晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


テーマ:

久しぶりに
《海に没した布屋町を探る》を
再開します。

 

《海に没した布屋町を探る(1)》に
次のように記しました。
2017年6月10日(日)、外島保養院顕彰碑を
訪ねた帰りです。

◇中島1丁目の
 五社神社の西の三社神社に向かいました。
 三社神社には、慥か室戸台風の後
 布屋新田から移したという社があったとか?

 

写真図1 三社神社

立派なお社です。
決して「室戸台風の後
 布屋新田から移した社」なんぞでは
ございません。
新たに普請された社です。

 

御由緒が掲げられています。
写真図2 三社神社の御由緒

 

「三社神社御由緒」以下、

漢数字は算用数字に改めます。

 

◇元禄の初め布田新田が開発され 
 いつの頃からか 産土神と
 天照皇大神を始め住吉大神 金刀比羅神を勧請し
 三社神社として祀られる。
 神社創建は 不明ながら石鳥居等に
 嘉永7年(1854年)の年号在り。
 1910年 布屋町が五社神社氏子に編入
 1934年 9月大阪地方を襲った室戸台風の風水害により
 布屋村が流失しその後現在地に移築 今日に至る。
 長年の度重なる天災地変にも屈せず
 氏子の人達の繁栄と発展を守り導いておられます。

 

慥かに「室戸台風の風水害により布屋村が流失」したことが
記されています。

村が流失し、後には地面ごと、
海没したにも関わらず、
今日、境内には
嘉永7年(1854年)の年号の刻まれた
石の鳥居があります。

 

布屋の三社大明神の創建は、

はたして「元禄の初め」なのでしょうか?

この鳥居に刻まれた年号「嘉永」年間と推定されます。

「元禄の初め布田新田が開発され…」と掲示されていますが、
この記事をどのように解釈するのか?

 

次回、開村伝承の世界について
根拠とするモノを挙げて
考えてみることにします。

 

究会代表 田野 登

 

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