晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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今回も引き続き2月21日(土)
大阪大学大学院言語文化研究科・霜鳥慶邦准教授による
講演「戦跡をめぐる、記憶をめぐる-
    ベルギーのイーペルと大戦100周年」を聴いて
自分で確かめたことを記します。


写真図 大阪大学豊中キャンパスの地図



前回、霜鳥配付資料の《Ⅱ.追悼、記憶、未来/
⑤メニン・ゲート(2):追悼の儀式》の
《「ラスト・ポスト」の儀式のミッション(協会HPより)》を
取り上げました。
●True to its statutes, the Last Post Association wishes to honour and remember the soldiers of  the British Empire who gave their lives during the Great War of 1914-1918. (中略)


“We will remember them.”における“them”は
“the soldiers of the British Empire”であって、
慰霊に訪れる“We”は英国人とみました。
今日のツーリズムにおける
“We”が“them”と重なるには
時間の経過を要します。


霜鳥配付資料の《Ⅱ.追悼、記憶、未来/
⑤メニン・ゲート(2):追悼の儀式》の原文を
日下宗大氏にも訊ねて当たってみました。
それは以下のアドレスです。
《Last Post Association》のHP
http://www.lastpost.be/en/the-last-post/mission


霜鳥配付資料に(中略)を入れたのはボクでして
前に挙げた箇所に続く段落の記述は以下のとおりです。
これは霜鳥配付資料にも全文挙げられています。

●With the passage of time, the meaning of the ceremony has become broader and deeper. When  the bugles now blow, we no longer remember simply the fallen of the British Commonwealth,  but also their comrades-in-arms from Belgium, France and many other allied nations, who    willingly made the supreme sacrifice.


時を経て儀式に変化が認められます。
霜鳥配付資料には、この箇所を挙げて次の書き込みがみられます。
●イギリス連邦の戦没者だけでなく、
 ベルギー、フランスをはじめとする
 他の連合国の戦没者をも記憶/記念すること。


いかほどの時を経たのかは明記されていませんが、
“the meaning of the ceremony has become broader and deeper.”とありまして
やがて儀式の意味が普く、深められたのでしょう。
“remember”の対象は“the fallen of the British Commonwealth”の他に
“their comrades-in-arms from Belgium, France and many other allied nations”が
新たに書き加えられています。
慰霊の対象が「(命を捧げた)大英帝国の兵士」から
「他の連合国の戦没者」をも含む戦没者“the fallen”と変化しています。
なぜでしょうか?


慰霊の主体の“We”の構成員が
連合国側の人たちに広がりを持ったことが考えられます。
それにしても“allied nations”連合国群に
いまだ限定されているのです。

それが次の段落の記述ではいかがでしょう。

●We remember, too, that many died on the other side of No Man's Land: enemies then, but   partners now in a united Europe. In this sense, the Last Post is not only a mirror reflecting   Europe's troubled past, but also a beacon of hope for all our futures.


この段落において
“remember”の対象に
“many died on the other side of No Man's Land: enemies”が
記述されています。
ここで初めて、“the other side”が記述されています。
連合国側でない死者もまた“remember”の対象になっています。


この段にあって“Europe”を目にします。
“partners now in a united Europe”であり、
“Europe's troubled past”であります。
「現在の統合されたヨーロッパ」であり
「ヨーロッパでの紛争のあった過去」です。
かつての侵略国家ドイツを想起させる記述です。


「霜鳥配付資料」では次のように書き込んでいます。
●かつての敵であり
 現在の統合ヨーロッパのパートナーの戦没者をも追悼すること。
 悲惨な過去を映す鏡となると同時に、
 未来のための平和ののろしとなること。


“We will remember them.”における“them”は
「現在の統合ヨーロッパのパートナーの戦没者」と
変化したと記述する時の
“We”は、いったい誰なのでしょう。

