晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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先週土曜日4月25日に
2015年春の阪俗研セミナーⅠを開きました。
宮本又次*「生いたちの記」に基づく話をしました。
 *「生いたちの記」:『上方の研究』第一巻、清文堂1972年

参加の竹内佳之氏に
レポートをお願いしましたところ
かなり辛口の評が届きました。

●宮本又次先生は
 堀江小学校の大先輩だと知ってからは
 好んで読むようにしている。
 その又次が育った
 「堀江の子供の民俗空間ー近代町家での暮らしー」が
 今後の阪俗研セミナーのテーマだ。
 今年天王寺動物園開業100年それまでは
 本町橋今の商工会議所にあった博物場から
 象の団平は歩いて天王寺まで移動したと
 同園機関紙「なきごえ」にある。
 能舞台は天満宮さんを経て
 服部天神駅東側にある住吉神社に移転し
 博物場には重建懐徳堂が出来る。
 又次は「生い立ちの記」で記憶の混濁を見せる。
 小学校5年生から謡を学び
 子方として
 博物場にあった能舞台に出演した、とある。
 1907年生まれの又次少年8歳前後であり
 未だ謡は学んでいない。


竹内氏が問題点として指摘していますのは、
宮本又次が謡曲の「子方」として
子方としてひっぱり出されたという個所です。
ボクがPowerPointで示した次の個所です。

●この他に、習い事としては、
 謡曲があった。
 当時、中之島にあった豊国神社社務所(当時、北区中之島)や
 博労町(中央区)の天狗楼や
 本町の博物場(中央区本町橋)の能楽堂での
 能舞台で会がある時は、子方としてひっぱり出されたとある。


ボクのPowerPoint原稿の文末に「・・・とある」と記述しています。
原本である拙著2007年『水都大阪の民俗誌』和泉書院では
文末に(注)を付けています。
(注)には
「宮本又次、1972年『上方の研究一』、清文堂出版、384頁」と
記しています。
もしかしたらボクのデータ入力のミスかも知れません。
『上方の研究一』の当該個所に当たりました。
次の記述が見えます。
●5年生のときから
 叔父の村田可久(中略)について、
 謡曲をならい、
 よく子方につかわれた。
 豊国神社内の社務所や
 博労町の天狗楼や
 本町の博物場の能舞台で
 会があるといやいやながら引ぱり出され
 隅田川や百万の子方をつとめた。


引用に間違いはありません。
竹内氏のご指摘の問題点は
小学校5年生から謡を学んで
能舞台に出演したのなら
その当時、博物場に能舞台がないと
辻褄が合わないということです。
竹内氏が引用された天王寺動物園機関紙「なきごえ」が
手許にありませんので「本町の博物場」を見つけるべく
大阪府立中央図書館に立ち寄り*『大阪府全志』に当たりました。
 *『大阪府全志』:井上正雄『大阪府全志』巻2、1922年

「大阪府立博物場」に次の記述があります。
●大正2年末に至り大阪府は
 当場敷地内に府立商品陳列所を
 建設するに決しければ、
 従来存したる建物等の多くは撤廃せられ、
 飼養の禽獣は
 同3年9月30日大阪市経営の天王寺公園に引渡されて、
 現在当場に付属せるは
 能楽堂・集楽館及び茶室のみとなれり。


これによれば大正11(1922)年には能楽堂は残っていたことになります。
それであれば、明治40(1907)年生まれの宮本又次が
謡曲を習い始め子方に使われていた
小学校5年の大正6(1917)前後には博物場に
能楽堂は残っていたということになり
『上方の研究一』の記事に信憑性は認められることになります。

では、能楽堂は旧博物場跡から撤去されたのいつのことでしょう。
ここでは*宮本又次の別の文献に記述があります。
*宮本又次の・・・:宮本又次1983年『大阪経済人と文化』
          実教出版(株)
●大正2年末には博物場の建物は
 撤廃されることになり、
 動物は天王寺の公園内の市立動物園にゆずられ
 旧博物場はなくなった。
 その付属建物としては
 茶室、能楽堂、集楽館のみが残ることになったが、
 大正15年12月になって、
 その能楽殿も天満天神社内に移建されることになる。


竹内氏のご指摘の
「能舞台は天満宮さんを経て
 服部天神駅東側にある住吉神社に移転し」とあります
天満宮への移転は、
大正2年末には博物場撤廃後、13年後のこと
宮本又次20歳頃になり、
十分、それ以前に子役を務めていた可能性はあります。

