晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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昨日のブログでも書きましたが、今週土曜日、

月例の浦江塾におきまして、

「『大阪繁昌詩』の福島周辺を読む」のテーマで話します。

場所:妙寿寺(福島区鷺洲2-15-10)

日時:3月2日土曜日 午後7時より 入場無料。

ご参加をお待ちしております。


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2014/10/06書換

『大阪繁昌詩』という幕末期に編まれた漢詩集があります。

作者は田中楽美という儒家で19歳にして他界し、没後、父である田中華城が、この本を刊行しました。

今回、福島区周辺の民謡風七言絶句を七編抄出し、書き下し文にしました。

(適宜、送り仮名を足し、字音仮名遣いを現代表記に改め、句読点を打つ。)

画像は、「浪華百景」(「浪花百景」)から適当なのを選び、配置しました。



安治川七絶

鷁首波に映じて曦影紅なり。安治橋下碧江の中。

(ゲキシュなみにエイじて、ギエイくれないなり。アジキョウカヘキコウのうち。)

新公端坐顔玉のごとし。?鼓声は高し紫幔の風。

(シンコウタンザかんばせたまのごとし。ダコこえはたかし。シマンのかぜ。)

晴耕雨読 -田野 登--安治川
安治川ばし 国員「浪花百景」

安治川は右岸に新堀の遊所がある港町でした。

商家は雑貨を上荷船、茶船を駆って運搬します。

上流には諸藩の蔵屋敷が櫛比します。

川御座船が船装い宜しく、?鼓を鳴らして出帆します。



玉江橋七絶

雨は霽る玉江橋上の風。侯家の粉壁水の西東。

(あめははるギョッコウキョウジョウのかぜ。コウカのフンペキみずのサイトウ。)

南方直ちに望む荒陵塔。長く頼翁詩句中に在り。

(ナンポウただちにのぞむコウリョウトウ。ながくライオウシクチュウにあり。)


晴耕雨読 -田野 登--玉江橋
玉江橋景 国員「浪花百景」

玉江橋からの眺望は絶景です。

蔵屋敷の漆喰壁が川面に映えます。

真南に四天王寺の五重の塔とは

近世人の不思議です。川の蛇行に気づかない錯覚です。



雑喉場七絶

活発たる紅?籃に声有り。雑喉場上買ひて相争ふ。

(カッパツたるコウソウかごにこえあり。ザコバうへがひて、あひあらそふ。)

異鱗別に尺余の物有り。瀕湖を起こして此の名を問はんと欲す。

(イリンベツにシャクヨのもの。ヒンコをおこして、このなをとはんとほつす。)


晴耕雨読 -田野 登--雑魚場
雑喉場 芳瀧「浪華百景」

雑喉場の競りの威勢のよいこと。

紅魚は鯛、青魚は鯖・・・等々、

竹籠の鮮魚が次々に売り捌かれてゆきます。

仲買人の隠語による丁々発止のやりとりの妙に酔いしれます。



福島逆櫓松七絶

白髪の老翁漫ろに兵を論ず。逆?一軍営に笑はる。

(ハクハツのロウオウそぞろにヘイをロンず。さかろイチグンエイにわらはる。)

黄昏樹下の風尤も激す。猶ほ源郎大喝の声を作す。

(コウコンジュカのかぜ、もつともゲキす。なほゲンロウダイカツのこえをなす。)

平家物語に取材し、芝居で名高い逆櫓の松。

梶原景時と源義経が逆櫓の松の下で、兵法を戦わせます。

進むばかりで退くのを知らぬのを猪武者と諫言された義経

顔色を変えて反論するや如何。



野田藤七絶

紫浪空に漲る神廟の前。将軍憩ふ処已に田と為る。

(シロウそらにみなぎるシンビョウのまへ。ショウグンいこふところすでに、デンとなる。)

猶半杓当時の水を留め、片石長く標す旧玉川。

(なほハンシャクのみずをとどめ、ヘンセキながくしるすキュウギョクセン。)