霜鳥准教授の言葉を引けば
「同時性に基づくパトス(pathos)を共有する
共感の共同体」メンバーなのでしょう。
慰霊に訪れる、すべてのツーリストとボクは解釈します。


戦跡をめぐってのツーリズムの展開と呼応して
歴史に関する共通の記憶を
形成しつつある、その過程を
見事に論じられたとボクは感じました。


過去の他者の苦難を
その場所に立つ現在の自己が
再帰的に追体験する。
それはツーリズムの醍醐味であります。

それと同時に
語られた物語のロマンに
束の間、耽る忘我の時であります。

ツーリズムのひととき、
忘我の時間に、
歴史の亡霊がささやく声に
心奪われる時であってはならない。
その場所に立つ
現在の自己の
立ち位置をけっして忘れてはならないと
ボクは思います。
ツーリズムにおける再帰性は
危険を伴う心意であるとボクは思います。


究会代表 田野 登


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先程、妙壽寺ご住職からのはがきが届きました。
ハラハラドキドキ、読んでみました。

写真図  ご住職からのはがき




文面は次のとおりです。
郷土誌を見直す『浦江塾』のご案内
地蔵菩薩のお話しは以前して戴きましたが、その地蔵
さんにお化粧をする地があるそうです。化粧地蔵と言い、
珍しいからか、先月テレビで放映されたようです。
TVの番組制作者と対話を通して化粧地蔵の謎に迫って
戴きます。テレビを見られた方、歓迎です。    
 日時 3月7日(土曜日)午後7時より
 場所 妙壽寺(福島区鷺洲2-15-10)駐車可
 『ルージュの微笑み化粧地蔵って何?』
地蔵尊研究家  長尾智子先生
TVディレクター 加藤 学氏
終了後、情報交換等の雑談を行います。ご参加下さい。


以下、田野による書き込み。
お地蔵さんがテレビで放映されるなど、
関西では、さほど珍しくありません。
それが「化粧地蔵」となればいかがでしょう。
それも番組づくりの一部始終です。


今回、お二方にお願いをして
番組に取り上げられる「化粧地蔵」は当然のことして
 なぜ、番組を作ることになったのか?
 テレビ番組ってどうやって作るのか?
 制作を体験してみて感じたことなどなど
興味をそそる切り口で

お話ししていただくことにしました。


『ルージュの微笑み化粧地蔵って何?』という
作品を一つのテクストとして
それを電波に載せるテレビというメディアを
一緒に探ってみたいと思います。

日頃、見慣れたお地蔵さんが
テレビでは、どのような演出のもとに
放映されるのでしょうか?

今回、番組制作に携われた加藤 学氏は
教養系紀行番組『真珠の小箱』制作にも携われた
ベテランのプロデューサーです。

生半可にお地蔵さんを調査してきたボクにとりましては
教養系紀行番組のお地蔵さんが
いかなる映像として登場するのか?
スッピンならぬ化粧地蔵の素顔や如何?
何よりも地域の人びとの
暮らしの中でお地蔵さんが
いかに祀られているのか?
などなど
興味津津です。


テレビを見られた方も見られなかった方も。
今までお地蔵さんに関心を持っておられた方も
さほど関心のなかった方も。
テレビの裏側の世界に興味をおありの方も
そうでない方も。
お二人のトークショーにご参集ください。

ボクは楽しみにしています。


浦江塾へのご参加は
手続き、参加費不要です。
資料は30名分しか用意しません。
お早めに会場までお越しください。
お寺には電話をしないでください。
お問い合わせは
ブログトップの阪俗研まで。


究会代表 田野 登

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今回も引き続き2月21日(土)
大阪大学大学院言語文化研究科・霜鳥慶邦准教授による
講演「戦跡をめぐる、記憶をめぐる-
    ベルギーのイーペルと大戦100周年」を聴いて
自分で確かめたことを記します。


