ことり の愛を伝えるお話し

愛を伝えることをテーマにメッセージエッセイを発信しています。


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愛する家族である動物達が若くして亡くなった時、「こんなに早くに逝かせてしまった」と自らを責めてしまう人は少なくありません。

本来ならもっと生きられたはずなのに…
楽しく幸せな時間をもっともっと過ごさせてあげれたはずなのに…
と、嘆き悲しみます。

そして、自分が至らなくて命を縮めさせてしまったのではないかと苦しみ続けます…


長生きしてくれて、老衰での大往生の果てのお別れならば、どんなに悲しくとも、どこかで「天寿を無事全うさせることが出来た」という、その命とその生涯に責任を果たせた安堵と納得を持てるものです。

でも寿命というにはまだ早い年齢でのお別れは、同じ別離の悲しみでも後悔と自責の念という苦しみが上乗せされてしまうのです。


それがどれほど苦しいか…身を裂くほど、もがくほど、息も出来なくなるほど…亡くした存在への愛が深ければ深いほど、その苦しみは筆舌尽くしがたくなるものです。

そしてその苦しみは時が経っても消え去ってはいきません。生涯忘れ得ぬ悲しみとなって心の奥に刻み込まれます。

その子と共に過ごした時間がどれだけ幸せで尊いものであっても、そうであればあるほど、過ぎた日の思い出は感謝よりも悲しみが先立ってしまうのです。

だから無理に全てを心に封じ込めて、思い出すことすら避けようとしてしまう…幸せだった日々すらも。


鑑定でもそんな苦しみの中におられる方からのご相談も少なくありません。
先日もそんな方々からのご相談が続きました。

その内のお一人に、障害を持って生まれたインコの雛を引き取って、家族として暮らしてこられた方がおられました。

けれどある日、突然その子が息を引き取ってしまいます。まだ2歳でした。人間で言うと二十歳位の若くしての死です。

障害のための不自由をケアしていた時の原因不明の突然死でした。

青天の霹靂のような予期せぬ突然の別離に、その方もご自分を責め、混乱と慟哭の中におられました。


「自分のせいで死なせてしまったのではないか」

「あの子はもっと生きたかったと悲しんでいるのではないか」

「私があの子をあの時(ペットショップで雛達の中から)選んでいなければ、別のもっと良い方に飼われていたのではないか。そうしたらあの子はもっと長生きしていたのではないか。うちに来てしまったがために、私があの子を選んだばっかりに不幸にしてしまったのではないか…」と苦しんでおられたのです。

それは恐らく、愛する家族である動物達を若くして亡くされた方の多くが同じように抱いてしまわれる思いなのではないでしょうか。


でも霊視すると、この子は目に見えていた表面的な障害だけでなく、見えない部分、つまり身体の内部にも障害があって、心臓にも元々何らかの問題があったようなのです。

直接の死因もこの心臓の疾患に起因するものだったのではないかと感じます。


「あの時ああしていなければ」と彼女は激しい後悔に自分を責め続けていましたが、例えそれがその時じゃなくとも、遅かれ早かれ、お別れの時は近いうちに来ていたのです。

なぜなら、本来ならこの子は2歳までも生きられない身体だった…
ここまで生きられたこと自体が奇跡なくらいだったのです。


また、彼女は「自分が選んだばかりに早死にさせることになってしまったのではないか」とも苦しんでおられたけれど、それも違うのです。全くその逆なのです。

彼女がこの子を選んでいなければ、障害ゆえに、他に家族に迎えてくれる人も出ては来ず、ペットショップの人も途中で育てきれなくなっていたでしょう。
この子は雛のうちにほどなくその命を終えていたはずなのです。

