晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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前回、秋のセミナーの表紙が決まりました。
お見せしましょうと思いつつ、
ついつい大阪府立中之島図書館所蔵の版本
書名『東海道中膝栗毛』、別名『滑稽五十三駅』の
書誌情報に中途半端に泥み
表紙の紹介にまでゆけませんでした。


表紙は下の写真です。

もちろん大阪府立中之島図書館から

掲載許可をいただいております。

写真図 秋のセミナー《『道中膝栗毛』浪花見物の都市民俗》表紙




大阪民俗学研究会
2014秋のセミナーⅠ
9月27日(土)pm7:00~9:00
福島区民センター


今年の夏は変な夏。
今年の秋はどんな秋?
9月、10月、11月の
第4土曜の夜は
阪俗研セミナーです。


懸案の挿絵です。
「高津社内の図」とあります。
以下、セミナー本番での語りで
さわりをやってみましょうか?


ご両人の市中見物は、
翌日の市中北東部から始まります。
南の郊外に当たる天王寺(天王寺区四天王寺)から
住吉(住吉区住吉)にかけての観光コースは、
ワンセットであったようです。
それを次の日に後回しにして
市中北東部から廻る見物から始めます。

弥次喜多ご両人は、
まず宿舎のすぐ東の高津宮(中央区高津)に参り、
昔の仁徳天皇の気分に浸ります。
ここは、
大阪を南北に走る上町台地の

西斜面に位置していますので、
この絵馬堂から浪花を望見しようとするのです。

弥次喜多を待っていたのは望遠鏡屋の触れ込みでした。
あまり上品ではありませんが、
市井の暮らしの細部までが

覗き見ることができると触れ込んでいます。
〽 遠眼鏡の言ひ立て
「サア見なされ、見なされ。
 大阪の町々蟻の這ふまで見へわたる。(以下略)


高津の絵馬堂での
遠眼鏡の触れ込みが
始まります。
大阪の都市民俗が
丸見えで、
何やら聞こえてきます。
大阪らしいおいしい食い物が匂ってきます。

道頓堀の通りの群衆は
今も昔も変わりません。
橋の下には
どなたがいやる?
住吉沖には何見える?
兵庫の岬、その先は摂津と播磨の国境。
歌枕の名所が見える。


遠眼鏡に耳を当てると
芝居小屋から聞こえるのは
誰の声?

鼻を寄せれば
プンプン匂いを立てる

おなかがすきだします。
「大庄」の名物料理!


「ただの四文では見るがお得じや。
 千里一目の遠眼鏡これじやこれじや」とは
どこまでホンマか
触れ込み文句の結びです。


みなさん。
この挿絵から何が見え
何が聞こえ
何が匂ってきましたか?
セミナー本番では熱っぽく語ります。


究会代表 田野 登


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『道中膝栗毛』浪花見物の都市民俗の
表紙が決まりました。

その表紙をブログアップする前に
下地にした挿絵の本について述べておきましょう。

その本は大阪府立中之島図書館所蔵の版本です。

それが、よくわからない代物なのです。

和装本索引カードを繰ってわかった書誌情報を記します。

書名
   『東海道中膝栗毛』
別名
 『滑稽五十三駅』
編著者
 十返舎一九編
種類
 刊行本
形態
 22冊 18㎝ 和装
注記
 改板本


刊行年は記されていませんが、
それに「十返舎一九編」とあります。

下の画像はブログアップの許可をいただいております。


写真図 『滑稽五十三駅』九編巻之上冒頭




さっそく本文を読んでみましょう。
●押照や難波の津ハ
 海内秀異の大都会にして(中略)
 殊更花のはるハ
 川船に棹さして
 天保山にあそび
 さくらの宮引舟の茶店に
 酔を催ふし(以下略)


ムムッ「天保山」が出て来ますがな。
文化8(1809)年序文の『道中膝栗毛八編』にすれば
天保2(1831)年、
「天保の大川浚」とよばれる浚渫工事で
出来た築山では年代が合いません。