写真図 大阪大学豊中キャンパスの傍らの寺の祈願内容




霜鳥配付資料の《Ⅰ.風景と記憶/③風景の変化とさまざまな言説

/休戦後》では
英国の政治家チャーチルの言葉を引いています。
●Winston Churchill(1919年):
 「廃墟と化したイーペルをすべて買い取って、
 永遠に保存したい。
 ・・・夕日に照らされたイーペルほど
 美しいモニュメントを思い浮かべることは難しい。
 イギリス人にとって、
 イーペル以上に神聖な地はこの世に存在しない。」 (qtd.in *Dendooven21 )
*Dendooven:Dendooven,Dominik.Ypres as Holy Ground:Menin Gate and Last Post.Trans.Ian Connerty.Kiksijde:De Klaproos,2003.Print.


チャーチルは休戦当初から
イーペルに記念碑建立を想像していたのです。
イーペルは他ならぬイギリス人にとっての
「神聖な地」であることを宣言していたのです。


いっぽうで
今日に伝承されているメニン・ゲートでの儀式は
この当時、どのように認識されていたのでしょうか?

霜鳥配付資料の《Ⅱ.追悼、記憶、未来/
⑤メニン・ゲート(2):追悼の儀式》の
《「ラスト・ポスト」の儀式のミッション(協会HPより)》を
引きます。傍線は配付資料のとおり。
●True to its statutes, the Last Post Association wishes to honour and remember the soldiers of  the British Empire who gave their lives during the Great War of 1914-1918. (中略)


“We will remember them.”における“them”は明らかです。
“the soldiers of the British Empire”です。
霜鳥配付資料に次の記述があります。
●ベルギーのために犠牲となってくれた
 イギリス帝国の兵士を讃え、
 記憶/記念すること。


慰霊に訪れる“We”はチャーチルの言葉からすれば
英国人に他なりません。
このツーリズムを仕組んだのは
イギリスの旅行会社Pickfordであるようです。


霜鳥配付資料の《Ⅰ.風景と記憶/③風景の変化とさまざまな言説

/休戦後》に
《イギリスの旅行会社Pickford(1918年)》に
次の記事があります。
●「晴天の日が来たらすぐに、
 何百何千の人たちが戦争の破壊跡をきれいに片付けてしまうでしょう
 ・・・塹壕も砲弾跡も消えて、
 きれいに耕された畑になってしまうでしょう。
 だから、大戦の混沌と残骸を見たいなら、
 今すぐに予約しましょう。」(qtd.in Eksteins 154)
*Eksteins:Eksteins,Modris.'War,Memory,and the Modern:Pilgrimage and Tourism to the Western Front'. World War Ⅰ and the Cultures of Modernity.Ed.Douglas Mackaman and Michael Mays.Jackson:UP of Mississippi,2000.151-60.Print.


“We will remember them.”の主体“We”は
イギリスの旅行会社のツーリズム商戦に載せられた
早くも懐古趣味の対象とした
元大英帝国の兵士か
その家族たちを想像します。
あるいは、九死に一生を得た
“their comrades-in- arms”「彼らの戦友」であればこそ、
最初の巡拝者であると想像します。


この慰霊施設は
今日のごとく誰もが訪れる観光地ではなかったはずです。
しかし、ここで確認しておきたいことがあります。

慰霊行為は巡礼がそうでありますように
大変な熱意を以て
遠隔地に出かける行為であることです。

古来からの慰霊行為は
近代ツーリズムを促した行為であります。
もちろん産業革命により
急速な発展をとげた交通機関の発達と相俟ってのことです。


それでは、
いつ、どのような過程を経て
参拝者である“We”が
普く“them”と二重写しになるのでしょう。


問題は
元大英帝国の兵士でない
一般人が
「自分の体験」のごとく
自己から他者に向けられる想像力が
いかにして形成されたかです。


次回も霜鳥准教授の仕掛けで
遊ぶことになります。
もちろんボクのツーリズムにおけるキーワードは
再帰性です。
いよいよ
ツーリストの誕生に関わる問題に迫ることになります。


