晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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2014年夕日を見る会を昨日、
12月30日に実施しました。

40年来付き合いの卒業生から

新しい参加者もいて

楽しいツァーになりました。


トンネルをくぐり、渡し船で渡り
無事、天保山で夕日を拝めました。
好天に恵まれ大勢の参加で
安治川左岸では列が長くなり大変でした。
道先案内の井東一太郎会員に感謝します。


当日配布の案内文を載せます。
写真図1 夕日を見る会案内文




以下、文面を抄出します。
歳末恒例天保山で夕日を見る会
-安治川近代遺跡を訪ねて-
第25回「大阪のマチを歩く会」の案内
大阪民俗学研究会「阪俗研」行事
集合日時:12月30日(火)午後1時(時刻厳守)小雨決行
集合場所:地下鉄 玉川駅2番出口 野田城跡顕彰碑前 JR環状線野田駅東側
解散場所: 地下鉄中央線大阪港駅
参加費:無料。但し〈JR環状線西九条駅→JR桜島駅〉間の運賃のみ自己負担。
保険を掛けていませんので、各自事故に気をつけてご参加ください。

主な通過スポット
●地下鉄玉川駅から旧市電路を行かずに
1つ目の信号を右に渡り,進んでいくと
野田村堤橋址碑左進→戦災に遭っていない所に
戎さんの瓦の家→中央市場→富島渡場跡(福島側)
→安治川上流へ泥の河碑→安治川橋址→税関址(安治川橋址)
→国津橋→安治川教会跡→安治川トンネル
→JR西九条駅→JR桜島→天保山渡
→海遊館→サンセット広場→地下鉄大阪港

みなさまにとりまして、2014(平成26)年は、いかなる年だったでしょうか?
今年のコースは浦江塾での阪俗研の井東一太郎会員による安治川周辺の発表に基づいて企画しました。
安治川は「新堀」と称されたように近世も元禄の少し前に開かれた川です。今回は野田の古い街並みをよぎって、昭和30年頃の川筋に暮らす人びとを描いた小説「泥の河」の舞台を訪ねます。安治川左岸の近代は居留地にも近い波止場でした。安治川トンネルを抜ければ西九条。JRゆめ咲線で桜島駅に出て天保山の渡しで対岸の築港へ向かいます。まさに小旅行気分です。めざすはサンセット広場。はたして今年も海に沈む夕日が拝めるやら?詳しくはブログ「田野 登 晴耕雨読」の「2014年夕日を見る会味見(1)~(6)」をご覧ください。
水都大阪は、昔から西の海に太陽が沈むことから夕陽を拝む名所でもありました。
太陽が西の海に静かに沈みます。この瞬間に一年の厄を西の海にサラリと祓いましょう。落日後の虚脱感は、多忙であった一年の納めの気分にさせます。
 
以下、スポットの報告をします。
「野田の古い街並みをよぎって」とあります。
写真図2 エビスの鬼瓦のある家




みなさん眺め入っていました。
卯建は、この辺りではいくらも見られます。
写真図3 卯建の上がっている家




家が普請されても残しているのですね。
町に住む人の矜恃を感じます。

「安治川左岸の近代は居留地にも近い波止場でした」とあります。
写真図4 川口聖マリア幼稚園



アングルを定めるのが難しいですね。
背景の建物を除こうとすると
建物の一部が入りきれなくて失敗しました。
この富島辺りでわずかに
雰囲気が残る「居留地文化」であるだけに残念です。

「天保山の渡しで対岸の築港へ向かいます。
まさに小旅行気分です」
写真図5 渡船「海桜」到着




毎回、ルンルン。ハイになります。
さぁ、乗船。

写真図6 渡船場からの天保山公園




「めざすはサンセット広場」とあります。
今年は海遊館の裏の天保山桟橋を
西にサンセット広場をめざしました。
「太陽が西の海に静かに沈みます」とあります。

今年は若者2人を誘って
寂しいマーメイド像で落日を眺めました。
写真図7 マーメイド広場での落日



若者2人に「ご免ね」
やはり観光スポットになりきれない
訳がありそうですね。


写真図8 海遊館前のジンベエザメのイルミネーション





来客がパフォーマンスします。
記念写真のポーズをきめているのでしょう。

この場所で「よいお年を」と発声して
解散しました。


とりあえず、恒例行事を報告しました。
また来年!


