晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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阪俗研2014秋セミナーⅢが
先週土曜日11月22日 行いま
した。

春秋の阪俗研セミナーも2年4シーズン12回
開催したことになります。


そこで参加者の一人、松田眞一会員に
レポートをお願いしておりましたところ
昨夜、戴きましたので紹介します。

●十辺舎一九、滝沢馬琴の浪花の庶民気質を
 京都、江戸との比較の中から大坂を
 えぐり出している。(外から見る大坂)
 浪花はケチではなく、シマツ、生きた金の使い方、
 お上に頼らない自主運営
 町に活気多い、侍少なく、カゴ少ない
 私は、大阪生まれの大阪育ち
 しかも、商売人の多い環境の中で育ったので
 「なるほど、なるほど」、
 「そうそうそうゆうことアルアル」などの
 実感がすんなり再度確認できました。(内から見る大阪)
 楽しいセミナー 田野先生有難うございました。


今回は、「近世」と限定しての大阪論を
紹介しました。
講座を終えて率直なところ、
地に足が着かないええかげんなことを
喋ったのではないか?
参加者からボクの発言が
裏付けのない空論として
受け入れられないのか?
と危惧しています。


講座での質疑応答でのボクが感じたことは
近世の町の法制・制度を
しっかりと学習して臨んでおけばよかったと
いうことです。

松田眞一会員は
そのへんを見抜かれた上で
大目に見て
コメントされたことと推察します。
そんなボクの発言を
好意的に受け止めてくださったと思います。


たしかに「浪花はケチではなく、シマツ、
     生きた金の使い方、お上に頼らない自主運営」と
申し上げました。
これらの言説は江戸の戯作者・滝沢馬琴の『羈旅漫録』の
「大坂市中の総評」など記事に
若干、ボクの解釈を付け加えたものです。

このボクの紹介した「近世大阪論」を
どのように受け止められるのかは、
読者のみなさん次第でありますが、
このボクのささやかな「近世大阪論」の
出典を示しておきます。

初出は『大阪春秋』の
1994年3月、同年9月、95年1月に発表した
「不思議の浪花の弥次喜多道中①~③」です。

『大阪のお地蔵さん』を出版したのは
1994年8月で
ちょうど、この連載を書いていた頃です。


何よりも大事なのは
大谷晃一『大阪学』経営書院が出版されたのが
1994年1月20日のことです。
ただ今、わが書棚に『大阪学』が眠っていることに
気づき発行年月日を確認したところです。
『大阪春秋』「不思議の浪花の弥次喜多道中」
連載は大谷晃一『大阪学』の熱に浮かされての
ものであったことは否めません。


今回の馬琴「大坂市中の総評」へのボクの解釈に
歪みがあるとしますと、
20年前の自分の歪みを
無批判に引きずったものであります。

そのような条件のもとに
今回、提示しましたボクのささやかな「近世大阪論」は
隙だらけです。

本ブログでは、松田レポートを借りての
わずかな提示です。

ボクを「近世大阪論」に駆り立てたのは
何でしょう。
今日の「大阪」は問題山積です。
今日の大阪論に通じる論として
今回の講座を企画し、
一つの都市論として
一石を投じたい意欲に駆られ
セミナーで問うてみたのです。


究会代表 田野 登

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料亭「冨竹」はさまざまな案内書に
取り上げられています。

「大大阪」の実態を鋭くえぐった名著
北尾鐐之助、昭和7(1932)年『近代大阪』に
「蓮飯などを宣伝してゐる料亭」として
「冨竹」周辺の情景が描写されております。

●その頃、聖天堂には、
 老松が茂り合つて、杜をなしてゐたといふのだが、
 工場から吐き出される汚水や、
 煤煙のためにすつかり枯れ果てゝしまひ、
 杜若のゆかりの色もすつかり跡を絶つて、
 この辺一帯咲き乱れてゐた蓮の花の名残りが、
 今ではわづかに毘沙門堂付近に影をとどめ、
 蓮飯などを宣伝してゐる料亭が、
 昔の俤を語つてゐるが、
 それも全く問題にならない風景である。


