晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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未明に本日の「中之島探索」に参加される方に
メールを送りました。
いささか誇大妄想的な内容ですが・・・。

● ご参加を歓迎します。
 中之島には、いったい何があるのか?
 図書館があって、公園がある。
 それだけでしょうか?
 かつては何があったのでしょうか?
 「島」だったら刑務所があってもおかしくない。
 「島」だったら女工宿舎があってもおかしくない。
 「島」だったら隔離病棟があってもおかしくない。
 「島」なら隔離性が認められないのでしょうか?
 中之島は、今日、「島」ではないのでしょうか?
 今までガイドしたり原稿を書いた場所ですが、
 虚心坦懐に探索したいと思います。
 そこに「島」の性格を読み取ることのできるものが
 見つかるかもしれません。
 今回のフィールドは、いつでも離脱できる場所です。
 西端に行き着いたら乾杯です!
 ただボクは登山家や行者のような精神の持主ではありません。
 目的は歩き続けることではありません。
 歩かないと見えないモノがあると信じているだけです。
 歩いて考える。考えて歩くのの繰り返しです。



ボクの歩くことの「悪循環」はともかくとして。
刑務所はなかったのか?
気になって日文研電子地図にあたりました。
ありました!
「改正新版大坂明細全図」
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_1163.html
(図像の許可をいただいてなくて済みません。)

「監獄分署」がありました。
その場所は「中ノシマ一丁目」です。
時は「明治十五年八月出版」です。

「中ノシマ一丁目」のこの場所は
土佐堀川に架かる橋でいえば
栴檀木橋と淀屋橋の間ですので
今日、大阪市役所の東部で、
大阪府立中之島図書館玄関の西側です。

写真 大阪府立中之島図書館玄関


ただ、今日とは地形が全く異なり、
この「監獄分署」の先(東側)には
「明治紀念標□築地」、さらにその先には、
「豊国」「公園地」が見えるだけです。
島の東端は難波橋を
わずかに突き抜けています。
難波橋は架け替え前ですので
現在より西に位置します。


「豊国」は豊臣秀吉を祀る神社です。
「監獄分署」の背中合わせには
「大阪始審裁判所」と表記されています。
「太閤」と裁判所に挟まれた場所に
刑務所があったのです。
ちゃんと「太閤」は
大阪の近代に担ぎ出されているのも
おもしろいことです。


それと、島の先端近くに監獄が設置されているのも
おもしろいことです。

この監獄の場所を
明治28(1895)年の*地図で読みました。
*地図:「大阪市明細地図」日文研電子地図
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_1203.html
その場所は
「明治紀念碑 公園」になっています。
「豊国社」の場所は、
この時代まだ移動していませんが、
島の先には「大阪ホテル」の建物が
描かれています。

大阪のツーリズムが出発するのが
中之島の東端というのも何か意味がありそうです。
これから場所の意味を考察することになります。

12時、JR東西線大阪天満宮改札口出発です。
遅れてはなりませんので
本日はこれまでにします。


究会代表 田野 登

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前回、『摂陽群談』の「島」と表記されている
場所を挙げると書きました。

地域は摂津国のうち、現在の大阪市市域に比定される
住吉、東生、西成の各郡に限定されます。

検索の対象は《巻第五 島》の「島」に
《巻第一 摂津国諸歴附郡村里国俗》のうち
村里の名称に「島」を含むものです。
ただし、訓みが不詳の名称があり、
順番は暫定的なものです。

これらの表記の場所を「島」の前に
接する辞を五十音順に並べました。

前接辞50音順:28件
 阿閇島(アベ―)/江之子島/恵比須島/加島村/
 川島/九条島*九条島村/柴島*国島村/小島村/
 四貫島*四貫島村/島村/城島(シヤウ―)/将棊島/
 利島(ト―)/大仏島/竹島村/田蓑島/出来島(デキ―)/
 寺島/堂島*堂島村/富島/中之島/難波島/稗島村/
 福島村/増(マ―)島村/前垂島(マヘダレ―)/
 御幣島(ミテクラ―)*御幣島村/南島村


