夏目漱石の英文学に対する違和感

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今日の『英文解釈教室 改訂版』の講義で、文学観についての文が出てきたので、夏目漱石の「自己本位」という言葉が出てくる『私の個人主義』で記載されている英文学観(おそらく漱石は当時最先端の英文学に対して違和感を持って面白いと思わなかった!)と、おそらくそれに触発された2つの本についての話を脱線していました。


つまり漱石の英文学に対する違和感をどう説明するかというのが、後の文学者・批評家の1つのテーマだったのだと思います。


柄谷行人の『日本近代文学の起源』は、英文学(近代文学)は、「近代の遠近法的転倒」によって、仮構(捏造)された「内面の発見」「風景の発見」「病気の発見」.etcによって成り立っていて、そのような「近代の転倒」以前の漢籍、漢文学などによって趣味を形成した漱石には違和感が感じられた、と説明しているのだと思います。

柄谷行人は、中村光夫や江藤淳の系譜にあると思いますが、この線はこのような感じです。


渡部昇一も『知的生活の方法』の中で、漱石が慣れ親しんだ漢籍と英文学は全く異質だったからと説明しています。あと、その中では、インテレクチュアル・オネスティ(知的誠実さ)がとても大事だとされていますが、漱石の「自己本位」そのもののように思えます。



というような話を英語の授業で、多少とも興味がありそうな受講者にするのは、非常に楽しいのでした(笑)




夏目漱石『私の個人主義』



福沢諭吉『学問のすすめ』

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