晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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久方ぶりに「万葉集の音の世界」に
戻ってきました。
簡単におさらいをしておきましょう。


万葉集の音の世界(1)では、
  ↓ ここをクリック
http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-11769130698.html  
現代語の「音」(読み:おと)は
万葉集の語彙では「おと」が対応しますが、
「こゑ」とも重なります。
現在でも、音声は物音の一つですね。


それに「ね」も音声に含まれます。
万葉時代は、ともかく現在では
「鐘の音」の「ね」であったり
「音色」の「ね」のように
複合語の一部であったりします。


そこで、前回の万葉集の音の世界(5)では、
  ↓ここをクリック
http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-11771530896.html
万葉集では「虫の声」と認識していたのです。(中略)

羽を摺りあわせて立てる音を「音」ではなく
「声」と認識していたのです。
これなど、取り立てて驚くことでもありません。


では、万葉集に2首挙げられる「虫」は何でしょうか?
そこで中断したのでした。

答えは「こほろぎ」と「ひぐらし」なのです。
まず「こほろぎ」について、
『新潮集成本』⑩2160は次のように訓じています。


●庭草に 村雨降りて 

こほろぎの 鳴く声聞けば 秋づきにけり


この歌にある「こほろぎの鳴く声」は
季節感を表現しているだけのように、

一見、感じられるでしょうが
こおろぎの声は、それだけではなさそうです。

「こほろぎ」は、万葉集中7例みえます。

『新潮集成本』⑩2271は次のように訓じています。
●草深み こほろぎさはに 鳴くやどの 

萩見に君は いつか来まさむ


男を勧誘する口実に、こおろぎの鳴き声があてられています。
こおろぎが鳴くことから何を連想したのでしょう。

この歌と通底する歌は、いくつかありそうです。


『新潮集成本』⑩2264は次のように訓じています。

●こほろぎの 待ち喜ぶる 秋の夜を

 寝る験なし 枕と我れは


これは、ずいぶん寂しい歌ですね。
こおろぎが待ち喜ぶ秋の夜に
自分は一人枕を抱えて寝るというのですから。
こおろぎの鳴くのは妻を求めているのでしょうか?
こおろぎの声により一層の空閨感をそそるのです。


小倉百人一首91番 藤原良経歌に、

きりぎりすの歌がありました。
あのきりぎりすは、こおろぎのようです。

●きりぎりす 
 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む


この歌もまた、同じ趣向です。
今回は、こおろぎの立てる音は、声と捉えられ
単に季節の推移を示すものではなく
求愛の声として聞こえ
侘びしさ募る趣旨を詠じるものなのです。


次回は、積み残した「ひぐらし」の声から始めます。


究会代表 田野 登

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海老江・鷺洲コース集合場所を訂正しました。2014/05/01

春到来!
ボクがガイドします
2014年春大阪あそ歩の4コースを案内します。


写真 チラシ




以下、チラシの文面
4月1日(火) 市岡尻無川コース 集合場所:JR環状線弁天町駅南改札口
4月2日(水) 市岡安治川コース 集合場所:JR環状線弁天町駅南改札口
5月5日(祝) 海老江・鷺洲コース  集合場所:阪神野田駅改札口
6月1日(日) 福島(浦江・大仁)コース 集合場所:JR環状線福島駅改札口
集合時刻は、いずれも午後1時です。
参加費用:1500円(小学生以上)
     ※当日、集合時にお支払いください。
     お釣りのないようご協力ください。


市岡尻無川コースの見どころは、
甚兵衛渡しから尻無川堤にかけての奇観です。
大阪に、こんな春景色あったの?
磯路の桜通りは春爛漫!
地元を愛する住民による大阪万博の頃のマチおこしの賜物。
市岡パラダイス跡では「都市伝説」を熱っぽく話します。


市岡安治川コースの見どころの一つ、
大阪万博の時代、瀬戸内航路の船着場「弁天埠頭」は
今や昭和40年代の遺跡?レトロ?むしろ廃墟?
磯路の桜通り、市岡パラダイス跡にも立ち寄ります。


海老江・鷺洲コースでの見どころは
海老江八坂神社周辺の旧家のたたずまい。
明治の俳人もこよなく愛したかつての水郷の趣を体験します。
鷺洲では、了徳院の藤が真っ盛りかも。


福島(浦江・大仁)コース
「売れても占い商店街」がスタート地点。
今や「なにわの伝統野菜ミュージアム」にご注目!
浦江は明治の半ばまでは、
都心に近いひなびた場所で花の名所でした。
ゴールのスカイビルで解散。
滝見小路ではビールをゴックン!


