしたりして、老弱男女みんなに受けるような作品じゃないよ。だけどさ、いわゆるハリウッド映画じゃなくて、ヨーロッパとか、南米とか、なんかすごくいい映画ってあるじゃん。そういうのって、メジャーの影に隠れちゃってるけど、賛否両論あるけど、絶対なくなっちゃダメじゃん。
「あ、えと、よくわからないけど」
でさ、ハリウッド行くのって一部の監督だけだって。興行収入たたき出せるの、ほんの一握りの天才クリエイターだけだって。ほかはさ、お金にならないかもしれないけどいい作品つくろうって、見てくれる人のために全力を尽くそうって、そうなるわけじゃん。
「え、エミはメジャーじゃない雑誌を作りたいの?」
ううん、違うよ。売れたい。
だけどさ、私、天才じゃないでしょ? 多分、一握りの天才クリエイターにはなれないんだ。影に隠れたところで、いぶし銀の、いい作品つくろうって、たぶんそういうところに活躍の場を求めていくタイプなんだ。
「あ、そうなんだ……よくわからないけど」
でもさ、メジャーじゃないところにも、いい作品がたくさんあるんだよ。それをさ、みんなにもっと知ってもらいたい。自分で探していかないと見つからないものだけど、いい作品って、じつはたくさんあるんだよって、みんなにもっと知って欲しい。そして、影に隠れて、いい作品をつくろうと必死に成って頑張っている私の姿を、どうか見て欲しい。応援して欲しい。ほんのすこし「がんばって」って、励まして欲しい。だってさ、売れなかったらクリエイターは食べられないんだよ。いい作品ができなくなっちゃうんだよ。私だって、夢をあきらめちゃったりするんだよ。
「え、あ。で、『生きてくのがツラい』んだ……」
「そう……」
「あ、そうなんだ……」
私たちがお喋りの延長戦を(のぞんでないものの)続けているあいだに、いつのまにか野球部の声はやんでいた。
「帰ろっか……」
「あのさ……」
「え、なに……?」
「私、昨日タカシにフラれた」