障害を承知で、彼女がこの子を選んだことで、この子は救われたのです。


「あなたが引き取ることで助けたのですよ。生かしたのですよ。」と天からの言葉を彼女に告げると彼女から嗚咽が漏れるのでした。

そう…
彼女はこの子を選んだ。
そして大切な家族として迎え、愛してきた。
本来生き長らえないはずだったこの子に、彼女の愛こそが奇跡を与えたのです。
愛されることで、そして幸せを与えられることで、この子の肉体に生きる力を生じさせたのです。


それに、障害があることをわかっていながらも、彼女がこの子に惹かれ、この子を選んだのにもちゃんと理由があるのです。

選ぶべくして選んだ。それは出会うべくしての出会いだったのです。

彼女に再び会うため、再び共に暮らすため、この子は生まれてきたのですから。

愛の絆は永遠…
過去から時空を越えて、また再び…


それは彼女の2つ位前の過去世。部族ごとに各々狩場を持っていたアジア大陸の狩猟民族。
精霊と祖先の霊を敬う(うやまう)ことでの信仰心を持っていた部族に、かつての彼女は女の子として生まれます。

少女は小さい時から一羽の鶏を友のように可愛がり、大切な家族として共に暮らしていました。
それがその鶏の名前なのか、鶏という意味の言葉なのかはわかりませんが、「カーワン」だか「クーワン」だかと、その鶏のことを呼んでいたようです。

そしてその鶏も、少女のことを親のように思い、慕っていました。

よく周りの者達が、からかい半分で「そのトリ、早く食おうぜ」と言ったりしていましたが、少女は「絶対この子は食べない!」と愛情を持って育てていたのです。

そこの当主、つまり部族の長も、「このトリは、精霊がこの少女に もたらしたものだから、この子の言うことを尊重して決して食べるな」と皆々に言い渡していました。

そのおかげで、少女と鶏は仲良く幸せに暮らしていたのです。

でも少女が6歳位の時、他の部族の襲撃により、この少女の部族は皆殺しの目に遭って全滅してしまいます。少女も犠牲になりました。

誰も居なくなった場所で、生き残った鶏はしばらくうろうろして少女を探し続けました。
そしてもう二度と現れることのない少女をいつまでも待ち続けました。

その後、この鶏がどうなったはわかりません。
ここで情報が途絶えたので、きっと、大好きな人が居なくなってしまった悲しみの中で、ほどなくこの鶏も生涯を終えたのではないかと思います。


愛する存在に先立たれ、後に遺される者は、恐らく先立つ者よりずっとずっとつらい…

愛する人を亡くした悲しみが魂にも深く深く刻まれ、後々の生までも影響を及ぼす例は少なくないことを、日々鑑定を通じ感じています。

そしてそれは人間であれ動物であれ同じ。

この鶏の子も、突然ひとりぼっちになってしまった悲しみがその生涯の最後に魂にまで深く刻まれたのでしょう。
この子にとって少女は、後にも先にもこの世界でただ1人の家族だったのですから。

鶏がそんな感情を持つのかと思われる方もおられるかもしれませんが、動物達にも心はあるのです。心の無い存在など居ない。


この子は魂の意思で、もう愛する者が居なくなってしまう悲しみは二度と味わいたくないと思った…

だからいつか再び少女と暮らせる時が来たら、そのときはもう遺されたくないと思った…

でも、もし次も自分が少女と暮らしてきた月日の時間以上に長く生きてしまうと、また突然少女が自分の前から居なくなってしまうかもしれない、とも思ってしまった…


この子には本来の人間の寿命だとか、不幸な出来事によって少女が幼くして命を失うことになった事情だとかはわからなかったから、ある期間が過ぎると少女が突然居なくなってしまうという捉え方をしてしまったのでしょう。

