晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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前号から続きです。


 9月22日は秋のお彼岸の中日。


月例浦江塾の会場である妙寿寺(大阪市福島区鷺洲)では、


今年、特別老人ホームの施設長の方の法話がありました。


「介護する人、される人」でした。


健忘症と認知症の違いを述べられた上で、


「認知症は脳の障害による病気で、誰もがかかる可能性があります」とのこと。


介護が必要になれば、「要支援1・2」の認定を受けることから始まります。


 翌日、たまたま、市岡高校時代の同級生と喫茶店で話しておりました。


彼には90歳を超えて一人住まいの母がいます。


最近、会えばお母さんの話が出ます。


ボクは言いました。


「お母さんのことが気にかかるのなら、『要支援』の認定をしてもらったら」と。


 かつて、ボクの父が福島区内の特別養護老人ホームに入所しているとき、


施設長の方から聞いたことがあります。


「肉親の方なら、つい昔のことを知っているだけに、


年老いた姿を見てつらく思われるものなんです。


かえって、昔を知らない私たちの方がお世話できるのです。


私たちは、今の入所者の方の状態をそのまま受け入れることができるからです」と。



人間は思い出を背負い込んで生きる動物です。


それだけに、過去の姿と重ね合わせて、年老いた現在の姿に悲しくもなるものなんです。


老親のありのままを認めることことは大変つらいことです。


家事労働が社会化しているニッポン社会のこと。


老親介護もまた、社会にゆだねることも大事な選択肢ではないでしょうか。



 2000年4月に介護保険制度が施行され12年が経過しました。


しかし、案外、その制度を活用するのにためらいを感じている人も多いようです。


「超高齢社会ニッポン」では、家族やご近所で老親を支えきれるものではありません。




ボク自身の父とのやりとりを綴った、失敗ばかりの体験談を、


「老父を支えるご近所ネット」(「福島てんこもり」11号2004年6月発行)、


「老父とめぐるふるさと今昔」(同誌13号2006年6月発行)


に書いています。


お手元にある方は、お時間のある時にお読みくださいませ。


http://homepage3.nifty.com/osaka-web-museum/tenko11.htm


http://homepage3.nifty.com/osaka-web-museum/tenko13.htm




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 今日の日本は、「高齢化社会」でなく、「高齢社会」でもありません。


「超高齢社会」の段階にまで達しています。


65歳以上が人口の22%を超えているのです。


新聞には「高齢者、初めて3千万人超す「団塊の世代」65歳迎え」とあり、


高齢者の割合は24.1%と報じております(9月16日朝日新聞夕刊)。


これを書くボク自身、昨年、父の3回忌を済ませたと思ったら、


あと2年程で自分が「高齢者」になるなど信じられません。



 最近、ボクはラジオ「深夜便」(NHK第1放送)に、はまっております。


19日、20日放送では、認知症に罹った夫を支えた妻の感動的な体験談が語られていました。


三重県津市在住のTさん(以下「妻」)のお話です。


その方の夫(以下「夫」)は国立大学薬学部の教授をされていたとのことです。


「夫」の異常行動が認められたのは、


2002年に退官パーティでの普段とは異なる言動、帰りの駅で切符を買う際の混乱したようすでした。


「妻」がこのことを知ったのは、「夫」の先輩の先生から告げられた時でした。


「妻」は、「夫」の変化をなかなか信じられなかったようです。


それも無理はありません。


「夫」を身近な所でみていると思い込んでいる「妻」からすれば。



 発症の発見から治療、治療から施設への通所、通所から入所という展開は、


認知症の場合、よくあるコースです。


放送を聴いている限り、後手後手に回っている感じは否めません。


社会的地位のある人が認知症に罹った場合、


家族の対処にためらいがみられるのでしょうか。


プライドもあることでしょう。


こういったためらいがかえってこじらせてしまうように思います。


病気となれば、過去への想いを断つことも選択肢だと思います。


次回は、ボクの体験をまじえながら書きつづることにします。



「超高齢社会ニッポン(2)」へ続く

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 秋の虫の声を近所の空き地で耳にした今夜、哲学に心を寄せよう。