和装本索引カードにたしかに「改板本」とありました。
いつ、誰が書き換えて刊行したのかは不明の書物なのです。

実際、図書館で調べ物をしておりますと
このような刊行経緯が不明の代物に出くわします。
そのような代物は価値がないのでしょうか?
気長に本文の校合をすれば、
きっと多数ある『東海道中膝栗毛』の
流布本の一つとして位置づけられることでしょう。


なぜ、この謎の本を
表紙に取り上げたのかについて述べます。
この版本別名『滑稽五十三駅』は
本セミナーでテキストとして
用いる本と
本文・挿絵に異同があります。


ちなみにテキストは
中村幸彦校注
『東海道中膝栗毛』(日本古典文学全集49 一九七五年 小学館)です。

この小学館本の底本は
平戸市松浦史料博物館蔵本及び
校注者の蔵本とあります。


テキストと比べて
『滑稽五十三駅』は、挿絵が本文に即している点が捨てがたく
セミナーでは《付録『滑稽五十三駅』挿絵》として
取り上げることにししました。
それで、
表紙に『滑稽五十三駅』挿絵を
持ってくることにしたのです。


さて、本文に即している挿絵とは
弥次喜多ご両人
どこでどうしている場面でしょうか?
まさに大阪の都市民俗が
丸見えで、
何やら聞こえてきます。
大阪らしいおいしい食い物が匂ってきます。

次回、表紙の挿絵を紹介します。


究会代表 田野 登

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大阪城南女子短大での
「梅田の牛の薮入りの世界」の公開講座

大阪城南女子短大での
「梅田の牛の薮入りの世界」の公開講座は
昨日8月27日、終わりました。

大阪民俗学研究会からは聴講に
3名参加しました。

そのうちのお一人で
大阪区民カレッジ代表の 大橋 清氏から
急なお願いに応えていただき
コメントを寄せていただきました。
以下、全文を載せます。

●田野先生の城南女子短大公開講座
 『梅田「牛の藪入り」の世界』に参加しました。
 梅田とはどこなのか。
 現地調査や文献資料の紹介がありました。
 梅田に墓地があった?
 梅田に堤があり、原野に牛の藪入りで牛が放たれた。
 グランフロントや百貨店や高級ホテルが林立する
 現在の姿から想像もできない
 農村風景が広がっていたとは。
 藪入りという言葉自体が
 死語になってしまっている。
 ただ、綱敷天神社御旅社が今日的伝承をされています。
 今うめきた2期用地は貨物駅が撤去されて
 広大な空間になっています。
 これがどのような変貌を遂げるのか。
 その時に牛の藪入りの伝承は
 どうなっているのでしょうか。
 興味が尽きないところです。


以下、田野による書き込み
ボクにとっての発見は
「梅田」に
「現在の姿から想像もできない農村風景」を
見たことです。

今から20年程前のことです。
そこには大きなお墓があり
墓に通じる道では
5月5日に
農耕に使役される牛たちが
この時ばかりはのんびりと
放たれたのです。・・・

その農耕儀礼が
いかにして町衆の見物の対象となったのかを
お話ししたのですが、
大橋レポートには触れられていません。
やはり事例が多く
すっきりと伝わらなかったのでしょう。


大橋レポートで挙げられた「綱敷天神社御旅社」の
「今日的伝承」は
浜田容子会員からのご教示によって

新たに得られた成果です。

「梅田牛の薮入り」の今日的伝承を発見!:2014-08-20 16:36:15
     ↓ここをクリック
http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-11912647277.html

このブログにも述べましたように
神社・寺院は「伝統」を創出する施設です。
過去を未来につなぐ場所です。

大橋レポートでは
「うめきた2期用地」が「どのような変貌を遂げるのか」に
注目されています。
未来へのまなざしです。
もはや「現在の姿から想像もできない農村風景」を
語るのは神社だけなのかも知れません。