引用個所の「その頃」とは明治30年ごろです。
「聖天堂」があるのは了徳院です。
明治の後期から大正期にかけて
了徳院のあたりは、市街地化が進行し
すっかり「煙の都大阪」の
一角に組み込まれていました。
「蓮飯などを宣伝してゐる料亭」の場所は
「毘沙門堂付近」であって、
「毘沙門堂」があるのは妙壽寺です。


わずかに蓮の花の名残を
とどめていた「冨竹」周辺も
戦災によってすっかり景観が破壊されました。

戦後、復興後の「冨竹」周辺について
案内書にはどのように記述しているのでしょう。
管見による最も早い時期の記事を紹介します。
それは
高橋敬蔵編著、昭和40(1965)年
『大阪食べある記』大阪新夕刊新聞社の

「ハス飯 富《ママ》竹」です。

●大阪浦江にハス飯を食べさせる料亭があるときいて、
 意外だという顔をする人もいる。
 それほどに、ハス飯は、いまではめずらしい料理とされている。
 ハス飯で知られた富竹の名は、
 あるじの名の富造と、妻の名の、竹からとったもの。
 江戸時代末期の浦江は、
 かきつばたの名所で、遊山の客も多かった。
 そういう風流人をめあてに、
 富造のあみだした、ハス飯が大当たりをとった。(中略)
 富竹は、戦災で焼け、
 その後、観光旅館が本業で、料亭が従になったが、
 いまも、昔の味をたずねてくる人が後をたたないよし。(以下略)


「大阪浦江にハス飯を食べさせる料亭があるときいて、
 意外だという顔をする人もいる」とは
さもありなん。
戦争が終わって20年。
往時の蓮池の情景など
すっかり、

過去の世界だったのでしょう。
戦後の一時期には
「観光旅館が本業で、

料亭が従になった」の時代があったのですね。


次に挙げます記事には、
往時を偲ぶ記述が見られます。
佐藤哲也著、昭和43(1968)年

『カラーブック143』大阪の味、保育社の
「はすめし 冨竹」の記事です。
●この浦江のあたりは、
 むかしはかきつばたや蓮の名所だったらしい。
 弁天さまがあって、
 そのそばに大きな池があったとか。
 いまは工場や人家が建てこんでおもかげはさらにないが、
 その中にも、かつてをしのぶよすがは残っている。
 冨竹旅館で作っているはすめしがそれである。(以下略)


ボクがこの記事を取り上げた理由は
「弁天さまがあって、
 そのそばに大きな池があったとか」の
「弁天さま」が取り上げられているからです。

この弁天さまは*『摂津名所図会大成』巻之十にあった
 *『摂津名所図会大成』:船越政一郎編纂校訂、
  1928年『浪速叢書八』浪速叢書刊行会
「鷺嶋弁天堂」です。
その項の半角割注には次の記述がありました。

●右了徳院の北ニあり
 妙壽寺といふ
 弁財天を安置す


管見によりますと
戦後の案内書において
昭和43(1968)年『カラーブック143』の
この「弁天さま」の他、
料亭「冨竹」の記事に
妙壽寺の弁天、毘沙門天を見出すことは
ありませんでした。
そればかりか、
妙壽寺との関係を述べる記事は
見つかりませんでした。

池が前に控えているとあった妙壽寺です。
人びとの記憶から
すっかり忘れ去られているのです。
今日の妙壽寺には
「蓮泉」の刻字の香炉と
「毘沙門天王」の刻字の石柱が残されています。


次回は、料亭「冨竹」の記事にみえる

了徳院・聖天を取り上げます。


究会代表 田野 登


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前回は
妙壽寺の本寺である
滋賀県守山市浮気町の源昌寺を
突破口にして一気呵成に
浮気(読みは「フケ」)の蓮池に
迫ろうとしましたが、
論究するには大変、煩瑣な手続きを要します。
写真・図の掲載許可の問題があります。


