晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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今回も
『江戸知識人と地図』の*「河内国日下村庄屋日記」にみえる
廻村調査の記事を取り上げます。
    *「河内国日下村庄屋日記」
:上杉和央2010年『江戸知識人と地図』
京都大学学術出版会

前回の次の記事の「大枝」を問題にします。


◇一、大江(ルビ:ヲフエ)郷と申ハ日下ノ事ニ而、
  芝も日下ノ内ノよし被申候と治助語申候、
  大江ハ大枝ノ字ノ筈ノ由被申候

 

「大江ハ大枝ノ字ノ筈」とありますが、
これは『五畿内志』の記事に、
何らかの形で反映しているのでしょうか?

*『日本輿地通史畿内部』第三十四、「河内国之八」に
次の記述があります。
原漢文を
書き下します。
*『日本輿地通史畿内部』:
『大日本地誌体系 五畿内志・泉州志』雄山閣、
1929年、215頁下段

 

◇河内郡 郷名 (省略)
  村里 (中略)善根寺 芝 神-並
  〈半角割注:(原漢文)倶に呼て大枝と曰ふ〉

 

この「大枝」にルビはありません。
さらに、日記に記された「大江(ルビ:ヲフエ)郷」は
『五畿内志』には見えませんが、郷名の
「大戸」が記述されています。
◇大-戸〈半角割注:方に廃して
  神並芝二村に存す〉

 

「大江郷」として庄屋日記に記されていた
郷名が『五畿内志』には「大戸」に書き改められたと
考えます。
「大戸」は氏族 の「日下ノ連 大戸ノ首」の項目に記載があります。
それは次の記事です。
◇倶に(中略)安閑天皇の御世、
  御宅を本国日下大戸村に造立す

 

水辺をも暗示する用字「江」が捨てられて
首長の本貫地「大戸」に質したようです。

では「大枝」は間違いだったのか?
 

この先は、『五畿内志』を追うことを止めて
*現代の地名辞典の記事でまとめにかかることにします。
  *現代の地名辞典
    :『角川日本地名大辞典27』1983年、216頁

「おおえ」の項目です。
◇おおえ 大戸〈東大阪市〉
  [古代]大戸郷 平安期に見える郷名。
  「和名抄」河内国河内郡七郷の1つ。
  大戸村とも書いた。(中略)
  なお、*延久4(1072)年9月5日付の太政官牒に、
  石清水八幡の宮寺領である林燈油薗の散在地として見える
  「大江里」は、大戸の里のことであるという(枚岡市史3)。

 

地名辞典は「大戸」を「おおえ」と訓じ、
「大江」を「大戸」に内包しています。
「大枝」は地名辞典では
「おおえだ」に挙げられています。

 

それは北河内の守口市の地名にあります。
同市の「大枝」は地名辞典によれば
「「大治江」(おおじえ)の転訛」と記述しています。
庄屋日記の「大枝」記事との関係は
もちろん不明です。

 

明らかなことは、
廻村調査時に書きとめられた記事が
幕撰地誌たる『五畿内志』には
書き換えられ、

その書き換えられたのを伝承していることが
往々にしてあるということです。
書き換えられた記事の「真偽」については
問わないことにします。

なぜなら、時代の思潮によって
「真偽」とされる事柄が反転することが屢々あることを
少ないながらの経験上、知っているからです。

 

究会代表 田野 登

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*江戸幕府による最初の幕撰地誌と見なされ、
享保20年から21年にかけて出版された地誌に
略称『五畿内志』があります。
*江戸幕府による・・・『五畿内志』:
ja.wikipedia.org/wiki/五畿内志
並河誠所によるの記述には
今日、読み返せば疑問点が多くあります。

 

それには調査活動のあり方にも問題がありそうです。
そこで『五畿内志』における廻村調査を
取り上げることにしました。
『江戸知識人と地図』に*「河内国日下村庄屋日記」が
挙げられています。
    *「河内国日下村庄屋日記」
    :上杉和央2010年『江戸知識人と地図』  京都大学学術出版会

 