この子にとってのその期間とは、少女と共に暮らした時間。

それが、この物質界の時間での2年位だったのでしょう。

だからこの子はそれより短い生を次の世に望んだ。

この子が今世、障害のある身体で生まれてきたのは、自ら2年という期限の肉体を選んだからだったのだと思います。

そして今世でのその生を終えた今、この子から悲しみの感情は伝わってこない。むしろ、満足して共に暮らせた喜びに輝いている。

だって、今度は、愛しい人の手のぬくもりの中で優しく抱かれ(いだかれ)、その生を終えられたのですから。

愛する人が居なくなる、あんな悲しみをもう味合わずに済んだのですから。

今度こそ、ずっと最後までいっしょに居れたのですから…

若くして死なせてしまったと彼女は自らを責めていたけれど、この子はちゃんとこの生での本望を果たせたのです。


動物達って、生まれ来る理由が人間ほど複雑じゃない。
言ってみれば実に単純明快ストレート。特に人間と関わるために生まれて来る子は…

ただ共に暮らしたい。いっしょにいたい。助けたい…
愛する人のためだけに、愛する人の側にいるためだけに、純粋にそれだけなのです。

この子も本望を果たせた今、本当に幸せな思いでいるのです。

もしペットショップで彼女がこの子を選んでいなかったら、この子は生き長らえなかった。それは定めだった。なぜなら、彼女と共に暮らせなければ、この世に生まれて来た意味が無くなるから。

でも魂の望み通り、この子は彼女の元にたどり着けた。

それは彼女とこの子の間に繋がる「永遠の愛の絆」という、強く引き合う真の縁の糸が結ばれていたから。

そしてこの子の魂の望みを叶えるために天も導きを助けてくれていた…

彼女がこの子を選び、共に暮らし、愛を与えたことで、この子の肉体に生命力が吹き込まれたのは、彼女と生きることこそがこの子の生まれ来た理由だったからなのです。
それは、彼女の元にたどり着いた時に、この子の魂と肉体に初めて命が宿ったようなものだったのです。

そして例え障害のある身体であったとしても、この子は幸せだった。障害の不自由さはこの子にとって、大きな問題ではなかった。
彼女の愛が不自由さも不自由にさせない奇跡をこの子に与えてもいたのです。

そうです。全てはちゃんと理由があり、全ては繋がっているのです…


「もっと生きたかったと悲しんでいるのではないか」という彼女の苦しみへの答は、この子からすれば「もう何の悔いもあるはずがない」です。

ただ1つあるとすれば、彼女が悲しむことです。だから死後のこの子の魂は一生懸命、彼女を元気付けようとしていた。

イメージで出てきたのは、彼女のまわりを蝶々のように飛び回る姿と、彼女にキスをするように寄り添う姿でした。

それがこの子が私に伝えてくれた想いのビジョンなのです。

それを聞いて、彼女が教えてくれました。生前この子はいつも蝶々みたいな飛び方をしていたことを。

蝶々のように飛び回るイメージから伝わってくるのはこの子の喜びや楽しい気分。そして彼女への愛。

生前も死後も何も変わらないのです…



続く

※お話しはまだ続きますが、長くなるので、一旦ここで続きとします。次回、天がくれたメッセージをお伝えします。
これは愛する家族である動物達を若くして亡くされた全ての方々にお届けしたいメッセージでもありますので、一週間以内に公開予定で頑張ります。




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当ブログでは、かねてから動物達の魂のことをお伝えする機会も多いため、日頃から、愛する動物達を亡くされた方達にもよくご拝読頂いております。

先日も愛鳥を亡くされた方から、動物達の死後について書いた数年前のメッセージにコメントを頂き、感慨深いやりとりをさせて頂きました。

その中で、霊体が見えるという小学生の息子さんが語られたことも綴って下さっており、此度その方(仮名称)Aさんと交わさせて頂いた一連のやりとりは、同じように大切な家族であった動物達との現世での別れに悲しむ他の多くの方々へも、何らかの救いの糸口を見いだして頂けるきっかけを与えてくれるのではないかと感じました。