その際、ボクが懸念しておりますのは、
記録にある「梅田道」あるいは「梅田堤」の場所の問題です。
暁鐘成『浪華の賑ひ』にある
「梅田堤」は、浄祐寺(現在は北区堂島三)の「一丁許北」
「梅田の三昧に至る道條なれば」の記事です。

綱敷天神社の「氏地」である
大深町から外れることになります。


この際、「道」あるいは「堤」から外れても
牛の放たれた「此辺の野」(浜松歌国『摂陽落穂集』)ということで
将来するうめきた2期用地の緑地帯の一角に
「梅田の牛の薮入りの野」としてでも
顕彰してみてはいかがでしょうか?
緑地帯計画は千載一遇のチャンスです。


願わくば「梅田墓」と一連の「梅田」の地名伝承地として
顕彰されることを
ボクは期待します。


究会代表 田野 登

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来月の浦江塾では
写真家のとらえた地蔵堂のある風景を
ご覧に入れます。

昨日、妙壽寺ご住職からはがきが届きました。
9月の浦江塾のご案内です。

写真図  9月の浦江塾のご案内はがき




以下、文面を載せます。


郷土誌を見直す『浦江塾』のご案内
 日頃方々で目に付く地蔵さん、大阪市内には現在
幾つあると思われますか。2000か所余りあるようです。
それらを殆どまわって写真に収められた写真家のお話です。
今回は中でも特に興味深い、特色ある地蔵さんを
スライドでお見せします。解釈は皆さまの智恵でどうぞ。
 日時 9月6日(土曜日)午後7時より
 場所 妙壽寺(福島区鷺洲2-15-10)駐車可
 テーマ 「地蔵堂のある風景」
サラリーマン写真家
         高津吉則先生
終了後、情報交換等の雑談を行います。ご参加下さい。


以下、田野による書き込み
今回、発表される高津吉則氏は
大阪民俗学研究会の会員です。
先達て、姫路で写真展に「南島のイメージ」に
ケガレを追究されたサラリーマン写真家です。

彼から始めて地蔵の祠堂の写った写真を
見せていただき1年になります。

なにか意味ありげな風景ばかりです。

彼の写真には気をそそる

何かがあるのです。

それはボクが、

その分野に関心があるからだけでしょうか?


日頃、どこにでも見る風景でありながら
ついどなたが
どういうゆきさつで
どんなお願いをされているのか
地蔵盆の時、
数珠繰りや護摩焚き
御詠歌はあげなさるのだろうか?
(この頃、テープに合わせてなさるとか?)
どこのお寺さんが御参りなさるのか?

ついつい訊ねたくなるのは
長年のボクの「習性」のようなものでしょうか?

今回は「解釈は皆さまの智恵でどうぞ」とあります。

期待を持たせますね。
知らされないことほど
想像力を膨らませることができます。


とにかく提供される写真に見入ることです。
写真を読み解く二つの見方を提示しましょう。
一つは微細な点を観察することです。
尊像であれば、彫り方です。
丸彫ですか?陽刻ですか?陰刻はめったにありません。
立像ですか?坐像ですか?
光背は?舟形ですよね。火炎ならお不動さんですしね。・・・
持ち物は何ですか?
錫杖・宝珠がよくある形です。

祠なら、その内部に
供え物は何ですか?
地蔵尊像の他に安置されているもの、
傍らに添えられているものはありませんか?
扁額には何か文字が書かれていませんか?


いっぽうで
地蔵堂をとりまく場所に目をやるのも
楽しいことです。
道路の三叉路であったり
先達ての大正区三軒家東の大正橋延命地蔵尊は
五叉路でした。
昔ながらの裏長屋の場合ですと
井戸端が恰好の安置場所でありました。

目を遠方に転じますと
地蔵を祀る町内の暮らしぶりが見えてきます。
そうなれば
聞きに行って確かめたくもなるものです。


ここまで申し上げれば
「地蔵調査のススメ」になってしまい
抜き差しならぬことになります。
調査なさるならどうぞ、
聞き書きは苦しいけれど楽しいものです。
いかがですか?