以下、その記事を紹介します。

◇一、今朝五ツ時並河五市郎殿上下五人ニ而日下被通候、
   昨夜中垣内ニ被泊今朝被通候、
   作兵衛も自分も未大坂ゟ不帰候故、治助方へ立寄、

 

並河誠所一行、5人は庄屋不在の日下村を訪ね
庄屋の代わりの治助方に立ち寄ることになったようです。
かなり廻村調査は駆け足で行われたように推察します。

 

「河内国日下村庄屋日記」の続きは以下のとおりです。

◇日下村ニ大戸と申所ハ田地ノ字なとニも無之候哉とて
   水帳写見被申候而、
   善根寺村ノ大殿と申字大戸ニ極り候由被申候

 

日記の「大戸」「大殿」にルビがありませんので
この2件の地名をどのように訓じたのかは不明ですが、
水帳を写して、同定したことがわかります。
「大戸」「大殿」の訓みはいったい、どうだったのでしょう。
今日、どのように伝承されているのでしょう。
それは次回に廻しましょう。

 

続きは以下のとおりです。

◇一、桜井 英多[ルビ:アカダ] 新伊[ルビ:ニイ]
大宅[ルビ:ヲフヤ]と申す在名
河内郡之内に有之筈由相尋被申候よしニ候

 

「有之筈由相尋」とありますように
誠所一行は見込み調査をしていたことがわかります。
当然のことながら実地調査には
事前の調査があって功を奏します。
この日記中のルビの訓みは
一行の発音を反映したものなのでしょうか?
それとも誠所一行と村人・治助の協業の結果なのでしょうか?

 

続きは以下のとおりです。
◇一、大江(ルビ:ヲフエ)郷と申ハ日下ノ事ニ而、
  芝も日下ノ内ノよし被申候と治助語申候、
  大江ハ大枝ノ字ノ筈ノ由被申候

 

ここでも「筈」(はず)の字が気になります。
「大江ハ大枝ノ字ノ筈」とあります。
「大江」の「ヲフエ」は現代仮名づかい表記では
「おうえ」です。
それが「大枝ノ字」のはずだなど
一行は仰ったと記されています。

 

一連の日記の記述からは
外来者である誠所一行と
地元の日下村治助との
関係性が読み取られます。

この庄屋日記からは
いかにして『五畿内』という
最初の幕撰地誌が記述が行われたのかを
知る手がかりが得られそうです。

 

外来者と地域住民の関係性を
『江戸知識人と地図』は見透かして
次のように記述しています。

◇治助や長右衛門も、
  知的権威者たる誠所との接触の中で、
  地域に関する知を獲得ないし
  再検討する機会を得たのである。

 

情報の双方向性を読み取っています。
しかし、懸念されることもあります。
「知的権威者」による
地域誌の解釈、さらに書換といった操作の問題です。

 

次回は、「大枝」をめぐる
今日の解釈を紹介します。

 

究会代表  田野 登

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「野田まち物語」仕掛け人が浦江塾に登場します。
先日、浦江塾会場のお寺である妙壽寺から
案内ハガキが届きました。

写真図 妙壽寺から案内ハガキ

文面は以下のとおりです。
郷土誌を見直す『浦江塾』のご案内
福島区に生まれ育ち、家業(機械部品製造業)を継がれ、
傍ら障がい者関連活動を行いながら、地域の歴史、長屋の
魅力にも取り憑かれ、今は「まち歩き」のガイドとして
活躍されているという、一見変わった経歴の郷土史家の
お話です。野田村の話は初めてですので楽しみです。    
 日時 12月3日(土曜日)午後7時より9時迄
 場所 妙壽寺(福島区鷺洲2-15-10)駐車可
 テーマ 「野田村よもやま話」
        まち案内人(旅程管理主任)
           鈴木和夫先生

 

以下、田野による書き込み。
このブログの読者のみなさんは、
「大阪市福島区野田」という所をご存じでしょうか?
ボクがすぐさま思い起こしますのは
新鮮な魚介、野菜を卸す中央卸売り市場。
その市場への貨物引き込み線跡緑地のお狸さん。
かつての「新堀」と云われた安治川の遊所。
なによりもインパクトが強いのは、
七箇所のお地蔵さんを参ると御利益があるという
「ななとこまいり」の町です。