宮本又次研究の上でも
「生いたちの記」の有効性は
この件につきましては
否定されるものではありません。

宮本又次の記憶はアテになるということです。


次回のセミナーは5月23日(土)です。
宮本少年の今宮戎や四天王寺での体験を
検証することになります。


究会代表 田野 登

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「維新改革」の下での
「ビジネスパーソン」以外の
「利用者」はどうなるの?という問題への
答えの前に
「維新改革」で目に付きますのは
「来訪者」の問題であります。


上山論文の《府立中之島図書館改革の基本コンセプト(1)》の
《街の中の文化ステーション》は
以下の4項からなります。
①魅せる図書館
②アイデンティティー確認の場
③文化の継承発展
④交流・語らいの広場


どれを取り上げても
さまざまなアイディア満載の記述が
連なっていますが、
問題の「来訪者」の記述は
《②アイデンティティー確認の場》にあります。

●子どもたちに大阪の歴史に触れ、
 学び、現在の大阪の礎を確認し、
 大阪の未来へ夢と希望を膨らませる。
 併せて府外からの来訪者に
 大阪に対する理解を深めるとともに
 府内の類縁機関へのゲートウェー機能を果たす。


「子どもたち」に併せて
「府外からの来訪者」を挙げています。
「府外からの来訪者」に向けての「ゲートウェー機能」が
「アイデンティティー確認」になるのですか?

具体的には次の記述があります。
●・中之島図書館の建物で
 近代大阪文化遺産を体感
 ⇒館内ツァーの実施。
 近隣の近代建築物との連携。(以下略)


ああやっぱり「館内ツァー」ですか?
「府外からの来訪者」にご覧にいれることで
「アイデンティティー確認」なのですか?

館内にまでツーリズムの範囲が含まれるのですか?

それでは、
有料の「書斎」に籠もる
「士(サムライ)業のビジネスパーソン」以外の
多数の利用者の行動は「館内ツァー」の対象として
「府外からの来訪者」の眼差しに
さらされることになるのですね。


それにしましても前回の
有料スペースの設置に加えて
「府外からの来訪者」の往来とは
一般利用者の閲覧場所は
「維新改革」以前と比べて手狭になるのでは?


その点の答えは《(3)図書館としてのリニューアル計画》の
「①四つのリニューアルプラン」の
「正面扉の開放」の次に
「レイアウトも変更」に記述されています。
●第2は建物のレイアウト変更である。
 具体的には図書館機能を北側に集約し、
 2階の南棟に喫茶ラウンジを、
 3階に古典籍などを展示する大書架と
 ミュージアムエリアを置くことになった。


何?「図書館機能を北側に集約」?
3階に「古典籍などを展示する大書架」?
貴重な収集書物が背の高い「大書架」に
展示されるとは
貴重書として閲覧の対象として
大切に保存されていた書物が
「読む」のではなくて
「見せる」モノとなるのですか?


引用を続けます。
●また有料でゆっくり本が読める研究室や、
 書斎のような機能を置く計画とした。
 トイレも当然改修する。


重ねて申しません。
有料スペースは一般の閲覧室のスペースを
削ってのことですね。
トイレの改修は歓迎しましょう。

引用を続けます。
●また南側は一般客の通行も多いことから、
 本が目的でなくても、
 重要文化財のホールや展示だけを見に来たり、
 ぶらっと遊びに来られる、
 開かれた文化施設を目指すことになった。


目を疑います。
「本が目的でなくても、
 重要文化財のホールや展示だけを見に来たり、
 ぶらっと遊びに来られる」とは?
これが「開かれた文化施設」なのですね。
「府外からの来訪者」だけではないのです。

ボクはこの論文を読む順序が間違っていたのです。

今回の「正面扉の解放」は

《(3)図書館としてのリニューアル計画》の中に
ありますように

「ぶらっと遊びに来られる」人を前提としていたのです。
「府外からの館内ツーリズム」だけではないのです。


観光スポットに図書館の館内が取り込まれているのです。
これから先、ずっと観光客の
驚きや好奇の眼差しが
館内に持ち込まれるとは・・・。
図書館に知を求め
資料収集に出かける
ボクなんぞの
多数の一般利用者にとりましては
図書館という施設の
本来の存在理由を問い返したくなる
「維新改革」であります。


究会代表 田野 登

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前回、上山信一「地方行政」2015年4月13日掲載論文に
「ビジネスパーソン」ということばを
見つけたということを記しました。

どうもこの言葉は上山論文の「改革」の柱の
一つのようです。

用例は2例あり、拾いあげます。
いずれも本文にではなくて
《図16-9 府立中之島図書館改革の基本コンセプト(2)》の
《地域直結図書館サービスの継続・拡充》に見られます。

●①刺激のある集いの場
 独立志向系や
 士(サムライ)業のビジネスパーソンに
 出会いと集いの場を提供し、
 将来の大阪を担う人材を育む。(以下略)


「士(サムライ)業のビジネスパーソン」とあります。
率直に申し上げて
「士(サムライ)業」という言葉が理解できません。
この論文の読者が誰なのでしょう。
掲載紙が「地方行政」であれば
行政に携わる人には通じるのでしょうか?
もしかしたら、この論文の冒頭の文と関連のある
言葉なのでしょうか?


