もともと広告屋だったからか 忙しかったからか・・・はたまた昨今の年のせいか・・・と真剣に悩んでいる


若いころはクライアントと仕事が終わると 本当にものの見事にそこで知り得た情報も 言ってはいけない秘密も

きれいさっぱり忘れてしまう性質で

それはそれで 立派な特技だと思っていた


もちろん 本当に忘れてしまっているとちょいと問題だが

次に その事項が必要になるまで

まったくと言っていいほど思い出さない


それでいて同じクライアントと仕事をさせていただくときには

なぜだか 細かなことまで結構思い出していて


「なべちゃんが覚えててくれるから助かるよ」と言われたこともある


物忘れのひどい私と付き合っている人は「まさか」と思うだろうが


私 たぶん 物覚えは悪くないんだと思う

その分 物忘れがひどいのかな


仕事の関係もあり 刑事ドラマとか…いわゆる2時間ドラマとかもよく見るが

恐ろしいのは 全部見終わってから

ふっと撮影の時の様子とかが浮かんできて

あーこれ 撮影についていたんだ・・・・と思い出す始末


また 視聴者の目で見ているとき

よく犯人のモンタージュとか協力するなんてくだりがあるが

私 リアルで協力したくても 多分まったく協力できないと思う


「大丈夫か」と疑われた話だが


若かりし頃 結婚式を挙げた際

元旦那は ひげをそって結婚式に臨んでいた


みんなそのことにびっくりして大騒ぎだったらしいが

「彼 ひげなんか生やしてたっけ」と思ったのは

多分 私だけだったかも・・・


だから生活してしばらくは がなくなっていることにまったく気が付かなかった

だって5~6年は生やしていたらしいから

どれだけ物忘れ?…無関心かって話か・・・・



おかげさまで 現在お問い合わせが多く 予約で受けさせていただいている『占いカウンセリンク』も

若いころ カウンセラーの勉強をしているとき

「稀にあなたのように 前の人の内容を一切引きずらない人っているんだよね。まさにカウンセラー向きっていうのかな」

と言われたっけ・・・・


良いのか 悪いのか・・・

しかし加速しているようで ちょっぴり不安ではある・・・


もともと 壮大な理由があって始めたわけではなかった・・・
だけどオリジナル絵本を作っているうちに 
「本を読まなかった子が この本を抱いて寝ているんですよ」なんて手紙をいただくと
そりゃあ やる気になる

そのうち 「私だけの」カレンダー、今年の私だけの運勢なんて作るようになってしまった

「あなただけのカウンセリンク」は20ページ程度の小さな冊子だけれど
生年月日とお名前(呼びかけをするのに必要な名前)で 進む方向、性格別開運術なんかを書いていたけれど、
今はカウンセリングした答えを一冊にまとめちゃったりしている

カレンダーもカウンセリング付

時々めんどくさいなと感じることもある

だけど だからこそ価値があると思っている

みんながおんなじ情報を共有することも大事
でも 「私だけ」の今を一冊の本にして
ちょっと困ったとき ひも解く本なんかにしてもらえたら
すごくうれしい

ただし、一冊一冊手作りなので 今日注文受けて 今日出荷というわけにはいかない
やっぱり1週間から10日はかかる

でもありがたいし 嬉しいのは
たくさんの方と長くお付き合いができるということ

時には対面で悩み相談を伺う
時には電話で アドバイスをする

小さな小さな出会いだけれど
確実に笑顔の輪が広がっている・・・ような気がする



宮城 岩手 福島の子供たちと遊んできた

そして今彼らとのさまざまなやり取りや そこから派生した
いろんなお仲間と とてもたくさんの時間を過ごしている

一方 大人のカウンセラーも やらせていただいているが
最近 特に依頼が多くなってきている

占いカウンセリング
電話を受けたり 対面したり
話を伺い ちょっとだけアドバイスを送る
あとは本人が その気になっていただけるかどうか・・・・

メールでもいろんな人と いろんな会話をさせていただいている

これにかかわる時間が本業より 多くなってきていることに
いいのかなぁなんて考え始めてはいる

10年以上付き合っている4~5人の友達は
絶対 占いカウンセリングというものを 仕事にしたほうがいいと
以前から口をそろえる

電話をしていると電話相手を中心とした人間関係が
はっきりと見えてくる

何より どうすれば本人が幸せになれるかを
感じる

信頼していただかないと なかなか見えにくいこともあるが
そのことにより

運が開けたみたいだよ
なんて電話をもらうと
嬉しくなる


その分 なかなか家を空けられなくなってきているので

昨日の万歩計は100歩!!だった



本当にとんでもないことが起きた

津波が こんなに全ての物を飲み込むなんて

いやはや 唖然としか言いようがない


もうすぐ一月

被災地では日々刻々と事態が動き

深刻さも増し またそこから垣間見える強さにも

驚くことばかりである


さて その中で一番の関心事は福島の原発のこと

言葉にすると『想定を超えた事態が起こった』ということである


最初は 冷却装置が稼動せず

冷やさなければならない・・・冷やし続けなければならない必然が保たれなくなった


もちろん 想定をしていたか いないかは別にして

担当者も右往左往したことだと思う


とにかく中の計器がすべて使えなくなる中

何が起こっているのか

何が起こって不思議はないのか

それさえも 把握できなかったに違いない


そして まもなくの水素爆発

建屋の破産 放射性物質の流失

地下から高濃度の放射性物質を含んだ水がどんどん流れ出る


様々なことが次から次へと起き

もぐらたたき状態で その対応に追われた


その間には電気の配給量の著しい減少による大規模停電を未然に食い止めるため

計画停電なるものも実施された


世の中は東京電力は何をやってるんだと

批判の嵐となり

会見をする担当者は萎縮し

なんだか 「おいおい」っと突っ込みたくなるように場面も多くあった


だけど それでも 私は東電は凄いよと エールを送りたい


最初は どう見たって後手後手に回っていた対策が

例えば 訳のわからぬまま爆発してしまった事態を教訓に

窒素を送り込みその事態を免れる事前策を講じている


更なる高濃度の放射性物質の放出を避けるため

低レベルの水を海に流すことで

事態を打開しようとしている


これは 凄いことだと思う


ただ・・・・・

会見がお粗末だと思うよ


例えば低レベルの放射性物質の含まれた水の放出についても

なぜ 泣かなくちゃならないの?