そこで今回は
少しばかり料亭「冨竹」の池と
妙壽寺および了徳院(聖天)との
位置関係を確認してみたいと思います。

妙壽寺と了徳院との間の池につきましては
奥沢信行編著の明治10(1877)年『大阪繁昌雑記』巻二
「浦江蓮花 附胡枝花」に次の記事がありました。
●北郊浦江邨、了徳院の後、妙壽寺の前に小池有り。
 池の周囲花木芳草繞り植ゆ。
 池に沿いて亭を設く。
 葦壁板床竹欄幕廂日を障るに足るのみ。
 池中燕子花(ルビ:カキツバタ)君子花(ルビ:ハス)多し。


冨竹の創業が慶応4(1868)年ですから
池に沿った「亭」を冨竹の原形とみました。
小池の位置は「了徳院の後、妙壽寺の前」です。
この場所を今日に比定してみましょう。

写真図1 現在の料亭「冨竹」跡マンションと妙壽寺
     2014年11月23日撮影





道路の突き当たりには妙壽寺の墓地が見えます。
「冨竹」跡マンションはその右(東)に見えます。
道路の右側(東)には了徳院が経営します
保育園・和光園が見えます。


次の写真は料亭「冨竹」が見える写真です。
写真図2 道路の右(北)に「冨竹」玄関
     1967~1992年に撮影
     妙壽寺提供





「冨竹」の看板が見えます。
庭の池は玄関を入った先にあります。
道路の左(南)は了徳院裏の民家です。


写真図3 道路の右(北)に手前「冨竹」
     1967~1992年に撮影
     妙壽寺提供




「冨竹」の先の木立の見えるのが
妙壽寺の墓地です。

これで、「冨竹」周辺の位置関係を
理解していただけましたでしょうか?


このような位置関係であるのに対し
種々の案内書にみえる「冨竹」の記事は
いかがなものでしょう?

次回、取り上げることにします。


大阪あそ歩「浦江・大仁」コースは

11月29日(土)実施です。

コース詳細、お申し込みは
大阪あそ歩事務局まで
   ↓ここをクリック
https://www.osaka-asobo.jp/course5.html


究会代表 田野 登

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浦江塾で「安治川異説」が聴けます。
妙壽寺住職からの
葉書での案内を載せます。

写真図 案内はがき




文面は以下のとおりです。
郷土誌を見直す『浦江塾』のご案内
安治川沿いの江之子島、川口付近はかつて大阪の中心
だったようで、居留地のあった面影が教会や黄檗宗寺院等
に残ります。多くのキリスト教系私学もこの地を発祥地
とします。大阪の近代都市化への先駆地だったんですね。
それだけに、謎の点も多く、井東先生が解明されます。

 日時 12月6日(土曜日)午後7時より
 場所 妙壽寺(福島区鷺洲2-15-10)駐車可
「安治川を挟んだ諸々の話」
西区郷土史家
 井東一太郎先生
終了後、情報交換等の雑談を行います。ご参加下さい。


以下、田野による書き込み。
阪俗研でいつもアドバイスをいただいております
井東一太郎氏による久々の浦江塾講演です。
今回は、多くの画像をPowerPoint版に
作成していただきました。
それをしないと
井東氏の膨大な知識についてゆけませんよと
お願いしましたもので。


小説「泥の河」の舞台あたり。
安治川・木津川に分岐する
川口は、有史以来、さまざまな戦いや
平和時にあっては交易の場所でありました。
近代に至り、
「江之子島政府」と呼ばれた大阪府庁や
大阪市役所が置かれたりもしました。
それは住職からの葉書にもありますように
まさに「大阪の近代都市化への先駆地」でした。


それだけに、かなりええかげんで
孫引きだけで書かれた記事があるようです。
井東一太郎氏は
かねがね、そういったええかげんな説について
自らの丹念に収集された情報・知識から
批判され続けて来られました。

名うての研究者・学者たちが
「ええかげんな説」を無批判に援用し
記述した場合、大変な害を及ぼします。


本ブログのタイトルに「安治川異説」を掲げました。
今回の「安治川を挟んだ諸々の話」に
挙げられる場所、施設は何なのか
興味津々です。
井東氏が正しいとされる
それまでの諸説とは違った見解
「異説」が提示されることでしょう。