究会代表 田野 登

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前回、情報誌以外の資料から
料亭創業物語を探ると記しました。
ここまでのところ、
料亭「冨竹」を一般に市販されている
情報誌等に記載されている情報によって
料亭創業物語が構築される経緯を探究してきましたが、
今回、料亭「冨竹」に近い筋の方が
出版された自叙伝からの情報を挙げます。


その自叙伝とは『彩雲七十年』(日本工業新聞社)で
イサム塗料(株)の創業者である北村勇氏によるものです。
北村勇氏は冨竹創業者とされる北村冨造、竹夫妻のお孫さんです。
発行は1975(昭和50)年9月20日です。
以下、「1975年北村勇自叙伝」と表記します。


本ブログにいう「料亭創業物語」に関わる記事だけを
抄出します。
●祖父冨造はしかたなく、
 すいか籠二つに当座の世帯道具を振り分けて、
 天秤棒でかついで妻たけ(*竹)とともに家を出た。
 慶応4年のことである。
 摂津の国浦江村は、
 元禄の昔から辺り一帯は、
 蓮とかきつばたの名所として著名なところで、
 妙寿寺を過ぎた辺り、
 池のほとりにあずまや風の小さい茶店を開いた。
 屋号を「冨竹」とつけた。
 冨造の冨とタケの竹と、夫婦2人の名をとって屋号とした。
 祖父冨造は、四季折々の料理を出したが、その中、
 特に庭内の池に咲く蓮の葉を

ごはんに混ぜ蓮飯にしたところ人気が集まり、
 やがて、四季を通じて出せるよう蓮の実を使ったところ、
 “浦江聖天の冨竹の蓮めし”の名は

浪速中に知れわたり、
 門前市をなしたという。
 
実にこの記事は前回の「由緒書き」7項目の
全てが記述されているのです。
「由緒書き」と同じ情報源によるものと考えられます。


しかし、どこか違和感を感じます。
7項目を順番に強いて並べてみますと
《⑤’+④②①③⑤⑥⑦》となります。
元禄から始まる物語になれていますと
いきなり創業からの話には抵抗感がありますね。

そればかりか、
この引用個所の冒頭の表現は
《⑤冨造と竹夫婦茶店を開業》に先立つ記述ですが、
この記述が、これまでの文例とは大いに異なります。
はじめから「風流人の冨造」などではありません。
「すいか籠二つに当座の世帯道具を振り分けて、
 天秤棒でかついで
 妻たけ(*竹)とともに家を出た。
 慶応4年のことである」とあります。

問題は「慶応4年のことである」が
何なのかにあります。

前から順に読めば「慶応4年」に
冨造は妻たけとともに家を出奔したと解釈されます。
ところが、次のように読むことも可能です。
「慶応4年のことである。
 摂津の国浦江村は、(中略)著名なところで、
 妙寿寺を過ぎた辺り、
 池のほとりにあずまや風の小さい茶店を開いた」と。

写真図 妙壽寺と料亭冨竹

      手前が冨竹の玄関

      道路の先に妙壽寺の墓地と本堂



ここに示したように読めば「慶応4年」に
「あずまや風の小さい茶店を開いた」とも
読むことができます。
出奔した「慶応4年」中に
茶店を開いたとも読めないこともありません。


「慶応4年」に北村冨造夫妻に何かが起きたのか?
あるいは「慶応4年」は後に上書きされた「時」なのか?

