晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

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上町台地今昔フォーラムは
2017年9月10日(日)14:00~16:30です。
会場は、大阪ガス実験集合住宅NEXT21 2階ホールです。
写真図1 表紙

 

表紙の下絵は
近代日垣明貫「大阪市中の地蔵盆」
『上方』20号1932年8月号です。

 

上町今昔フォーラムでの基調講演「大阪のお地蔵さん」の準備は
PowerPoint版の編集段階です。

 

写真図2 コンテンツ

 

今回の中心は
《3 大阪の地蔵信仰の歴史・民俗》です。
《(1)近世》《(2)近代》では、
できるだけ実物の文献に近いモノをアップします。
大阪府立中之島図書館所蔵の文献はカラー複写、
大阪市立中央図書館所蔵の文献は写真撮影を用います。
許可を得ての資料です。
(当然、当日の写真撮影はご遠慮願います。)

 

文政7(1824)年版『神仏霊験記図会』の
地蔵記事などお楽しみに。
願掛け作法を読み解いて
当時の大阪人にとって
お地蔵さんが、如何に身近な存在だったかを
ご一緒に想像しましょう。

 

《(2)近代》では
船本茂兵衛「地蔵祭と地蔵尊の由来」
『上方』32,34,36号1933年8月,10月,12月の
高津界隈の詳細なデータを
集計したのをとおして
昭和初期の大阪人は
お地蔵さんに何を祈願していたのかを
読み解きます。
町内の項に「盗難除け」があったりもします。

 

今回、歴史区分を
近世→近代→昭和末期としました。
1980年代後半の
データを「現代」として紹介するのは
このごろ、偽りのように思えてきたからです。
地蔵信仰の実地調査を始めたのは、
ボクの30歳代後半です。
もう一世代も昔のことなんです。

 

この《(3)昭和末期》では、
四條畷高校の生徒たちが
授業時間中に調査した
「高津界隈の地蔵信仰」のデータも紹介します。
『都市文化研究』第3号、1988年4月発行の記事です。
 船本調査から50年後の高津界隈は、
いったい、どう変化しているのか、
お楽しみに。
ボク自身、『都市文化研究』記事中の地図を携えて
あれから30年後の
高津界隈の「今日」を歩きたいものです。

 

写真図3 チラシ

フォーラムへのお申し込みは、
チラシのFax06-6205-3512(CEL弘本さん)または
www.sumai-machi-net.com
お問い合わせは☎ 06-6205-3518
本ブログへのお問い合わせは
ブログトップの「阪俗研」まで。

興味のある方のご参加をお待ちしています。

 

究会代表 田野 登

 

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お盆明けのブログ再開です。
お盆の間、何をしてたって、
ホトケさんのお祭りをしながら、
日本民俗学会の発表要旨を練ってました。
何とか、昨日・2017年8月18日
年会事務局に提出しました。

一息ついたところで、
ブログ再開です。
この間の出来事を時間を追ってと思えば、
今さらながら、8月8日の「精霊流し前夜祭」の報告からです。
写真図1 講演風景

主催者の上野美子さんから「阪俗研便り」に
寄稿していただいた文章の一部を紹介します。
◇8/8 田野氏講演、『かつて水辺に妖怪がいた? 
 ―水都大阪中之島あたりの話』を開催しました。
 妖怪好きな地元を知る子どもたちの参加で、
 講師の田野さんとの掛け合いも楽しく、
 90分のお話を集中して聞いてくれました。
 最後の島本久恵作、狸退治の一節は、
 それまでの画像や写真での
 古今虚実のお話の下地があったこともあり、
 臨場感のある語りでした。
 大人が聞いても楽しかった。(以下略)

 

以下、田野による書き込み。
写真2 表紙

写真図3 「もくじ」

 

いつものPowerPoint版です。
《3 水辺の妖怪や異類のモノたち》では、
「天神祭りに大江山からやって来る
ひもじい鬼が
潜んでいる空間は、はたして、どこでしょう?」
という問いかけをしました。
原話は
藤本義一、1987年「わが天神祭り」
『日本随筆紀行一七』作品社です。

