晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


テーマ:

先週の土曜日、7月29日、
城南女子短大での公開講座で
「お地蔵さんの世界」を話すための取材に
平野十三口の地蔵の一部を訪ね歩きました。

 

宝暦13(1763)年「摂州平野大絵図」には、
平野十三口が表示されています。
この「口」は平野郷の出入口で、
各口にお地蔵さんが、町を背に、
外向きに祀られています。
地蔵尊が町に入る邪悪なモノをさえぎるとの
信仰に基づくものです。

 

今回は、『大阪のお地蔵さん』(1994年、渓水社)に書いた
「環濠都市のお地蔵さん:平野区平野東・田畑口地蔵尊」の
23年後を見届けることでした。

調査に同行された
浅埜彰三さんからの平野調査の感想を載せます。 

◇平野は環濠都市で有名であり、
 杭全神社の東側の環濠は今でもよく残っていることを
 ご存知の方は多いと思います。
 私はその他の環濠跡を発見したかったので、
 今回のフィールドワークに参加しました。
 最初は堺口地蔵、流口地蔵、田畑口地蔵を歩く中で
 地域の方々から、様々な話を聞き、
 祭りなどの様子をかい間見たようでした。
 例えば一見、盛大で立派に見える祭りも内実は
 他地域からの応援も多く、
 資金的にも苦しいとのことでした。
 また個人的には環濠の名残りを探し続け、
 やっとの思いで、その痕跡を見つけ、地元の人に尋ねると
 「そこは昔、どぶ川やった」と言われ、
 思わず小躍りして喜びました。

 

以下、田野による書き込み。
浅埜さんのような幼児体験のないボクは、
ひたすら拙著の記述の照合に追われました。
以下、拙著からの引用。
◇堺口地蔵尊の地蔵堂があるのは、
 平野本町四丁目である。
 瀟洒な地蔵堂の隣には、
 ダンジリ小屋の背の高い屋形がある。

 

写真図1 堺口地蔵尊

地蔵堂傍らの案内板にある
「摂州平野大絵図」の環濠跡を探りますが、
町内の方々に尋ねようと、
結局、わからずじまいで、
流口地蔵堂までたどり着きました。


写真図2 流口地蔵堂

以下、拙著からの引用。
流口地蔵堂からの記事です。
◇ここからは高野山に行けるらしい。
 この先の道は広くて真っ直ぐである。
 西に行けば地下鉄駅前に戻り、
 南に行けば喜連で町の外に出る。
 もちろん東に行くしかない。
  道路が細くて曲がっている。
 地蔵堂があるのに恰好の場所である。
 道の先が小さな三叉路になる。
 やはり地蔵堂はあった。
 傍らに役行者の像があった。

 

懸案の田畑口地蔵堂の現在です。
写真図3 田畑口地蔵堂

役行者の像が祀られているので確かです。

 

そこで
この平野郷にも少子高齢社会での
祭事の現況を聞くことになります。

以下、次回にまわしましょう。

 

究会代表 田野 登

 

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