病気ではなく寿命

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【死ぬまでに何をするか、何を残すか】

小林正観さんの心に響く言葉より…


気の力で病気を治すという超能力者がいて、この方は、1年間に3万人ほどを治したそうです。

...

その人とは、一度もお会いしたことがないのですが、もし会うことができたら、私は一言アドバイスしたかったことがありました。


その人は、1年間に3万人を治したそうですが、3万1人目というのは1人目の人なのです。


実は、治っていないでグルグル回っているだけ。


そのときは改善されて治ったように見えますが、単にポンと治してもらって、自分の考え方や生き方を全く変えなければ、また同じ病気になる。


そして、1年たったときに、またガン細胞ができていました。


この方は、ただ単に病気を治しているだけ。


生き方やイライラや腹を立てたり、怒ったり、怒鳴ったりということについては、一切この人を変えようとしていない。


治療を受けた方は、「治った」と言って喜んで、そして、「また調子悪い」と言ってくるのです。


そして、それをまた治している。


同じことの繰り返し。


それを3年くらい続けたときに、やってもいても無意味だとわかったようです。


だから一人ひとりを治すという「治す治し方」の方向ではなくて、「治る治し方」をすることをお勧めします。


最終的なことを言いますと、本当は治さなくてもいい。


このようなことは、どうでもいいのです。


つまり、治るとか治らないとかの問題ではなくて、人間のもっと根源的な部分の話をすると、人間は長生きすることが目的なのではなくて、死ぬまでに何をするか、何を残すかだけ。


そのことが理解できたならば、体を治すとか治さない、という問題ではなくなるのです。


人間は50歳で死ぬ、80歳で死ぬ、100歳で死ぬ、身長が170センチ、体重が何キロ、足が何センチというように、一人ひとりがみんな違う。


それを「個性」と言います。


それと同じように自分の体に身に付いている、ある種の宿っている命題というものがあります。


寿命というもの全部生まれる前に決めてきている。


人間は病気で死ぬこともないし、事故で死ぬこともありません。


人間が死ぬ理由はたった一つ「寿命」というものです。


「寿命ではなくて、老衰や病気で死ぬのではないか。事故で死ぬのではないか」と言う人がいました。

これは、「病気という名の寿命」「事故という名の寿命」なのです。

だから、いかに長生きをするかではなくて、死ぬまでに何をするか、ということなのです。


『神さまの見方は私の味方』


病気や事故やトラブルや災難など、すべては何らかのメッセージだと思うなら、そこからは学びがある。


しかしそれを、嫌なこと、厄介ごと、ツイてない、と捉えるなら、そこからは何の学びもなく、嘆き、不平不満、愚痴、文句を言うだけで終わってしまう。


正観さんは、「頼まれごとの人生をおくろう」という。


誰かに何かを頼まれたら、気持ちよくニコニコして「ハイ」と言って受けること。


頼まれごとを淡々と続けていくと、それが人を喜ばせ、また、自分の魂を磨くことにもなる。


「頼まれごとは試されごと」(中村文昭)。


頼まれごとは、その人の行動や発言がまわりの人からしっかりと見られている。

「人間は長生きすることが目的なのではなくて、死ぬまでに何をするか、何を残すか」

死んだらこの世から体はなくなるが、人に与えた喜びや悲しみは残る。

小さなことであっても、まわりを喜ばせ続ける人でありたい。

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