晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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2015年秋の阪俗研セミナーは、
「お好み講座3講」を開催することにしました。

お気に入りを選んでご参加ください。

第1講 合邦ヶ辻界隈の解釈
第2講 港区の街角の歴史
第3講 「浪花浦」の伝説


第1講《合邦ヶ辻界隈の解釈》は
歌人であり、民俗学者であった
木津村出身の折口信夫のマレビト論を
合邦ヶ辻・長町・難波界隈を舞台に検証します。


第2講《港区の街角の歴史》では
市岡新田時代の名所、名産品から
「築港」の光と影、繁栄と悲惨を、
戦後復興期の史上稀なる嵩上げ工事などを説明します。


第3講《「浪花浦」の伝説》では
大川、堂島川、曾根崎川の流れに沿って
近松門左衛門の作品、伝説を紹介しながら
「水都」の裏側を探ります。


いつものエネルギッシュなPowerPointの画像が
展開します。

日程は
第1講 合邦ヶ辻界隈の解釈:

9月19日(土)第3土曜 pm7:00~
第2講 港区の街角の歴史 :

10月24日(土)第4土曜 pm7:00~
第3講 「浪花浦」の伝説 :

    日程を下記のとおりに書き換えました。

    11月28日(土)第4土曜 pm7:00~


場所は、福島区民センター:大阪市福島区吉野3-17-23 。

野田阪神駅から徒歩約4分。

参加費は、1000円。ただし会員は半額。

お申し込みは、ブログトップの「阪俗研

tano@folklore-osaka.org まで。
 
究会 代表 田野 登

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《阪俗研セミナーで折口学に迫ります》を
シリーズにすることにしました。
折口学に迫るのは1回では済みませんでした。


前回は短大でのご意見を踏まえて
折口はホンマに女性の心理の複雑なところを
理解していたのだろうかといった
本ブログには似つかわしくないテーマに
はまりました。


阪俗研の会友で
大阪区民カレッジ北校ディレクターの大橋清氏に
お願いした感想文の
メールには次のように書かれています。
●8月25日午後、城南女子短大の公開講座に参加しました。
 「合邦が辻界隈の解釈-折口信夫の明察による」という、
 タイトルからして難解そうで、
 民俗学とは無縁の私が受講しても
 歯が立たないとは思っていたのですが、
 田野先生とのご縁もあり、
 思い切って出かけた次第です。
 先生のパワーポイントを駆使した講義には迫力があり、
 わからないなりにお聞きしましたが、
 案の定というか、
 レベルの差をつくづく実感しました。(中略)
 あえて印象に残ったところをあげるとすれば、
 玉手御前や信徳丸のことでしょうか。
 民俗学とのかかわりはわかりませんが、
 人の気持ち、人情の機微がうかがえました。


以下、田野による書き込み。
ここでも男女二人の「人情の機微」なのです。
もう、それなら
いっそ、サラッとボクの解釈で済ませましょう。
今回で結着をつけましょう。


父・合邦に不義を罵られ
脇腹には刀がささる
その時の*玉手の言葉を抜きます。
 *玉手の言葉:戸板康二編『歌舞伎名作選 第二巻』
        1953年、創元社
●〽えぐるこぶしを、手負は押さへ、
玉手 オヽ道理でござんす。憎いはずぢや、
 是には深い様子のある事、
 物語る内此の刀必ず抜いて下さんすな、かゝさん腹帯〳〵。
   ト是にて老母、建立の幟(はた)とつて、玉手の腹帯にする事。


この愁嘆場で語ろうとする「深い様子」とは何でしょう。
●〽苦しき息をほつとつき、
 様子といふは外でもなく、
 外叔腹の次郎丸様、年嵩に生れながら、
 後に生れし俊徳様に、家督を継がすを無念に思ひ、
 壺井平馬と心を合せ、
 世継の俊徳様を殺さうといふかねての巧み、
 推量ばかりか委しい様子、
 立聞きして南無三宝、


河内国の長者・高安通俊の正妻である玉手にとっては
次郎丸も俊徳丸も同じ義理ある継子です。
その間柄にあって俊徳丸を殺害するたくらみを
立ち聞きに知った玉手は
えらいこっちゃというわけです。
続きます。