 

「郷土史家」と称されるのに
多少、違和感を感じておられる照れ屋の鈴木和夫さんは、
実は「野田まち物語」の仕掛け人なのです。
「野田まち物語」って何?
これは
  ↓ここをクリック
www.noda-na-noda.net
「まちに寄り添い、つむぐ物語」とあります。
何のこっちゃ?
「まちに寄り添いながら
 まちの魅力を発信するまちづくり団体」なんです。

 

2015年3月の浦江塾で、
「ルージュの微笑み化粧地蔵って何?」で
お話しされた長尾智子さんは
「野田まち物語」のメンバーです。

 

鈴木和夫さんからは
「当日は、まち歩きをしている感じで話したいと思います。
 今、PCで、写真を貼りあわせています」との
最新情報が届いております。
「まち歩き」ガイドのアングルから捉えられた
郷土・野田とは、どんな町でしょう。

これまでの郷土史家とはひと味違った
都市に住む人たちの暮らしぶりが
表現されることでしょう。

 

今年の浦江塾では
北区大淀(浦江・大仁)、此花区伝法、福島区鷺洲など
地域の生活誌を取り上げました。
今年の締めは福島区野田です。
乞うご期待。

 

浦江塾参加は、いつもどおり
無料で、参加手続き不要。
直接、会場にお越しください。
配付資料は30名程度しか用意されません。
お問い合わせは、ブログトップの「阪俗研」まで。

 

究会代表 田野 登

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前回、『江戸知識人と地図』を読み解く中で、
『摂津志』記事への批判がましい態度を示しましたが、
今回は*『摂陽群談』記事を取り上げます。


*『摂陽群談』:岡田徯志『摂陽群談』
蘆田伊人編、1976年『大日本地誌大系三八』雄山閣出版)

『摂陽群談』第五「島の部」に
「田蓑島」の項目があります。
この『大日本地誌大系三八』本(以下、「大日本地誌本」)の
「摂陽群談例言」五カ条中の第三カ条に
底本についての次の記述があります。

 

◇本巻は、享保20年大坂の書林河内屋にて
    発行したる刊本を以て底本となし、
    傍ら元禄14年版のものを以て参考となし、
    書中の引用文は、概ね其原書に泝りて、校訂を加へたり。
     (中略)大正5年4月 蘆田伊人識

 

底本は享保20(1735)年大坂の書林河内屋刊本であります。
今回、この「大日本地誌本」と

底本である「享保20年河内屋本」との校合を試みます。

 

後に明らかにするつもりですが、
些細な異同が「田蓑島」をめぐって
異なる言説を発生させた原因だと考えるからです。

底本とみなす「享保20年河内屋本」は
大阪府立中之島図書館所蔵の「大坂 河内屋八三郎」と
明記された版本を用います。

まず「大日本地誌本」の記述を載せます。
改行は筆者によります。

 

◇田蓑島 *同郡に属す。方角所指不詳。
  一説、佃村にありと云へり。
  因て村民、田蓑島と称するの島、今にあり。
  田蓑神社・座摩摂社あり。
  (以下の歌寄せ省略)*同郡:西成郡

 

「大日本地誌本」の記載箇所には、

ルビは一切、ありません。
次に「享保20年河内屋本」の記述を載せます。
この本の原文は漢字カタカナ交じり文ですが、
カタカナはひらがなに置き換えます。
これにはルビがあり、[  ]内にカタカナで記します。
返り点、熟字記号は省略します。
句読点は打たれていませんが、

「大日本地誌本」と対応すべく
適宜空白を入れ、改行をします。

 

◇田蓑[タミノゝ]嶋 *同郡に属す 方角所指不詳
  一説、佃[ツクダ]村にありと云へり
  因つて村民田蓑の嶋と称ずるの嶋[シマ] 今にあり
  田蓑の神社座摩[サマノ]摂社[セツシヤに]あり
  (以下の歌寄せ省略)*同郡:西成郡

 