以下、「大阪あそ歩 トップページ」貼り付け情報
「大阪あそ歩」のお申し込み方法(予約受付中)
①このホームページの各コース「詳細」→「参加予約」と進み、
 予約欄に書き入れてください。 
②自動電話受付(留守番電話)050-5809-7002     
「日時・コース名・お名前・参加人数・電話番号」を録音してください。
 そのまま自動的に予約されます。
*キャンセルは、メール 
info@osaka-asobo.jp
 あるいは上記の自動受付電話へその旨をご通知ください。
*お問い合わせは、メール 
info@osaka-asobo.jp でお願いします。
「大阪あそ歩 トップページ」貼り付け情報は以上。


参加したいのだけれども申込ができなかった方は
実施日前日までに
080-1418-7913の田野までご連絡下さい。


究会代表 田野 登

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今春、福島区の西部の
マチ歩きのガイドを頼まれました。
「水災伝承地を訪ねる」ということで
かつての池沼地帯、変じて工場街となると云うべきか
原地形を絵地図で確かめながら
水にまつわる伝説の地を歩きます。

ご参加をお待ちしております。


写真図1 チラシ表




以下、チラシ表文面
福島区魅力再発見ウォッチング
~海老江・大開・吉野・野田の水災伝承地を訪ねる~
とき:2014年4月29日(祝)午後1時~4時
   (小雨決行)
ところ:福島区海老江・大開・吉野・野田
(野田阪神集合-環状線野田駅前解散コース)
☆集合場所とウォッチングコースは裏面参照☆
参加費:1500円(資料代・案内代)

海老江・大開・吉野・野田の水災伝承地を訪ねる
JR海老江駅開設工事の時、

地下からの湧水により道路が陥没するなどの

事故が起きたことは記憶に新しいことでしょう。

福島区海老江・大開・野田一帯は

近世の絵地図では池沼地帯であります。

海老江村から野田村にかけての

中津川左岸は絶えず水災に見舞われました。

海老江村の籠ヶ樋(今の阪神淀川駅付近)には

龍が空高く昇ったという竜巻の伝承があります。

尼淵という地名には、

仏法伝来の時代、尼を淵に沈めたとの伝説があり、

それが祟ったのか

絶えず中津川の水に田圃が流されていた地と

伝えられています。

近世、中津川に出来た鼠島は、

明治以降、「辺境の地」として

伝染病隔離施設が設けられたりもしました。

そこに渡る水門は

魔の水門として恐れられ戦後になって

水死者が絶えませんでした。

現在、大開延命地蔵堂は

悲劇の記憶を伝えています。

恵美須の御旅所のある野田新家は

かつて漁村でした・・・。

この地区を絵地図を携え

昔の土手道を歩きますと、

水災に苦しみながらも

市街地を開いていった人々の

たくましい歴史が見えてきます。


 ガイド=田野 登先生(大阪民俗学研究会代表)
松本 裕彦氏(1級建築士・大阪市職員OB)
◆参加募集・定員15名

(申込は最寄りの実行委員または事務局の山田まで連絡ください)
主催=福島区地域自治体学校実行委員会

(連絡先:090-8231-4697 山田)


写真図2 チラシ裏


ウォッチングコース予定
集合場所:阪神野田駅前広場
野田阪神→松下幸之助創業地→大阪府立西野田工科高校→阪神淀川駅→海老江下水処理場→UR都市機構大開団地→大開西公園→浪速通運→大開延命地蔵堂→新家保育所→福島とぼしび苑→大阪市建設局西野田抽水所→恵美須御旅所→新家墓地→野田緑地→兼平地蔵→源吉大明神→野田3丁目付近地蔵探索→JR環状線野田駅

定員は15名です。

チラシ文面は以上


阪俗研を通しての申込みも可能とのことです。
下記にメールあるいは携帯電話にて受け付けます。

大阪民俗学研究会代表 田野 登

メール tano@folklore-osaka.org
携帯電話 080-1418-7913


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ようやく「清光館哀史」における「月夜」の用例
最後の4例目にかかりました。
最終章「七」の冒頭です。


④一たび「しょんがえ」の流行節が、
 海行く若者の歌の囃しとなってから、
 三百年の月日は永かった。
 いかなる離れ島の月夜の浜でも、
 燈火花のごとく
 風清き高楼の欄干にもたれても、
 これを聴く者は
 一人として憂えざるはなかったのである。


「しょんがえ」の流行節について
*『広辞苑』「しょんがえ節」には次のように記されています。
*『広辞苑』:新村出編1998年『広辞苑第5版』岩波書店


●江戸時代よりさまざまの歌詞と旋律で
 歌われた流行歌。
 段落の後に「しょんがえ」
 「しょんがいな」という囃子詞を持つ。
 古くは「山家鳥虫歌」にあり、
 安永(1772~1781)頃には盆踊り唄として広まる。
 明治・大正時代には盆踊に用いた。


以下、柳田の名調子に酔い痴れて
ボクはしばし、空想に耽ります。


「しょんがえ」の流行節は、
盆踊り唄として全国に流布していたのであろう。
廻船人・漁師が伝播させたのであろう。
さぞ、湊の遊里では
歌妓の三味線の音に合わせて
歌われるに連れ
男たちの耳を通して
まさに津々浦々に広まったのであろう。

