晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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6月1日、大阪市北区民センターで
大阪区民カレッジ受講者に
中之島蔵屋敷の伝説を話します。


この話は、2011年、日本民俗学会が
滋賀県で開かれた時に口頭発表したものです。
ペーパーとしてまとめるつもりで収集した
データに基づき
講座で話すことにします。


講座となれば、
気合いを入れ直して
画像をふんだんに用い、
聴講者の方々と
画像を媒介にして
語りかけることになります。


今回のコンテンツはこれです。
伝説化する「蛸の松」コンテンツ

1 北区中之島にある「島」
2 中之島「蛸の松」
3  「蛸の松」への関係者の思い
4  「蛸の松」伝説の構造
5 伝説化する蔵屋敷浜の景観


《1 北区中之島にある「島」》を
今回加えました。
「島」を大阪市北区の方々に対して
今さらながら中之島という「島」を認識して
いただくための表現に苦労しました。

本ブログでは「蛸の松」の舞台となる
中之島の現在を取り上げることにします。


そこで、まず歩きました。
東西に3.2キロほどです。
距離は大したことありません。
写真図1
 島の東端




今、物議をかもしている、
東京の新国立競技場の
審査委員長をした
大阪出身の建築家・安藤忠雄氏が構想したのが、これ
「剣先の噴水」です。

噴水を八軒屋浜で見たことがあります。
時間が来れば川面に放水をしていました。
昔、「山崎ノ鼻」と呼ばれた東端が
もっと西に突き出てました。
鼻を垂れるのも尾籠ですが、

「水都」のイベント期間中は、
もちろん堂々と川に向かって時間どおりに
「放水」していました。
今はどうだか知りません。


眺めてみますと
2本の敷石が水上に向かっているように見えます。
まるで航空母艦の甲板のように見えてきます。
「剣先」といっても
そんな戦闘的な空想は慎むべきでなのしょうか?


中之島は大阪の誇る文化芸術エリアです。
市役所、日銀支店、
公会堂、図書館、美術館などなどが
建ち誇っています。

東の中之島一丁目から西の六丁目まで東西に
連なります。

この島の住民である桐生幸之介氏は
この島の住民人口が最近、
増加傾向にあることを
『中之島の足あと』2015年3月発行の
「「住む街」中之島の移り変わり」に
次のように解説されています。

●平成2年~現在:
 大阪市立科学館や
 国立国際美術館が完成し、
 文教地区として
 魅力を高める中之島。緑地、
 水辺の景観の魅力にも
 磨きがかけられる。
 そのような中之島
 居住への人気が高まり、
 マンション開発が進み、
 中之島3丁目から
 西側の人口が急速に増加する。


この最西端はこの写真です。
写真図2 中之島最西端



小説「泥の河」はここから始まります。
先端がアールがかっていて美しい!
さすがの水都イベントも
「西端」を客寄せスポットにしなかったようです。
釣り糸を垂らす人士を見たことがあります。
「不埒」で「危険」ですよね。


写真の正面(南)に見えるのは
住友倉庫です。

ボクの話は、ここからです。
蔵屋敷の伝説です。
昔、中之島の蔵屋敷に
「蛸の松」と称される
珍しい松が植わってました。
それが、いつの間にか
戦国武将の伝説が語られるようになりました。
この講座は満席です。


究会代表 田野 登

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今週月曜日5月25日午後、北区民センターでの
大阪区民カレッジで講師を務めました。