高津会員の捉えた地蔵堂の風景に
魅せられても知りませんよ。
ボクは
知らないことを知る楽しみで
今からワクワクしています。


究会代表 田野 登

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地蔵盆は秋の季語です。
日が傾きかけてました。
この先、北村の風切り地蔵さんに参らねば・・・。


風切り地蔵さんは昨秋、エイサーの時、
思い立って参った地蔵さんです。
   ↓ここをクリック
http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-11610798363.html
http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-11611000385.html
http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-11611419656.html
「大正ウチナーンチュを訪ねて」前中後篇


沖縄県出身のお婆さんが
ふとした胸騒ぎで祀られた方です。

今回も26年前のように
「踊られないのですか」と
誘いかけましたが、応えてはいただけませんでした。
ちょっと空気が違っていました。

あの宵はお爺さんが三線シャンシンを弾き
お婆さんはじめ
お嫁さんも踊っておられました。
アルコールも入って
みんなでカチャーシーしてました。

「奥さんは、今よりもお若かったですね」など
ボクは軽い冗談を言ったりもしました。


今回の訪問でも
確か1984年のロサンゼルス・オリンピックで
体操で金メダルを獲得された
「具志堅幸司選手の名前の書かれた提灯が
吊られていたはずですが」と
問いかけましたもので
たくさんのウチナーンチュの名前の混じる中で
探し出していただけた時は
感激しました。
しかし、一族の皆さんは
そんなに大したことでもないようすです。


写真図 具志堅幸司氏の名前の書かれた提灯 




26年前当時、2階のトートーメ(先祖)を
祀る部屋でお婆さんからお話を伺っている時、
ご主人は、汗ぐっしょりになって
仕事から帰って来られてました。
「その頃はね」と
あっさり、ご主人は答えられました。
今も金属回収のトラックが停まってます。


今回、知ったのですが昭和29年生まれとのこと。
ボクと4歳しか変わらないのですね。
すっかり、鬢に白いのが混じる齢に達しておられました。
今回、始めて親しくお話ができました。
あの時は、まだ小さなお子たちがたくさんおられた。
今さら、改めてお子たちに
ご挨拶をするまでのことはありませんでしたが・・・

奥様とは、
しきりにお地蔵さんを建立された姑さんが
どこかで
引いて下さっているのではということで
不思議な縁に感じ入っていました。
カミダーリ「巫病」しやすい方と話をしておれば
きっと、ボクの方も想像力を働かせて
そのような気持ちになるものです。


30分ばかり
Uさん一家をインフォーマントとして調査するでもなく
世間話に終始していました。
フィリピンで終戦を迎えた
ウチナーンチュの戦後を聞くことは
今回もありませんでした。
ただ奥さんが言ってられた
呼び捨てされる人間になるな。
さん付けされる人間になれという
言葉が耳に残っています。
きっと舅か姑さんが日頃、
口にしていた言葉でしょう。
戦後、この地にたくましく生きた
ウチナーンチュの負けじ魂を
感じさせる言葉です。


お地蔵さんのお下がりを
今回もいただいたもので
このような縁を結んで下さったお婆さんには
地蔵尊に合掌して
お礼を申しあげて立ち去ることにしました。


大正区のお地蔵さんを訪ね、
昔の方にお会いするといった
今回の所期の願いを果たせ
小さな喜びを抱きながら
自転車で実家に帰ることにしました。

民俗調査など
一方的なものではなく
自分と同時代に生きている人々と
世間話や身の上話をする中で
感じ合える何かを得るものなのでしょう。


究会代表 田野 登

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