小学校への贈りもの

テーマ:

約束の朝9時に、新品の大きな書類棚を車に積んで、

うちから5分のイルキディンガ小学校へ出かけた。

小学校に到着すると、教室からバラバラと子供たちが飛び出してくる。

今日は私たち夫婦が経営する旅行会社から小学校へ

「書類棚」がプレゼントされるのだ。


私はアメリカで観光学を学んだが、

観光を通して様々な社会貢献ができるということを教えてもらった。

フレディと会社を立ち上げた当初から、私はこのことにこだわっていた。

けれど現実は理論通りではなかった。

会社を経営していくことで精いっぱいな時期に、

他人のためにお金を使うことなどできるわけがない。

NGOでもないので、まずは利益を追求するために

奔走しなければならないのが現実である。

奔走しているうちに、あっという間に数年がたち、

私が目指していた観光は一体どこへ行ったのだろう?と

自分に問いかけることしばしばだった。


そんな中、たまたまイルキディンガ小学校の校長と

フレディが会う機会があり、

「国家試験の問題や回答を管理する施錠付の書類棚がほしいのだけれど、

資金がなくて困っている」という話が出た。

書類棚くらいだったら買ってあげられるのでは?

私はちょっとワクワクした。


母が送ってくれた曽野綾子の「朝はアフリカの歓び」(文芸春秋)

という本を今ちょうど読んでいる。

これは彼女が立ち上げたあるNGOの話なのだが、

彼女のある言葉が心に響いた。

「小さな人間のすることは何ごとにも限度がある。

(中略)私たちは、手の届くところにいる人から可能なだけ救えばいいのだ。

(中略)今世界のマスコミが注目するようなところでなくとも、

苦しんでいる人はどこにでもいる。

その人たちの助けになれば、誰でもいいのである。」


私は常々、イルキディンガ小学校に清潔な生徒用のトイレを

つくってあげたいと考えていた。

けれどこれにはかなりのお金がかかる。

せっかくつくるのであれば、ちゃんとしたものをつくりたいとも思う。

書類棚であれば、今買ってあげられそうだ。

今できる範囲での貢献をすることは、無意味ではないはず。

曽野綾子の言葉を読んで、そう確信した。


タンザニアの公立学校の状況は、

日本の常識では考えられないひどいものである。

うちの近所のイルディンガ小学校も例外ではない。

子供たちは砂埃をもろに浴びながら、長い道のりを歩いて通っている。

先生の不足で1教室にはひどいと100名もの生徒がぎゅうぎゅう詰め。

日本のようなきれいな教科書やノートはない。

ノートや鉛筆を持っていない子もたくさんいる。

そして極め付けは給食がないこと。

午後2時過ぎまで飲まず食わずで教室の中に座っている。

学校に到着したらヘトヘトな上に飲まず食わず。

果たしてこれで勉強をする気になれるだろうか?

スクールバスがあったらどんなに便利だろう。

質素でも良いから、ちゃんとした給食が出たら、

子供たちはもっと学校へ行きたくなるんじゃないだろうか?

この小学校のことを考え始めると、本当にきりがない。


イルキディンガ小学校の女性の校長先生がニコニコしながら出てきた。

「ちょっと!誰か手のあいた男子、来てくれるかしら!」

その声で8人くらいの男の子たちが駆け寄ってきた。

棚を車から出して、校長室へみんなで入れる。

他の子供たちも集まってきて、校長室を覗き込んでいる。

校長先生は子供たちに

「ほら、みんなの試験用紙を管理する棚を頂いたわよ。嬉しいわね!」

この棚は直接的に子供たちの目に触れることは

あまりないかもしれないけど、

間接的にでも役立ってくれれば、それはすごく嬉しい。

やっぱりあげてよかった。

すさまじい砂埃の中、小学校をあとにした。


これに味をしめた(?)我々は、

この小学校へ苗木をプレゼントすることも考えた。

すでに苗木はあるので、作業ができる日を決めて、

できれば生徒たちと一緒に苗を植えることができたらいいなと思っている。

なぜ木を植えるのか?ということを話し合う時間も持てたら更にいいだろうな。


今日、書類棚を寄贈することができたのは、

一重に私たちの会社を利用して下さった観光客の方々のお蔭だ。

観光でタンザニアへ来て下さるお客さん達にも、

今日私が感じた小さな喜びを感じてもらえたらいいなと思う。

そして、観光が地域や人々に様々な影響を及ぼす力を持っていることを

多くの人に知ってもらいたい。

AD