途中、北区の堀川戎に立ち寄って
有名なダンジリ稲荷を拝観したりして
リラックスしてから臨みました。

写真図 北区の地図 北区民センター設置




大阪市北区の「梅田」をたっぷり話しました。
それも梅田のお墓周辺をお話ししましたので
まさに「梅田三昧」です。

コーディネーターとして
講義を聴かれた
浜田容子氏に今回もレポートをお願いしました。
ご多用のところ原稿をいただきました。

●5月26日(月)大阪区民カレッジ
 「民俗学からみる北区の名所1」を受講しました。
 44名の方が受講され満員御礼の盛況です。
 午前中はヤジ馬ヤジ北(北区ガイドボランティア)が
 中津から南浜、昭和の風景が残る中崎町を案内しました。
 午後からの田野先生の講義では
 南浜の火葬三昧から大阪七墓のお話し。
 梅田はいつから梅田なのか。
 綱引天神社の着飾ったかわいい牛の写真を見せていただき
 牛の藪入りや農耕儀礼としての神事にまで
 深いお話しを伺いました。
 何度もお聞きしたお話しなのに
 新たな発見もあり有意義な講座でした。


以下、田野による書き込み。
こちらこそ、何度話をしても
まだまだ疑問点が出て来そうです。
この「梅田の牛の薮入り」の話を調べ始めたのは
ボクをかわいがってくださった
宮田登先生のご指導を仰いでいた時代ですので
20年ほど昔のことです。

『日本民俗学』(1997年8月)には

ペーパーで発表しましたが、
まだまだボクの中では進化中です。


今回、北区では「七墓」を洗い直しました。
なんと大阪の中心地と思われている「北区」に
元禄前後の時代、三個所の墓が集中しているのです。
梅田、浜、葭原です。
梅田、浜(現在・南浜)は
奈良時代の高僧・行基の伝承が残されています。
南浜の墓は真西の源光寺とはつながっていました。

源光寺には

三昧聖の関与する堂舎もありました。
   ↓ここをクリック
http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-11483872759.html
「阪神北大阪線沿線・源光寺における行基伝承
 -『摂津国南浜村源光寺文書』を軸に-」:2013-03-05 13:56:11


源光寺文書には次の記事があります。
●乍恐書付を以御願申上候/
 一渡辺民部殿御代官所
 摂州西成郡南浜村
 浄土大念仏宗本山 源光寺開山行基菩薩
 *1来ル辰年千年忌相当り申候、
 依之、為供養、来丑三月十九日より同廿五日迄、
 取越法事執行仕/度奉願候、
 右御許容被成下候ハゝ、難有可奉存候、
 以上/摂州西成郡南浜村本山源光寺 印
 *1来ル辰年:延享5年(1748)。


源光寺は、行基菩薩千年忌供養のための法事執行願いを
御奉行所に提出しています。
『摂津国南浜村源光寺文書』にあたれば
もはや「行基の伝承」などではなく
行基を渇仰する三昧聖の行動が記録されています。


では肝心の「梅田三昧」となりますと
『摂陽群談』「梅田墓所」を引くことになります。
これはいずれにしましょう。
データ入力をする時間が
今日はありません。


今日、大阪の中心である梅田の周辺に
行基伝承を伴う三昧(墓場)がかつて
存在したことは
近代における市街地の発展と絡めて
捉え直してみると
死をめぐる近代都市の論理が
読み解かれます。
これまたいずれ考えることになります。

究会代表 田野 登

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来月の浦江塾では
長山雅一先生から
「近代産業機構としての製薬会社」を
地域論の視点から
わかりやすくお話ししていただきます。


今日、出かけしなご住職から
ご案内のはがきをいただきました。
写真 浦江塾ご案内のはがき





文面は以下のとおりです。


郷土誌を見直す『浦江塾』のご案内
近代産業の世界遺産認定がブームになっていますが、
ここ福島、特に海老江大淀地区には数多くの産業遺産が
見られます。最近それらが取り壊される現実に郷土史に
関心を持つ我々が、ただ傍観しているだけで良いのかとの
問題提起に、皆様のご意見を戴きたいと思います。
 日時 6月6日(土曜日)午後7時より
 場所 妙壽寺(福島区鷺洲2-15-10)駐車可
 テーマ 「近代産業機構としての製薬会社
―地域論の視点から―」
    文化財研究所前所長  長山雅一先生
終了後、情報交換等の雑談を行います。ご参加下さい。


以下、田野による書き込み。
福島区にお住まいの方なら
ご存じでしょうが、海老江のマルピー(大日本製薬)の
煉瓦造りの記念館が
ついに取り壊されました。
シオノギの研究所はどうなるのでしょうか?