写真図4 「3 水辺の妖怪や異類のモノたち」

《5 玉江橋中津藩蔵屋敷の狸》の語りは、
原作は、島本久恵1961年『長流一』みすず書房です。
今回の語りの後半部分を紹介します。

  (夜の蔵屋敷ちゅうもんは、どんなとこ?)
◇中津の屋敷といいまんのは、だいぶん下には寄ってるけど
 あれでも堂島の内や。それあんた知ってなはるやろ。
 この汐津橋の一つ上が浄正橋、
 その浄正橋を渡ったところが新地裏通五丁目、
 直き玉江橋に出ても一つ向こうの堂島川になります。
 その堂島川に向こうてこっちゃから右が肥後の相良で二万二千石、
 左が豊前中津で奥平大膳大夫の十万石、
 いったい蔵屋敷ちゅうもんは淋しいて、
 日い暮れて通ろもんなら真っ暗がり。
 鼻つままれても分かれへん。
 そこへあの馬鹿、太鼓打って行っきよった。
 さあ待ってましたとお出ましになった。
  (はたして、何に化けよるのやら?)
◇ならんだ大けな二つの火の玉や。
 ところがあいつは怖いこと知らず、折角やけどこたえまへんわい。
 相変わらず一つおぼえの
 『じさこ、ばかでも、おや、よう、やしなう』どんどんどんや、
 狸(たの)やんちいと勝手がちごた。
 けれどこいつもこうなったら根くらべ。
 治三公のわんわんとどんどんで
 押され押され、じりじり後へよって、
 なお眼えひっからかしてからだじゅう気張りよって、
 治三公は火の玉がだんだん大けなるので面白なりよった。
 今度は『大けなれおっけなれ。もっともっとおっけなれ』
 狸やんも根くらべで大けなって、
 とうとうがんぎのきわまで押しつめられて、そこでぱちんや。
  (「ぱちん」ちゅうのは、何の音?)
◇あくる朝、治三公なんやわけのわからんこというて
 会所の衆をば玉江橋の詰までひっぱって行っきよる。
 行てみると狸が死んでた。
 その日もあくる日も仰山な見物や。
 『こいつか、先度わしの提灯消しよったのは』
 『誰や誰が退治た』
 『馬鹿の治三公や』
 『へえ、えらい奴ちゃなあ』で
 とうとうにわかになって初日から大入り。

 

上野さんがコメントされた
子どもとの「掛け合い」は、語っているボクが
玉江橋で精霊を流していた幼い頃のボクに戻り、
子どもたちの世界との交流を
精いっぱい試みました。
少しは果たせたかナ?
それにしても、
原作の大阪弁の効力は、
なかなか捨てたもんやおまへん。

 

究会代表 田野 登

 

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お盆の「休業」宣言?
ボクは今日8月13日、宵から
8月15日宵にかけて
実家でホトケ祭りに専念します。
実家はインターネットのできない環境です。
したがいまして、
ブログ更新、メールのやりとりは、
この間、休止します。
週刊「阪俗研便り」も年一回の休刊です。

 

ホトケ祭りで何をする?
まず、経木に過去帳にある戒名を書き、
盆棚を仏壇の前に設えます。
門口でオガラを焚いて
ホトケさんを迎えます。

読経をお勤めします。

8月15日宵まで
朝夕の読経と
三度三度、精進物とお茶湯を供え、
十時、三時のおやつも欠かしません。
夜さりになると、
「餓鬼に施す 餓鬼に施す」と唱えながら
四つ辻に供えたお茶湯を撒きに出ます。

 

8月15日昼には
住職が参られ
施餓鬼の法要がされます。
8月15日宵には
白蒸しと送り団子をお供えをして、
門口で送り火を焚いて
ホトケさんを送ります。

送る場所は、堂島川に架かる玉江橋の
中之島バンクスです。
精霊流しは、
中之島精霊流し実行委員会が奉仕します。
写真図 「中之島精霊流し」のポスター

川面に向かって
蝋燭に火を点けて
合掌します。
今年は、一本松海運の船に
お供え物を積みこみます。

ボクは今年も

実行委員会の一員として奉仕します。

 

このお勤めの合間にボクは、
日本民俗学会年会の発表要旨を作成します。
西淀川区の水災地調査をまとめます。
まとまるかどうか微妙です。

 

という訳でボクにとって
「お盆の「休業」」なんぞ、
先祖を偲びつつ
自分に課した課題を果たす時間なのです。
しばらく
ブログはお休みします。

 

究会代表 田野 登

 

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◇大阪出身の国文学者・折口信夫は
 自らの故郷・大阪の暮らしを
 「野性を帯びた都会生活」と述べている。
 東京は、
 趣味の洗練・粋を誇り、
 三代住めば江戸っ子というのに対して、
 大阪は、
 二代目、三代目で家が絶え、
 つねに新興の気分を持ち、
 洗練されない趣味を持ち続けているとも述べている。
 折口にとっての故郷は
 まことに野暮ったい都会だったようである。
 その大阪では、
 今も地蔵盆が盛んに行われ、
 その晩、
 お地蔵さんの前で、
 町内の人々がよく踊る。
 天王寺区上本町の将軍地蔵尊の地蔵盆は、
 将軍地蔵尊保存会主催で