●義理ある中のお子といひ、
 元は主人の若殿さま、殺させては道立たず、
 此の上は俊徳様、御家督さへお継ぎなくば、
 次郎丸様の悪心も自然とやみ、お命に別条なしと、思案を定め、
 心にもない不義いたづら・・・・・、
 
今は亡き正妻の子・俊徳丸の家督相続さえなくなれば
事は無事におさまると決意した

玉手が取った行動は?
●〽いふもうるさや穢らはしい。
 妹背の固めと毒酒を進め、
 難病に苦しめしも、
 お命助けうばかりの手立て、
 不義でないといふわけは、肌身放さぬ此の盃・・・・。


自分から恋を仕掛けたと見せかけ
毒酒をあおらせ
「難病」に罹らせたというのです。
この不治の病に罹れば
当時はその場所にとどまることを
許されませんでした。
これは誤った知識に基づき、
差別と偏見にとらわれたものでした。

ウィキペディア「ハンセン病」の項目で確認ください。
   ↓ここをクリック
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%97%85

俊徳丸が高安家から放逐さえされれば
せめて命だけは助かると読んだのです。
父・合邦はなお詰ります。

次郎丸のたくらみを高安通俊に告げれば
こうもなかった云々と。
それに対して玉手は
●・・・その様子を夫へ告げなば、
 道理正しき*左衛門様、
 お怒りあつて次郎丸様を、
 お手討か切腹は知れた事、
 次郎丸様も俊徳丸も、
わたしが為には同じ継子、
 義理ある中に変りはない。・・・
*左衛門:高安通俊


この科白どおりでしたら
玉手は継子・俊徳丸への邪恋はおろか、
継母としての筋を通す女性と読み取られます。
ケレン味のない解釈に戻ります。


もう、それでいいでしょう。
この問題を深読みすれば
折口文学の術策に嵌まります。


次回《阪俗研セミナーで折口学に迫ります》は
阪俗研での切り口を整理します。


究会 代表 田野 登

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阪俗研205年秋のセミナーⅠで
折口学に迫ります。

実は短大では、
なかなか折口学に迫ることができませんでした。

何よりも「摂州合邦辻」の玉手御前の心理の複雑なこと!
お家騒動の中、
継母・玉手が俊徳丸に
毒を盛ったことの真意です。
それが原因で俊徳丸が盲目となるのです。
その俊徳丸は殺害の難を逃れて家を出ます。


講座を終わってからの雑談で、
参加されていた女性の方から
「玉手は本当は俊徳丸に恋心を抱いていたのでは?」との
ご指摘がありました。
「折口も、そこのところ
3通りの解釈をしていますよ」と受け答えしておきましたが、
そこのところの確認をしておきましょう。


*引用文の出典は以下のとおりです。
折口信夫、1947年「玉手御前の恋」
 『折口信夫全集』第18巻、1967年、中央公論社

やはり3通りの解釈をしています。
第一に全く恋の心がなかったというものです。

●第一に、玉手に全く恋の心がなかつた、
 恋も念じてゐなかつた言ふ風に考へることが出来る。
 作品の形式的な考へ方からすればさうなる。
 つまり始め計画した時の形はさうであつたと言へるだらう。


この解釈は玉手の科白どおりのものです。
ボクなんぞ、恋のことなど面倒くさいから
その額面通りの解釈を紹介した故に
講座の後の指摘を戴いた者なのです。
この解釈に対し第二、第三の解釈は
女性の心理の複雑なところを読み取っています。

折口論考の引用を続けます。
●次に、恋は感じてゐるが、
 総べての恋を犠牲にした女である、と作品の上では考へられる。
 自分のもらるの為に、犠牲にしたのである。


あってはならぬとされる恋です。
玉手は継母ですものね。
しかし文学の世界では光る源氏の物語では
亡き母の面影を慕い、
すがる光る源氏になすすべなく応えたのが
ゆかりの藤壺でしたね。
それに、合邦ヶ辻の芝居では
俊徳丸には許嫁の浅香姫がいるではありませんか?
それにもかかわらず
恋にはまったというのでしょうか?


