晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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昨日2018年3月27日(火)、
会友であって
福島区歴史研究会セミナー担当の
水谷浩一さんと大阪市立鷺洲小学校を訪ねました。
早速、レポートを頂戴しました。

 

◇今日はいろいろありがとうございました。
 おかげさまで新発見が出来ました。
 鷺洲小学校の庭に
 橋柱があるのは認識していましたが、
 表示まで気にしていませんでした。
 5柱のうち平仮名で「さぎしま」と書かれているのを
 発見しました。
 鷺洲「さぎす」ではなかったのです。
 31日の福島区歴史研究会のセミナーでの
 先生のお話が楽しみになりました。

 

水谷浩一さんは昭和20年生まれで
鷺洲小学校のボクの先輩でもあります。
お孫さん太一君のお迎えの間に
小学校をご一緒していただきました。
桜花爛漫の鷺洲小学校でした。
写真図1 桜花爛漫の鷺洲小学校

校庭の東側にかつての
井路川に架かっていた橋の橋柱が
保存されています。
そのうちの一つが「鷺島橋」と刻まれた
橋柱です。
写真2 「鷺島橋」と刻まれた橋柱

 

現在の町名の「鷺洲」ではありません。
読み方は、当然「さぎしま」です。
写真図2 「さぎしまはし」と刻まれた橋柱

「鷺洲中二」の町会長をなさる水谷さんにとっても
自明とされた「さぎす」ではなくて
「さぎしま」だったのです。

 

却って地元の方は見ていないものです。
ボクのように他郷に移り住み、
「ふるさと」を探訪する者には
分かっていないことが
意識されるもののようです。

 

架橋の年月日が刻まれている橋柱もあります。
写真図3 架橋の年月日も刻まれている橋柱

「大正十三年一月架設」とあります。
大正13(1924)年当時、
この学校は「鷺洲尋常小学校」でした。

 

今も歌い継がれる校歌の歌詞にある
「・・・鷺洲の里は賑わえり」の
「鷺洲」は「さぎす」であって
これは、けっして「さぎしま」ではありません。

「さぎす」か「さぎしま」かの問題は、
《「鷺洲」考》に委ねることにしまして、
本ブログは、
もう一つの「さぎしま」の確認に
桜満開の鷺洲の街を歩くことにしました。

 

究会代表

『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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