しかし数年前のメッセージのコメント欄での掲載となるとどうしても目に付きにくいやもしれず、今回この場でもご紹介させて頂くことに致しました。

少しでも、そしてお一人でも多くの別離の悲しみの中にある方の、お力と成りうることを願って…


以下、コメント欄より貼付

桜桜桜桜桜


クラブ(仮名称)Aさんからクラブ

昨日、飼っていたセキセイインコが亡くなり、死に目にも会えず、後悔と、寂しい思いをさせてしまってごめんなさいの気持ちで一杯の中、どこかにきっと元気でいると思いたくて色々なサイトを見ました。
そして、こちらのblogにたどり着き、一番、納得できて、一番癒されました。
しばらく辛い日々ですが、見守ってくれていると信じられるような気がします。
素敵な記事を、ありがとうございます。



ハートことりからの返信ハート

インコとの別れを書いたシリーズもありますし、愛犬との別れを書いたいくつかの話の中にも、肉体は無くなっても魂はちゃんとあることがわかるエピソードがありますので、お目を通して頂ければ、少しはお悲しみを和らげて頂けるのではないかと思います。

ちなみに愛鳥との別れと彼の死後、彼の支えによって悲しみから抜け出せるまでを綴ったシリーズは2010年の10月の確か「一番大切なもの」とかというタイトルの話から始まっています。



クラブAさんからの返信クラブ

何度も申し訳ありません。一番大切なもの、期間限定の命①②、夢で会えたらなど、インコちゃんとのお別れを綴られた記事の一連を、早速読ませていただきました。

うちの子は○○というセキセイインコの女の子ですが、ピーヒョちゃんと全く同じ美しいブルー羽を持っていました。写真を見て、そして「この部屋にお前の姿がなくなって、お前のあの輝く青空のようなスカイブルーの色も消え、私の心にも青空がなくなってしまったように思えている。」ということりさんの言葉が、今の私の胸の内と重なって、ずっと涙が止まりません。

昨夜は悲しくて夜中も涙が止まらずずっと眠れなかったのですが、目を閉じていたのに小さくて白いシルエットが羽ばたいているように動いて見えました。もう一度会いたかった、という気持ちが妄想を生んだのかもしれませんが。

11歳の息子は、霊体が見える体質で、死の数時間後から、庭を飛び回ったり私の肩や腕に止まっている○○が見えているようで、今は一番会いたかったママに会えているから、もう大丈夫。もうすぐあっちの世界に行くけど、ずっとママのそばにいる。ママがさびしがると○○も寂しがるから、もう泣いちゃダメ、と言われています。

今は元気でさびしくない、という息子の言葉だけが救いですが、私には何も見えないので、信じたい けれど本当だという確証がほしい、という気持ちでいました。

ことりさんの記事を読んで、きっと本当に○○はずっとそばにいてくれるし、幸せでいてくれるんだ、と心から信じられるような気がしました。

本当に、ありがとうございました。

ことりさんのブログは愛に溢れていますね。
これからも、拝読させてください。



ハートことりからの返信ハート

視えた!っていうタイトルのお話しも読んでみて下さいませ。一連の後にあります。




クラブAさんからの返信クラブ

重ね重ね、ありがとうございます。視えた!の記事、読ませていただきました。

息子が見えるという光の玉は、やはり本当なのだと思えました。

きっとそばにいると信じていても、やはり今は何をしていても涙がこぼれてしまいます。

当分この重く苦しい気持ちは抱えたまま過ごすことは覚悟していますが、ことりさんのブログを読んで、幸せな思い出を残したまま、立ち直れる日がきっと来ると思えるようになりました。