次に第三の解釈です。
●第三には、かうも言へる。
 恋は感じてゐるが、
 苦しい恋から解脱する為に、憎まれる様にして、
 斬り殺されることを願つた女として
 書かれてゐると見ても成り立つであらう。
 斯うみると、或点、消極的な意味だが、
 恋の為に身をすてた女と言ふことになる。


女性の心理として
恋心を包んで態と「憎まれる様に」などあるのでしょうか?
もうボクは
この辺になればやめにします。
勝手な妄想に耽る気はありませんから。


折口は次のように続けます。
●併し又、此作物に出て来る玉手は、
 作者の出来心から生まれた者とも見られる。


なんや話を複雑にしておいて
「作者の出来心」なのか?
実はボクは、初めから
そう決めてかかっていて、だから
講座では次の箇所の紹介から始めたのです。

●つまり、江戸時代の作者の、
 女に対する理会、言ひかへれば、
 女と言ふ者はかう書かなくては面白くないと言ふ、
 昔の文学の型どおりの女の書き方から

 生まれて来たのだとも言へる。
 すると此恋は、空な恋になる。


そんなものでしょう。
「昔の文学の型どおりの女」で済ませる気なのでしょう。
純愛小説でもあるまいし、
客の気をそそるのが眼目でしょう。

次の記述に納得していました。
●併し、舞台に出て来る玉手のする所をみると、
 確かに、妖婦毒婦と言つた感じが横溢してゐる。
 そしてそれが又、此場の、見物を誘惑する所でもある。
 それがなければ、みたくない。


観客は「妖婦毒婦」の」最期に魅せられて終わるのです。
もっとも折口にいかほど
女性の心理を見抜いたのかについては
疑問もありますが・・・・。
その点はご指摘のとおりです。


阪俗研セミナー秋の第一回は
9月19日(土)午後7時~
福島区民センター
資料代等1000円。
阪俗研会員は半額です。

お申込みはブログのトップの
阪俗研のアドレスまで。


究会代表 田野 登

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8月23日(日)午前、合邦ヶ辻界隈を歩き、
写真を撮ってきました。
今日、短大で話す
「合邦ヶ辻界隈の解釈―折口信夫の明察による」の
確認もあってのことです。

簡単に写真で追ってみます。

JR天王寺駅東口を出ますと「天王寺区悲田院町」です。
四天王寺四箇院の一つの「悲田院」の名を残しています。
悲田院は『摂津名所図会』などによりますと
乞丐人(コチガイニン)が蝟集したらしい。

JRの地下道を抜けます。
庚申街道です。

玉造筋を渡りますと
西下胃腸病院の前に
陽刻された

地蔵が祀られています。
写真図1 西下胃腸病院の前に地蔵




「法界」と刻まれています。
拙著『大阪のお地蔵さん』には
高野道と思しき文字を読んでいます。
庚申街道は高野山へと通じる信仰の道でもあります。


かつて胃腸病院経営者の屋敷跡は
高層マンションです。
坂を下り駐車場傍ら北向には
「おはぐろ地蔵」が祀られています。

写真図2 おはぐろ地蔵尊




この地蔵は拙著には「葛井寺」「高野山」と
読んでいます。
子を亡くした親が道しるべに
地蔵を建立した話はよく聞きますが、
「おはぐろ」が「漿(かね)付け」なら成女の儀式です。
わからないままです。


北に下ったところの道路を南東に行けば
近鉄南大阪線「河堀口(こぼれぐち)」駅にも通じます。
このあたりの町域は「北河堀町」と云います。
和気清麻呂が開削に失敗をした堀川の跡と伝わります。
西を向けば
紅提灯が吊られています。
8月23、24日は地蔵盆です。

写真図3 清水地蔵尊




清水地蔵です。
井戸があって地蔵があって
町内の女性たちが世話をなさってます。

水が涸れたと思いきや
水がいまだ湧いているようです。
柳田國男を読んでいる時代でした。
ここには弘法井戸の伝説もあります。
地蔵が先か、井戸が先か
井戸があって地蔵が祀られたのでしょうか?
8月の第一日曜は
町内で井戸浚えをしているとおっしゃいます。
七夕の行事です。
井戸を浄めるのは一連のお盆の行事です。


庚申堂に詣でました。
西側の境域にたくさんの庚申塚があります。
写真図4 庚申塚




これまた先延ばしになっている
研究課題です。


庚申堂の東門を出て
すぐの所に超願寺があります。
竹本義太夫の墓があります。
鞘堂におさまっています。
写真図5 竹本義太夫の墓





超願寺の山号は「土塔山」です。
「土塔」となれば行基集団の建立した
謎のピラミッド型の石組みの山です。

国道25号線の北に
提灯が四天王寺南大門まで連なっています。
「土塔地蔵」です。
写真図6 土塔地蔵尊



ここでも高齢の女性たちが
祭りの準備をされたます。
話しかけますと
「前にも来られましたなぁ」とおっしゃられ
「そうでんねん。
20年前、お地蔵さんの本を書いているときでした」と
答えました。