「慶応4年創業」が、
情報誌その他の《⑤冨造と竹夫婦茶店を開業》の通説として
流布しているものであります。
「慶応4年出奔」は、通説に対する異説です。


慶応4年出奔と解釈するのは
「1975年北村勇自叙伝」の文脈からすれば
決して唐突なものではありません。
引用個所の直前には、著者にとっての祖祖父の極道による
所有する土地の売り尽くしを記述しています。


「1975年北村勇自叙伝」における創業記述は、
流布する創業物語の原話、
すなわち「創業物語」の原形となる伝承が
この「1975年北村勇自叙伝」以前に成立していて
その伝承をほとんど書き写したものと考えます。

それにもかかわらず
頭の部分である夫婦出奔の件は記述しています。

慶応4年の夫婦出奔の件が
事実を伝えているのか否かが
本当は重大問題なのではありません。

この記述によって
「1975年北村勇自叙伝」以前のいつの日か
「慶応4年創業」の言説が
すでに成立していたことが
かいまみえてきます。

「慶応4年出奔」言説の直後の個所に
今日流布する「慶応4年創業」説が

事情があって
書き添えられたとボクは解釈します。


大事なことは創業者の孫にあたる人物の自叙伝に
慶応4年創業に疑問を抱かしめる記述があることです。
「慶応4年創業」の言説への疑問は
関係者誰もが口にはしないで、
「慶応4年創業」が
暗黙事項であった可能性もあります。


本ブログでは一連の「創業物語」の言説が
定着してゆく過程を探究します。
以下、20数点の情報誌等により
公開された情報を軸に論述することになります。


究会代表 田野 登

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前回は、「冨竹由緒書き」に記されていたであろう物語を
次の3点の記述から推定しました。
(いずれも略称)
1985年3月『有名人100店』
1987年1月『たべあるき大阪』
1990年9月『浪花の老舗』


そこで推定した物語は次のようなものでした。
●①元禄の昔、
 ②摂津国浦江村は
 ③蓮と杜若の名所でした。
 ④慶応4年、その地に
 ⑤冨造と竹の夫婦が茶店を開業し
 ⑥蓮の葉を混ぜた蓮飯を供しましたところ
 ⑦浪速中の評判となりました。


前回は、料亭冨竹が登場する舞台となる
場所の記述をおおよそ見ました。
そこでは、記述の類似を確認した上で
書き物「由緒書き」の存在をほのめかすことが
その趣旨でした。


今回は、その続きで④~⑦の項目、
物語で云えば創業者夫婦の事績を語るところです。

《④慶応4年》を前掲の3点は
いかに記述しているのでしょうか?
まず1985年3月『有名人100店』では
「今から百十余年前の慶応4年」とあります。
1987年1月『たべあるき大阪』では
「慶応4年」とだけあります。
1990年9月『浪花の老舗』では
「・・・慶応4年のこと」とあります。

ちなみに慶応4年は、
この年の9月8日から「明治」に改元される年です。


《⑤冨造と竹夫婦茶店を開業》の項目についての
記述の異同はいかがなものでしょう。
まず1985年3月『有名人100店』では
「初代の冨造・竹夫妻がこの地で料理業を始め、
 屋号を冨竹としたのがそもそも店の起こり」とあります。
1987年1月『たべあるき大阪』では
「ここで冨造と竹が
 あずま屋風の茶店を開いたのが始まりである」とあります。
1990年9月『浪花の老舗』では
「その風情をこよなく愛した初代・冨造、竹夫婦が
 『冨竹』の暖簾を出したのが・・・」とあります。


屋号「冨竹」の謂われを述べるのを、
本ブログでは、この開業の項に整理しました。

この項は、文飾を含めて
多少の異同が見えます。
「あずま屋風の茶店」など洒落た店舗を想起させ、
「暖簾を出した」など創業の言い換えでしょう。
何よりも「その風情をこよなく愛した」には
創業者夫婦への脚色が見られます。


《⑥蓮の葉を混ぜた蓮飯》の項目は
1985年3月『有名人100店』では
「のどかな風景の中で料理に趣向を凝らす夫妻。
 そのちょっとした風流心が生み出したのが、
 蓮の葉をご飯に混ぜる蓮飯」と。
1985年3月『有名人100店』では
「風流人であったこの2人はやがて、
 蓮の葉をご飯に混ぜる蓮飯を思いつき」と。
1990年9月『浪花の老舗』では
「風流人だった二人は
 蓮の葉をご飯にまぜることを思いついた」とあります。