「大日本地誌本」と大きく異なるのは、
 「大日本地誌本」における「田蓑島」が
 「享保20年河内屋本」では「田蓑[タミノゝ]嶋」
あるいは「田蓑の嶋」である点です。

 

「大日本地誌本」では、この島を
「ノ」抜きで「たみのしま」と読む虞がありますが、
 「享保20年河内屋本」では「たみののしま」と
訓むことを求めています。

この異同は
前例に沿って「たみののしま」と訓むのが
正確な訓みであります。

「ノ」抜きの「たみのしま」では
「田蓑」とは異なる
「たみ」なる単語を想起させることにもなります。

 

今回の分析は、
「田蓑島」佃島説を容認するものではありませんが、
「田蓑島」浦江説を切り崩す端緒にはなります。
浦江説を否定するには
近世における往古図の地名表記との照合を待たねばなりません。

 

その前に、

地誌作成と地図作製を試みた並河誠所による

「廻村調査」で行われていたことを
明らかにすることが先決です。

 

究会代表 田野 登

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今週末11月26日(土)は
大阪あそ歩で錦秋の浦江・大仁を案内します。
先達ての20日(日)、鷺洲の実家に泊まっての
ルーティーンとして妙壽寺に墓参りをしました。

 

妙壽寺は浦江塾の会場です。
写真図1 妙壽寺本堂

桜もみぢが美しかったもので
檀信徒合同墓壇に引き返しました。
写真図2 妙壽寺檀信徒合同墓壇

来春の藤が楽しみです。
この寺の藤は
明治21年鴻英舎発行『大阪市中近傍案内』の
「四季遊覧表」「藤ノ花」に載ってます。
 ○野田村春日社地 ○北野太融寺 ○天満社地
 ○浦江妙壽寺 ○天王寺内 ○(尼寺)月江寺
 ○大仁村(玉藤) ○東本願寺別院 ○住吉郡苅田村

「野田村春日社地」を筆頭に
「大仁村(玉藤)」とも載ってます。

 

踵を返して了徳院に戻ることにしました。
山門を入ると「歓喜天尊」石碑です。
写真図3 「歓喜天尊」石碑

当日は、この光景を
初代長谷川貞信「浪花百景」の「浦江の聖天」、
安政二(一八五五)年版、『大聖歓喜天霊験経和訓図会』の
北方に渡った淡路の廻船人・高田屋嘉兵衛霊験譚にあてられた
松川半山挿絵と見比べることにします。
実にお見事です!

 

お馴染みの芭蕉句碑のある弁天池です。
写真図4 了徳院の弁天池

何とか今週中は散らないで
錦秋の秋を魅せて、そんな思いです。

 

東海道線ガードを潜れば
昔の北浦江、今の北区大淀南です。
氏神さんの八坂神社の桜もみぢが気になります。
写真図5 浦江八坂神社の桜もみぢ

週末に向けての天気が気になります。
 

ここも楠は大丈夫です。
知る人ぞ知る郷土力士・山錦関奉納の楠です。
写真図6 浦江八坂神社の山錦関奉納の楠

昭和5(1930)年夏場所に優勝した
山錦は当地・浦江出身で、
現在の鷺洲小学校、関西大学を経て
角界入りした異色の力士でした。
先場所、優勝した豪栄道は
大阪府出身として「山錦」以来の快挙です。
(大阪に、あんまり強い相撲取りが出ないのは
 なんでやろ?)

 

浦江八坂神社は源氏物語「澪標」の巻に
記される「田蓑島」の伝承地の一つです。
写真図7 浦江八坂神社由来の「たみののしま」

そろそろ浦江の「田蓑島」の伝承にも
結着がつきそうです。
早く話したくてウズウズしています。

 

今回の案内は浦江で終始しましたが、
大仁を経てゴールは梅田スカイビル。
その先はグランフロント大阪です。

今回は都会の中に鄙びた「浦江」を見つけた
喜びを綴りました。

 

大阪あそ歩「浦江・大仁コース」のお申し込みは
事務局までです。
  ↓ここをクリック
https://www.osaka-asobo.jp/course227.html

 

究会代表 田野 登

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