晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


テーマ:

《市岡高校「澪標」のこと(1) 
2018-01-18 16:38:38》に

「澪標(みおつくし)」について
「いずれ同窓会紙誌『澪標』を検索し、
本校における「澪標」の謂われを
確かめることにします」と
予告して二旬を経ました。


その間、大阪福島に嘗てあった野田城に
現を抜かしておりました。
今回、ちょっとお休みして
母校市岡の「澪標」の謂われを
探ることにします。

 

前回、「澪標」を
「まさに波路の末の奇観になぞらえ、
 築港にほど近い新興の地にあって
水都大阪の繁栄を象徴するものだったのでしょう」と
推測しました。

 

そもそも、市岡高校と「澪標」との関わりは、
前身の「市岡中学校」の創設当時からあったのでしょうか?

校歌の歌詞にある
「・・・・流れて止まぬ澱江の
波路の末の澪標」は、
はたして学校創立の時から
歌い継がれていたのでしょうか?

 

今回、『市岡五十年史』1951年、玉田義美編纂兼発行に
当たりました。
そこで知ったのは、
現在の校歌は二代目であるということです。
現校歌が制定された折
「創立記念の歌」として保存された
創立の年*明治34(1901)年6月に
作詞作曲された歌があります。

歌詞を載せます。
はたして「澪標」が出るやら?

 

〽のこる隈なき大君の/恵の露にうるほひて
 民草しげる市岡の/沃野十里のただ中に
 浪速入江のよしあしを/わけて導く吾が校の
 いよよ栄ゆく勢は/尻無川のはてもなく
 堤にならぶ櫨紅葉/雨と霜との苦しみを
 うけて色増す紅の/錦をおのが友とせむ

 

謳われているのは「市岡の沃野十里」と
「尻無川の櫨紅葉」です。
何とも渺々たる農村風景です。

『市岡五十年史』によりますと
「澪標(みおつくし)」を謳う
現在の校歌は明治39(1906)年に
制定されたとあります。

この僅か5年間に学校をめぐる環境に
変化がみられました。

 

次回、「澪標」を謳歌する時代の機運を
取り上げます。

 

市岡高校20期生は
今春卒業50年を迎え、
卒業式に招待されています。
式後、ささやかな懇親会を開きます。

懇親会だけの参加者が結構おられます。


詳しくは
  ↓ここをクリック
https://www.reihyo.com/
「20期生の懇親会のお知らせ」

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員 田野 登

 

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