晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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大阪は西を海に臨む都市です。
大阪湾には太陽が沈みます。
今日、四天王寺では春秋の彼岸の中日には
入日を拝む修行、
日想観を修す勤行が行われています。
上町台地の西の丘陵が
日想観の聖地ではないかと考えます。

近世のガイドブック『摂津名所図会』には
家隆塚、一心寺、四天王寺に
日想観の記事が見えます。


1月23日(土)の午後、
近鉄・上本町駅から生玉神社を南に合邦ヶ辻まで
そこから東に逢坂を登って四天王寺西門までを
往復して来ました。

写真図1 谷町九丁目駅の電光地図


地図の下側(西側)を右(南)に行きました。
寺町筋を南北に走る丘陵から
西を臨もうという趣向です。


写真図2 生国魂神社の崖




「崖縁占い」の看板が見えます。
人生も崖っぷちに立って
初めて気づくこともあるでしょう?
ここも日想観の聖地?
これは未確認です。

寺町筋を南に清恩寺を過ぎて
源昌寺坂方向(北)を振り返りました。


写真図3 源昌寺坂方向(北)



地球儀のようなオブジェは
その名も「ホテルLOVE」
崖の上には生と死の交錯する
諸行無常の世界です。


程なく学園坂です。
東西は切り通しになっています。
写真図4 学園坂



学園坂を松屋町筋に下る半途です。
右手(北側)は
大阪夕陽丘学園高校のグラウンド。
上町の落差を実感することができます。
この高台の高さは
西の海に沈む夕陽を見るロケーションとしては
いかがでしょう。
いささかながら期待します。

学園坂を下ってしまいましたので
今度は口縄坂を登ります。
勝鬘院の多宝塔を目途に
南に行きますと
右手(西)に小藪が見えます。
それが家隆塚です。
写真図5 家隆塚
     前方の木立に見えます。




ここが日想観の聖地?
へぇ、ここから夕陽が眺められたの?
今から約900年前のこと。
さらに『古今著聞集』といった
説話集に記された伝承です。
写真図6 家隆塚




まずは心眼で以て
滄海を観て
波間に消える太陽を
観て下さい。
イメージを喚起するために
*『摂津名所図会』巻之二「家隆卿墳」の
冒頭を載せます。
 *『摂津名所図会』:版本地誌体系10、臨川書店、1996年


●勝鬘院の後にあり。
 地名を夕陽山といふ。
 塚上に古松あり旧棲松と呼ふ。
 又側に夕陽庵ありこれを旧址といふ。
天王寺にてやまひかきりける最後の歌七首の中
夫木 難波の海雲井になして詠れハ
   遠くも見えす弥陀の国ハ 家隆
   契りあれハ難波の里にやとり来て
   浪の入日をおかミつる哉


次回は一心寺に向けての道から始めます。


究会代表 田野 登


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昨日のことです。
明け方、六時半過ぎ
通勤に家を出ますと
西の空高く、まん丸い月が残り、
東の空は生駒の山際が
朱色に染まっていました。
まさに冬の暁です。


檀那寺である妙寿寺から送られてきた
「曹洞宗宝暦」を繰りますと
1月24日が「初地蔵」で旧暦12月15日でした。
旧暦では正月はまだ半月ほど先なのですね。


そんな訳で阪俗研会員の西村芳行さんからの
寄せられたメールで以て
正月レポートの続篇を書くことにします。
前回《 お正月レポート 2016-01-19 18:13:06 》を
ブログアップしました。
    ↓ここをクリック
http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-12119292561.html
中西一美さんからの投稿でした。

「中西一美さんからのメールに触発されて」と

西村さんからのメールには書かれています。
西村さんとは
《民俗学的な思考って何?:2016-01-18 09:43:50》で
コラボレーションをしました。
↓ここをクリック
http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-12118775886.html
その延長線上でのレポートでもあります。