究会代表 田野 登

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今回も引き続き2月21日(土)
大阪大学大学院言語文化研究科・霜鳥慶邦准教授による
講演「戦跡をめぐる、記憶をめぐる-
    ベルギーのイーペルと大戦100周年」を聴いて
自分で確かめたことを記します。

写真図 大阪大学豊中キャンパスの傍らの禅寺




前回、ツーリズムにおける
「再帰的思考」について述べました。


読書をしています。
ついつい追体験してしまって
作中人物の世界にはまりこみます。
コンテンツ・ツーリズムは
過去の物語世界を
現実に実地で追体験したくなる
ロマンティックな心意を
うまく商品化したものです。


戦跡をめぐる、記憶をめぐるベルギーのイーペルこそ
戦跡ツァーの観光地のようです。
以下、断らないで
霜鳥先生の配布物から引用することがあります。


霜鳥講演の概略は次のとおりです。
●Ⅰ.風景と記憶
  ①美しい(美しすぎる)風景
  ②スライムスケープ(slimescape)
  ③風景の変化とさまざまな言説
戦時中 休戦後 回復していく風景
  ④ツーリズム化するイーペル
  ⑤landscape~slimescape
⑥サンクチュアリ・ウッド博物館
  ⑦クリスマス休戦博物館
 Ⅱ.追悼、記憶、未来
  ①タイン・コット共同墓地
  ②ベルギー軍共同墓地/フランス軍共同墓地/ドイツ軍共同墓地
③メニン・ゲート(1)
  ④イン・フランダース・フィールド博物館
  ⑤メニン・ゲート(2):追悼の儀式


《Ⅰ.風景と記憶 ④ツーリズム化するイーペル》が
挙げられています。

そもそもイーペルってどのような町だったのでしょう。
*ウィキペディア「イーペル」の
「1 歴史 1.1 第一次世界大戦以前」に
次の記述があります。
*ウィキペディア「イーペル」:最終更新 2015年1月16日 (金) 17:03

●文献で最初にイーペルの文字が見られるのは、
 紀元前1世紀のことで、
 ローマ人によって襲撃されたことが知られている。(中略)
 1385年に土塁の建造されたが、
 その一部は、リール門の近くに、現在でも残っている。
 また、この時期にかけて住民の間で、
 猫(黒猫)が悪魔と魔法の象徴とされ、
 凶悪な悪魔を追い払うために掃討が行われた。
 今日ではこの習慣を忘れないために、
 3年毎に祭りが行われている。


まるで「ブーメランの笛吹き男」の世界を思わせます。
こちらは猫が悪魔に仕立て上げられています。
ウィキペディア「イーペル」には次の記事もあります。
●Kattenstoet(キャットパレード)
 3年毎に5月の第2日曜日に開かれる、
 おもちゃの猫と魔女による多彩なパレード。


霜鳥講演でもその祭りが映し出されていました。


そのような町が第一次世界大戦の戦場と化します。
ウィキペディア「イーペル」には次の記事があります。
●こうして一時は撤退したドイツ軍であったが、
 1915年4月22日から5月25日まで
 連合国軍に再攻撃を仕掛けた。
 この攻撃では人類史上最初の大規模毒ガス攻撃が行われた。


その頃のありさまを霜鳥配付資料では「戦時中」の記事として
次の記述を挙げています。
●ある兵士(1915年):
 「本当に驚異的な光景だ。
 もちろん不気味でグロテスクで荒れ果てているが、
 しかし最高に興味深い。
 戦争が終われば、観光客や旅行者がどっと押し寄せ、
 この光景に驚くことだろう。」(qtd.in *Eksteins 152)
*Eksteins:Eksteins,Modris.'War,Memory,and the Modern:Pilgrimage and Tourism to the Western Front'. World War Ⅰ and the Cultures of Modernity.Ed.Douglas Mackaman and Michael Mays.Jackson:UP of Mississippi,2000.151-60.Print.


