晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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中之島精霊流しの〈前夜祭〉は、
8月8日(火)14:00~16:00に
大阪大学中之島センター(北区中之島4丁目3-53)で
「声フェス地鎮」主催で開催します。

《体験!「中之島の精霊流し」》のチラシが届きました。


写真図  《体験!「中之島の精霊流し」》のチラシ

「かつて水辺に妖怪がいた?
 ―水都大阪中之島あたりのお話」
「中之島の精霊流し」が行われる玉江橋で、
幼少期から精霊流しをしてきた氏に、お話を聞きます。
むかしは、さまざまな霊や魂(たましい)、
異形のモノと共に暮らしがあり、
それらはむしろ畏敬の念をもってまつられたりした。
ふしぎやおそれを明らかにした科学の進歩は、
一方でそれらを分け隔てることとなった。
水辺という境界で、
目に見えぬものに想像力を働かせてみると
気づかなかったものがみえてくるかもしれません。

 

当日は、
水辺に登場するさまざまな
妖しげなモノたちを画像で紹介します。
いつもの電動紙芝居PowerPointで語ります。

締めで語る
「玉江橋中津蔵屋敷の狸」が退治される話は
島本久恵1961年『長流一』からの話です。
ちょっと、触りなと、語りまひょ…

 

◇・・・いったいここら、まるで狸の巣うや、
 あっちにも狸、こっちにも狸、
 河太郎と狸はまあこの辺の名物だんなあ。
 ここら川やら井路やら、池みたいな窪地やらで

 水だらけやよって、
 河太郎が多いのは分かってますけど、
 海がだんだん埋もって陸になったちゅう所に、
 狸がなんでこない多いねやろ?
 まさか海からわくのんやおますまいなあ。
 その狸がみな化けさらす。
 けど可愛らしい奴もいましてなあ。・・・

 

はたして中津蔵屋敷の狸は、
いったい何に化けて
玉江橋の橋詰で
果てたのやら?

 

大人の方ならご存知の
おなじみの橋の名や
町名が出ます。
家族間での話のネタになと
いかがでしょうか?

問い合わせ・申し込みは「声フェス地鎮」まで
   meetskids@mail.com
   090-3872-4675

 

究会代表 田野 登

 

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久しぶりに
《海に没した布屋町を探る》を
再開します。

 

《海に没した布屋町を探る(1)》に
次のように記しました。
2017年6月10日(日)、外島保養院顕彰碑を
訪ねた帰りです。

◇中島1丁目の
 五社神社の西の三社神社に向かいました。
 三社神社には、慥か室戸台風の後
 布屋新田から移したという社があったとか?

 

写真図1 三社神社

立派なお社です。
決して「室戸台風の後
 布屋新田から移した社」なんぞでは
ございません。
新たに普請された社です。

 

御由緒が掲げられています。
写真図2 三社神社の御由緒

 

「三社神社御由緒」以下、

漢数字は算用数字に改めます。

 

◇元禄の初め布田新田が開発され 
 いつの頃からか 産土神と
 天照皇大神を始め住吉大神 金刀比羅神を勧請し
 三社神社として祀られる。
 神社創建は 不明ながら石鳥居等に
 嘉永7年(1854年)の年号在り。
 1910年 布屋町が五社神社氏子に編入
 1934年 9月大阪地方を襲った室戸台風の風水害により
 布屋村が流失しその後現在地に移築 今日に至る。
 長年の度重なる天災地変にも屈せず
 氏子の人達の繁栄と発展を守り導いておられます。

 

慥かに「室戸台風の風水害により布屋村が流失」したことが
記されています。

村が流失し、後には地面ごと、
海没したにも関わらず、
今日、境内には
嘉永7年(1854年)の年号の刻まれた
石の鳥居があります。

 

布屋の三社大明神の創建は、

はたして「元禄の初め」なのでしょうか?

この鳥居に刻まれた年号「嘉永」年間と推定されます。

「元禄の初め布田新田が開発され…」と掲示されていますが、
この記事をどのように解釈するのか?

 

次回、開村伝承の世界について
根拠とするモノを挙げて
考えてみることにします。

 

究会代表 田野 登

 

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本ブログ
《「田蓑の森」を謳う校歌の世界(1) 
 2017-02-26 18:22:58》
《「田蓑の森」を謳う校歌の世界(3) 
 2017-03-02 14:29:37》に
佃小学校校歌の歌詞に漢字を宛てました。

 

◇佃小学校校歌
 一、一路坦々との如き 新国道を さしはさむ
   大大阪の 西玄関 これぞ わが住む佃の地

 

この「一路坦々との如き」の「と」について、
「砥」に改めます。
それといいますのは、
2017年7月22日、西淀川図書館での講演の朝、
田蓑神社宮司の平岡努氏からのメールに
次のことが記されていたことによります。
以下、許可を得て載せます。

◇…佃小学校の校歌、
 「一路坦々砥の如し」ですが、
 やはり平坦な道を示す言葉として、
 砥の様なという修飾語が使われており、
 今となっては道は平坦なのが当たり前ですが、
 当時は「平坦で砥石の様に滑らかな」ということは、
 立派な道を表す美辞麗句と考えるのが自然であると思います。

 

宮司さんのご指摘を受けて
「砥」の意味を
*デジタル漢和辞典で確認しました。
 *デジタル漢和辞典:鎌田正・米山寅太郎
  『デジタル漢語林7000』2001、2002、大修館

「砥」の項
①と。といし。(以下略)
②たいらか。(中略)「砥平」
「砥平」:といしのように平らなこと。(以下略)

 

納得しました。
砥石のように平らな道路を讃えたのでした。
宮司さんの解釈が
小学校で習われたかどうかについてお尋ねしました。
2017年7月25日に回答をいただきました。