この項を整理してみて

「蓮の葉をご飯に混ぜる」に異同がないことを

確認します。

その上で
「風流」という言葉がいずれにも見えることに気づきます。
「由緒書き」にも、この言葉が見られたと推測します。
前項の「風情」を愛すると重ねて
創業者が「風流人」であったと形象されています。


《⑦浪速中の評判》につきましては
「由緒書き」推定の発端にした章句であって
前述のとおりで重複は避けます。
以上、3点の情報誌の記事から
「由緒書き」の存在を示唆してきました。

ただ謎はあります。

「老舗」を謳う料亭にあって
まさか1985年3月『有名人100店』取材の
時点で「由緒書き」が
書かれた訳ではないでしょう。
いつ、誰が起草したのでしょう。

次回は、情報誌以外の資料から
料亭創業物語を探ることにします。
本ブログの地味な記事にお付き合いいただき
ありがとうございます。
ボチボチ、「料亭創業物語」に
秘められた伝承の謎に
許される限り迫ろうと試みようと思います。


究会代表 田野 登

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前回、料亭冨竹の創業物語を
探ろうとして
情報誌など公開された情報に当たっておりましたら
「冨竹の由緒書き」の語句を見つけました。
それは1985年3月『有名人100店』にでした。


なるほど、どの本もよく似た話であるのは
「由緒書き」の存在によると合点しました。
「由緒書き」を入手できないとなれば
1985年3月『有名人100店』の「由緒書き」と
おぼしき個所から特徴的な章句である
「浪速中に知れわたり」を
収集した資料に検索をかけました。


すると「浪速中に知れ渡った」とあるのが
1987年1月『たべあるき大阪』でした。
「浪花中にひろまった」とあるのは、
1990年9月『浪花の老舗』でした。


これら3点はおよそ次の7項目に
対応が見られることが明らかです。
①元禄の昔/②摂津国浦江村/③蓮と杜若の名所/
④慶応4年/⑤冨造と竹夫婦茶店を開業/
⑥蓮の葉を混ぜた蓮飯/⑦浪速中の評判
これらの項目を組み込んだ物語は
●①元禄の昔、
 ②摂津国浦江村は
 ③蓮と杜若の名所でした。
 ④慶応4年、その地に
 ⑤冨造と竹の夫婦が茶店を開業し
 ⑥蓮の葉を混ぜた蓮飯を供しましたところ
 ⑦浪速中の評判となりました。


「由緒書き」のストーリーが見えてきます。
まず《①元禄の昔》の項目は
1985年3月『有名人100店』では
「遠く元禄の昔から」です。
1987年1月『たべあるき大阪』では
「元禄の頃から」で、
1990年9月『浪花の老舗』では
「遠く元禄の昔」です。
おもしろみがないほどブレません。


《②摂津国浦江村》はいかがでしょう。
1985年3月『有名人100店』では
「この辺り一帯(摂津国、浦江村)」です。
1987年1月『たべあるき大阪』では
「この店のあたり」とあって「浦江」が見えません。
1990年9月『浪花の老舗』では
「鷺洲付近は摂津の国浦江村と呼ばれ」です。
1987年1月『たべあるき大阪』は
この地の旧称「浦江」を用いない点は
「浦江」の変型とみなします。


《③蓮と杜若の名所》はいかがでしょう。
1985年3月『有名人100店』では
「蓮と杜若の名所として有名な処」です。
1987年1月『たべあるき大阪』では
「蓮と杜若の名所として知られていた」です。
1990年9月『浪花の老舗』では
「蓮と杜若の名所であった」です。
退屈するほど表現に相違が見られません。


それにしても
今日、聖天さんと妙壽寺周辺の木立の他、
緑の乏しいこの地区が
元禄に遡って
「蓮と杜若の名所」と謳われるのは
さすが料亭冨竹の世界です。
地元民からしたら嬉しくなってきます。
なぜ「元禄」が挙げられるのかは
聖天さんの池の端の
元禄の俳聖・松尾芭蕉の供養碑「杜若塚」によります。
この「杜若塚」には
「杜若 語るも旅の ひとつかな」の句が刻まれています。
料亭冨竹にも後に建立されます。