意識や視覚で、別の世界に逝ってしまったペットたちとコミュニケーションが取れることりさんがうらやましいです。

いつか、○○が遊びに来ていることを感じられることを願うばかりです。

ことりさんのブログにたどり着いたのは○○の導きなのでは、と思っています。

同じブルーのセキセイインコ ピーヒョ君が、連れてきてくれたのかな、などと想像するだけで、うれしくなります。

ありがとうございました。



ハートことりからの返信ハート

正確に言えば、○○ちゃんの守護存在あるいは貴女自身の守護存在、あるいは貴女自身の魂の導きでしょう。

通常は死後間もない彼らにはまだそんな力はありませんから。

貴女が此度、ほんの少しでも悲しみから救われるきっかけを導かれたのは、今まで○○ちゃんに愛情をかけ、家族としてお世話してきた無償の献身への天からの感謝です。

貴女をねぎらい、いたわり、感謝し、○○ちゃんに代わって、貴女を悲しみから救おうとしてくれているのです。

そして平均的に数ヶ月から半年後位に、完全に天に戻り天の存在となった亡き子から改めて感謝の恩返しが天を通じてもたらされます。

それは貴女のこれからの人生に大きな力を与えてくれる恩返しです。

魂が真に望む幸せな未来への導きともなるでしょう。

かけた無償の愛が大きければ大きいほど、それは大きな力になって返ってくるものです。

(ちなみに、言い換えれば、例えばいい加減な飼い方をして愛情をちゃんと持てなかった飼い主には、いくら恩返しを期待しても、自分の行いの結果のものしか返ってはこないのです。飼えなくなったと捨てたり、動物管理センターに持ち込み他者に殺処分させたりする行いは、結局自分の魂を苦しめることになるでしょう。…言うまでもありませんが。)


愛っていうのは最強です。無駄な愛なんてのは無い。

愛は大きなエネルギーとなり癒やし救う力となりやがて自分にも返ってくるものです。

貴女の悲しみは貴女の愛の証でもあるのです。

それは○○ちゃんを導く光となり、貴女自身をもやがて悲しみから救うでしょう。

今はまだ深い悲しみの中で先が見えない思いでおられるでしょうが、貴女のそのお悲しみの後ろにある貴女のその愛に、どうか誇りをもって頂きたいと心から願っております。




クラブAさんからの返信クラブ

実は○○の訃報を聞いたのは帰省先の実家でした。

預けていた病院から電話があり、先に戻っていた主人に○○を迎えに行ってもらいましたが、間に合いませんでした。

○○がいない家に帰るのはとても辛くて、帰りのフライトも重い気持ちのままでした。羽田から乗ったリムジンバスで、ことりさんのメッセージを読ませていただき、周りもはばからず嗚咽してしまいました。それから、なんどもなんども繰り返し読ませていただいています。

○○のいない部屋に入り 空のゲージを見たときには子供も号泣し、主人が作ってくれた小さな祭壇の前で、○○の遺影を前に、骨壷を二人で抱いて泣きました。泣いて泣いて泣き尽くしたら少し落ち着いて、明日から始まる学校の準備などを手伝っていましたら、ゲージのあたりから、餌入れ?が動くときのような「カチャカチャ」という音と「ピピョ」という小さな鳴き声が聞こえました。

○○だ!子供も私も顔を見合わせて、確かに二人とも聞いたのです。○○はまだ、この部屋にいる、そう確信して悲しい気持ちが随分和らぎました。

それから、ことりさんのメッセージを子供にも読んで聞かせました。じっと耳を澄まして聞いていた彼が、今のお話を聞いてなんか、すごく安心した、とやっと柔らかい表情になりました。

愛は最強で、無駄な愛なんてない ということりさんの言葉が胸に響きました。

○○にしてあげられなかったことばかりが心に浮かび、自分を責め続けていました。私だけでなく、主人も、子供も、それぞれが自分のせいだと、苦しい気持ちでいるようです。

でも、悲しみは悲しみだけではなく、その後ろにある愛の証なのですね。

○○を心から愛していました。小さいからぎゅーっと抱きしめることはできなかったけど、出来る限り愛情を伝えました。家族の中で一番一緒にいる時間が長いから当たり前かもしれませんが、○○にとっても私は特別な存在だったと思います。でも、だからこそ私のために卵を産み続けてしまい、結果彼女の命を奪うことになったと思うと、やりきれません。