ルビの振られているものは
すべて、そのルビに従って並べました。
ルビが振られていない場合、
現在の地名を参考にして暫定的な訓みをしました。

「柴島」は、その例の一つですが、
これは《巻第一・・・村里・・・》に「国島村」に
「本字柴島を略して、今国島と改作る」とあり、
これを「くにじま」と訓んだことによります。
現在地名に引きつけて訓むことの危険は
「御幣島(ミテクラ―)」にみとめられます。
現在なら「ミテジマ」となります。


これを郡別(五十音順)に整理しました。
『摂陽群談』による
東生郡、西成郡の区別は、
次に示す《巻第一 郡》「大坂」の記事にみえます。
●・・・大坂の市中に郡を分つこと、
 古語俗伝にも証不詳。大概論之。
 今の東横堀より、東を東生とし、西を西成とす。


大阪の東生(東成)、西成の境界につきましては、
諸説ありますが、上記に従って分類しました。

郡別 前接辞50音順
方角未考:1件
 利島
住吉郡:1件
 島村
東生郡:3件
 阿閇島/将棊島/南島村
西成郡:22件
 江之子島/恵比須島/加島村/川島/九条島*九条島村/
 柴島*国島村/小島村/四貫島*四貫島村/城島/
 大仏島/竹島村/田蓑島/出来島/寺島/堂島*堂島村/
 富島/中之島/難波島/稗島村/福島村/増島村/
 前垂島/御幣島*御幣島村


いかがでしょう?
自明でなかった「島」、
集落を指す「島」も、このリストには
含まれているかも知れませんが、
およその「島」の偏りがみえます。

西成郡に圧倒的に集中しています。

上町台地を挟み
その東西に水辺が南北に連なっていたのが、
大阪の地形の原形と考えます。
しかし、上記の分析によれば
「島」の分布は
上町台地の北西部に偏っています。


本ブログにおける《大阪の「島」めぐり》の
フィールドは、
上町台地の西斜面を下った東横堀川の
さらにその西を中心となります。


写真図 中之島の西端


明日、10月31日(土)は
阪俗研で、中之島の「島」としての性格を
探りに歩きます。
以下、昨日、毎週木曜日配信の
「阪俗研便り」の中之島探索を貼り付けます。
会員、会友でなくてもご参加ください。
参加費は無料ですが、
保険をかけていませんので
自己責任のもと歩いてください。


FWです。調査です。
当日はガイドをしません。
参加者はツーリズムのお客さんではありません。
一緒に仕事をして情報は共有し合います。
各自、「中之島」が載っている地図を持参してご参加ください。
ボクの関心は地図によって違った中之島が見えてくることです。
大いに怪しい絵地図、やたらに詳しい地図、観光マップ、
どこかの施設が発行している案内図、誰かのメンタルマップ
アホくさがらずに些細なことでも発見する喜びを分かち合いましょう。
参加費無料のFWです。探索です。カメラはご用意ください。
意外な場所の連続でしょう。日没まで歩きます。

集合場所:JR東西線「大阪天満宮」駅改札口
集合日時:10月31日(土)pm0:00

お問合せはブログトップの阪俗研のアドレスまで。

配布物は用意しません。

各自、ご参集ください。


究会 代表 田野 登

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今回の浦江塾は
大学院で、これから文学研究を深めようとする日下宗大さんに
「中間報告」をしていただくことになりました。

それが、けっこう難題なのです。

浦江塾といった場は
きっと彼の両親よりも高齢の方々がたくさんおられる所でしょう。
そこで発表するのですから。

妙壽寺からのハガキが先ほど届きました。
いつものハラハラドキドキの思いで読みました。
以下、文面を紹介します。

写真図 浦江塾のご案内のはがき




郷土誌を見直す『浦江塾』のご案内
「夫婦善哉」の著者、オダサクで知られる織田作之助の
「可能性の文学」の論評と現代の文学論との対応関係を
みると「語り」を通して民俗学など他領域へも射程が広がる。
オダサク自身「語り」は「虚構」「嘘の話」と言う。
それでは我々日常生活の「語り」はどうでしょうか。 
 日時 11月7日(土曜日)午後7時より
 場所 妙壽寺(福島区鷺洲2-15-10)駐車可
 テーマ 「オダサクの文学論と私」
大阪大学大学院研究科
日下 宗大研究生
終了後、情報交換等の雑談を行います。ご参加下さい。