次回、いよいよ冨さん、竹さんが
登場することになります。
どのような変型が見られるか?
あるいは見られないか?
書かれた由緒の存在を見極める手続きに
お付き合いください。


究会代表 田野 登

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前回、「冨竹」創業者物語を
探ろうと思って突き当てた資料
『有名人・有名タレント100人(大阪編)
私のいきつけ うまいもの100店』
(神戸新聞出版センター、1985年3月1日発行)には
次の記述が見られました。


●・・・・遠く元禄の昔から、
 この辺り一帯(摂津国、浦江村)は
 蓮と杜若の名所として有名な処であったとか。
 今から百十余年前の慶応4年、
 初代の冨造・竹夫妻がこの地で料理業を始め、
 屋号を冨竹としたのがそもそも店の起こり。
 春の菜種や藤、初夏の杜若、
 花菖蒲そして蓮の葉・芽・花と
 のどかな風景の中で料理に趣向を凝らす夫妻。
 そのちょっとした風流心が生み出したのが、
 蓮の葉をご飯に混ぜる蓮飯。
 これはまたたくまに浪速中に知れわたり、
 やがて二代、三代と代を重ねる毎に工夫を凝らし、
 以来、蓮飯は冨竹の雅趣として
 その独特の風味を今日に伝えている。
 そんな冨竹の由緒書きを読みながら、
 珍しい道標や芭蕉の句碑、
 蓮池などのある庭園に目をやれば、
 あたかも古き遠き時代にまぎれこんだような
 錯覚をおぼえる。(以下略)


そこでは「冨竹の由緒書き」の語句に着目しました。
「由緒書き」となれば
文字情報として伝承されている訳で
ぶれないはずです。


他の情報誌には「由緒書き」といった
語はみられません。
しかし「由緒書き」が存在するならば
その内容は
それまで収集した情報誌にも
反映しているに違いありません。


そこで1985年3月『有名人100店』にあって
他の情報誌にも見覚えのある章句は何かを
見当付けてみました。
それは「浪速中に知れわたり」です。

1987年1月、昭文社『たべあるき大阪 味シリーズ⑨』
(以下、1987年1月『たべあるき大阪』)にも
「浪速中に知れわたり」に

類似する章句は見えます。


●・・・この店のあたりは、
 元禄の頃から、
 蓮と杜若の名所として知られていたというが、
 慶応4年ここで冨造と竹が
 あずま屋風の茶店を開いたのが始まりである。
 風流人であったこの2人はやがて、
 蓮の葉をご飯に混ぜる蓮飯を思いつき、
 浪速中に知れ渡ったとのこと。・・・


「浪速中に知れ渡った」とあります。
他にも1990年9月、徳間書店『浪花の老舗 老舗シリーズ保存版Ⅲ』
(以下、1990年9月『浪花の老舗』)にも見えます。


●・・・遠く元禄の昔、
 鷺洲付近は摂津の国浦江村と呼ばれ、
 蓮と杜若の名所であった。
 その風情をこよなく愛した初代・冨造、竹夫婦が
 『冨竹』の暖簾を出したのが慶応4年のこと。
 風流人だった二人は蓮の葉をご飯にまぜることを思いついた。
 これが大変喜ばれ、またたく間に浪花中にひろまったという。・・・


ここでは「浪花中にひろまった」とあります。
これら3点の「浪速での評判」の記述の類似を
ボクは偶然の一致とは考えません。
なぜならば
これら1985年3月『有名人100店』、
   1987年1月『たべあるき大阪』、
   1990年9月『浪花の老舗』3点は
「浪速での評判」の記述の類似のみならず
記述全体においても
対応を読み取ることができるからです。

次回、7項目について対照してみることにします。

その7項目は次のとおりです。
①元禄/②摂津国浦江村/③蓮と杜若の名所/
④慶応4年/⑤冨造と竹夫婦茶店を開業/
⑥蓮の葉を混ぜた蓮飯/⑦浪速中の評判


究会代表 田野 登

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