晴耕雨読 -田野 登--錦絵
野田藤 芳瀧「浪華百景」

足利将軍義詮公、来臨の言い伝えのある

野田藤の春日神社。

老樹に纏わる藤の花。玉川名残の池。

標石には「古へのゆかりを今も紫の/藤波かかる野田の玉川」の歌が刻まれております。



浦江燕子花七絶

東帝已に辞して花は是れ塵。北郊の野廟満池新たなり。

(トウテイすでにジしてはなはこれちり。ホッコウのヤビョウマンチあらたなり。)

紫藤架上凋落すと雖も、杜若橋辺別に春有り。

(シトウカジョウチョウラクすといへども、トジャクキョウヘンベツにはるあり。)


晴耕雨読 -田野 登--うらえ
うらゑ杜若 芳雪「浪花百景」

浦江聖天杜若。

藤の花に続くは、杜若。

在原業平遺愛の杜若に肖り

近来、穿った池の面には紫が映えています。



大仁村七絶

伝へ得り此の花此の文に兼ぬと。千秋朽ちず両つながら芳芬。

(つたへえりこのはな、このふみにかぬと。センシュウくちずふたつながらホウフン。)

誰か培?一杯の土を呼びて、漫ろに道ふ王仁博士の墳と

(たれかバイロウイッパイのつちをよびて、そぞろにいふ、ワニハカセのはかと。)

難波津に咲くや此の花冬ごもり/今を春べと咲くや此の花

論語や漢字を伝えたとされる王仁博士。

大仁村の墳墓の真偽や如何。



3月2日土曜日 月例の浦江塾にて

「『大阪繁昌詩』の福島周辺を読む」のテーマで話します。

場所:妙寿寺(福島区鷺洲2-15-10)

日時:3月2日土曜日 午後7時より 入場無料。

ご参加をお待ちしております。


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昨日、阪俗研セミナーの第1ステップを行いました。
参加者の皆さんありがとうございました。
参加できなかった皆さんのために、簡単ですが、当日の概略を紹介します。

コンテンツ
1 初秋の風物詩「地蔵盆」
2 静かなブーム「街角のお地蔵さん」
3 大阪のお地蔵さんの歴史
4 地蔵信仰調査カード
5 2010年7月「子安地蔵調査記録」
6 地域史研究に向けて
7 地域史研究の可能性:鼠島探訪
8 まとめ

晴耕雨読 -田野 登- 晴耕雨読 -田野 登-
晴耕雨読 -田野 登- 晴耕雨読 -田野 登-

1 初秋の風物詩「地蔵盆」

大阪では、毎年8月23、24日に地蔵盆が行われています。ボクが市岡高校都市文化研究会の生徒たちと調査を始めたのは、今から30年ほど前です。1985(昭和60)年頃でした。
大阪市港区から始めて、西区、大正区、都島区へと調査を広げました。
当時は、地蔵堂の前で盆踊りをしたり、護摩焚き、百万遍念珠が行われたりもしていました。路地(ロージ)の奥の猫の額ほどの場所に地蔵が祀られていて、その夕べには床几に太鼓を据えて、町内の世話人の音頭に合わせて十数人の子供達が、その周りを踊っていたりもしていました。まさに夏休みも終わりがたの初秋を感じさせる行事でした。
晴耕雨読 -田野 登-


2 静かなブーム「街角のお地蔵さん」
少子高齢化、居住環境の変化の中で、西区九条の戦災からもまぬがれた路地に祀られていた地蔵の数も3分の2に減少しています。このような今日の地蔵信仰が、地元の九条北小学校の広報紙に報告されています。港区南市岡の小学校のカルタに地元のお地蔵さんが取り上げられたり、地域紙に由来や祈願などが取り上げられたりもしています。福島区野田では、若い母親たちが中心となって、地蔵の七カ所めぐりをマチおこしにしたりもしています。「街角のお地蔵さん」が失われ行くさなか、静かなブームが起きています。
晴耕雨読 -田野 登-