以下、田野による書き込み。
この文面を読む限り、
住職にも今回の意図が理解していただけたと思います。
毎回、間に立って伝言ゲームのような危うさを体験しています。
ボクは誰と誰の間に立っているのでしょう。
発表者、はがき発信者の間?
そこで忘れてはならないのは塾参加者です。
いわば視聴者です。読者です。


ジャーナリストの池上彰の文章に
編集することについて書いたのを
最近、国語表現という科目の教科書で読みました。
放送局、新聞社、雑誌社には、編集者がいます。
ボクが間に立っていると思うのは
この人たちとよく似た立場だと思います。

何でもかんでも、あるがまま、
自然に、ほっといたら情報が伝わるものではありません。
いくら素晴らしい情報の持主であっても
切り口一つで
視聴者・読者に受け入れられることもあれば、
そっぽを向かれることもあります。

情報を共有し合える環境が大事です。

話し手と聴き手との関係性が問題です。
その点、日下宗大さんは
「若いのに」、よう浦江塾にも顔を見せてくれてます。
彼は今まで、聴き手でいてくれました。
それだけに聴き手の方々について
まんざら知らぬ間柄ではありません。

昨日も電話で一言、相談を受けました。
いくら何でも「術語」の説明だけは
やらせてくださいよと。
ボクは余りにも
難しい専門用語を用いるのではなく、
できるだけ日常の言葉に翻訳してくださいよと
今回、言ってきましたもので。
もちろん、それで結構ですよと答えました。


またまた本番を迎えるまでハラハラドキドキです。
講演会やセミナーを企画するのは、
けっこう骨折りです。
タイトル一つ決めるのも
発表者のよい点を引き出さねばなりません。
もちろん参加者にはがっかりさせたくありません。
今回はタイトルは「私」あるいは「ボク」で行こうということで
折り合いがつきました。
それが「オダサクの文学論と私」です。
これなら彼自身のことで済みます。

何も知ったかぶりして
客観的になんぞ、力まなくてええのです。

ボクが彼に求めていますのは、
決してオダサクをめぐる
「日本文壇史」などではありません。
はたまた、ボクも若い時分、ちょっとだけ囓った
ジャン・ポール・サルトルの実存主義など
いくらオダサクが述べていようと
説明しなくてもよろしい。


オダサクを話題にして
日常生活において今まで気づかなかった
「自分」を再発見することです。

最後に念のため
ハガキの文面の
「オダサク自身「語り」は「虚構」「嘘の話」と言う」の解釈ですが、
順序を変えて
「「語り」はオダサク自身「虚構」「嘘の話」と言う」の方が
わかりやすいでしょう。

オダサクの評論には「語り」ということばが見えません。
「虚構」「嘘の話」を「語り」として解釈しているのは
日下宗大さんです。

この解釈によって話がパッと開けてきます。
皆さんも嘘をついたりはしないけれど、
お話は知らぬ間に
それなりに、こしらえたりしていると思います。
相手にわかってもらうためのことです。
それは編集して
少しばかり演出したりもします。
そんなのは、いまさら池上彰さんに言われなくても
当たり前のことですね。
「語り」 はひとつ間違えば「騙り」になります。


若い研究者の今回の発表が
お互い、頭をほぐすきっかけとなれば
大成功です。
ボクもリラックスして臨むことにします。


究会代表 田野 登

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《なにわ大阪「島」めぐり》を
まず『摂陽群談』の《巻第五 島》の「島」表記から
始めましたが、
地名に組み込まれた「島」も対象にすることになり、
《巻第一 摂津国諸歴附郡村里国俗》をも
検索しました.。


地図を参照しているうちに、
自明としていた「島」の意味が揺らいできました。
『日本国語大辞典』の「島」の第1義の
「周囲を水で囲まれた陸地」の他に
第2義の「水流に臨んでいる①のようなところ」もまた
「島」と称されていたことに気づきました。
木津川左岸(東岸)の「前垂島」がそうです。