なぜ 頭を下げることからはじまるの?


更なる危険を回避し 最も国民にとって負担の少ない方法を

選んだんじゃないの?

だったら そこをきちんと説明しようよ


その上で

いかにこれが最良の方法とは言え

その決断をしなければならなかった事態については

謝ってもいいかもしれないけど


適当なことやってるわけじゃないでしょ


まして政府の見解 安全何某の見解 東電の見解

国民に大きな声で事実を述べているはずなのに

ずれが生じちゃうって

すっごく信用失っちゃうよ


真摯に会見をする姿勢と

国民が納得できる会見とが

ずれている気がする


会見するということは

マイクの前で喋るという単純な事ではない


そのことでデマも飛び 風評被害だって

引き起こす


今 「現状の作物内の放射能レベルがいくつです」ということよりも

どうしておきたか

逆にこんなに早く結果が現れるということは

沈静化すれば

すぐに安全になるという裏返しではないのか


また一度だめになった土壌を元に戻すことは

半端ないほど大変なのか


真摯に明らかにするということは

訳のわかんない数字を並べ立て

大騒ぎをすることなのかなぁ


もうちょっとプレゼン能力の高い人を

マイクの前に立たせようよ






最近 二人の女性企業家に思うことがあった
一人は・・・彼女が会社を興したときからだから10年ほど前からの知り合い
もう一人はここ3年ほどのお付き合いになる方で 事業暦は17年だという

どちらも仕事を通じお付き合いをさせていただいている

二人とも事業を順調に伸ばし かっこいい
そして二人とも・・・似ている

でもこの二人を引き合わせても きっと友達にはなれないんだろうと
私は密かに思っている

二人とも頑張っている
その頑張りは私なんか足元にも及ばないほど頑張っているんだろうし
なんたって かっこいい!

でも あの二人に「ご職業は?」と聞いたら
きっと「社長です」ってお答えになるのかなと思っちゃったりする
社長であるステイタス
社長である権限
社長である優越感

なくちゃ困るかもしれないけど
なんだか「社長の尺度」でものを見過ぎると
損しちゃう事も多い気がする・・・・・・・・・・

出来過ぎるから 他人に任せられない

それでも規模が大きくなってくると 「私が・・・私が」とは言っていられなくなり誰かに任せる

すると・・・・・気に入らないのである

「私じゃないとダメ」なのである

だから従業員がみんなよく言えば 素直
悪くというか・・・本音で言っちゃうと あんまりかっこよくない・・・・
昔で言う『三無主義』ってやつ

出来過ぎると大変なんだなとつくづく思う

私は ちょっと それも桁外れの「できない奴」なので
なんだか任しておくとろくな事にならないと判断されるらしく
助けてくれる人が現れちゃったり
引っ張ってくれる人がいつも側にいる

それ・・・だらしがなくてやだと思い続けてきたけれど
「どうせ一人の力なんか たかが知れてる・・・」と
開き直ってしまったら楽になった
一人前の人が10人集まれば10人前どころか100人前になる
その中に 私みたいに1/3人前くらいの奴が混じっていると
70人前くらいになっちゃうかも知んないけど
それでも こんな私でも
多少は 仲間の足しにはなれるんじゃないかと思っている

それは一つの会社でみんなで頑張るという意味でなく
企業チームで 良いトコ取りすれば きっと楽になるような気がする

私にはなーんの取り得もないけど
だけど 「アンナ奴でも頑張れるんだ」と 周りをほっとさせられる力はあると
踏んでいる

昨年 入院をした
患者さんの性格も病名も多種多様な病室だった
なかには誰にでも気さくに話しかけ
看護婦さんともフランクに話す患者さんもいる
なかにはカーテンをきっちり閉めて
顔さえわからないまま退院していく人もいる

私は・・・・何もできない上に極度の人見知り
カーテンこそ開けっぴろげだが
喋りかけてもらえれば 話もするが
なかなか他所の人のベットにまで行って長居はできない

でもひと月半入院しているうちに
私は「よろず相談所」の職員宜しく
看護師さんに 恋愛相談を持ちかけられたり
患者さんが椅子を持って
私のベッドの横に来てくださるようになった

鈍感な私は その状況さえ 他人に言われて気がつく有様だが
それが特技なら
今時のコミュニケーション不足(下手)が叫ばれる時代に
生き残れるんじゃないか・・・商売になるんじゃないかと
思うようになった

今でも外来に行くと
にこにこはなしかけてくださる人が必ず一人はいる

私の欠点はあんまり他人の顔を覚えられないことで
「渡邉さーん」なんて遠くから声を掛けられても
「誰?????」と思ってしまう始末だが
まぁ 嫌われるよりはいいか・・・・・・

なんか こんな私 使ってみたいと思われる方がいらしたら
ご一報を・・・・・

ただし 一回目で判断されちゃうと ただの「にこにこおばさん」に過ぎないので
長く付き合ってみようかと思う 心の広い方がいたら嬉しい限り

これって・・・・・要は仕事くださいって 告知かな
失礼しました