3 大阪のお地蔵さんの歴史
大阪における地蔵信仰が図像とともに載せられた書物に延宝8(1680)年刊行の『難波鑑』(なにわかがみ)があります。これには、辻に祀られている地蔵尊像の前で鉦をたたく幼な児、子を背負う母親たちが描写されています。寛政2(1790)年刊行の『摂津名所図会』の「茶湯地蔵」には、地蔵堂にたくさんの茶湯が供えられていて、ここでも幼な子をあやす若い母親たちが描写されています。安政年間草稿『摂津名所図会大成』の「瀬戸物町地蔵会」では、浜(河岸)に設えられた祭壇に火除け地蔵が祀られ、大勢の参拝客で賑わうさまが描写されています。近世以来、大阪における地蔵信仰は、町内で祀ります。これは京都を中心とする上方の習俗です。町内の火除け、波除け、今日では交通安全など、近世から近代にかけては伝染病除けなども祈願されてきました。それらは、地蔵尊が境界に立って町内に侵入する災厄、疫病などを遮ると信じられてきたからです。地蔵和讃に詠われる地蔵菩薩は、右手に錫杖、左手に宝珠を持ち賽の河原に立って、親に先立った子供達を地獄の鬼から救う修行者の姿でもあります。今日にあっても、このような子安の信仰が伝承されております。
晴耕雨読 -田野 登-


4 地蔵信仰調査カード
地域史研究のための地蔵調査は、フォーマットされた調査項目で実施する必要があります。そのようにして作成されたデータベースを活用して、始めて他の地域や異なる時代に得られたデータと比較もなされるのです。ここでは、調査項目の列挙にしておきます。
1.番号         2.異名     地蔵尊
 3.尊像の数       4.所在地
 5.場所         6.外観調査
 7.祭祀組織       
 8.地蔵盆の行事     9.地蔵盆の以外の行事
 10.信仰内容       11.由来
 12.その他特記事項 
 情報提供者
 氏名/生年月日/連絡先:住所・電話番号/調査年月日/記録者 

5 2010年7月「子安地蔵調査記録」
以下に調査記録を貼り付けます。
 所在地:南市岡2-3/尊容:石・立。堂内に馬頭観音/向き:東/地点:住・路地奥
 祈願行為:妊娠をした人が安産を祈り参る。地蔵さんがおられるので事故がない。
 祭祀主体:南市岡2丁目町会///話者(氏名・連絡先省略)
 地蔵祭:8月第3土日。今年は21、22日。磯路の浄土真宗大谷派・光寿寺からのお参  りがあって、南市岡児童遊園にて踊る。尊像は移さない。南市岡北町会、南市岡1丁  目中町会、南市岡1丁目町会が合同で行う。午後8時から9時までは子どもの時間で  「オバQ音頭」「アラレちゃん」など、9時から10時までは大人の時間で「炭坑節」 「江州音頭」「河内音頭」「堀江の盆踊り歌」などを踊る。
 由来:戦後の昭和22年、Kさんのオジさんで馬力屋をしていた人が瓦屋のMさんと一 緒に夕凪の屋敷に落ちていた敷石を拾って帰ってきたところ、石には地蔵尊像が刻ま れていた。東の辻の場所に祀っていた。このあたりは空き地で馬小屋が6軒建ち並ん でいた。辻の場所に家が建つことになり、地蔵さんもSさんの所に移動したりもした。 昭和27年には現在地である家主の土地に地蔵堂は建っていた。現在地に移動したK さんのオジさんは2日後に亡くなった。踊りは路地を出た道端で踊っていたが、20  数年前(昭和の末頃か?)にはMIさんの祀る地蔵と一緒に現在の南市岡児童遊  園で踊りをすることになった。平成の初めにお堂の屋根瓦を葺き替えた。以前、世話 をしていたIさんは平成7,8年に転出した。

6 地域史研究に向けて
地蔵調査により、以下に示すような地域の生活史を知ることができます。
(1)災害:
「波除」、「火除」を関する尊像からは、水害、火災といった災害、その他に 地域内での事故といった災厄など
(2)地域の変遷
街並みの変化、生業,運輸手段の変遷など
(3)暮らしぶり
地域の人々の日常生活、暮らしぶり
晴耕雨読 -田野 登-