●平成27年の歳の暮れから
 明けて平成28年正月の僕の生活
 暮れには町内の餅つきあり準備で体がガタガタになり、
 子育てサロンではサンタクロース役をやって
 乳幼児を20名ほど泣かせてしまった。
 生涯学習ルームでは折り紙でクリスマスツリーを作り、
 晦日前には2日間町内の夜回りをした。
 晦日に家の周りと我が書斎の整理整頓をし、
 いよいよ大晦日には
 ベートーベンの第9交響曲を聴きながら
 年賀状を書きだした。・・・・


以下、田野による書き込み。
ここまでが歳末の記事です。
ずいぶん西村さんの歳末の記事には
サンタクロースやベートーベンやらの外国人の名前が
書きとめられています。


このことから
日本の歳末の習俗にけっこう
欧米起源の文化が組み込まれていることに気づきます。
しかし、よく考えてみますと
サンタクロースがやって来るなんぞ
どこか日本の社会に昔からあった
折口信夫風の発想をすれば
マレヒト神のような気もしますね。


正月の記事を紹介します。
●正月明ければ、
 元旦に妻が作ったお節料理を食し、
 雑煮餅を1個食べた。
 2日には孫たちがやってきて
 いくらかのお年玉を渡し、
 3日にやっと年賀状の郵送が済んだ。
 9日には連合町会の餅つき大会あり、
 19日には小学1・2年生の伝承あそびに
 地域の大人たちとして参加した。
 21日と22日は

 この春卒業生のやきものづくりの指導にあたる。
 本職の〆切が20日であったが、
 よくよく思うと、

 仕事をそっちのけで過ごした日々であった。


以下、田野による書き込み。
さすが年が明けますと
カタカナことばが見当たりません。
餅つきなんぞ
最近は町会の年中行事になりましたね。

先日、図書館で調べ物をしていたら
携帯電話がブルブル震え出しました。

実家の隣の姐ちゃんからで、
寒い時期だけに何ぞとドキッとしましたが、
町会で餅を搗いたから
取っておいたから帰ってお出でという
連絡でホッとしました。


昭和25年、大阪市に生まれ育ったボクですが
自分で餅を搗いた経験はありません。
隣の姐ちゃんの家など
昔は若い男衆が餅を搗き
おなごたちが餅を丸めていたようです。

ボクの家では早くから
賃搗き屋に頼んで
家の前で搗いてもらってました。
賃搗き屋のおっちゃんたちは
普段は大工さんやったりしました。
それでも家族総出の餅つきでした。
「クモチは験が悪い」といって
28日までには餅つきを済ませてました。


その餅つきも
わが家ではしばらく餅つき機で
義姉と妻がやってましたが、
ボクは知らん顔でした。
今ではもうやめたようです

昨日、実家の町内で搗いてもらった餅を
頬ばりながら
今搗く餅は寒の餅なんやなぁと
感じ入ってました。


今回、西村レポートから餅つきの話題だけを掠めて
子どもの頃を回想しました。
繰り返される暮らしに息づいた行事を取り上げ
生活様式、家族構成、地域共同体の変化の中で
さまざまな変容を考えてみるのも
民俗学のおもしろいところです。


究会代表 田野 登

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《難波は日想観の霊場なり》の記事となると
ベタベタの国文学やなぁ
石橋を叩いても渡らないようで
臆病な人間やなぁと思われているかも知れません。
いつになったら民俗っぽい話を書くんやと
思われていることでしょう。


弁解をしますと、
近世の観光ガイドのような本を研究対象にしますと
どこからどこまで
正確な引用なのか戸惑うこと屡々なのです。
大いに作り話ありの世界でしょう。


そんな事情で
『摂津名所図会』の記事を検証するために
約150年後の稿本『摂津名所図会大成』(以下『大成』)の
記事を取り上げます。
*『摂津名所図会大成』の
「家隆卿墳」の記事を挙げます。
*『摂津名所図会大成』:

暁鐘成『摂津名所図会大成』
   船越政一郎編纂校訂、

1928年『浪速叢書八』浪速叢書刊行会
   1855年以後草稿


●著聞集に云
 家隆卿ハ老に及びて仏道を信じ
 嘉禎二年十二月廿三日年七十九
 病によつて出家し
 摂州天王寺に行き
 翌年弥陀の本願に帰し
 念仏の他なく
 四月八日和歌七首を詠じ
 翌九日酉の刻往生すと云々
 
引用が長くなりましたが、
この記事に続いて『摂津名所図会』と
同じ記事が載せられています。
後に記された『大成』は
「著聞集」を引いています。
「著聞集に云」に始まって「云々」までです。
「著聞集」は『古今著聞集』です。

『古今著聞集』は
前回、引いた『和歌大辞典』には、
「鎌倉期物語」「建長6(1254)年成立」とあります。


『古今著聞集』では
家隆臨終の詠歌は
「巻五 和歌」と「巻十三 哀傷」の二箇所に見えます。
「巻五 和歌」は導入文に続き
「契りあれば」歌だけが載せられています。

いっぽう*「巻十三 哀傷」には
『大成』が引用した箇所に続き
「契りあれば」歌、「なには(なは)の海」歌、
それに続く五首が載せられています。


このように見ますと
『摂津名所図会』の編集事情が見えてきます。
『夫木和歌抄』からの引用のように記していますが、
実は『夫木和歌抄』に50年程、先行する
『古今著聞集』による可能性があります。
『古今著聞集』は説話を集めたものです。
となれば近世地誌の家隆塚の記事も
鎌倉期にはすでに物語化したものに
基づいて記述されたものとも考えられます。


ここまで書きますと現在の「家隆塚」って
ホンマに藤原家隆を祀った墓なのか?
という当然の疑問が生じてきます。
写真図 「伝藤原家隆墓」の表示(天王寺区夕陽丘町)




天王寺区役所が2006年に発行した
「わがまち天王寺」には「伝藤原家隆墓」とあります。
「伝」が付いています。
説明文には、ちゃんと
「由来するといわれる」と記されています。
誰がいったのかは書かれていません。


前回の『夫木和歌抄』に見える「為家」と
「為相」との問題は
次回まわしです。


究会 代表 田野 登

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前回は、*『夫木和歌抄』における
藤原家隆の最後の歌を挙げました。
●なにはの海雲居になして詠むれば
 遠くもみえずみだのみくには
*『夫木和歌抄』:校註 国歌大系第22巻
    1986年、講談社発行、
    国民図書(株)編、夫木和歌抄巻第三十四 釈教


『夫木和歌抄』は
*『和歌大辞典』には、
「鎌倉期私撰集」延慶3(131)年頃、撰定云々とあります。
*『和歌大辞典』:明治書院、1986年発行


臨終の際、

家隆には
難波の海を雲居の方に眺めやると
阿弥陀のいます極楽浄土が
間近く見えたというのでしょう。

これに続いて載せられる歌に入る前に
気にかかることがあります。

この「なにはの海」歌で
家隆が眺めたのはいったい何だったのでしょう。
入日とはありませんね。

『摂津名所図会』では
この「なにはの海」歌に続いたのは次の歌でした。

●契りあれハ難波の里にやとり来て
 浪の入日をおかミつる哉


浪の「入日」を拝むというのです。
この「契りあれば」歌は
実は『夫木和歌抄』には記述されていません。

家隆の「契りあれば」歌が見えるのは
*『古今著聞集』です。
 *『古今著聞集』:『古今著聞集 愚管抄』黒板勝美編輯
  (新訂増補 国史大系第十九巻、吉川弘文館、
  初版1930年、2000年新装版)
  古今著聞集巻五 和歌