それにつけても四天王寺界隈に「土塔」の
伝承があるのを
よくもほったらかして、
無駄無駄と20年もの歳月を費やしたものです。


四天王寺南門が見えてきました。


写真図7 四天王寺南大門




今回は、ここまでです。
今日の午後の講演に向けて
最終点検を始めることにします。


今日の短大での講演は
阪俗研セミナーで9月19日に
角度を変えて話します。


究会代表 田野 登

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9月の浦江塾では『大阪春秋』の世界が聴けます。
昨日、9月の浦江塾のご案内のハガキをいただきました。

写真図 9月の浦江塾のご案内




文面は次のとおりです。
郷土誌を見直す『浦江塾』のご案内
いまや大阪唯一の郷土雑誌である『大阪春秋』。本誌は
創刊42年、10月1日発行予定の秋号で通巻160号を
迎えます。“名もなき無力な庶民の有志によって企てら
れた”『大阪春秋』の編集方針や160号までの歩みを、
福島区の記事などを見ながら、紹介させていただきます。    
 日時 9月5日(土曜日)午後7時より
 場所 妙壽寺(福島区鷺洲2-15-10)駐車可
 テーマ 「郷土誌『大阪春秋』160号の道のり」
         大阪春秋』編集主幹
          長山公一先生
終了後、情報交換等の雑談を行います。ご参加下さい。


以下、田野による書き込み。
気が付けば『大阪春秋』だけだった!
とは時季にも合わぬお寒い状況です。
「大阪」は残念なことに
文化の面におきましても
厳しい状況に立たされています。

例えば博物館です。

先日のブログで
「ワッハ上方」なる演芸資料館を確認しますと
大幅に縮小され、かろうじて
千日前に存続していることが確認できました。
「リバティ大阪」なる人権博物館も存続が危ぶまれ
「ピースおおさか」なる国際平和センターは
展示内容の大幅な改変がされました。
政治が文化の分野への関与を強めているのです。


出版界に話を戻しましょう。
かつては大阪の歴史・文化・観光を載せる雑誌に
『大阪人』がありました。
それがいまや『大阪春秋』だけになりました。
その経緯を*ウィキペディア「大阪人」の記事から
抜いて紹介します。
*ウィキペディア「大阪人」:最終更新 2014年9月8日 (月) 07:27
●(1947年(昭和22年)に『大阪人』を創刊した、
 大阪市の外郭団体である)
 大阪都市協会は2007年(平成19年)に解散したため、
 同年5月号からは大阪市都市工学情報センターが発行元になった。
 橋下徹市長による「外郭団体改革」の一環として、
 発行元への業務委託(平成23年度約2,400万円)が
 2011年度をもって廃止されたことなどにより、
 2012年4月2日発行の5月号増刊
 「古地図で歴史をあるく」をもって休刊となった。


市民が選んだはずの政治家によって
一連の文化事業が廃止・縮小されてきているのです。

それを許容するのも反対するのも

市民・府民の見識に関わる問題です。

このような文脈のもとに
『大阪人』休刊も位置づけられます。


ボクの関わっております
「明日の大阪府立中之島図書館を考える会」も
同じ流れの中で
図書館の存続が危ぶまれる中で
立ち上げられたものです。
  ↓ここをクリック
https://sites.google.com/site/nakalibforever/


今回は
「いまや大阪唯一の郷土雑誌」となった『大阪春秋』を
とりまく環境に焦点を当てましたが、

大事なことを忘れていました。


お盆の14日、
実家で編集主幹が作成した
今回講演の「郷土誌『大阪春秋』160号の道のり」の
PowerPointの画像を一緒に見ました。
さすがです。

ボクなど編集委員の一人ですが
見たこともない『大阪春秋』編集部が
40年からの歴史の間に
所蔵した貴重な画像が
披露されます。


そういった珍しいもの拝見の興味のある方も
ご参加ください。

いつもどおり
参加費無料、参加手続き不要です。
ただし30名程度しか資料は用意しません。


究会 代表 田野 登

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