小子内の浜にもまた、
その余波に乗せられて上陸し
月日が経って
盆踊り唄として根づき
女たちが歌い継いだのであろう。


「しょんがえ」「しょんがいな」とは、
ずいぶん迎合的で調子の良い響きがあります。
どこかで小子内の
「なにヤとやれ/なにヤとなされのう」に
通底するところを感じます。


それは、「清光館哀史」の前の方に記されていた
清光館の没落を知らされている
ボクだからかも知れません。
今まで何度、読み返したことでしょう。
次に記す紀行文中の「事実」を。


●・・・清光館は没落したのである。
 月日不詳の大暴風雨の日に
 村から沖に出ていて還らなかった船がある。
 それにこの宿の小造りな亭主も乗っていたのである。


その「事実」を知らされているゆえ
「月夜の浜」での踊りの
一夜の歓喜の蔭に秘められた
底知れぬ悲しみを想像するのでしょう。


「浜の月夜」に続く「清光館哀史」は
次の表現で結ばれます。


●痛みがあればこそバルサムは世に存在する。
 だからあの清光館のおとなしい細君なども、
 いろいろとして我々が尋ねてみたけれども、
 黙って笑うばかりで
 どうしてもこの歌を教えてはくれなかったのだ。
 通りすがりの一夜の旅の者には、
 たとい話して聴かせてもこの心持は解らぬということを、
 知っていたのではないまでも感じていたのである。


「清光館哀史」を通読した
このブログ読者およびボクには
「清光館のおとなしい細君」の6年後の境遇を
知っています。


それであれば
「痛みがあればこそバルサムは世に存在する」の言葉は
単に気の利いた文句ではすまされない
箴言として心に響くのでしょう。


今春の阪俗研セミナーの予定は
   ↓ここをご覧ください。
http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-11772885469.html
「浜の月夜」を読む会へのご案内

定員10名です。
ぼちぼち埋まり始めています。
お申し込みはお早めにお願いします。


究会代表 田野 登

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お待たせしました。
次に示しますのが
「清光館哀史」中の3例目の「月夜」であり、
盆の踊りの文句です。


③なにヤとやれ
 なにヤとなされのう
 ああやっぱり私の想像していたごとく、
 古くから伝わっているあの歌を、
 この浜でも盆の月夜になるごとに、
 歌いつつ踊っていたのであった。


「この浜でも盆の月夜になるごとに、
 歌いつつ踊っていた」のくだりで、
盆踊りの探訪物語としての「浜の月夜」は
絶頂に達します。


懸案の歌詞は
「なにヤとやれ/なにヤとなされのう」でした。
存外、平凡で平易な言葉だったのですね。

「何なとやれ/何なとなされ」
まるで“Let It Be ”ではありませんか?


この短い文句を言葉をめぐっての「私=柳田」の解釈があります。


●どう考えてみたところが、
 こればかりの短かい詩形に、
 そうむつかしい情緒が盛られようわけがない。
 要するに何なりともせよかし、
 どうなりとなさるがよいと、
 男に向って呼びかけた恋の歌である。


「男に向って呼びかけた恋の歌」というのです。
異論を差し挟む余地はございません。

ボクなりに上塗りしますと

女性が男性に身をゆだねることを

集団の儀礼として
誘いかけているとでもいうのでしょうか?



「清光館哀史」の最終章である「七」に
最後の「月夜」の用例が見えます。

その前に「清光館哀史」の世界は、
深みを感じさせる記述があります。
ジェンダーの視点からも興味深い記述です。


●ただし大昔も筑波山のかがいを見て、
 旅の文人などが想像したように、
 この日に限って羞や批判の煩わしい世間から、
 遁れて快楽すべしというだけの、
 浅はかな歓喜ばかりでもなかった。
 忘れても忘れきれない常の日のさまざまの実験、
 遣瀬無い生存の痛苦、

 どんなに働いてもなお迫って来る災厄、
 いかに愛してもたちまち催す別離、

 こういう数限りもない明朝の不安があればこそ
   はアどしよそいな
 といってみても、
   あア何でもせい
 と歌ってみても、
 依然として踊りの歌の調べは悲しいのであった。


他の表現を要しません。
「柳田=私」における女性の心情への理解に
深まりが認められます。


前回挙げましたところの、
女性からの「翻弄」であれ、
女性の「ふんといっただけ」のしぐさの後、
この再訪によって知った

清光館の没落のことと重ねあわせて
「明朝の不安」に気づいたのでしょう。

この気づきは、6年前の朝の娘たち、細君の姿の
新たな焼き直しであって、
再解釈といえます。

もはや、けなげで、一途な
従順なだけの女性像ではあり得ません。
ボクには、
作品における筆の進化のようなものがみえます。


いよいよ最後の「月夜」を
次回、取り上げることにします。


究会代表 田野 登

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