(これは一部、いどばた稲毛掲載の原稿です)

皆さん、7月7日がどういう日かご存知ですか?「七夕!」正解です。でももう一つ。

実はこの日は、今から67年前に、千葉市で空襲があった日なのです。

7月7日の午前1時半、真夜中に、B29約130機が襲来、爆撃を開始。爆弾や焼夷弾で千葉は火の海となり、まさに地獄絵図となりました。今の千葉駅や中央公園などの中心部はほとんどが焼け野原となり、死傷者は1200名以上と、壊滅的打撃を受けました。その燃え上がる炎で夜空が明るくなっている様子が、稲毛からも見えたそうです。

稲毛も狙われました。軍関係施設があったからです。たとえば今の女子高校の地はかつて陸軍高射学校であったため、爆撃されました。作草部の気球聯隊なども被害がでました。


皆さん、どうか、想像してみて下さい。何の罪もない民間人が、真夜中に突如、無差別に、爆撃されたのです。命を失い、家族や友人を失い、家や財産を失っていったのです。当時の方の話を聞くたびに、私は涙を禁じ得ません。
http://itou-seki.la.coocan.jp/100ninrinku.html

米軍による空襲は、終戦まで続きました。日本全体で200以上の都市が被災し、死負傷者は76万人、被災人口は970万人と言われます。2つの原爆と合わせれば、100万人近くの民間人が被害を受けました。当然、戦時国際法違反です。民間人への無差別爆撃だからです。正直、今でも私はアメリカに対し、穏やかではいられない気持ちがあります。


先人の尊い犠牲に応えるためにも、日本を素晴らしい国に再建したいと私は心に誓っています。その思いを確かめる1日としたいところです。





千葉市では毎年、七夕空襲の時期に合わせ、「千葉空襲写真パネル展」を開催しています。

私も今年、改めて、視察してきました。


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明治45年の千葉町。既に町の原型はあります。

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大正7年となると、より今に近くなりますね。

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これはぜひ、市内の方に記憶してもらいたい地図です。

稲毛区は軍事施設が多い地域だったのです。

いまの女子高校や小中台小学校、仲良し公園、市立千葉高、小中台中、

区役所や京葉工業高は、みな軍事施設でした。

photo:04

※私は小学校は小中台南小でしたが、
 中学は小中台中、高校は東高ですので、
 ずっと軍事施設跡地で学んでいたことになります。
 そういえば中学生のとき、校庭の中から、高射砲?が出てきたと、先生が言っていたような…





パネル展の詳しくは以下です。

皆さんも、ぜひともご参観下さい。


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▼きぼーる1階アトリウム
6月30日(土)~7月11日(水)
9:00~19:00
※一番写真が豊富です!

▼稲毛区役所1階ロビー
7月2日(月)~7月11日(水)
(土日除く)
8:30~17:45

▼そごう千葉店(地階そごうギャラリー)
7月31日(火)~8月13日(月)
10:00~20:00 【※最終日は16時まで】

そのほか、
千葉市内各区役所や生涯学習センターでも展示を行っております。
詳細はこちら :  http://p.tl/a2jr
(平成24年度「千葉空襲写真パネル展」のお知らせ)
問い合わせ  : 千葉市役所男女共同参画課  043-245-5060

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私たちは一人で生きているのではなく、親や先祖や地域、
そうした方々の努力と犠牲と期待の上に、今の自分があるのだと私は思っています。

私たちが暮らす街の、昔のこと・周りのことを、よく知り、
想像し、感じることはとても大切なことだと、私は考えています。

ぜひともよろしくお願いいたします。