人間って、そこに存在する時には
気づかなかった意味が
なくなってから気づかされるものなのでしょうか?


福島区歴史研究会の末廣訂幹事長から
これらの建物の歴史的価値を知らされていましただけに
やっぱりそうかという思いとともに
悔しい思いがします。


ボクは鷺洲小学校に通っていた頃、
「淀の流れを 汲み分けて
水の通い路 いとしげく
煙は高く 空を覆いて
鷺洲の里は 賑わえり」と
声を張り上げて
校歌を歌っていました。


近代の繁栄を讃える歌に
工場から煙が歌われていました。
学校では「煙の都 大阪」と教えられ
この歌詞の煙が仁徳天皇の「民の竈」を
なぞらえて
近代の殖産興業を讃える歌詞だと知ったのは
おとなになってからでした。
今思えば、
この昭和30年代から
煙が「公害」として嫌われ出したのですが・・・・。


海老江・鷺洲の工場からは
煙がモクモク立ち上り、
お昼になれば工場のサイレンが鳴り渡りわたりました。
今日、高層住宅の建つ場所は
角一ゴムの工場があり、
煉瓦造りでした。

ついにマルピーまで姿を消しました。

今回、長山先生に
「地域論」として
地域の歴史を学習し、
今後のまちづくりに
この出来事をどのように
活かすのかといった
問題提起をしていただくことになりました。

どうやら工場跡地は
ショッッピング・モールや高層住宅が建つとか
耳にしております。

ボク自身、近代産業というのは
いったい何なのか?
近代産業の拠点として
存在した製薬会社をコンセプトとしての
新たなまちづくりが計画されないものか、
ほのかな期待を抱いております。


長山先生は、ご承知のとおり
近代建築物の「多様な形の保存」に尽力なさった方です。
どのようなご意向であるのか、
そして、どのようなアイディアをお持ちなのか、
興味津々です。


現在、福島区で起きている出来事は
周辺地区にもみられることでしょう。
今回の問題提起に応えて
多数の方々のご参加をお待ちしています。


究会代表 田野 登

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本日5月25日、
「民俗学からみる北区の名所Ⅰ」を講演します。

「大阪市北区」とは
どんな場所だったのでしょう。


今日、大阪の玄関口、
ミナミと並び称せられる「キタ」の
昔はどんなありさまで
いかなる民俗が繰り広げられていたのでしょう?

今日の大阪市北区は、旧北区が旧大淀区と
1989(平成元)年2月に合区して成立した
大阪市24区のひとつの行政区です。

近世にまで遡りますと
区内南東部の天満
天満から西に延びる曾根崎方面は
町屋が連なっていました。
そうそう区内南部を東西に横たわる
中之島を忘れてはなりません。
その中之島は蔵屋敷の町でした。
その他の地域は?


今日、JRをはじめ大阪市営地下鉄、阪急・阪神の
駅があって賑わう梅田は?
近郊農村でした。

「民俗学からみる北区の名所」では「梅田」を中心に据えます。

「民俗」は周圏論に述べられますように
文化の中心地には、新しい民俗しか残ってはおらずに
昔からの民俗は
文化の中心から遠く離れた
周圏にしか残っていないとされます。
大阪の中心地に「近郊農村」であった時代の
民俗のなごりをお話しします。


梅田「牛の藪入り」は
今日、阪急梅田駅と道路を隔てて東に鎮座します
茶屋町の綱敷天神御旅社に
5月5日の撫で牛「神牛」の花飾りに
なごりをとどめています。

梅田「牛の藪入り」が
かつて行われていた場所は
綱敷天神御旅社よりずっと西です。

グランフロント大阪、さらに現在「うめきた」第2期工事中の
フェンスの西側、
絵地図に見える「梅田三昧」が描かれている場所あたりでしょうか?