漢字「島」を和語「シマ」と区別して考えたのが
柳田国男、折口信夫です。

『日本国語大辞典』の「島」の語源説 に
次の項目があります。

 (9)本来は邑落を意味する語〔島の人生=柳田国男〕。
 (10)本来は宮廷領を意味する語〔万葉人の生活=折口信夫〕


論文発表の前後に従って(10)の折口説を先に挙げます。
引用するところの折口説は*「万葉びとの生活」中の記事で、
初出「白鳥 第四号」1922(大正11)年7月 です。
*「万葉びとの生活」:青空文庫
 
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46965_27477.html

●あきつしま・しきしま・やまとしまは、
 水中の島から出た語尾でなく、
 却つて村の意味の分化したものと見るがよからう。(中略)
 泊瀬の国・吉野の国などは、万葉にも平気に使はれてゐる。
 しまともくにとも言ふ村が、

 大和一国にも、古ければ古い程多かつた。(中略)
 しまは、くにの古語と言うてよい様である。


残念なことに折口説には
大和一国の例示しか挙げられていません。
「島」の漢字が宛てられ、

水辺に関わる地名だと思い込んでいたのが、
この説のとおり「村」だとすればどうしよう。
『摂陽群談』の「島」にもあるかもしれません。


次に(9)の柳田説です。
*「島の人生」に次の記事があります。
初出は1951(昭和26)年8月です。
*「島の人生」:『柳田国男全集』1、1989年ちくま文庫
●美濃の東南部をあるいていた際に、
 島内安全という文字を彫刻した

 路傍の立石を見たことがある。
 島はあの辺では民居の場合、
 今の言葉でいう部落または大字のことらしい。(中略)
 つまりは大昔、我々のシマという日本語に、
 漢字の島を宛てたのが当らなかったのである。(中略)
 わずかに伝わった中古以来の文献を見渡しても、
 シマは一つ一つの邑楽のことであり、
 人が久しく共にした特定の民家群のことであった。


民家群を「シマ」と呼び
いつしか「島」や「嶋」の漢字を宛てたというのでしたら、
近世の文献『摂陽群談』の島々であっても
当時の地図に図像で確かめることのできないものは
一応は、検証の対象となります。


「大阪は古来、水辺にできたマチだ」なんぞ、
「島」の地名が多いからやと
思い込んでいるなら
完全にこけてしまします。
水辺にできたマチといった先入観を
捨ててかかることにします。


そんなこんなで、
もはや自明の「島」ではないかも知れない「島」を
次回、挙げることにします。
我ながら、このもたつきが楽しいのです。
読者の方々のおつきあいに感謝します。


今日の午后は
戦後、埋め立てられたのですが、
中津川中州にあった鼠島をガイドします。


究会代表 田野 登

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子どもの頃、
たしか、お婆ちゃんから聞いたような
聞かなんだような
耳の底に残っている
曖昧模糊とした世界。
そんな記憶の世界を訪ねませんか?


《民俗学散歩
 ―忘れかけた大阪の

伝承世界を覗く―》の
連続講座を始めます。


「民俗学」は
お祭りや伝説を研究する学問です。
今回のシリーズは、
大阪の水辺の異界を覗くことにします。

中之島といえば
今日、大阪の文化を発信するエリアです。
「中之島」が中州の「しま」であることを
歩いて実感してみませんか?


ボクの連続講座は
教室で学んだことを
現地を歩いて確かめる方法をとります。
今回のシリーズで歩くコースは
福島、堂島、中之島、網島、都島です。

まるで島巡りですね。

写真図 伝説スポット

      福島天満宮鳥居からホテル阪神方面

      



菅原道真、源義経といった歴史上の人物から
餓鬼や河童、
それに巴紋の鯉や鵺(ぬえ)といった
妖怪まで潜む
水辺の異界の世界を覗いてみませんか?


体験学習は11月25日(水)です。
そこは、ちょっと欲張って
「都市民俗学入門」を
通天閣のビリケンさんを例に
「民俗学」の発想を講義します。


詳しくは、本ブログ
    ↓ここをクリック
http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-12075493216.html
「大阪中之島周辺の「民俗学散歩」をしませんか?」

お申し込みは
大阪産経学園
電話 06(6373)1241


究会代表 田野 登

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