何よりも楽しみなのは
「諸説」を捌いて、
いかに「真説」に導かれるかです。
そろそろ「安治川異説」といった
まとまった論考を
仕上げられるのが待ち望まれます。


安治川を挟む西区・福島区の住民だけでなく
広く地方史に関心を持たれるみなさん方の
参加を期待します。


浦江塾は
参加手続き不要で
参加費無料です。
ただし30名程度しか資料を準備しません。
お早めにお越しください。

浦江塾は
毎月第1土曜の夜、
熱く地域の歴史・民俗を語り合う場です。
ご参加を期待します。


究会代表 田野 登

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11月29日の大阪あそ歩
「浦江・大仁」コースのゴールは北梅田です。


昨日11月23日午後
浦江から北梅田まで歩いてみました。

大阪環状線福島駅から
「売れても占い商店街」こと
福島聖天通商店街を西へ
昔の井路川であった道路を渡れば
かつての浦江村。
商店街は、「聖天通商店街」に変わります。
戦前の浦江本通です。
福島出身の噺家・月亭八方師匠一門の
稽古場「八聖亭」は
毎月16日の「聖天通り@ほーむ寄席」の
定席です。
    ↓ここをクリック
http://www.shoutendori.com/event/


かつての浦江聖天は福島聖天。
晩秋の日に池の面に紅葉が
ただ今、進行中です。
写真図1 浦江聖天の池





芭蕉門人の建立した「杜若塚」は
義仲寺も認めるホンモノの
芭蕉の供養塚です。


かつての蓮の料亭「冨竹」の
不思議空間は、当日、お見せします。
妙壽寺の「蓮泉」の香炉で
往時の蓮池を偲びます。


JR神戸線のガードを抜けますと
紅葉盛りの浦江公園。
写真図2 浦江公園




浦江八坂神社には
日本に論語をもたらせた伝わる王仁博士の
社があります。

そこから北東に行きますと
ここにも王仁博士の伝承がある
大仁八坂神社があります。
ここらへんで「王仁博士」の伝説を
話すつもりです。

「大仁」は「だいに(ん)」と読みますが、
湯桶読みすれば「おおに」ですね。
「王仁」の「わに」を普通に読めば「おうに」ですね。
漢学者・廣瀬旭荘の日記では、いかがでしょう?

ゴールの梅田スカイビルが東に見えます。

直下からのショットがこれです。
写真図3 梅田スカイビル





*ウィキペディア「梅田スカイビル」には
次のようにあります。
●「TOP 20 BUILDINGS AROUND THE WORLD」の一つに、
 アテネのパルテノン神殿、
 ローマのコロッセオ、
 ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂、
 バルセロナのサグラダ・ファミリアといった
 歴史的建造物と共に選出されるなど、
 世界的にも有名な建築物である。
 *ウィキペディア「梅田スカイビル」
   最終更新 2014年11月22日 (土) 08:08


この日も外国人客で賑わってました。
写真図4 メリーゴーラウンド




2014年11月14日(金)~12月.25日(木)までの期間は
「ドイツクリスマスマーケット大阪2014」が開かれ、
クリスマスツリーのもと
多くの若者たち、家族連れで賑わっています。
   ↓ここをクリック
http://www.skybldg.co.jp/event/xmarkt/2014/shop.html

以下、HPを覗いてみますと
ツリーを可愛く飾るドイツ定番のクリスマス装飾。
木工芸品・銀製品・ガラス製品などのドイツの伝統工芸品。
子どもから大人まで大人気で
毎年完売になる豊富な種類のカレンダーなどの
クリスマスギフト。
グリューワイン(ホットワイン)。
ドイツビールなどなど。

わくわくさせます。


そのいっぽう。
人工庭園の「もみじ谷」からの奇観も一興です。
29日、本番の光景が楽しみです。

グランフロント大阪までは
地下道「梅北隧道」を抜けるとすぐです。
写真図5 地下道の東




阪急梅田・JR大阪に直結します。
浦江・大仁コースは
晩秋のひなびた光景を歩きます。
ゴールの梅田スカイビル・滝見小路が楽しみな
コースです。

コース詳細、お申し込みは
大阪あそ歩事務局まで
   ↓ここをクリック
https://www.osaka-asobo.jp/course5.html


究会代表 田野 登

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