冒頭の文は、次のとおりです。
●維新改革では、
 橋下徹氏の知事就任直後から
 サービス施設のあり方を見直してきた。


ビジネスパーソンが「士(サムライ)業」に関わる
人物なのでしょうが、
明治維新になぞらえて「士(サムライ)業」と
気取っているのでしょうか?
それであれば「独立志向系」というのも
みな「幕末の志士」ということになりますね。


この「維新改革」は
そのようなベンチャー起業に
投機する人たちを支援することだけを
対象としての「改革」なのでしょうか?

まさか?

ともあれ、引用文の次の個所の表現を抜き出します。
●②書斎的スペースの提供
 揺籃期のビジネスパーソンが
 書斎代わり・スモールオフィス代わりに
 使えるスペースを提供。


今度はビジネスパーソンを「揺籃期の」と形容しています。
揺りかごにあるビジネスパーソンを庇護し育むためには
「書斎」「スモールオフィス」の代わりの
スペースを提供しようというのです。

確かに「士(サムライ)業のビジネスパーソン」を
自負しようと資金に乏しい訳ですものね。

さらに具体的に3点挙げています。
●・コピー・印刷機、喫茶・軽食施設の整備。
 ・ネット環境の整備(再掲)。
 ・グループ活動が可能な専用スペースの整備⇒有料化検討。


この段に至って「有料化検討」に
目くじらを立てるのではありません。

「ビジネスパーソン」を取り立てるには
成功事例を踏まえていることを確認しなければなりません。
経営上も採算が採れると上山論文は踏んでいます。

《(1)中之島図書館の価値の評価 ①現状分析》の
《○ビジネス街の図書館としての機能》に
次の記述があります。
●まず利用状況だが、
 入館者数は2004年には27.5万人だった。
 しかし2008年以降は毎年30万人を超え、
 2009年に31.8万人となった後は横ばいか微減となっている。
 この間、貸出冊数もコンスタンスに増え、
 2004年の9.4万冊が2011年には19.2万冊となった。
 背景には2004年度にビジネス支援サービスを打ち出し、
 社会科学系、産業系の図書資料を
 積極収集してきたことがあると思われる。


ビジネス支援の利用状況が好調なのを踏まえているのです。
「ビジネスパーソン」がたとえ有料とはいえ
「書斎」「スモールオフィス」を使用すれば
「改革」がめでたしめでたしなのでしょうか?


今回は「ビジネスパーソン」以外の
「利用者」のことに上山論文が
前回以上の言及がないもので
全く触れませんでした。
「ビジネスパーソン」以外の「利用者」は
どうなるのでしょうか?

次回は来館者の問題点をも踏まえながら
「ビジネスパーソン」以外の「利用者」にとっての
「維新改革」について
ボクの意見を述べます。


究会代表 田野 登

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3週間ほど前に
《再開!中之島図書館(2):2015-04-07》を書きました。
↓ここをクリック
http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-12011552849.html


その際、
「称賛の声の裏で
知性の府であるはずの中之島図書館が
図書館機能を二の次にする
張りぼての西洋館になる構想が
進行している」と記しました。


今回は

「図書館機能を二の次にする張りぼての西洋館」の
検証記事を書くことにします。
何が「図書館機能を二の次」で
何が「張りぼての西洋館」なのかです。
もちろん、これらの項目は表裏一体の事柄であります。
ボクは一利用者の観点から論じることにします。


4月1日の図書館の「正面扉解放」を提言する側の
立場の人物に上山信一氏がいます。
以下、彼自身の*論文を引用します。
 *論文:上山信一「中之島図書館と中央公会堂の改革-

             府市連携による文化遺産の再生」 

             「地方行政」2015年4月13日


同論文によりますと
彼は「大阪府立中之島図書館あり方検討TF外部有識者」の
一人であります。
他に外部有識者のリストには
高島幸次氏、高瀬孝司氏、橋爪紳也氏、柳与志夫氏が
名を連ねます。


同論文の主旨は標題が示しますように
図書館、公民館の「改革」を主唱するものです。

彼にとっての「改革」に「利用者」は
どのように関わり
どのような利便性、あるいは不便が発生するのでしょうか?