 

◇…校歌の歌詞についてですが、
 小学校で習ったのかどうかですが、
 正直なところ記憶が曖昧です。
 「とのごとし」を「砥の如し」と説明を受けた記憶は無いのですが、
 なにぶん卒業が30年以上前、
 校歌について習ったであろう学年を考えると、
 さらに前となります。
 申し訳無いのですが、
 習ったとも習ってないともお答え出来ないところです。(以下略)

 

今回、
《「田蓑の森」を謳う校歌の世界(1)》
《「田蓑の森」を謳う校歌の世界(3)》の冒頭に
《佃小学校校歌の歌詞についての訂正》参照のお願いを
載せることにします。
間違ったままに放置する、あるいは、
間違った記事をそのまま、消し去ることは、
読者の方に対して申し訳なく、
ためらいを感じたまでの措置です。

 

究会代表 田野 登

 

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「大阪って新田の街?」
と思わせるようなのが、
『大阪春秋』最新号167号
特集「新田開発と新田会所」です。
写真図1 表紙

じっさい大坂三郷を除き
その周辺部には、
町人請負新田が広がってました。
表紙写真は旧加賀屋新田会所の鳳鳴亭です。
新座敷が池水に映えます。

 

そもそもの新田発想の発端は、
小林義孝「巻頭随筆 平野屋新田会所新たな出発」にある、
忸怩たる思いであるようです。
2008年に主屋や表長屋門の遺構が
永遠に姿を消した…
この出来事が、今回の企画の出発点と窺えます。

 

藪田 貫「総論 大坂の新田開発と新田会所」の記事中に
近世都市大坂とその周辺が
幾筋もの河川に囲まれ、
まるで大小の島の集まりのように見えるとあります。
これらの島々を公儀の都市大坂の新田開発と見ます。
湾岸地帯を探索する者にとって、
まさに眼から鱗です。

 

八木 滋「加賀屋新田の歴史」は、
具体的に加賀屋甚兵衛という人物に即して
記述しています。

 

いっぽうで、
この特集の記事の多くは、
河内の新田の遺構に宛てられています。
井上伸一「新田会所の建造物 縄張り論的視点から」は
加賀屋新田会所の他、
鴻池新田、平野屋新田の会所の結構を論じていますように
今日、「新田会所」としての遺構は、
湾岸地帯ではなく、河内の旧農村地帯に残影が窺えます。

 

別所秀高「新喜多新田と上下の会所 国境をまたぐ新田経営」は、
外観が変更された主屋の古写真と現況を照合するなど、
戦後の農地解放が摂津・河内地域により
異なったことを挙げています。

 

湾岸地域の新田の遺構が
残存しなかったことについては、
島田克彦「大阪湾岸新田地帯の近代 阪神工業地帯形成の底流」が
近代大阪の経済発展と絡めて明察しております。

 

新田開発から大阪を見る視点は、
端緒についたばかりです。
新田には、
会所があって、鎮守社が鎮座する。
新田地帯の神社を探る際、
新田の鎮守社ではないかと
まず、見当をつけることが肝要であることを
「新田のまち 市岡」寄稿に際して
気づかせられました。

 

この間の経緯について、
詳しくは、シンポジウムで語られることでしょう。
写真図2 「新田会所のすべて、再発見」シンポ

日時 2017年8月6日(日) 午後1時半~4時半
場所 大東市立生涯学習センター
   「アクロス」4階多目的室

多数の方々のご来場を期待します。

 

究会代表 
『大阪春秋』編集委員
           田野 登

 

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昨日7月19日、大阪も梅雨明けとか、
いよいよ天神祭も近づき、
大阪も夏本番ですが、
一足先の
「中之島連合振興町会並びに
中之島の精霊流し実行委員会」主催の
「中之島の精霊流し」のポスターが届いております。


写真図 「中之島の精霊流し」のポスター

実は、ボクも実行委員の一人でして
以下のメールが配信されております。

◇中之島の精霊流し
 中之島で永く続けられてきた、
 故人の霊をお供え物と一緒に送る

 お盆の伝統行事・精霊流し。
 一時期、中断されていた舟に乗せ
 川へと流す精霊舟が今年から復活。
 お盆のお供え物を持ち寄って、どなたでも参加可能。
 また、ロウソク(有料)を灯す燭台も川辺に用意。
 (8/8(火)には関連 トークイベントもあり。)
  8/15日(火)16:30頃~20:30頃/
 中之島バンクス東端、玉江橋南詰(中之島駅)/
 参加無料、ロウソク有料/
 
以下、田野による書き込み。
毎年、8月15日、夕方、
ボクは福島区鷺洲の実家での
お盆の先祖祭りを終え、
門口で送り火を焚いて
お下げしたお供え物を携えて
玉江橋南詰まで「精霊流し」に出かけます。
蝋燭を点し、川面に合掌します。

 

ビル街の川面に
ともる精霊流しの明かり。
幻想的な雰囲気が漂います。
お盆の宵の「中之島の精霊流し」は、
川面に渡る風に
ちょっぴり秋の訪れを感じさせる
大阪の風物詩です。
イベント見物としてのご参加も歓迎します。

 

中之島連合振興町会は、
ご先祖さんを、お送りする伝統行事の火を
ともし続けています。

 

今年は「精霊舟が今年から復活」とか…
ありがたいことでございます。
それに
前夜祭として8月8日(火)に
トークイベントがあります。
そこでは、ボクは
「かつて水辺に妖怪がいた?
 ―水都大阪中之島あたりの話」を
お話しします。

トークイベントのご案内は
 後日にまわします。
お楽しみに!

 

究会代表 田野 登

 

 

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