●頭注:壬生家隆臨終詠七首歌事
 壬生二位家隆卿、八十にてをはり給ける時。
 七首の歌をよみてぞ回向せられける。
 臨終正念にてその志むなしからざりけり。
 かの七首の中に。
  契あればなにはの里にやどりきて
  波のいりひをおがみけるかな


『摂津名所図会』と同じく
「なにはの海」歌に続き
「契りあれば」歌が配されていますのは、
『摂津名所図会大成』です。
『大成』の二首の歌の導入に当たる記事には
『摂津名所図会』にはない記述が見えます。

どうも『摂津名所図会』は
孫引きをしている可能性が出て来ました。
次回にまわします。


究会代表 田野 登

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浦江塾で「売れても占い商店街」の昔を

ご覧に入れます。
妙壽寺からのハガキはこれです。
写真図1 浦江塾ご案内のハガキ




文面は以下のとおりです。


郷土誌を見直す『浦江塾』のご案内
 近くに「福島聖天通商店街」があります。大正時代
から続く古い通りです。“売れても占い”とか言って
気合を揚げているようです。近辺はグルメの町で有名
ですが、戦前は賑やかな通りで西の心斎橋筋と言われる程
でしたが、現在の状況と今後の活性化を検証してみます。
 日時 2月6日(土曜日)午後7時より9時迄
 場所 妙壽寺(福島区鷺洲2-15-10)駐車可
 テーマ 「福島聖天通商店街の今昔」
福島聖天通商店街理事長
草野 則一氏
終了後、情報交換等の雑談を行います。ご参加下さい。


以下、田野による書き込み。
新聞テレビでお馴染み「売れても占い商店街」の理事長の
草野 則一さんに
ある時、一枚の書店街を撮影した
古い写真がもたらされました。
これが今回の企画の始まります。


看板に「神林堂」と書かれています。
神林堂という粟おこしの店なら
商店街の中ほどにあったことを
ボクも記憶しています。
ここの粟おこし屋の紋章もたしかに
写真のとおりの天神さんの梅鉢でした。


写真は大正時代のものと聞いてます。
看板には「美人おこし」とも
「内外砂糖大勉強」とも書かれています。
「美人おこし」の「美人」とは誰なのでしょう。
「福おこし」というのは聞いたことがある感じで、
お多福さんが売り込みになっていたのでしょうか?
その当時、砂糖は貴重品だったのでしょうか?
写真には12人写っています。
全員、着物を着ています。
当時はスナップ写真がなかったのでしょう。
全員、横並びで
笑っている店員以外、

全員が写真機に向かっています。
一枚の写真から想像力が膨らんできます。


発表なさる草野さんは
「売れても占い商店街」の

立ち上げ人の一人です。
「売れても占い商店街」とは奇妙なキャッチフレーズですね。
数年前まではハナキンにだけ
何人もの占い師が
商店街の店舗に店を開いてましたが、
今はどうでしょう?

写真図2 「売れても占い商店街」
     2013年8月撮影




そもそも、
この商店街に占い師が立ったのは、
商店街の名に負う聖天さんの信者だった
江戸時代中期の観相家の水野南北が・・・・
と云った話はホンマのこと?
この話の発端は
近世勧化本

『大聖歓喜天霊験経和訓図会』にある話です。
今でいう写真入りのガイドブックにある

霊験譚なのです。


発表者の草野理事長をはじめ商店街の皆さんは
アイディアマンたちで
全国の修学旅行生に
「商人(あきんど)体験」と称して
地元の名産品を販売させるなどの企画で
商店街、地域の町おこしをされています。


その辺のホンマのところの話を
2012年、大阪市立大学の大学院修士課程を

修了なさり
講演活動も盛んになさる草野理事長から
聖天さんの北隣のお寺で聴けるというのは
いかがでしょう。

明日はPowerPointの編集作業を
草野さんと二人でボクの部屋でします。
ご期待下さい。


究会代表 田野 登

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