  盛大に繰り広げられる。(中略)
 ここでもまた踊る。
 両日とも子供が夕方の六時半から九時まで踊り、
 九時からは大人の時間である。
 大人たちは揃いの浴衣で踊る。

 

この長ったらしい引用は、
恥ずかしながら
拙著『大阪のお地蔵さん』渓水社、1994年、
《序章 暮らしに生きるお地蔵さん》の
冒頭であります。

 

今から23年前、
ボクは「イチダイ」(大阪市立大学)国文の
先生の教えに背いて、
こっそり折口を読んでいたのですネ。
地蔵盆踊りでの野暮ったさは、
大正区千島の子育地蔵尊の盆踊りでは
よりいっそうのことです。
再び、拙著を引用します。

◇…あるお婆ちゃんから次のことを聞いた。
 「昭和二五、六年頃の地蔵盆は、
 夜通しで地蔵の番をした。
 一人のお婆ちゃんが三味線を弾いて、
 一軒前にひとりは出て、
 地蔵さんの前の道路で踊った。
 『トッテラチンチン、それ来たチンチン、
 凧揚げて…焼き茄子…』と歌いながら踊った。
 最終日の二四日は変装して踊った。
 うどん屋の奥さんがお白粉を塗って男役をし、
 私は女役だった。
 大人達男女、へそを出して踊った・・・」

 手拭いを首に団扇を持って踊るのは、

 どこにでも見掛ける光景ではあるが、

 ここでは女性が男装もしたのである。

 このお婆ちゃんなら、さぞかし、

 往年は男装の麗人であっただろうに。

 この性の倒錯は、

 地蔵盆の晩だけのことである。

 ハレの時にだけに許される

 乱痴気騒ぎなのである。

 

ボクが話せば、やっぱり民俗っぽくなりそうです。

9月10日(日)14:00~16:30
大阪ガス実験集合住宅NEXT21における
上町台地・今昔フォーラムにて
大阪のお地蔵さんの歴史・民俗を基調講演します。
写真図 チラシ

参加問い合わせは、
CEL弘本さん☎06-6205-3518まで。

 

究会代表 
『大阪春秋』編集委員
                   田野 登

 

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9月10日(日)14:00~16:30
大阪ガス実験集合住宅NEXT21における
上町台地・今昔フォーラムにて
大阪のお地蔵さんの歴史・民俗を基調講演します。
写真図 チラシ

今回は、お話しする一部を紹介します。

 

先週の土曜日8月5日、日曜日6日にかけて
大阪府立中之島図書館、大阪市立中央図書館に出かけ
貴重書の複写や撮影をしてきました。
近世史料としては
『摂陽奇観』、
『難波丸綱目』、『神仏霊験記図会』に当たり直しました。
近代史料としては、
『大阪府布令集』、『上方』などに当たり直しました。

近世大阪の人名録・商業案内・地誌である
『難波丸綱目』なんぞ、読んでいて、
けっこう、おもしろい。

 

ブログアップの許可申請をしていませんので、
画像でお見せ出来ずに残念です。
当日は、撮影不可でご覧に入れます。

 

大阪府立中之島図書館所蔵
『難波丸綱目』
陰山三郎兵衛/大阪 玉置清兵衛等
*安永6年 1777年

 

『難波丸綱目上』貳之巻の目録には、
次の部立が記されています。

 一 大坂の大図
 一 同竪横町名
 一 難波名物の寄
 一 大坂寺社明物所

 

「難波名物の寄」には、
次の項目が記されています。

 

名木 井水池 石塚 山
名地蔵 嶋之分 森 夜市

 

この内、名地蔵 を抜き出します。

ほやけ 生玉寺丁
ちミん 北野村
たぬき 玉つくり東
おちやとう 農人ばし筋
油かけ あんとうし丁筋
いんだう 天わうじ一心寺前

 

「ほやけ」は「頬焼け」身代わり地蔵、
「おちやとう」は御茶湯地蔵、
「油かけ」は油掛け地蔵、
「いんだう」は引導地蔵。

 

「大坂寺社明物所」の「六地蔵巡」「同四十八箇所」にも
見えない「名地蔵」は、
「ちミん 北野村」と「たぬき 玉つくり東」です。
いずれも村方に祀られているお地蔵さんです。
それだけに
興味がそそられます。

参加問い合わせは、
CEL弘本さん☎06-6205-3518まで。

 

究会代表 田野 登

 

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