後悔や懺悔の気持ちはこれからも消えないと思いますが、私の愛が○○を光に導く助けになるのなら、たくさんたくさん、愛を送り続けたいと思います。

ことりさんの愛に、心から感謝いたします。



ハートことりからの返信ハート

必ずいつか○○ちゃんと天からお礼がご家族に、もたらされるでしょう。
それを生かせる生き方をすることが、ご家族に残った後悔を○○ちゃんへの感謝に変えて届けることになるでしょう。

それがご家族に愛と癒やしを与えてくれた○○ちゃんへの何よりもの恩返しにもなるのです。

貴女が、そしてご家族が、それぞれに自らの魂が真に望む生き方を活き活きと輝きながら楽しく生きていくことが、○○ちゃんの何よりもの願いであり、幸せであり、最高の供養となるでしょう。

それが彼女の霊的な向上と冥福にも繋がるのです。

繰り返します。

真の愛の絆は時空を越え、永遠です。これからも、来世も、ずっとずっと繋がっていくでしょう。

これが別れではない。だから彼女に恥じない愛に満ちた生き方をしてくださいね。いつか天で再会した時に、おまえのおかげで頑張れたよって、胸を張れるように…



クラブAさんからの返信クラブ

今回のメッセージも胸に染みました。
これが別れではない、絆は永遠に続くのですね。

これからも、○○が私たちの愛を受け取って幸せに過ごしてくれると信じられれば、私たちは安心です。

思えば、この秋から家族の心配ごとが重なり、主人も子供も私も、それぞれ逆境の時を過ごしてきました。そして、やっと乗り越えられそうになった時に、○○が旅立ちました。

その大変な期間、○○にあまりかまってあげられなかったことも私の後悔ではありますが・・・。

主人は、苦しいことを全部○○が持って行った、と言います。

私も、○○の死には意味があるように思います。

哀しいけれど、○○の死によってこんなにも彼女への愛が大きかったということに改めて一人一人が気づき、家族の絆は深まったように思います。

ことりさんがおっしゃる、真に魂が望む愛に満ちた生き方 表面上ではなく魂で感じること、それがどんな生き方なのか、頭ではなく心で感じとり、これからの人生に反映させていきたいと思います。

そして○○が私たちにくれた愛と癒しへの恩返しのためにも、彼女に恥じないよう、いつも愛を持って、愛を大切に、前を向いていきたいと思います。

ことりさんのおかげで、本当に救われました。今は、悲しみの中にも、温かく安らかなものが胸に湧いています。

○○を失った悲しみを乗り越えられたら、私たちの大きな勇気になることは間違いありません。いつか私もことりさんのように、他のペットを失った人たちの悲しみに真に寄り添い力を与えられる人間になりたいと思います。

本当に、ありがとうございます。


桜貼付終わり桜桜桜桜桜



同じ悲しみを共有出来る存在がいるというのは、ある意味幸せなことです。

悲しみってやつは1人で抱えるにはあまりにも孤独であまりにも重すぎる。

Aさんには共に悲しみを背負い寄り添いあえる素敵なご家族がおられる。それが救いです。


改めてAさんとご家族、そして愛する動物達を亡くされた全ての方に、

天と亡き子達からの愛がもたらされることを、

そのお悲しみが感謝と愛によって救われることを、

そして、

今は亡き愛された存在達のご冥福を心から願います。





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桜なかなか執筆する時間が取れなくて、いつもお待たせしてばかりで申し訳ありません。

実は、ここのところ動物管理センターに収容された殺処分予定の動物達の救出に携わったり、鎖に繋ぎっぱなしで散歩にも連れて行ってもらえない放置虐待犬の救済などで、いつも以上になおさら慌ただしく過ごしておりました。