「梅田道」「梅田堤」の5月5日に行われていた行事が
「牛の藪入り」で
原野に、このときばかりは
近郷の大仁や浦江の農民たちが
花を飾り付けた牛を気ままに放ったのです。

この農耕儀礼には観客がいました。
曾根崎新地の女性たちです。
ムラとマチの接点で繰り広げられた
希有なる行事です。

この行事の舞台を
今回は「民俗学からみる北区の名所」として
とりあげてお話をします。

今回、大阪区民カレッジ主催の講座は
満員につき
申込は終了しております。


産経学園主催の「なにわ大阪の民俗散歩」では
「祭礼論」としての切り口で話します。
これの方は明後日5月27日開始の連続講座です。
詳しくは次のところです。
   ↓ここをクリック
http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-11998015679.html


知っているようで知らなかった
「なにわ大阪の民俗」を教室で講義して
翌月、実地に歩きます。
歴史を覚えるのは苦手だったけれども
好奇心、探究心の強いことには
自信のある方のご参加をお待ちしています。
別に健脚でなくても大丈夫です。


究会代表 田野 登

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本日、「堀江界隈大人の世界」を
阪俗研セミナーで話します。
「大人の世界」といいましても
大正時代の子どもの話です。

遊郭のあった時代、
その界隈で成長し
長じて上方文化の研究者となった
宮本又次の幼時の記憶をたどります。

いつもの電動紙芝居PowerPointで70コマばかりを
120分で話します。
その一節は次のとおりです。


●ここで買ったベッタンやバイで
 珠算塾の時間が始まるのを
 待っていたのだろう。堀江界隈には、
 寄席などがあった。
 現在のように、テレビのなかった時代の
 大人の娯楽は、芝居を見、
 浪曲、講談を聞くことであった。
 子供も連れて行かれもしたのだろう。
 「堀江座へはよくいったし、
 中村信濃の芝居で、
 混雑したのをおぼえている。
 『難波戦記』を見て、
 家康をにくにくしく思い、
 真田幸村をたのもしく思った」とある。


写真図 真田山三光神社の真田幸村像





「宮本又次史観」に問題有り?
ときどき気になることがあります。
やはり講談の世界が
ベースなのでしょうか?
立川文庫が愛読書だったらしい。
今日の埋蔵物の調査結果からすれば
あれっということがあります。


●子供心に、
 太閤贔屓が教育されていたのだろう。
 町の子供の想像力は、
 囲炉裏傍で育まれるのではない。
 大人の享受する大衆演劇の世界に
 お付き合いしてマセてもいった。
 「(涼み床几では)おばけの話や
 人魂の話をきかされる。
 賑江亭では
 『ゆうれん』の怪談を上演していた」とある。
 大人の口から出るオバケや
 幽霊の話のネタは、
 寄席芸人の語る話芸であったりする。


大正時代当時すでに
都会の子どもの想像力は
囲炉裏端を離れていました。
大阪では、昔から
「民話」や「昔話」なんぞ
収集するのは大変だったと思います。
芸人の語る話が
話者に還元するなどして
尾鰭がついて回るものでしょう。

そんな原理を
今さら、民俗学の学界で
取り上げてみてもしゃーないことです。

もっとも今回のセミナーは
20年前に鹿児島での日本民俗学会年会で
口頭発表したのを
『都市文化研究』15号にペーパーにし、
拙著2007年『水都大阪の民俗誌』和泉書院に
所収したものを
PowerPoint版に仕立て直したものです。


かくしてボクは周回遅れの
研究者として
マイペースで話し続けます。

本日の飛び入り参加、若干受け付けます。
本日の阪俗研セミナーは次のとおりです。
   ↓ここをクリック
http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-12006359714.html
「2015年度阪俗研 春のセミナーⅠの案内」

会場、時間は「セミナーⅠ」と変わりません。


究会代表 田野 登

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