今回、私が紹介する本は、野家啓一2005年『物語の哲学』(岩波現代文庫)です。


この本を手にし、わが意を得たりとばかりに一気に読み進みました。


「積み重なる」時間のイメージを次のように記しています。



 それゆえ、より以前の出来事はそれ以後の出来事の出現によって


「流れ去る」わけで はなく、いわば後者は前者の上に「積み重なって」いるのである。


この「積み重なる」時 間のイメージを一つの視覚的比喩によって示しておこう。


それは、一枚一枚の透明なガ ラス板にそれぞれ別個の図柄が描かれ、


それらがうずたかく積み重ねられているという イメージである。


                 以上、野家啓一 『物語の哲学』 (岩波現代文庫)より。



 この視覚的比喩によれば、忘却とは「下層の図柄はぼやけ、


やがては見えなくなる」ことと説明されます。


「ふと思い出す」のは「上層の図柄に邪魔されて見えなかった下層の図柄が、


眼差しの向け方や光の当て方によっては鮮やかに姿を現す」ことと説明されます。


私たちの記憶は、沈殿した過去の集積から、モッコリ、ふとした出来事を思い出すものようです。


救急車のサイレンを耳にしたとき、思い出したくもないことを思い出したりもするものです。


直接、原因と結果が結びつかない別個の出来事をつないで物語を設えあげたりもします。


その段でゆくと、「歴史的事実」も、思いがけないことがきっかけとなって、


全く違った相貌を呈すこともありそうです。


思いがけないことは、別の分野の本を読書している時とか、


あるいは、ぼんやり空を眺めている時だって、心をよぎるものです。




10月28日(日)、私は、福島区民センターの301-302会議室で


福島区の歴史の話をします。


「歴史的事実」とされてきた「天文二年八月九日」に野田村で起こったとされる


二十一人討死の伝承についても触れます。


法灯を守り続けて来られた方々が伝えて来られた「物語」として、


私はお話をします。何がきっかけに、そのことに気づいたのか……。



地元の方のすぐれて実証的な考察を知ったからからです。


福島区歴史研究会の講演会においでください。


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今夜はジャズを聴くことにしよう。


よしなしごとを書きとめるのは、ふと脳裏をよぎった瞬間に限られます。


40年ほど前、聴いていた渡辺貞夫たちとチャーリー・マリアーノの


ジャム・セッションが忘れられません。


当時のレコードを今は聴くことができません。


皆さんの中で、憶えてらっしゃる方がおられませんか?


あの"THE SHADOW OF YOUR SMILE""COMING HOME"の入ったコンパクト盤を。


たしか"BLACK ORPHEUS(黒いオルフェ)"も入っていたのを。


チャーリー・マリアーノとのセッションの最後のユニゾンはすばらしかった。


実に丁寧にハモッテてた。


今夜は渡辺貞夫セクステットの"THE GIRL FROM IPANEMA"(1967録音)を聴くことにしようか。


ボサノヴァもいい。


軽くて冷めていて。


渡辺貞夫なら何でもいい?


フュージョンもよい。


渡辺貞夫のフュージョンを聴くたびに、汗臭い青春時代のことを思い出します。


当時、東京銀座に本社のある化粧品会社の傍系会社で働いておりました。


その頃だった。"CALIFONIA SHOWER"だったか、


"MORNIG ISLAND"だったかが、MG5という男性用化粧品のCMに流れていたのは。


ボクの青春は、何をしてもダメでさまにならなかった。


環状線の玉造と鶴橋の高架下の社外倉庫で出荷作業をみんなでやっていた。


いろんな人との出会いがありました。


沖縄の瀬底島からやって来た運転手さん。


済州島出身の日雇いのおじいさん。


ボクは鈍くさくてドジでした。


19歳の時、ジャン・ポール・サルトルにはまってて能なしだった。


だから、つけられたあだ名は「センセー」。


仲間のみんなからは、馬鹿にされながらも、よく助けてもらいました。


そんなボクだから、仕事帰りに、梅田のジャズ喫茶にしけ込んでは、


レモンスカッシュ一杯で、長い時間ねばってました。


その頃、未完の小説を空想しておりました。


標題だけは今も大事にしています。「朝日のようにさわやかに」です。


そうです。MJQ(モダンジャズカルテット)の


"SOFTLY AS IN A MORNIG SUNRISE"にあやっかたものでした。


未完の小説はいつ書き始めることやら。


今のところ、まったく未定です。

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私は、現在、非常勤の身です。


年間通じては、高校生相手に授業をしております。


「マイ年表の世界」は、


高校生とのやりとりの中で話したことを自分なりにまとめるものです。



3年生相手の今年度、最初の教材は、


アラスカの大自然を撮った写真家・星野光夫の随想「ワスレナグサ」でした。


その冒頭「十一月のある晩、吹雪の北極圏で、


初めての子供の誕生を知った」とあります。


「その年は、平成6年で、西暦に直すのに、『1988』を足せば、1994年です」と。


「子供の誕生」の年号を告げると、


生徒からは「ぼくらとおない年やん」と声があがりました。


調子に乗った私は


「この次の年、1995年、平成7年1月17日に阪神・淡路大震災が起きたよね」と


発言しました。


すると「そのとき、ぼくはまだ生まれてへん」という声があがりました。


そうです。早生まれの生徒のほとんどは、まだ生まれていません。


そんな生徒たちも、お母さんがおなかを抱えて、震災を体験したことを聞かされているかも知れません。


最初の授業は偶々成功しました。


自分の生まれた年を基点として、歴史を見ることで、


「マイ年表」とは、よい意味で自分本位の年表です。


「現代文」の作者の生没年に、明治、大正、昭和、平成が出れば、西暦に置き換えさせています。


その逆もします。


和暦・元号は、不便なようでも、わが国の文化です。


終戦の年は、和暦では「昭和20年」であって、「1925」を足して西暦1945年です。


目を近隣諸国に向けると、西暦1949年10月に中華人民共和国が成立し、


1950年6月に朝鮮戦争が始まります。


その昭和25年は私の生まれた年でもあります。


もちろん、朝鮮戦争が始まった時、私は生まれて半年程で、もちろん何も覚えていません。


「マイ年表の世界」は、未生の時代にも広がります。


未生の時代のことは、前々回、「盆に迎える客」で述べたとおりで、


記録と照らして、自らの想像力をはたらかせるようにしています。







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