7 地域史研究の可能性:鼠島探訪
今回は、大開延命地蔵の由来額に記されていた「魔の水門」を探索し、かつての中州「鼠島」跡地を探訪しました。地蔵堂内の由来を端緒に、記録、地図などを用いることによって、地域史を研究する可能性を追究しました。
晴耕雨読 -田野 登-


8 まとめ
o今回の 「大阪のお地蔵さん」を通じて地域史研究の可能性を報告しました。
o昭和から平成にかけて大阪のマチは大きく変貌しました。
o今回、動態として地蔵信仰をとらえなおしましたが、民俗学は、「不易」を追究する学問です。
oみなさんにおかれましては 地域史研究の糸口が得られたでしょうか?


当日のパワーポイント資料の一部










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2013年春の「大阪あそ歩」で、市岡界隈を歩きます。

先日、下見に歩いてきました。

このコースはJR弁天町駅から、時計回りとは逆に安治川左岸に歩き、

市岡パラダイス跡地、尻無川甚兵衛渡船場経由で、

弁天町に戻るといった優に3時間はかかる、かなりハードなコースです。

本番は、観光スポットに立って、「見えない景色は、写真でお見せします」ことにします。下見は、軽く流しながら、トイレの位置の確認などをしながら歩きました。

軽く流すと言いつつも、忘れられた港区の観光スポットを歩いて来ました。

このコースでは、「昭和遺跡」が次々に現れます。

当時の風景は現地で写真でお見せすることにしまして、

本ブログ「晴耕雨読」では「昭和遺跡」の現在をお見せしましょう。

現地で照合していただきマチの変貌を目で確かめられるのもまた、一興です。



まずは、弁天埠頭。


晴耕雨読 -田野 登--1
ターミナルビル全景 

一見したところ、関西汽船、加藤汽船の船着場に見えます。

ところが、汽船会社2社は撤退して、ターミナルビル内へは、施錠されていて入れません。

錆びついた地図が残っていました。

その地図にある野球場2カ所、博物館、芝居小屋、テレビ塔。

今は、どれもありません。

右上の白いペンキの下に「万国博覧会場」という文字があります。

1970年、昭和45年に千里丘陵で開催された万国博当時、

弁天埠頭は海からの玄関口だったのです。

錆びついた地図にあった施設は、高度経済成長期の後に消えました。

人気のない安治川内港から対岸の西を眺めていますと、超高層ビルが見えます。

これは平成13(2001)年3月31日にオープンした

 ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(大阪市此花区桜島)付近のホテル群です。


晴耕雨読 -田野 登--2
安治川内港からのユニバーサル・スタジオ・ジャパン付近のホテル群

中央大通りからみなと通りに出て西にゆきます。



夕凪の交差点の北東角に派手な建物が見えます。


晴耕雨読 -田野 登--3
一岡ビルヂング跡

ここも人気がありません。

「珊瑚礁」と文字が書かれています。

最近まで*パチンコ店「珊瑚礁」は、ここにありました。

*パチンコ店「珊瑚礁」:平成23年(2011)3月30日をもって閉店した。

*pachimura.com 2013/02/04

「珊瑚礁」のあった場所の時代を遡りますと、

「一岡ビルヂング」という近代建築が建っていました。

一岡ビルヂングは昭和8(1933)年に建ち、戦中は社会運動の拠点ともなりました。

戦火にも焼け残りましたが、バブルが弾けた頃、売却され建て替えられました。

目抜き通りの「昭和遺跡」の場所は今も変貌し続けているのです。

今度は、どんな建物に建て替えられるのやら。

今はパチンコ店の廃墟を見るばかりです。

夕凪の交差点を北に行きます。

かつて市岡パラダイスという夢のような遊園地がありました。


晴耕雨読 -田野 登--4
市岡パラダイス

市岡パラダイスは、大正14(1925)年にオープンしました。

敷地面積が12,000坪(3.96㌶)ですので

甲子園球場の総面積(5.4㌶)より一回り狭い園内には、

大劇場、浴場、映画館、アイススケート場が設けられていました。