兵士の目にした「驚異的な光景」は
彼の予言が的中して
戦後「観光客や旅行者がどっと押し寄せ」ることになります。


次回は第一次世界大戦終了直後の1919年から起筆します。
その時代、今日に伝承されている儀式における章句
“We will remember them.”の“We”“them”は
それぞれ誰を指していたかを再確認することにします。


究会代表 田野 登

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今回も引き続き2月21日(土)
大阪大学大学院言語文化研究科・霜鳥慶邦准教授による
講演「戦跡をめぐる、記憶をめぐる-
    ベルギーのイーペルと大戦100周年」を聴いて
自分で確かめたことを記します。


写真図 大阪大学豊中キャンパスにある池




前回、阪俗研メンバーの大北裕樹会員からの
レポートを取り上げました。
「記憶の場 メニンゲート」です。


ベルギーのイーペルには
イギリス兵戦没者を追悼する施設として
メニンゲートが設けられています。

そこでは毎晩8時になれば
召集ラッパ(原語:a bugle call)を合図に
イギリス兵戦没者を慰霊するための
儀式が行われているというのです。

その慰霊の儀式の際、朗詠される章句の一節の
“We will remember them”を
発表者である霜鳥慶邦准教授は
取り上げられました。


“We ”が今日“them”と重なっているとのことでした。
それは「同時性にもとづくパトス(pathos)の共有」によると
説明されました。
それを受けて大北レポートは次のように記述しています。

●・・・つまり、メニンゲートという慰霊の場所が
 記憶を改竄(かいざん)し、
 ある種の集団的熱狂を生成する共同の空間へと変貌するわけだ。
 この構造には
 悲惨な過去を記憶とともに
 未来へ伝えるという役割が乏しく、
 儀式そのものが存続されるべきものとして
 人々の記憶を占めるという
 大きな矛盾がある。


ずいぶんハラハラさせられます。
「改竄」と云い「大きな矛盾」と云い・・・。
大北レポートは、この儀式の役割を
「悲惨な過去を記憶とともに
 未来へ伝える」ことを大事に考えているようです。
それが戦跡をめぐるツーリズムの一貫となることによって
裏切られたとでも考えているようです。


宗教儀式がツーリズムによって俗化することは
世界中にみられることです。
その中で
イギリス兵戦没者の参拝者である「私たち」が
イギリス兵戦没者である「彼ら」とダブってしまった・・・?
参拝者が戦没者に感情移入してしまっている訳です。

昨今“I am 某”のプラカードが放映されています。
そんなに誰もが第3人称の人物に
なることができるものでしょうか?
「気持の上での問題ですよ」と云えば
もうそれまでのことで、
それだけでは済ませません。

そのような心意自体、過去にあった出来事を
あたかも現在の自分に置き換え
彼/彼女の苦痛を引き受けようとする
再帰的思考によるものです。


実はこの再帰的思考がツーリズムの魅力であり
落とし穴なのです。
この人間の再帰的思考でもって
大河ドラマの戦国武将になりきったり
この頃はどうか知りませんが
韓流ドラマのヒロインになって
ツァーに駆り立てられる人たちが大勢いるのです。
もちろん物語ですから「真正」かどうかは
問題にはされません。
コンテンツ・ツーリズムの構造がそれなんです。
ご当地ではさまざまなグッズが創出され
消費されてゆきます。


どうも「戦跡をめぐる、記憶をめぐる・・・」も
ツーリズム絡みの話で展開した結果が
今日の“We ”と“them”のダブりが発生したようです。
それを大北レポートは
直裁にも「大きな矛盾」と述べたまでです。


次回は霜鳥先生が当日、配布された資料を
たどって見る中で
ツーリズムにみられる再帰的傾向を
探ってみたいと思います。


究会代表 田野 登

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