前回予告させて頂いた事例もぼちぼち執筆を始めていますが、長らく更新をお待たせしておりますので、とりあえず今回は先にショートメッセージをお届けさせて頂きます。

(鑑定は通常通り日々行っておりますのでご相談、お問い合わせはお気兼ねなくお気軽にどうぞ)桜




今日12月22日は冬至です。

一年で一番昼、つまり太陽が出ている間の時間が短い日です。

北半球では一番昼の時間が長くなる6月22日の夏至の日から少しずつ日が短くなり半年後の冬至に一番の底を迎えるのです。

そしてこの冬至を境に、またこれから日々少しずつ昼が長くなっていきます。

自然界においては冬至は、一年が巡りリセットされるゼロポイント。ひとつの大きな節目でもあり、新たな始まりを迎える日なのです。(南半球では夏至)

そのため古来は冬至を新年と見なす時代や地域も多かったようです。

人間も自然界の営みの中で暮らす自然界の一員と捉えるなら、冬至を新年とするのが、より自然であったのかもしれません。

夜も煌々と灯る電飾に溢れ、大都会は24時間眠らない現代と違い、昔の人々は太陽と共に生活をしていました。短くなっていく日の光を惜しみ、夜の長さを耐え忍び、再び太陽の恵みの季節が訪れるのを待ち焦がれながら冬至の日を喜びで迎えたのです。

そしてそれはきっと生き物達や植物達も同じでしょう。
太陽がもたらす季節と共に生きる彼らの命の営みのサイクルは冬至にリセットされ新たなサイクルが再び始まるのです。


冬至と夏至。そしてそれらの中間点に位置する昼と夜の時間が同じになる春分と秋分。
これら季節の暦は、にじゅうしせっき【二十四節気】と言う『太陽の黄道上の位置によって定めた陰暦上の季節区分』の中の主たる節目です。

実は、この4つの節目の日には特別なエネルギーがもたらされていることをご存知ですか?


いつ頃からだったか、冬至や夏至、春分、秋分の日に、何かいつもと違うエネルギーに気付くようになりました。

それは例えば神々しくもあり清浄でもあり、時には力強く、時には穏やかに優しく包まれるようであり、まるで見えないエネルギーのシャワーに浄化されるような感覚であったり。

またその年々でどの節目の日に強くエネルギーを感じるかが変わるような…

でも恐らくそれは様々な気性条件などが影響して、感じやすかったり気付きにくかったりするせいだと思いますが、もしかしたらその時々に特定の節目に何かの意味があるのかもしれません。

いずれにせよ、このエネルギーは何なのか、どこからもたらされるのか、詳しいことはわからないまでも、特別な意味があるのだということはずっと感じてきました。

ある時、KAZUさんにその話をした時に、KAZUさんが教えてくれたところによると、万物のエネルギーの源であるセントラル・サンから送られてくるエネルギーを転送するポータルが太陽であり、太陽を通して私達は平等にこの特別なエネルギーを受け取っているとのこと。

そしてこのエネルギーには調整の力があるのだということ。

それは例えば電波時計のようなもの。ある特定の時に微妙な狂いが正され調整されるのです。

つまり、植物も生き物達も我々人間も、この地球上に住む全ての生きとし生ける存在は見えない力によって平等に何らかのエネルギー調整を受けているのです。

ゼロポイントである冬至はことさら特別な日でもあり、今日どんなエネルギーを受け取るかとても楽しみでもあります。

待ちに待った今日のこの日。皆様にも自然界の新年でもある冬至を意識して過ごして頂けたらなと思います。

この一年を振り返るもいい。新たな一年の目標を立てるもいい。なりたい自分をイメージしてみるもいい。厳かな気持ちで過ごすもいい。

リセット・調整され新たなサイクルが始まる日でもありますから、今までを振り返り、これからの未来をどう生きたいか、思いを馳せるのには特に良い日であるかもしれません。

どんな過ごし方であったとしても、あなたが意識を向けることで、今日もたらされるであろう特別なエネルギーがきっとあなたに何らかの力を与えてくれるはずです。

今日からの新しい一年、皆様にとって実り多き日々となりますことを願っております。





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