ところが彼の論文に「利用者」という言葉は
あまり用いられていません。
従来の「利用者サービスの充実」の不足を
挙げること以外では
次のような文脈に「利用者」が見えます。

《図16-10 府立中之島図書館改革の基本コンセプト》の
《(3)快適化の確保・外観の美化》の個所です。
●国指定の重要文化財である

 建物の美化・保全を図りつつ、
 利用者の利便性向上を図る。


この項目に「館内のアメニティーの向上」が挙げられ
「特にトイレ」とあります。
ボクも4月再開以降の利用でも
すぐにそれに気づきました。
トイレに確かな「格調」を感じさせられました。


上山論文の「改革」案に「利用者」を
見つけるのはなかなか困難なのです。
「利用者」のことを考えていない「改革」なのか?
それは早計です。

上山論文は「利用者」という言葉を使わないで
特定の「利用者」に注目している向きがあります。
「ビジネスパーソン」ということばがそれです。


上山氏は総合政策学部教授であって
発想はさすが経営コンサルタントです。

次回は「利用者」と区別された
「ビジネスパーソン」ということばにも
留意して上山論文の「改革」案を読むことにします。


究会代表 田野 登

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土曜日、住職からの葉書が届きました。
5月2日の浦江塾の案内です。
写真図1 浦江塾の案内




以下に文面を記します。
郷土誌を見直す『浦江塾』のご案内
 今聞かれなくなった懐かしい音を集めました。
昭和30年代の音です。街中の喧噪、物売りの掛け声、
子供たちの遊び声、ラジオから流れるメロディ等など。
音は時代とともに変化し出没していくもののようです。
音を通した時代の変遷の考察も一興かも知れません。   
 日時 5月2日(土曜日)午後7時より
 場所 妙壽寺(福島区鷺洲2-15-10)駐車可
 テーマ 『昭和30年代の音』
此花区郷土史研究 村尾清一郎先生
終了後、情報交換等の雑談を行います。ご参加下さい。


「昭和30年代」に、
みなさんは、どのような思いを抱かれるでしょうか?
未生の過去の方は、知識としての「昭和30年代」は、
どのような意味を持っているのでしょうか?
日本が戦後復興を終え、
いよいよ高度経済成長に差し掛かる時代です。


発表者の村尾清一郎氏にとりましては
小学校高学年から中学生にかけての時代です。
昭和25年生まれのボクは
村尾氏に頼みました。
ひとつ、昭和30年代の音についての記憶を
書き連ねていただけないかと。

それと云いますのは
彼は筆まめで、
飾り気のない文章は
きっと浦江塾では参加者に共感を与えるに
違いないと思ったからです。
まずお願いしましたのは
ご自身の記憶の範囲で「忠実」

書きとめてくださいということでした。


みなさんは昭和30年代の音と云えば
何の音を想像されますか?
街からは何の音が聞こえてきましたか?
彼は「バタコ」の音が聞こえてきたと云います。

「バタコ」とは「バタバタ」とも云い
オート三輪のことです。
この辺の言葉は、あるいは話者の
年代を感じさせますね。

オート三輪となれば
ボクはダイハツのミゼットを思い出します。
ミゼットの発売は
ウィキペディア「オート三輪」には
1957年、昭和32年とあります。
あのエンジン音は「バタバタ」でしたね。


ダイハツのミゼットとなれば
テレビ番組、大村崑、佐々十郎、茶川一郎の
「やりくりアパート」を思い出します。
まぁ、この辺は
当日、村尾氏からは
いかなる世界が語られるかはお楽しみです。


街には、このような乗物の騒音だけではありません。
物売りの声が聞かれました。
朝のめざましの声もあれば、眠気を誘う声もありました。

この時代はラジオから
テレビに切り替わる時代でもありました。
ラジオから聞こえてきた主題歌があります。
村尾氏は「紅孔雀」を挙げます。
「赤胴鈴之助」も聞こえてきましたね。
この辺は、当日、一緒に聴きましょう。
ただ今、準備中です。


ボクは音の世界から
文化史を手繰ろうとしているのです。
音から共通する思い出・記憶が
よみがえり
今、あの「昭和30年代」とは
どのような時代であったのかを振り返り
歴史の上での
位置づけを試みたいなぁと
考えています。


当日は、PowerPointでの発表ですが、
カセットデッキを用意していただけます。
ナマの音は当然無理ですが、
当時の音の再現は工夫しているところです。

懐かしい音、歌声メロディの
飛び入り大歓迎です。
思わず一緒に口ずさむことになるかも・・・・。
ただしカラオケ会場にするつもりはありません。


村尾氏発表を誘い水にして、
参加者から「昭和30年代」の音にまつわる話が
聴かれるのが楽しみです。
今回は、
今までとちょっと違った浦江塾にしてみたいと
企画しました。

お申し込み手続き不要。
参加料無料はいつもどおりです。
お寺へのお問い合わせはご遠慮ください。


究会代表 田野 登

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