その遊園地はわずか5年で閉鎖されました。

現在、この「昭和遺跡」の地は、オリックス自動車教習所になっております。



市岡パラダイス跡から夕凪の交差点に引き返し、尻無川甚兵衛渡船場をめざします。

途中、貨物線の廃線跡をまたぎます。右には「浪速駅」がありました。

浪速駅は、昭和3(1928)年12月1日に開設し、

平成18(2006)年4月1日に廃止となりました。

ようやく尻無川甚兵衛渡船場に着きました。

あいにく渡船は対岸の大正区泉尾に停泊しております。


晴耕雨読 -田野 登--5
甚兵衛渡船場

この渡船場は「昭和遺跡」なんぞでは、ありません。

朝夕の通勤・通学の足となる現役です。

尻無川右岸を上流の市岡、南市岡に向けて歩きます。

水ぬるむ春を思わせる陽気です。

浜には、大きな石がゴロゴロ横たわっております。

これも「昭和遺跡」か??

石材店の浜でした。


晴耕雨読 -田野 登--6
石材店の浜

歩いておりますと可愛いお地蔵さんがおられます。


晴耕雨読 -田野 登--7
石材店に立つお地蔵さん

舟形光背を背にする立像。合掌していなさる。

でも、ようすがちょっと変です。

オショーネ(お性根)が入っていないのでしょう。

香炉や花瓶、供え物もないところからすれば。

さらに行くと、京セラドーム大阪を背景に

瓦屋の倉庫が連なって見えます。

日曜日だからか人気はない。


晴耕雨読 -田野 登--8
瓦屋の倉庫

今でも船で瓦を運搬しているの?

これも「昭和遺跡」?

堤防下の町を歩きました。

工場の敷地内に地ビール工房「地底旅行」の看板が見えます。


晴耕雨読 -田野 登--9
地ビール「地底旅行」

昭和の時代に、そこには、煉瓦造りの工場がありました。


晴耕雨読 -田野 登--10
廃線跡

再び、廃線跡をまたげば南市岡の商店街です。

「韋駄天の繁栄商店街」です。


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「韋駄天の南市岡商店街」

繁栄韋駄天尊会所に立ち寄って、韋駄天尊にご挨拶。

「4月20日?の本番が楽しいツアーになりますように・・・。」


晴耕雨読 -田野 登--12
韋駄天立像

「昭和遺跡」をめぐるツアーもゴールまであと一息!

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テーマ:
 

回 阪俗研セミナー 

 

大阪のお地蔵さん-地域史研究篇-のお知らせ

 


 

町内のお地蔵さんを世話なさっておられる方やお地蔵さんを堅く信仰なさっておられる方、学校で習ったり、テレビや本で知った「歴史」に疑問を感じられる方から、社会学・人類学・民俗学を専攻する学生さんまで、「大阪のお地蔵さん」というテーマの元、民俗学的な地域史の探求をいっしょに学びませんか?

 

 

 

1 日時:201316()pm630分~8

 

2 場所:福島区民センター303号室
晴耕雨読 -田野 登-

 

3 セミナー「 大阪のお地蔵さん-地域史研究篇-」

 

  初秋の風物詩「地蔵盆」

 

  静かなブーム「街角のお地蔵さん」

 

  大阪のお地蔵さんの歴史

 

  地蔵信仰調査カード

 

  2010年7月「子安地蔵調査記録」

 

  地域史研究に向けて

 

  地域史研究の可能性:鼠島探訪

 

  まとめ  

  4 会費:1千円。当日会場にて徴収します。   


5 申し込み:2月15()までに氏名と電話番号を明記の上、

 阪俗研宛にメールでお申込み下さい。メール会員は電話番号明記不要です。
申し込み先メールアドレスは下記のとおりです。
 

大阪民俗学研究会 代表 田野 登 tano@folklore-osaka.org

 

なお、ブログトップからもお申込みいただけます。

  

 





お申込みは、tano@folklore-osaka.org まで

 

携帯電話:080-1418-7913

 
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